音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■ 歌曲を作曲中です ■■

2008-03-31 17:34:51 | ■私の作品について■
■■ 歌曲を作曲中です ■■
           08.3.31


★5月のCD録音に向け、新しい作品の作曲が最終段階です。

ソプラノ「五十嵐郁子」さん、ギター「斎藤明子」さんという

私の考えるところでは、現在の日本で、最高の顔合わせです。


★曲は、ベッチャー先生のために作曲しました

「無伴奏チェロ組曲第1番」の、延長線上にあります。

日本の四季、12ヶ月を12の「ヴォカリーズ」で表現します。

「ヴォカリーズ」は、ラヴェルやラフマニノフの名曲があります。

歌詞はありませんので、かえって想像力を、かき立てる面があります。


★きょう、我が家にお見えになったお客様に、出来たての曲を、

ピアノで弾いてお聞かせしましたところ、

「まるで、言葉が聴こえてくるような曲ですね!!」と

いって頂きました。


★歌を、器楽的に扱うのではなく、

言葉が存在する以上に、言葉が聴こえるような曲にしたかったため、

大変に、嬉しいご感想でした。


★一月は、「若菜摘み」、二月は「水仙月」、三月は「暗香梅」、

四月「菜の花月夜」、五月「牡丹」、六月「五月闇」、七月「白雨」

八月「空蝉」、九月「こぼれ萩」、十月「龍田姫」・・と続きます。


★この中の数曲は、弦楽五重奏に編曲し、

ベルリンにお送りしたところ、喜んでいただけました。

皆さまに喜んで聴いていただける曲になるよう、願っております。


★同時に、録音します「龍笛とピアノ」の二重奏も、

「前代未聞の楽器の組み合わせ」と、

録音の杉本一家さんがおっしゃっていました。

最高の録音技術者である杉本さんに、

録音を担当していただくのは、身に余る光栄です。


★「龍笛」の八木千暁さんの、たっぷりと豊かな音色と、

大きくおおらかな音楽も、是非、皆さまに、

お聴きいただきたい、と思います。


★4月13日に、ドイツのマンハイムで、

私の「無伴奏チェロ組曲第1番」の全曲通しての初演を、

ベッチャー先生がなさいます。

大変に、難しい曲ですので、気力、技術とも

先生ぐらいの域に達したマエストロでないと、

全曲の演奏は、難しいかもしれません。

作曲に追われ、聴きに行けないのが、とても残念です。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■次回のアナリーゼは、バッハ「イタリア協奏曲」■

2008-03-22 17:53:44 | ■私のアナリーゼ講座■
■次回のアナリーゼは、バッハ「イタリア協奏曲」■
                    08.3.22


★昨日(08.3.21)は、バッハ(1685~1750)の、

324回目のお誕生日でした。

という訳で、次回のカワイアナリーゼ講座は、

バッハの「イタリア協奏曲」を取り上げます。

・日時は、6月8日(日)午後1時半から4時まで、

・会場は、カワイ表参道2F「コンサートサロン・パウゼ」です。

詳細が決まり次第、また、お知らせいたします。


★イタリア協奏曲は、ライプツィヒの「聖トーマス教会合唱団」の

カントール(教会の音楽監督)に、バッハが就任してから、

出版されました。

バッハは、1723年5月31日に、カントールに採用され、

亡くなるまで27年間、その地位にありました。


★ちなみに、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団は、

1743年に、ライプツィヒ市民によって設立されました。

バッハの存命中です。

市民が設立したオーケストラとしては、世界最古だそうです。

1781年から、ゲヴァントハウス(織物会館)で、

定期的に演奏会が行われるようになりました。

以後、260年以上続く、世界有数のオーケストラです。


★歴代のカペルマイスター(音楽監督)は、メンデルスゾーン、

ライネッケ、フルトヴェングラー、ワルター、マズアなど

音楽史を飾る大芸術家たちです。


★この3月は、この両者によるバッハの『ミサ曲』や『受難曲』を聴き、

オーケストラの楽団員と、音楽について、

なんども語り合うことができ、忘れがたい月になりました。


★バッハがなぜ、鍵盤楽器のための「イタリア協奏曲」を書き、

ライプツィヒのカントールになってから、

公表、出版したか、についても

バッハがどのような勉強を重ねたか、という

バックグラウンドから、お話してみたい、と思います。

ヴィヴァルディをはじめとする、

イタリアの巨匠たちの音楽が、バッハの中に、

滔々と流れ込んでいるのです。


★それをまた、現代のピアノという楽器で、

演奏することについても、お話したい、と思います。

バッハ時代の楽器で、正確な考証の上で、

バッハの曲を演奏するのは、大賛成ですし、

是非、しなければいけないことだと思います。

しかし、一部の奏者には、

“バッハを近代の楽器で演奏するのは、よくない”と

主張する向きもあります。


★バッハの音楽は、どんな楽器で弾いても、

いささかも、壊れるものではありません。

大切なのは、『その演奏の質が、良いか悪いか』だけです。

ピアノで、心からバッハを楽しむには、どうしたらいいか、

それを、お話いたします。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■ バッハ、ロ短調ミサを聴く ■■

