■「フルトヴェングラーかカラヤンか」 テーリヒェン著を読む- その2■
~『自分が美しいと思う曲しか、指揮できない』フルトヴェングラー~
2024.5.27 中村洋子
菖蒲
★先週5月23日のこと、無性にWilhelm Kempff ケンプ
(1895-1991)のBeethovenを、聴きたくなりました。
20数年前に求めた【ケンプ名盤1000】から、ベートーヴェン
「ピアノ協奏曲第5番 《皇帝》/第4番」を、聴きました。
https://www.universal-music.co.jp/wilhelm-kempff/products/pocg-90122/
Berliner Philharmoniker ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
指揮 Paul van Kempen パウル・ファン・ケンペン
1953年5月Berlinでのモノラル録音
★ケンプの「皇帝」と4番は、複数の録音が残されています。
(1961年 Ferdinand Leitner ライトナー指揮 ベルリンフィル、
1936年 Peter Raabe ラーベ 指揮 ベルリンフィル)
この70年以上前の1953年の、モノラル録音CDを聴き、
心の底から沸き立つ感動を、憶えました。
生きていることの喜びを、感じることができるような演奏に、
最近では、めったにお目にかかりません。
久しぶりに、心が躍りました。
★なぜ5月23日に急に、ケンプの演奏を聴きたくなったのか、
自分自身いぶかる気持ちがありました。
上記CDのブックレットに目を通しますと、
ケンプの略歴で「1991年5月23日、イタリアのポジターノで
95歳の生涯を閉じた。」と書かれていました。
5月23日は彼のお命日だったのですね。
「そのような偶然は、365分の1の確率に過ぎないだけ」とも
思われますが、ともあれ、この様な良いご縁をいただいたのを
契機に、ベートーヴェンの「皇帝」の自筆譜を手元に、
ケンプの演奏を聴いています。
★拙著《クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!》
chapter 9 の295~297ぺージ「ヴィルヘルム・ケンプ85歳、
最後のコンサートと彼の言葉」を、是非お読みください。
ケンプはこう述べています。
≪私はいつも、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、
私に言った言葉『自分が美しいと思う曲しか、指揮できない』ー
これを、心の中で思っています≫。
★さて、このCDの録音された年、1953年と言いますと、
Wilhelm Furtwängler フルトヴェングラー(1886-1954)の
亡くなる1年前です。
この二人の大芸術家に共通していることは、
「心の奥底から湧き出る、生命の泉のような気高い音楽、
その高貴さ」と、言えるのではないでしょうか。
しかし「言うは易き」、ですね。
現在、誰がこの大芸術家たちの後継者といえるでしょうか?
彼らを引き継ぐ音楽家はいるのでしょうか?
薔薇 ケニゲン・ベアトリクス
★前回ブログの続きです。
Thärichen テーリヒェン著「フルトヴェングラーかカラヤンか」
の興味深い個所を、ご紹介します。
結論を先に申し上げますと、『自分が美しいと思う曲しか、
指揮できない』というフルトヴェングラーの言葉に、
テーリヒェンのフルトヴェングラー評も集約されていくと思います。
★テーリヒェンは書いています。
「総譜を隅々までマスターし、指揮棒の技術を身につけることが
職業の基本である。だが、それだけでは何にもならない。
オーケストラにいくら無理強いしても、その内奥に潜んだ何かを
たぐり出せる訳ではない。
才能に物を言わせ、優れた成果を達することは出来るだろう。
だが、フルトヴェングラーの響きは、それ以上のものだった。」
★さらに続けます。
「それは彼の人柄全体から汲み出され、彼自身の感動を伝える
ものだった。そうすることで感性の隅々までその場にいる人すべてに
さらけ出すことになる。だがフルトヴェングラーがなし得たほどに、
自分の内実を開いて見せる覚悟があり、かつあれほどまでに
多くのものを人に与えたためしがあったろうか。
しかも、フルトヴェングラーからは、あの深い感動がその都度新たに
感じられたのである。」
★対するカラヤンは、どうだったでしょうか。
フルトヴェングラーが亡くなり、カラヤンが後継者となった時の
指揮ぶりを、テーリヒェンはこう回想しています。
「フルトヴェングラーより小柄でほっそりした彼が、いまや私たちの