2008-03-16 21:16:07 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■■ バッハ、ロ短調ミサを聴く ■■
                 08.3.16


★ゲヴァントハウス管弦楽団&聖トーマス教会合唱団の「バッハ」を聴きました。

3月3日は「ロ短調ミサ」、5日は「マタイ受難曲」でした。

日本では、計6回の公演がありましたが、「ロ短調ミサ」は、1回のみでした。


★指揮は、聖トーマス教会のカントール「ゲオルグ・クリストフ・ビラー」。

聴き終えて、

≪この曲があれば、新たに、何かを作曲する必要が一体、あるのだろうか≫、

そんな恐ろしい思いにさえ、捕らわれてしまいそうになりました。


★ロ短調ミサの核心は、Ⅱニケア信条=Symbolum Nicenum(クレド)の

第4、第5曲目の曲です。

ロ短調ミサ全体を、扇の要のように束ねています。

ゲヴァントハウスの好演を聴き、それが実によく分かりました。

4曲目は、イエスがマリアから生まれ、人の子となった場面、

5曲目は、イエスが殺される場面です。

この2曲に、すべてが凝縮されています。


★(Symbolum Nicenum)の5曲目は、

「Crucifixus etiam pro nobis sub Pontio Pilato, passus et sepultus :

しかし、(キリストは)私たちのために、十字架に架けられ、

苦しみを受け、葬られた、ポンテオ・ピラトがそれを行った」という句を、

4声部で歌います。

バッソ・コンティヌオが、4小節単位で、

Mi, Re♯, Reナチュラル, Do♯, Doナチュラル,Siの下降半音階を奏し、

全52小節のこの曲の中で、それを13回、繰り返します。


★衒学者は、13回という数字を喜びそうですが、

曲の本質とは関係ありません。

音楽と関係ない衒学に惑わされる必要はありません。

厳密に、13回繰り返されますから、

「シャコンヌ」あるいは「パッサカリア」の一種といえるかもしれません。


★次のように聴いて下さい。

このバッソ・コンティヌオを厳密に耳で追いながら、その上に、

ソプラノ、アルト、テノール、バスの順で、

この「Crucufixus」という語が、カノンで奏されていく、

そして、そのモティーフが、対位法的に展開されていく、

それを耳で追ってください。


★心の中に、そして、目の前の見えない空間に、

鮮明かつ朧に、十字架が立ち昇ってくるような、

神秘的ともいえる、不思議な光景です。

音楽の究極の姿です。


★ロ短調ミサの全体は、過去の教会カンタータなどがたくさん使われています。

バッハが、すべて新しく作曲したのが、このSymbolum Nicenum4、5番です。

実演で聴きますと、それが本当によく分かります。

5曲目は、下降する半音階を多用し、イエスが崩れ落ちるように

痛めつけられ、死んでいくのを、抽象的な音で表現しています。

描写的でなく、抽象的な音により、それを描写以上に、心に焼き付けます。

これが、バッハの音楽が到達した究極の高みでしょう。


★マタイ受難曲は、イエスが殺される場面を、頂点として描く曲です。

大変、ドラマティックに作曲しています。

マタイを書いたからこそ、ロ短調が作曲できた、とも言えます。

しかし、私にとって、究極の「ドラマ」とは、

ロ短調ミサSymbolum Nicenum4、5番のような曲を指すのです。


★チェンバロの巨匠「グスタフ・レオンハルト」がかつて、

インタビューで、次のように語っています。

「自筆譜を見れば分かりますが、バッハは、まず、書き始めます。

その過程で、ある構想が浮かび、そして、何度も推敲する。

歳月を経てからも、それをまた推敲する、というふうに作曲していました。

それが、彼の性格だったのでしょう。

そして、その方法が、成功したのです。

ですから、現代のバッハ研究で言われているように

音に、なんらかの象徴を見出す(こじつける)説は、全くナンセンスです」


★アマチュアの方で、バッハのシンボル論を、

私に滔々と、述べる方もいらっしゃいます。

しかし、聞きかじりの珍説に頭を使うより、まず、

謙虚に楽譜を読み、ゲヴァントハウスのような、けれん味のない、

素晴らしい演奏を聴き、バッハを、心の底から体験することが大事です。

象徴論で、頭を一杯にしている干からびた古楽奏者の演奏からも、

遠ざかったほうがいいと思います。


★バッハは、どんな楽器(近代の楽器)で弾いても、

心からバッハを愛している奏者に対しては、その努力に報い、

努力以上の音楽の真の喜びを、与えてくれる作曲家なのです。


★バルトークの音楽を黄金分割で、説明し尽くそうとする学者もいますが、

均整の取れたプロポーションの音楽を、創造した場合、

クラシック音楽の形式の原則からいって、

黄金分割に近づいていくというのも、至極当たり前のことです

ですから、バッハの象徴論、バルトークの黄金分割など

衒学的な話に耳を傾けるのは、時間の無駄です。


★公演後、友人のゲバントハウス管弦楽団奏者と、

お会いし、楽しく歓談しました。

「ロ短調ミサの公演が、1回だけなのはとても残念、

私たちはもっと演奏したいのに・・・」

マタイ受難曲でないと、客があまり集まらないという、

日本独特な興行的な理由のようです。


★また、拍手について、「ライプチッヒでは、ロ短調ミサ、

ヨハネ、マタイの受難曲では、拍手をしない」とおっしゃっていました。

今回、東京での「ロ短調ミサ」公演では、聴衆がじっと、余韻を噛み締め、

奏者と一体となり、沈黙の時間をもちえました。

拍手は、しばらくおきませんでしたので、

奏者の方はとても喜んでいました。

奏者にとっても、激しく揺さぶられていた心と技をそこで、

静かに閉じるためには、沈黙が必要なのです。


★日本のお能も、拍手をしないものですが、

近ごろは、終わるか終わらないかで、拍手する客が半分ほどいます。

受難曲にしろ、能にしろ、演奏が終わった後、

心の中に形作られる、

なにか大きな感情のうねりというようなものこそが

作曲家や、能作者が本当に求めていたものです。

ましてやオペラのように、ブラボーするのは論外、

「神」にブラボーを叫ぶ人はいません。

今回の、マタイ受難曲の時は、残念ながら、

直ぐに拍手が起きてしまいました。


★ベルリンのベッチャー先生に、

この「ロ短調ミサ」公演の感想をお話しました。

「Bach h-moll Messe is one of the greatest pieces of music ever written」

と、お返事が来ました。

先生もこの曲について、バッハだけでなく、人類の音楽の中で、

最高の音楽であると、位置付けていらっしゃることが分かり、

とても嬉しくなりました。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ ハーブの贈り物 ■

2008-03-12 17:05:41 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■ ハーブの贈り物 ■
          08.3.12

★まだ雪深い青森の里から、みずみずしい「ハーブの玉手箱」が届きました。

そっと覗きますと、生命力の塊のような若葉たちが、弾け出てきました。

ルッコラ、ワサビ菜、パースレーン、フヌイユ、コリアンダー、ケール・・・、

“お名前”も存じ上げない、若い若い葉っぱたちが、押し合い圧し合いです。

朝露の小道をよぎってきたかのように、しっとりと濡れ、

生まれたての地球はかつて、

こんな色で包まれていたのかしら、と思うようなやさしい翠色。


★お塩もオイルもなにもつけず、そのまま、いただきます。

まるで、メーメー山羊さん。

次から次へとムシャムシャ、手が止まりません。

スギナのようなフヌイユは、しっとりと甘みが口にこぼれてきます。

まるでお菓子です。

ルッコラセルバティカの花は、黄色い菜の花そっくり。

茎は、お肉のようなしたたかな味わい。


★ルッコラは、ゴマの分身のよう、葉っぱだけで、

一品料理をいただいているような充実感、美味しさがあります。

箸休めは、ピリピリ、心地よい刺激で舌が直るカラシ菜。


★キノコのような形のパースレーン。

笠のところは、雲か霞を食べているよう、

なんの抵抗も感じない、未体験の不思議なお味。

しかし、茎は、シャキシャキ、このアンバランスの心地よさ。

彩りで添えられていますパンジーのお花もついでにムシャムシャ。


★ハーブティーも添えられていました。

淡い萌黄色の液体から立ち上がる香りは、

鼻から喉、臓腑、脳にまで駆け巡り、肉体が生き返りました。

その余韻は、一日中、体内を漂っていました。


★このハーブをお作りになっていらっしゃるのは、

「大西ハーブ農園」の大西さんと、酒井柚里さん。

青森県の三沢市から内陸側に少し行った六戸町に、農園はあります。


★ハーブの原産地の地中海沿岸と、

この青森の地は、緯度がほぼ同じの40度。

その陽光が、ハーブたちの遺伝子を刺激し、

のびのびと育つ環境だそうです。

当然のことながら、全く農薬や化学肥料は使われていません。

芸術といっていい感動の作品です。


★「大西ハーブ農園」は、青森県上北郡六戸町折茂前田3-2
  電話 0176-55-3459 FAX 0176-55-3059


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ ワルトシュタインのアナリーゼ、一部をご紹介 ■

2008-03-09 17:35:42 | ■私のアナリーゼ講座■
■ ワルトシュタインのアナリーゼ、一部をご紹介 ■
                    08.3.9