前に立っていた。謙遜で親しみのある印象を与え、腕を円を描いて
前方に繰り出しながらーその眼は閉じたままだった。」
「フルトヴェングラーはなんと懇願するようなまなざしで私たちを
見つめたことだろう。高潮した瞬間には、切望の気持ちを伝える
その身振りばかりではなく、その瞳までもが私たちに訴えかけてきた。
ところが、カラヤンからは一瞥(いちべつ)だに与えられないのだ。
よそよそしさが、指揮者とオーケストラの間にひろがった。
こっちも眼をつむらなくちゃあいけないかなと思ったのは、
私一人ではなかったが、そうなれば、すべておしまいだったろう。」
★この後、事態はどう進展したのでしょうか。
「カラヤンは自分の内面を見つめ、内面の声に耳を傾けていた
のだろう。」、「カラヤンの閉じた眼はオーケストラに対する挑戦
だったが、彼自身もそのために取り逃がしたものは、少なくなかった」
視覚によって暗譜した結果、カラヤンは眼を閉じるようになった
のではあるまいかと、私は自問したことがある。」
★テーリヒェンの見立ては、≪カラヤンは暗譜(楽譜を見ずに)で
指揮をするために、スコア(総譜)を視覚的に脳裏に収めている
のだろう。≫
頭の中で映像として再現した楽譜を“読みながら”
演奏しているために、眼を閉じる必要があるのではないか
との推論です。
そのために、オーケストラの楽団員とのアイコンタクトが、
カラヤンには無かったのでしょう。
★オーケストラの団員は戸惑い、あたかも室内楽を演する時の
ように、お互いの音をよく聴き合い、注意深く、手探りで柔らかい
響きを作っていったようです。
フルトヴェングラーによって練り上げられ、築き上げられた音作り
を土台として、そこに楽団員相互による、ある意味“自発的”な
室内楽的繊細さの音響を付加したものが「奇跡のカラヤン」の
実態だったようです。
山法師の実
★テーリヒェンはさらに続けます。
「フルトヴェングラーは、自分と向かい合う側に、オーケストラの
ソロ奏者、ある楽器群、あるいはオーストラリア全員がいて、
対決しながら、相互に刺激を与え合うことを好んだ。
カラヤンは順応性のある、従順で献身的な奏者を評価した、
だからと言って、フルトヴェングラーのときのオーケストラが最も
劇的でやかましかったということは決してない。
むしろその逆なのだった。」
この後、前回ブログで書きました下記の証言が続きます。
≪フルトヴェングラーの指揮が、最も濃密になるのは、
繊細極まる、静かな箇所であり、音量の強い個所では響きは
抑制が効き、崇高でなければならなかった。カラヤンは静かな
箇所でも強い表現を求め、フォルティッシモでは無慈悲な
大音量を要求しさえした。≫
二人の決定的な違いが、ここによく表れていますね。
★テーリヒェンは、フルトヴェングラーについてこうも書いています。
「世界的大都会に居ようと、中都市に居ようと、また単なる稽古
であろうと、音楽をするに当たって区別はなかった。充実した音の
一つ一つが緊張感を孕んでいなければならなかった。」
前回ブログで記しました、カラヤンが来日し演奏する都市は、
来日を重ねるにつれ、次第に少なくなり、最後には東京と大阪
だけになってしまったのと、正反対です。
★「今でもフルトヴェングラーが『それではまるで芯の空っぽな麦藁
だ』と言っているのが聞こえる思いがするー他の指揮者だったら、
そんな響きで大満足だったことだろう。
彼は『その響きは美しくない!nicht schön』という際、その「e」
音を長く延ばしたり、舌を突き出したりして、嫌悪感を表した。」
「美しくないnicht schön音」に対する嫌悪感を、全身で表現する
フルトヴェングラー。
それは、フルトヴェングラーがケンプに語った『自分が美しいと
思う曲しか、指揮できない』という言葉に通じます。
もう少し、テーリヒェンの証言を続けます。
紫蘭
★フルトヴェングラーが示したのは、単に「響き」だけではなかった。
「和音の連結」、そして何よりも「旋律」を形成する「モティーフ」を
明確に提示したのでした。
「彼はそれをうっとりと描いてみせた。そしてそれに花を添えるのが、
彼の形式感覚だったのだ。」
「和音の連結」につきまして、私(中村)が現代の指揮者に、一番不満
なのは、まさに、この「和音の連結」なのです。
現代のオーケストラの演奏は、団員の訓練された高度な技術と、
華麗な音響で、実に輝かしく煌びやかですが、クラシック音楽の
「機能和声」の「和音」が感じられないことも多く、
フルトヴェングラーやケンプの演奏を聴きますと、
実に、ホッとします。
★拙著≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史≫
237ぺージ『チェリビダッケは、なぜ録音を嫌ったか』
≪「沈黙」も「無」も存在しない。音全てが、音楽の喜びを歌う≫
を、是非お読みください。
238ぺージに、書きましたように、
「functional harmony(機能和声)の音楽」は、即ち
「ドビュッシー以前の音楽は」と、言い換えてもいいと思いますが、
「和音」を構成する一音一音は、それぞれが、「固有の役割」と、
強烈な「ベクトル」(エネルギーと方向性)を持っています。
★その一例として160~162ページに
≪「導音」は上行を指向する≫≪「下属音」は下行を指向する≫
を書きました。
フルトヴェングラーやケンプの演奏には、その「音固有のベクトル」が
「和音連結」で美しく結晶しています。
フルトヴェングラーが「美しくないnicht schön音」と言ったのは、
「音固有のベクトル」が、美しく結晶せず、
「和音の連結」が、曖昧模糊とした響きになっているのを
意味するのです。
菖蒲
★テーリヒェンの言う「楽曲のモティーフと旋律」も、拙著16ページ
で解説しました。
≪「動機 モティーフ」を、いかに緩急自在に組み合わせるかが
「対位法」≫を、お読み頂けますと、ストンと腑に落ちると思います。
クラシック音楽の「旋律」は、「動機 モティーフ motif」から成り、
それによってクラシック音楽の「華」である「対位法」が
形成されるのです。
フルトヴェングラーは「対位法のない音楽はnicht schön
ニヒト シェーン」だと言っているのでしょう。
★この書物の日本語訳では、『そして、それに花を添えるのが、
彼の形式感覚だったのだ。』と書かれています。
私は原書を所持しませんので、どういうドイツ語なのか
分かりませんが、「花を添える」という訳語にはいささか
違和感を感じます。
「形式感覚」という訳語も腑に落ちません。
フルトヴェングラーは、その音固有のベクトルを持った「和音」を
美しく連結し、それによって「旋律」を形成し、その結果として
美しい「対位法」が、形成される。
そして、その「対位法」の≪高貴な組み合わせが「形式」をつくる≫
というタイプの、真の大芸術家でした。
「花を添える」という表現には、なじめません。
★また、フルトヴェングラーが音楽にどう向き合っていたか、
煎じ詰めますと、「生き方」とも言えると思いますが、
それをよく表すエピソードも、紹介されています。
かつて忘れられないような名演をした、ベートーヴェンの
「ミサソレムニス」の再演を、晩年になって求められました。
「いまは不可能だ、とてつもなく難しい。作品をあらためて
我が物にせねばならず、以前の演奏の新版では
満足できないから」と、断りました。
フルトヴェングラーは齢を重ねるにつれ、演奏に対する要求の
レベルがますます高まっていったようです。
「演奏解釈との格闘を止めなかった、まるで生命を賭けている
かのような密度だった。彼と関わった人は誰でもそう感じていた。
楽員たちは生命をかけて演奏した。この強烈さが彼らを団結させ、
聴衆の心を揺り動かしたのである。」
★他方、カラヤンは、ベルリン・フィルを手中に収めた後、
≪練習の折に、「このオーケストラを指揮していると、がっしりとした
壁にもたれているような気になる。」つまり、彼はフルトヴェングラー
に、もたれていたのではないか。≫
城端・曳山祭り
★フルトヴェングラーの最晩年について、
「あれほど、音を通しての理解に重きをおいていた、その彼が、
晩年になって難聴に悩まされるようになった時、その心中は
いかばかりだったろうか。聴力を上げるためあらゆる技術的手段を
試した。(彼の求める響きを)どんな補聴器・増幅器が媒介できた
であろうか。難聴は生命に差し障る病気ではないが、
彼の場合は、そうなりかねなかったと想像できる。」
そして、
≪フルトヴェングラーの死が伝わった時、私は幾人かの同僚と
立っていた。一人が「この人が亡くなった以上、僕は仕事を
変えようと思う」と言った。≫
★フルトヴェングラーの音楽を一言でいいますと、お互いに理解し、
尊敬し合った Edwin Fischer エトヴィーン・フィッシャー
(1886-1960)の「Bach を評した言葉」(拙著78ページ)の
「Bach 」を「 Furtwängler」と置き換えれば、そのまま当てはまる
と思います。
≪現代と違って、フルトヴェングラーの音楽は、どんな声部にも、
生きている旋律があり、埋め草のための声部は存在しなかった
(残念ですが、現代はそうではないという嘆きです)≫。
下校
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