★3月2日のカワイ表参道・「アナリーゼ講座」は大盛況でした。

約110人も、お集まりいただきました。

盛り沢山の内容でしたが、一部をご紹介いたします。


★第一楽章冒頭の「同一和音の連打」につきましては、

ペータース社の「クラウディオ・アラウ版」

(表紙では原典版と表示していますが、アラウの校訂)では、

「ウナ・コルダ」と、指定されています。


★仏の作曲家アンドレ・ジョリベも、著書「ベートーヴェン」で、

“重々しい同音連打が、夜の帳を開け放ち、夜明けを迎える、
 
即ち「曙」である”、ということを書き記しています。


★さらに、ジョリベは、一楽章の冒頭を

「パストラル PASTORALE」である、とも書いています。

つまり、柔和な同音連打と保続音が、パルトラルの様式だからです。

パルトラルは、よく「牧歌」と訳されますが、

たんなる羊飼いのイメージでなく、

幼子、イエスの愛に溢れた優しいイメージと、重なっているのです。


★しかし、一般的には、二楽章から三楽章にかけての部分が、

夜が明け行く「曙」のイメージ、といわれています。

どちらがいいとは言えませんが、いずれにせよ、

最近、よく耳にします和音を、機関銃のように

荒々しく連打する演奏とは、かけ離れています。


★当時のヴィーンのピアノで、演奏いたしますと、

(ベートーヴェンが当時、贈呈されたフランスのエラールでも同様)

パストラル、曙というイメージが、よく実感できると思います。


★講座でお配りしました、一楽章と三楽章の「形式区分表」は、

これから、役に立つと思いますので、大切に保存ください。

区分表を見て、なぜ、そこで区切るのか、いつもお考えください。

それが分かれば、モーツァルト、ハイドンのソナタだけでなく、

ソナチネアルバムのクレメンティ、クーラウなどにも

容易にも応用できます。


★特に、第一楽章の提示部や、楽章終止の区分を、

どうして、そこで区切るのか、しっかり理解し、

それを、記憶していただければ、

ベートーヴェンのソナタの特色が分かり、さらに、

暗譜が、確実にできます。


★ソナタ形式は、一般的に「提示部」、「展開部」、「再現部」の

3部構成とされています。

しかし、そうではなく、提示部には、反復記号が付きますから、

4部構成と考えたほうがいいのです。

さらに、このワルトシュタインでは、

大規模な「楽章終止」が付加しますから、

5部構成ということになります。


★スビャトスラフ・リヒテルが、彼へのインタビューのなかで、

幾度も、強調しているように、絶対に

「提示部の反復」を、省いてはいけません。

ましてや、この曲は、提示部の後に、

第一括弧、第二括弧があり、全く同一の反復ではないからです。


★当日、お配りした資料で、「ソルフェージュへの導入」として、

私が提案しました、幾つかの譜例も、大切に保存してください。

第一楽章の第2テーマは、その譜例のように、少し加工しましたら、

そのまま、ソルフェージュの和声課題として、通用いたします。

和声課題は、通常8小節で、同じ音域のみの課題が多いのですが、

それだけでは、実際には、あまり役に立ちません。


★どうぞ、生徒さんへのピアノのレッスンの前に、

10分で結構ですから、このような課題を書き取らせてください。

その後、このソナタを見せますと、

どの音が聴き取れていなかったか、自分でよく理解できるはずです。

ということは、弾く上で、自分の欠点

(どの音に注意が欠けていたか)が、よく分かります。


★次のステップとして、この曲を実際に、生徒に弾いて聴かせたり、

CD(“機関銃”ではない、ケンプなどの本当の名演のCD)を貸して、

感動してもらうことです。

まだワルトシュタインを弾けない生徒さんにも

“こんな名曲があるのだ、いつか自分も弾けるようになりたい”

という「夢」を与えることができます。


★「キャラクター」の映画音楽の安易な編曲ものを弾かせ、

見せかけの夢を、決して、与えないでください。

安易な編曲ものでは、ピアノから心が離れ、即ち、

レッスンから、興味を失くす時期も、早まってしまうのです。

それでは、真の音楽家、音楽愛好家は育ちません。

人類の遺産である、本当の名曲を、名演によって、

心に染み込ませることが、大切です。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする