音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「エリーゼのために」 の7小節目 「 ミ ド シ」は誤り、「レ ド シ」 が正しい■

2012-02-26 23:24:20 | ■私のアナリーゼ講座■

■「エリーゼのために」 の7小節目 「 ミ ド シ」は誤り、「レ ド シ」 が正しい■
     ~KAWAI名古屋 「第 7回 Invention アナリーゼ講座 」のご案内~
        2012,2,26    中村洋子   Yoko Nakamura

 

 

★2月29日 ( 水 ) は、KAWAI名古屋での、

「 第 7回  Invention インヴェンション・アナリーゼ講座 」 です。
http://shop.kawai.co.jp/nagoya/lecture/nakamura.html


★今回は、表参道講座で、大変に好評でした、

Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 ) と、

Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827) の

「 Für Elise エリーゼのために 」   a-Moll  WoO 59 との関係も、

お話する予定です。

 「 Für Elise 」 については、当ブログで、既に2回ほど書いております。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110918
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110927


★先日、次のようなご質問をいただきました。

≪ 「 エリーゼのために 」 の 7小節目上声 16分休符の後は、

「 e1 」 か、 「 d1 」  なのか、どちらでしょうか? ≫

現在の日本では、 「 e1 」 の 「 ミ  ド シ 」 が多いようです。


★私は、 Beethoven の自筆譜ファクシミリ

Zweiseitiger Entwurf Beethovens ( Beethoven - Archiv , Bonn )、

( これは 4 page中、 2 pageしか残っていませんが ・・・) と、

それを、VERLAG BEETHOVEN-HAUS BONN が、実用譜とした版、

さらに、G.Henle Verlag の楽譜を、いつも見ておりますので、

 「 e1 」 がいまだに、広まっていることには、驚いております。


正しいのは 「 d1 」 ですが、それが、 「 e1 」 となっているのは、

日本の大手出版社の、最もよく売れているピアノピースに、

 「 e1 」 と、印刷されているからです。

この情報時代に、このようなミスが大手を振って、

いまだに、まかり通っていることの不思議さに驚きます。

日本で出版されている楽譜については、このように、

ミスが散見されることがあり、すべてを信用することは、

危険です ( 海外の楽譜も、大同小異ではありますが )。

 

 


★このミスが、どうして起きたのかについては、

アナリーゼ講座で、解説いたします。

「 e1 」 としたほうが、常識的な発想では、一見小奇麗なのです。

「 d1 」 にしますと、より深い感情を表現できます。

しかし、演奏は格段に難しくなるのです。


★皆さまも、 「 エリーゼのために 」 の楽譜をお持ちでしたら、

是非、お確かめください。

もし 「 誤った e1 」 が、採用されていましたら、その楽譜に限らず、

その楽譜のシリーズの、他の作曲家の作品についても、

盲信はしない方がいいと、思います。


★日本の大手出版社の、この誤ったピアノピースが、

最もよく売れているのは、他の楽譜と比べ、

数百円安いということが、主な理由のようです。


安価さゆえに、そのピアノピースを選ぶことは、

大作曲家が、その曲で意図した “ 宝物 ” に、触れることなく、

終わってしまうことに、なります。

私は、それがとても、残念であり、

“ もったいない ” ことであると、思います。

 

 


★さらに、 74小節目の右手 3拍目の和音も、

「 d1  e1  gis1  」 が正しく、 「 d1  f1  gis1 」  は、間違いです。

1拍目の和音は、 「 d1  f1  gis1 」 ですが、

3拍目の和音は、真ん中の音が  「 e1 」  となります。


★すなわち、1拍目は、左手バスの 「 H音 」 を含めますと、

「 H1  d1  f1  gis1  」 の減七の和音、

3拍目は  「 H  d1  e1  gis1  」  の属七の和音となり、

和音の種類が、異なるのです。


3拍目を、1拍目と同じ 「 d1  f1  gis1  」  にしますと、

同じ減七の和音が、二度続くことになります。

明らかに、Beethoven ベートーヴェンの自筆譜と、

齟齬が生じます。


★このような、どなたでもご存じの名曲でも、

信頼できない楽譜が、横行しているのです。 

 

 

                                         ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■ バッハが、“変奏曲” 全 30曲で表現したかった世界とは ■

2012-02-20 18:51:14 | ■私のアナリーゼ講座■

■ バッハが、“変奏曲” 全 30曲で表現したかった世界とは ■
 ~最終回 第15回インヴェンション・アナリーゼ講座のお知らせ~
                        2012. 2. 20   中村洋子

 

 

★日  時 : 2012年 3月 18日 (日)  14: 00  ~ 16: 30

★「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座 」 は、

いよいよ、最終回となりました。

15番は 「 インヴェンション&シンフォニア 」 全 30曲の、

「 コーダ(結尾部)」 と、位置付けることができます。

インヴェンション 15番の主題を変奏したものが、そのまま、

シンフォニア 15番の主題に、なっています。

  
この全 30曲を貫くものは、 ≪ 「主題」 と 「変奏」 ≫ ともいえます。

この ≪ 主題と変奏 ≫ という観点から、まず、全 30曲を見渡します。

2声のインヴェンション 15番は、インヴェンション全 15曲の結尾部であり、

3声のシンフォニア 15番は、シンフォニア全 15曲の結尾部であり、

それと同時に、全 30曲の結尾部にもなっています。

 

 


インヴェンション 15番は、 「 2声 」 ですが、

主題の提示が 3回あり、あたかも、

「 3声のフーガ 」 の、第一提示部のようです。


シンフォニア 15番は、「 3声 」 ですが、

曲の冒頭 6小節間は、2声部しか現れず、

休止している 3声部目の 「 全休符 」 を、

バッハは、あえて、手稿譜に記譜していません。


1小節目の上声で提示された主題は、4小節目の下声で、

2度目の提示がされますが、1オクターブ下になっています。

フーガの応答のように、属調 fis - Moll の主題は、

提示されないのです。

 

Bach は、シンフォニア 15番 全体を通して、

属調を、ほとんど登場させていません。

これは、一体何を意味しているのでしょうか、

平均律の成立 ( 序文に記された年月 ) は、1722年。

インヴェンションは、その1年後の 1723年。

インヴェンションのほうが、遅いのです。

その1年の間に、Bach が ≪ 調性 ≫ について、

考え抜いたことの結論が、シンフォニア 15番 に、

結実しているのです。 

講座で、詳しくご説明いたしたいと思います。


最後の 15番で、

「 2声のインヴェンション 」 を 「 3声楽曲 」 のように、

「 3声のシンフォニア 」 を 「 2声楽曲 」 のように、

とても、ユーモアに満ちた作曲をしたバッハ。

Bach の悪戯っぽく微笑む顔が、目に浮かぶようです。


シンフォニア 15番は、

≪ 全 30曲の曲集の素晴らしいコーダ ≫ である、

といえます。


★海外の、定評ある原典版楽譜ですら、

決定版といえるものは、見当たりません。

講座では、各版の長所、短所をご説明いたします。

 

 

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■第 15 回 「インヴェンション&シンフォニア 各 15番」
    ~バッハが、この“変奏曲”全30曲で表現したかった世界とは~

日  時 :  2012年 3月 18日(日)  14: 00  ~ 16: 30

会  場 :  カワイ music school みなとみらい     (全15回)
          横浜市西区みなとみらい4-7-1 M.M.MID.SQUARE 3F
         ( みなとみらい駅 『 出口 1番 』 出て、目の前の高層ビル 3F )

会 費 : 3,000円  ( 要予約 )  Tel.045-261-7323 横浜事務所
                 Tel.045-227-1051 みなとみらい直通

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★次回からは、

■≪ ショパンは、平均律クラヴィーア曲集をどのように分析していたか≫
Chopinが所有していた平均律楽譜を通しての 「 平均律・アナリーゼ講座 」

■≪ 第1回 4月 30日  ( 月・祝 )   14:00 ~ 16:30 ≫
                   於:カワイ music school みなとみらい

■ 平均律クラヴィーア曲集 第 1巻  第 1番 


                                           ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■ ベルガマスク組曲 は、「 調性崩壊の音楽 」 の一里塚 ■

2012-02-19 18:22:20 | ■私のアナリーゼ講座■

■ ベルガマスク組曲 は、「 調性崩壊の音楽 」 の一里塚 ■
  ~「 Bach インヴェンション・アナリーゼ講座 」 第 14番~
                           2012.  2. 19   中村洋子

 

 

  

★明20日、 KAWAI 「 横浜みなとみらい 」  で開催します、

「 Bach インヴェンション・アナリーゼ講座 」 を前に、

≪インヴェンション&シンフォニア 14番 ≫ と、

Claude  Debussy クロード・ドビュッシー (1862~1918 ) の

≪ Suite bergamasque  ベルガマスク組曲 ≫ を、勉強しています。


★ベルガマスク組曲 全 4曲のうち、最初の曲は、

≪ Prélude  前奏曲 ≫ です。

 Préludeは、89小節で構成されています。

その中から、 「 バッハ由来の和音である 」 ことが、

≪ 判明する ≫  ものは、 21小節ありました。

和声進行を考慮しますと、その前後も含め、

約 4分の 1の小節で、 Bach 由来の和音が使われています。


★≪ Suite bergamasque  ベルガマスク組曲 ≫ は、

1890年に作曲された、とされていますが、

出版はその 15年後の、 1905年です。

1905年の出版までに度々、手が加えられているため、

出版を 「 作品の完成 」 と、みるならば、

初期の作品とは、とらえない方がいいでしょう。

しかし、その根幹に、 Bach があったことは、この Prélude から、

はっきりと、読み取れます。

 

 

★一例を挙げますと、 23小節目の和声進行は、

Bach 由来の和声と、みることができます。

しかし、23小節目の 3、 4 拍目を、ほんの少し変化させた、

39小節後半~40小節にかけては、 ≪ エオリア旋法 ≫ を出現させます


エオリア旋法は、 『 a  h  c  d  e  f  g  a  』 という音階で、

イ短調の自然短音階と、形は同じです。

和声で使われる、和声短音階は 『 a  h  c  d  e  f   gis   a  』 で、

第 7音が、導音の 「 gis 」 です。

導音がある、ということは、 『 e  gis  h  』 の  「 Ⅴ  ( ドミナント ) 」 を、

形成することができ、  「 Ⅴ  ( ドミナント )」  から、 「Ⅰ ( トニック ) 」 に、

和声進行することが、可能です。

これは、Bach以降、和声の主流としてずっと、使われてきました。


★しかし、ドビュッシーは、導音の 「 gis 」 の代わりに、

「 g 」 を使う、 ≪ エオリア旋法 ≫ を、用いました。

当時としては、独創的なことでした

その結果、 ≪ 長調短調の機能和声が弱くなりました ≫。

これこそが、 後世 ≪  調性が崩壊した音楽 ≫ が誕生するうえで、

必要不可欠な、最初の重要な milestone だったのです。

 


★上記の、 Préludeにある 「 バッハ由来の和音 」 も、実はすべて、

「 調性崩壊 」 の種子を、既に、孕んでいるものばかりだったのです。


★ Bach は、調性を完成させた作曲家である、と同時に、

完成した瞬間、その崩壊を、

Bach 自身の作品に、内包していたのです。


Bach 以降の大作曲家は、すべて Bach から、

 「 調性の完成 」 と、 「 調性の崩壊 」 の両者を、

各々の天才と嗅覚で、つかみ取っていった、と言うことができます。

明日の講座では、以上のことを、詳しくお話いたします。


★Debussy ドビュッシー (1862~1918 ) のピアノ曲は、

Frédéric  Chopin ショパン (1810~1849) の存在なくしては、

考えられませんが、その Chopin は、この講座で説明していますように、

そのほとんどすべてを、 Bach に因っています。

 

 


★ ≪ Suite bergamasque  ベルガマスク組曲 ≫は、

出版されるまで、数奇な変遷をたどっています。

1891年、 publisher  Paul de Choudens に、わずか 200フラン

( 大まかにみて、現在の10万円程度 +-α の価値のようです )で、

売却され、次いで、 publisher Georges Hartmann に、さらに、

publisher Eugene Fromont の手に渡りました。


★そのFromont は、 Durant & Fis に、版権を売りました。

これにより、「 Durant 」 は、それ以降、1世紀以上にわたって、

「 大作曲家・ドビュッシ- 」  の作品を、売り続け、

大楽譜出版社として、繁栄していくことになります。

しかし、近年、 「 大作曲家・ドビュッシ- 」  の著作権が切れました。

その結果、「 Durant 」 が、無残にも凋落していったたのは、

皆さま、ご存じのとおりです。


この人類の傑作である ≪ Suite bergamasque  ベルガマスク組曲 ≫ は、

お金儲けしか考えない出版社の意向に、翻弄され、

15年間も出版されず、放置されました。

逆説的に言えば、その間、Debussy ドビュッシー (1862~1918) が、

この作品を、絶えず彫琢し、手を加え続けたため、

今日の完成した形に結実した、ともいえます。

この作品を、ドビュッシーの 「 初期の作品 」 と、あっさり書いている、

解説書は、信用なさらない方がいいです。

 

 


                                            ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■Bachは、先輩のフィッシャーから何を学び、大 Bach となったか。21回講座■

2012-02-17 16:06:24 | ■私のアナリーゼ講座■

  ■  平均律アナリーゼ講座  第 21回のご案内  ■
~バッハは、先輩作曲家フィッシャーから何を学び、大バッハとなったか~

                                              2012. 2. 17  中村洋子


★Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 ) の、

平均律クラヴィーア曲集のモデルは、

Johann Caspar Ferdinand Fischer カスパール・フィッシャー

 ( 1656~1746 ) 作曲の、20の調のプレリュード&フーガから成る曲集

「 Ariadne Musica アリアドネ・ムジカ  」 ( 1702年出版 )であったことは、

かなり、知られています。

「 Ariadne Musica  アリアドネ・ムジカ  」  の、フーガ 8番 E-Dur は、

Bach の平均律第 2巻 9番 E-Dur フーガに、そっくりです。


★平均律第 1巻 21番 B-Dur のプレリュードは、

Caspar  Fischer 1698年出版 Musicalishes  Blumen-Büschlein

( 音楽の花束 ) の、プレリュード 6番 D-Dur と、酷似しています。

軽快な分散和音、大胆な音階、フランス風な付点リズムの和音は、

どれも、Caspar  Fischer  の作品を基としています。


★ しかし、このように、Bach  バッハ  の平均律曲集の基となった、

Caspar Fischer などの曲を、実際に弾いたり、

楽譜をご覧になった方は、少ないのではないかと、思います。

 
★この講座では、 Caspar Fischer の作品を、詳しくご紹介しますが、

平易でなじみやすい Caspar  Fischer の曲を、

日頃のレッスンに取り入れますと、自然に、

Bach の美しい広大な世界に、知らないうちに、

入っていくことができると、思います。


★3月 21日は、Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 ) の、

お誕生日です。

 

 

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■第 21回 平均律アナリーゼ講座 第 1巻 21番 B-Dur

                                プレリュード&フーガ

■講 師  : 中村 洋子

   2012年 3月21日(水)午前 10時~12時30分

   カワイ表参道 2F コンサートサロン・パウゼ

■会  費 :3,000円 ( 要予約 ) Tel.03-3409-1958

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★次回アナリーゼ講座のご案内

■2012年 4月27日(金)午前 10時~12時30分

平均律 第 1巻、22番 b-Moll  プレリュード&フーガ

                           ~ Chopin の マズルカとの関連 ~

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

■作曲家 : 中村 洋子

 

東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。

 

日本作曲家協議会・会員。ピアノ、チェロ、室内楽など作品多数。

 

2003年~05年:アリオン音楽財団 《 東京の夏音楽祭 》 で新作を発表。

 

07年: 自作品 『 無伴奏チェロ組曲第 1番 』 などを、チェロの巨匠

 

    Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー氏が演奏した

 

     CD 『 W.ベッチャー 日本を弾く 』 を、発表

   

08年: CD:『 龍笛&ピアノのためのデュオ 』

    

     CD:『 ソプラノとギターのための、“星の林に月の船 ” 』 を発表。

   08~09年: 『 バッハのインヴェンションアナリーゼ講座 』                                             

                                 全15回を開催。

  09年10月: 『無伴奏チェロ組曲 2番 』 が、W.Boettcher

             ヴォルフガング・ベッチャー氏により、ドイツ・マンハイムで初演される。

  10年 : 楽譜: 『 無伴奏チェロ組曲  1番 』が、ベルリンの

          リース&エルラー社Ries&Erler  Berlin から、出版される

       CD :『 無伴奏チェロ組曲第 3番、2番 』  W.Boettcher

              ヴォルフガング・ベッチャー氏 演奏を発表。

       楽譜 :『 レーゲンボーゲン・チェロトリオス

       ( 虹のチェロ三重奏曲集 ) 』 が、ドイツ・ドルトムントの

       ハウケハック社 MUsikverlag Hauke Hack社

                                   から出版される。

       スイス、ドイツ、トルコの音楽祭で、自作品が演奏される。

11年4月 : 『 10 Duette Fur 2 Violoncelli 』  

        チェロ二重奏のための10の曲集 が、ベルリンの

     リース&エルラー社 Ries&Erler Berlin から、出版される。

 

 ●上記の楽譜とCDは、

 

  カワイ・表参道http://shop.kawai.co.jp/omotesando/

 

  「アカデミア・ミュージックhttps://www.academia-music.com/                                               

                                                   で、販売中

 

 

                                           ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

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■平均律 20番 a-Moll prelude 5小節目に、タイは存在するか?■。

2012-02-16 22:54:16 | ■私のアナリーゼ講座■

■平均律 20番 a-Moll prelude 5小節目に、タイは存在するか?■。
                                             2012. 2. 16      中村洋子

 

 

★明日は、カワイ表参道で 「 平均律 20番 a-Moll 」 の、

アナリーゼ講座です。

20番プレリュードは、28小節と短い曲ですが、勉強すればするほど、

「 なんと奥深く、考えに考え抜かれた曲であることか!!! 」 と、

感嘆を、禁じ得ません。


平均律 20番は、16,17,18,19番の プレリュード&フーガを、

凝縮し抜き、それを昇華させたエッセンスのような曲です。

プレリュードは短いため、一見しますと、

さりげなく、魅力的な風貌をみせているだけの曲、

という印象を、もたれがちです。


よく読まれている、日本人の作曲家とピアニストによる対話形式の、

平均律解説本では、≪ 「 どうしてもこの 1巻の 20番のプレリュード、

フーガだけは好きになれないんです」 「つまらないんだなあ。」 ≫

と、書かれています。


★一方、 カナダの素晴らしいピアニスト Angela Hewitt

アンジェラ・ヒューイットが録音した、平均律 1巻全曲の CDブックレットに、

Hewitt が自分の言葉で、以下のように、記しています。

≪~Many  people criticize the latter for this reasons, saying that it is
このフーガを、ただ長いという理由で非難する人が多いのです。
too academic and tedious. I never tire of its marvellous subject and  the
アカデミックすぎ、退屈であるというふうに。私は、その素晴らしい主題と
multiple stretti  ( also using the inversion ) which take us on a journey 、
さまざまな形のストレッタ(その反行も含め)に、飽きることは、ありません。
through   keys. 
いろいろな調の旅へと、いざなってくれるのです≫

このHewitt の意見に、私は、まったく同感します。

 

 


★ Bach バッハ は、謙虚に謙虚に勉強して、慕って来る人にしか、

そのおおらかな胸襟を開くことを、しないのでしょう。


★Mugellini版などを見ますと、この 20番プレリュードの、

5小節目 1拍目 ホ音 e2 と、4拍目の ホ音 e2 を、

タイで、結んでいます。

しかし、 Bach バッハの自筆譜では、ここはタイで結んでいません。

独立した、2つの音です。


★5小節目の 2つの e2 音に対応する、 6、7小節目のところが、

タイで繋がれているため、編集者が勝手に、

「 バッハは、5小節目でタイを書き忘れている 」 と判断し、

わざわざ、浅はかにもタイを書き込んだのでしょう。


上記の日本の解説本では  「 5小節目のホ音、これタイで

結んだ楽譜がじつは大部分なんですよ。ところが、これはここの音だけ

タイが抜けているというのは、それなりに根拠のあることらしいのですが、

権威のある楽譜というのは、たいてい抜けているみたいですね。

ここのところだけ、これはどうもタイがないのが正しいようです 」

と書かれています。


★「 どうもタイがないのが正しいよう 」 なら、なぜ、調べて

どうして Bachが、ここだけタイを付けなかったか、

自分自身で、その理由を考えるべきでしょう。

 

 


★平均律 20番の、Bach自筆譜を見ますと、

タイを付けなかった理由が、よく分かります。

この 20番のレイアウトは、

1段目を 4小節目の 6拍目で切断し、

2段目を、 4小節目の 7拍目から記譜する、という  

とても、変則的な記譜になっています。


★その前後を、詳しく見れば、

なぜ、バッハがそのように変則的に記譜したか、

5小節目にタイを付けなかったか・・・、

その根拠が、たくさん見つかります。

一目瞭然です。

それらは、すべて、 “ ここをタイにしてはいけない ”

と、主張しています。


★また、平均律 16、17、18、19番、そして 21番のプレリュード&フーガを、

見るだけでも、なぜ、そこにタイがないかは、自明の理なのです。


★20番の 5、6、7小節は、同型反復ではありません。

それに対し、9、10、11小節は、

1小節単位の同型反復 とみて、さしつかえありません。

ですから、Bach は各小節 1拍目の、ソプラノの付点4分音符を、

4拍目の 32分音符と、タイできちんと結んでいます。

これらについては、講座で詳しくご説明いたします。


★Bach の奥深い、洞察力に満ちた音楽に手を加え、

改竄するのは、恥ずかしいことですね。

 


                                           ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■ 平均律20番フーガを解くカギは Chopin の記号にあり ■

2012-02-14 19:20:31 | ■私のアナリーゼ講座■

■ 平均律20番フーガを解くカギは Chopin の記号にあり ■
          ~第 20回平均律アナリーゼ講座のご案内~
                      2012.2.14          中村洋子

 

 

★きょうは、雨のヴァレンタインデーです。

2月17日、KAWAI表参道 「 パウゼ 」 で、開催いたします

「 第 20回 平均律アナリーゼ講座 」 の準備で、 

「 平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 20番  a-Moll 」 を、勉強中です。
http://shop.kawai.co.jp/omotesando/news/index.html#lecture20120217


Frédéric Chopin ショパン(1810~1849)が、所持していました

平均律 20番の楽譜に、 Chopin が自分で書き込んだ 「 記号 」 が、

≪ 何を意味し≫、

≪ Chopin が、20番  a-Moll のフーガをどのように見ていたか ≫

について、今回の講座で、詳しく解説いたします。

この記号を解明することにより、 20番フーガの理解が一層深まり、

お弟子さんに思いやり深かった Chopin から、まるで、

「 このフーガは、こういう曲なんですよ 」 と、直接レッスンを受けている

ような錯覚すら、覚えます。


★ Chopin は、フーガ 20番 に、4つの 記号 書き込んでいます。

「×」 、 「 キ 」 、 「 □ 」 、 「 □の中に× 」 です。

「×」 と 「 キ 」 の記号は、比較的容易に推測できます。

「×」 は、主題 ( Subject ) の頭部に付されており、

素直に、「 主題 」 を示していると思います。

「キ」 は、 「 反行主題 ( Subject by Inversion ) 」 と、見ていいでしょう。


反行 ( Inversion 、Umkehrung ) とは、例えば、 

「 2度上行 、 2度上行 、 3度上行 、 4度下行 」 する

 「 ソ ラ シ レ ラ 」 という 「 Motiv 」 があった場合、

その反行は、「 2度下行 、 2度下行 、 3度下行 、 4度上行 」 、

すなわち、 「 ソ ファ ミ ド ファ 」 に、なります。


★このような形態の 「 Motiv 」 であれば、反行形の開始音は、

「 ソ 」 である必要はなく、どの音でもいいのです。

「 レ ド シ ソ ド 」 も 「 ソ ラ シ レ ラ 」 の、反行になります。

 

 


★ここまでは、どなたがご覧になっても、分かることです。

フーガを演奏する際、主題や反行主題の冒頭に、

分かりやすく、何らかの記号を付ける、ということは、

 Bach のフーガを勉強する際には、一般的なことです。


★しかし、 Chopin の 「□ 」 の記号は、一筋縄ではいきません。

 この記号は、鉛筆のようなもので、薄く書かれていることもあり、

あまり、気に留めず 「 なにか記されているが、大した意味もないであろう 」

と、見落としてしまいがちです。

しかし、この  「□ 」 の記号こそ、≪ Chopin の見た Bach ≫、

≪  Bach から  Chopin が何を学び、自身の作曲の根幹に、

何を据えていったか ≫ を、見事に浮かび上がらせているのです。

逆に、≪ Chopin の音楽を解くカギ ≫、ともいえるのです。


★一例を挙げますと、 フーガ 4小節目のバスの開始音 「 イ音 a 」、

8小節目のソプラノ開始音 「 1点イ音 a1 」 に、

この 「□」 が、記されています。


★4小節目は、アルト声部に応答 ( Answer ) 、

8小節目は、バスに主題 ( Subject ) が、奏されます。

このフーガは、はっきりとした形の対主題 ( Counter-subject ) を、

もっていませんので、 ≪ Counter-subject  の代わりを務めるもの ≫

として、その冒頭の 4小節目 「 a 」、 8小節目の 「 a1 」 に、

「 □ 」  を付けたであろう、ということは、すぐに推察できることです。


★しかし、 4小節目 「 a 」 と 8小節目の 「 a1 」 との中間の、

7小節目の冒頭、ソプラノ  「 1点ホ音 e1 」 にも、

この 「 □ 」 が、記入されているのです。

 ≪ 対主題 Counter-subject  の代わりを務めるもの ≫

では、なかったのです。

 

 


★1~3小節は Subject 、 4~6小節は Answer 、 

7~9小節は Subject と、  3小節単位で主題が現れます。

この 7小節目は、短い 「 間奏 」 または 「 Codetta 」 と、

とらえることができます。

決して、 Counter-subject に代わるものではなく、

この  「 1点ホ音 e1 」 に続くものは、

 「 e1  fis1  gis1  a1  h1  c2  d2  e2 」  という音階なのです。


★  「 □ 」 は、 14、 22、 27小節・・・と、

20個近く、書き込まれています。

この 「 □ 」 を、解明しますと、

Chopin が読み取った Bach が、厳然と浮かび上がってきます。


★3か所ある 「 □の中に× 」 の記号は、

「 □ 」 を発展させたものとして、みていいでしょう。


★私が、この  「 □ 」 から受け取りましたメッセージは、

 Edwin Fischer  エドウィン・フィッシャー  の  Fingering と、

全く、同じものなのです。


★ Chopin が示した 「 この 20番フーガとはどういうものか 」 は、

 Bach の豊穣さを、さらに一層、私たちに示してくれます。

同様に、その豊穣さを見抜いた Chopin の豊かさにも、感動します。

≪ Chopin を解くカギ ≫ が、フーガ 20番でもあるのです。

 

 

                                         ※copyright © Yoko Nakamura
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■ 私の大好きな銀座で、和装小物の 「 くのや 」 さんが閉店 ■

2012-02-06 17:34:34 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■ の大好きな銀座で、和装小物の 「 くのや 」 さんが閉店 ■
                      2012. 2. 6    中村洋子

 

                   ( まだ現在は残っているショーウインドウ )

 

★東京は久しぶりに、しとしと小雨が降っております。

立春も過ぎ、気温もほんの少し、緩み始めたようです。

これが、春雨かもしれません。


★長いお付き合いの美容師さんが、銀座にいらっしゃることもあり、

銀座には、よく顔を出します。

いつも、山野楽器、鳩居堂、月光荘などに立ち寄りながら、

ウインドーショッピングを楽しみ、散歩いたします。


★若いころ、週に一回は、何を買うでもなく銀ブラをする

“ 銀座の小雀 ” でした。

意外にも、銀座は、舶来の高級なお店の街ではなく、

着物、 和装、 帽子、 草履、 下駄、 鞄、 靴、 眼鏡、 喫煙具、貴金属、

甘味屋、 和菓子、果実、 洋菓子、割烹、 鮨、 天麩羅、 蕎麦、 画廊・・・

日本の職人さんの手仕事が、集大成され、

その展示会場のような街、だったのです。


★美術館に飾られている 「 芸術品 」 とは、異なり、

毎日使って楽しむ、質の高い 「 日常品 」 が、誇り高く、

価値の分かる使い手、消費者を待っている街だったのです。

これは、私の愛する山本英明さんや佐川泰正さんの漆器に、

共通していえることです。


★悲しい、お知らせです。

和装小物の老舗として、江戸時代から続いていました

「 くのや 」 さんが、1月31日をもって、閉店されてしまいました。

銀座通りを 四丁目交差点から新橋方向に、右側歩道を、

ゆるゆる歩いていきますと、戦前の日本に戻ったような、

「 和のたたずまい 」 が目に入り、ほっとします。

二階の軒下には、赤い提灯が連なっています。

入口が二つあり、歩道の敷石が、お店の中までさりげなく、

伸びていますので、銀ブラの皆さまが、抵抗感なく、

スーッと、店内まで導き入れられるお店、

そんな凝った工夫があるお店が、 「 くのや 」 さんでした。

 


★足袋、 扇子、 帯〆、 半襟、 帯揚げ、 和装肌着、 半襦袢、 帯留め、

羽織紐、 着付け道具、 ガーゼの手拭い・・・、 どれひとつ見ても、

伝統工芸の歴史が凝縮されたような、手の込んだ美しい品々。

芳しいお香が、漂ってきそうです。

真夏には、甚平さんも入口にぶら下がり、風に揺れていました。


★銀座の表通りから、 ≪ 和装小物 ≫ のお店は、

壊滅してしまったのではないか、と危惧しております。

四丁目近くにありました 「 白牡丹 」 さんは、

もうかなり前に、消えました。


★書店も、めっきり少なくなり、寂しい限りです。

近藤書店、洋書のイエナ、福家、旭屋など大きな書店はほとんど消え、

教文館だけが、頑張っています


鰯料理の専門店として有名でした七丁目の  「 いわしや 」 さんも、

昨年九月、閉店されました。

作家・林 芙美子が、亡くなる直前に、ここの料理を召し上がったそうです。

閉店の理由は全く分かりませんが、福島原発の影響か?、

本物の良質な鰯料理を提供することが、困難になったのかもしれませんと、

勝手に、想像しています。

 

 

                 ( いわしやさんの立派な看板と、閉店の張り紙 )

 

★七丁目の 「 東京羊羹 ビル 」 三階の、

喫茶室から眺める銀座通りは、輝いていました。

 「 東京羊羹 」 も、数年前に姿を消しました。

伊東屋の斜め前の 鞄店 「 銀盛堂 」 さんも、忘れられないお店でした。

経営者のご兄弟は、正直で情に厚い、昔気質の東京人。

銀座でありながら、かつての粋な 「 浅草 」 を、彷彿とさせるお方でした。

http://www.kabanya.net/weblog/2009/07/post_765.html   

池波正太郎が愛した 喫茶店 「 銀座清月堂 」 が、

レストラン 「 LINTARO 」 となり、無農薬野菜を使う健康的なフレンチの、

先駆けとして人気がありましたが、ここも閉店に。

 

「 ギンザ・コマツ 」 も、衣類の量販店 「 ユニクロ 」 へと、

大変貌中でした。

「 ギンザ・コマツ 」 は、かつて 「 小松ストアー 」 と名乗っていた頃、

戦後の明るく、輝かしい時代の銀座を、引っ張っていった名店でした。

私も、ここの和服部門で、付け下げや帯などいろいろと、求めました。

お店に顔をだしますと、 「 まずはご一服、どうぞ! 」 と、

コーヒーが、出されます。

買う買わないは別として、近況を語り合い、

とりとめのないおしゃべりを、楽しみます。

「 古き良き銀座 」 が、そこにはありました。


★松屋の向い側の、 「 カネボウ 」 も、懐かしいお店でした。

所有が転々とし、現在は、 「 CHANL シャネル 」  のビルに、

なっています。

「 カネボウ 」 のドレスは、繊細な手作りです。

“ 本場のフランスでは、きっとこのようにお針子さんが、

丁寧に、丁寧に縫っているのでしょう ”と、

想像をめぐらせるほど、見事な出来栄えです。

 

★私も、ビーズ刺繍の付いた水色のドレスを、もっております。

シルク特有の絹擦れの音が、します。

源氏物語の、十二単の 「 絹擦れの音」 とは、

どんなものだったのか、想像することもできます。

本物に接するからこそ、想像が可能なのです。

大切に手元に置き、ときどき、うっとり眺めております。


嘘をつかないで、誠実に、相手の希望に沿い、

双方が納得する適正な価格で、良品を売る街。

虚飾を売る街ではない、それが、銀座でした。

しかし、それは過去のものとなりつつあります。

 

★ここは New York か、Paris かしら? と思うほど、

海外のブランド店が、林立し、

ビル全体を豪華に、きらびやかに、飾り立てています。

兵隊のような、いかめしい門番が入口で誰何し、

“ 金持ち以外は、お呼びではないぞ ”

とでもいいたげな、威圧的で冷え冷えとした雰囲気。

気楽に立ち寄れる雰囲気では、まったくありません。

もう、昔の暖かい銀座ではありません。

銀座を愛する人たちの足が、次第に遠のいていくのは、

仕方のないでしょう。

かと思えば、薬や雑貨の安売り量販店も、蚕食し始めています。

                          ( 昔、近藤書店のあった近辺 )


このような舶来の高級ブランドには、私は少し懐疑的です。

ブランド料や家賃を差し引きますと、果たして、

その高価な値段だけの価値があるのかどうか、考えてしまいます。

ちょうど、海外から名前だけ有名なクラシックの演奏家や団体が、

来日し、法外な入場料を取り、

中身の伴わない演奏をすることが、多いのと、

同じように、思えます。


近い将来、日本経済が恐慌に見舞われた場合、

こうした海外のブランド店は、さっさと店仕舞いして日本を去り、

銀座が、あっという間に廃墟のようになってしまうのではと、

つい、夢想もしてしまいます。


とはいえ、いまの銀座でも大好きなお店はたくさんあります。

少しお腹がすいたときは、八丁目角の 「 天國 」 に、躊躇せず入ります。

女性一人でも入ることができ、静かで落ち着けます。

天丼は、本当に美味しく、お値段はとても良心的です。

お料理も、板前さんの良心と冴えが感じられます。

 

      ( 私は煙草が大嫌いですが、このデザインと色調は素敵ですね )

                                   
★Wolfgang Boettcher ベッチャー先生を、

この 「 天國 」 にお連れした時、先生は、ユーモアを込めて、

「 シューベルトのように、あなたはこのテーブルで作曲しているの

先生も、すっかりくつろがれ、心から気に入られた様子でした。

いまの日本は、ほとんどのお店で、騒音よりもさらに、

神経を逆なでする、悲鳴のような “ 音楽もどき ” が、

バックグラウンドミュージックと称して、大音量で鳴らされています。

入る気が、しなくなります。

しかし、それが、当り前と受け入れられており、

その無神経さは本当に、異常な事態です。


「 天國 」 のもう一つのすばらしさは、従業員の方々の、

心の籠った、応対です。

チェーン店では、マニュアル化された丁寧言葉が、乱射されていますが、

自分の心からでた言葉では、全くありません、

教育されたとおりに、機械的に喋っているだけですので、

“ インプロヴィゼーション ” がなく、慇懃で中身を伴いません。

でも、 「 天國 」 の皆さんは、仕事を愛し、

お客さまとの会話を、朗らかに、楽しんでいます。

「 外はお寒いです、お風邪に気をつけて 」 と、

にっこり微笑んで、送り出されます。

美味しいお料理に、心温まる言葉、

ほのぼのと、帰途につくことができます。

これが、銀座の名店です。


                                           ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

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■ Angelopoulosアンゲロプロスの死、 Schumannシューマン の演奏 ■

2012-02-03 01:59:03 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ Angelopoulosアンゲロプロスの死、 Schumannシューマン の演奏 ■
                                                     2012. 2. 3   中村洋子

 

★厳冬の二月に、なりました。

身を切られるような寒風、東京でも、霜柱が立ち、

北陸、東北の日本海側は、豪雪に見舞われています。

私は、一月末ごろ、微振動が途切れることのない東京を離れ、

すこし集中して、作曲をしていました。


★そうしたなか、ギリシアの監督 Theodoros Angelopoulos

テオ・アンゲロプロス(1935年生)の急逝を知り、衝撃を受けました。

私の最も愛する、映画監督でした。

交通事故死。

“ 旅に生き、旅に死んだ人 ” です。


★以前は、自宅以外での作曲は、想像できませんでしたが、

楽譜や資料で、雑然としたピアノ室ではなく、

ピアノ以外は、何もない、貸し練習室で、

音を紡いでいくことが、ようやく、できるようになりました。

この方が、心地よくなりました。

テレビ、新聞がなく、インターネットを見ない生活は快適です。


★Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827)が、

引っ越し魔であったことが、理解できるようになりました。

手元に集めて、置いておきたい楽譜や資料は、

実は、ごくわずかなのです。

勉強は、常にしなくてはなりませんので、楽譜はたくさん求めますが、

その楽譜の音楽と、対峙する 「 一瞬 」 が大切であり、

心と頭に、強く焼き付けたら、もうそれでいいのです。

 

 


★手元になくてはならない楽譜は、そんなに多くはありません。

今回は、 Bach 「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」  と、

 Robert Schumann  ロベルト・シューマン (1810~1856) 、

Camille Saint-Saëns カミーユ・サンサーンス(1835~1921)

Dvořák ドヴォルザーク(1841~1904) の、

「 チェロ協奏曲 」 が入った楽譜だけを、持参しました。


チェロ協奏曲のなかで、飛び抜けた傑作は、

やはり、 Schumann  です。

Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生のお父様の、

親友だった作曲家 Paul Hindemith ヒンデミット (1895年~1963)の

「 Schumann のチェロ協奏曲は、あらゆる協奏曲のモデル

(模範、手本)である 」 という言葉を、私は、

Boettcher 先生から、何度も聴きましたが、

その通りであると、思います。

 

★冒頭の 1 ~ 3小節目 の、三つの和音に、

Bach が既に、 その翼を、大きく広げているのです。

驚きです。

私のアナリーゼ講座を、お聴きになっている方には、

即座に、その意味がお分かりになると思います。

この Schumann の協奏曲が、 Hindemith の チェロ協奏曲

「 Konzert für Violoncello und Orchester  (1940 ) 」 に、 

つながっていくのは、自明の理です。

この曲は、Paul Tortelier ポール・トルトゥリエ (1914~1990年) の

名演奏が、あります。

 

 


Robert Schumann ほど、日本で誤解されている作曲家も、

少ないかもしれません

クララとの恋愛うんぬんを、面白おかしく仕立てた、

通俗恋愛映画の影響も、大きいのでしょうが、

“ ロマン派特有の、ものに憑かれたように、

感情の赴くままに作曲し、遂には精神の均衡まで崩した人 ”、

即ち、≪ あまり理性的、理知的ではない作曲家 ≫

というイメージが、植え付けられ、覆いかぶさっているのです。

しかし、彼ほど、強固な構成力をもった作曲家はいないのです。


逆にいいますと、 Schumann の曲を聴いて、

「 何かつまらない、物足りない 」 と 、感じる場合、

演奏家に、作品の構造を読み取る力がないだけである、

ともいえるのです。

 

★先日、TVでたまたま、世界的に有名な音楽家たちによる、

シューマンの 「 ピアノ五重奏曲 」 を、放送していました。

指はよく回り、巨匠らしいムードを、

顔の表情や演奏の仕草で、漂わせていましたが、

Schumann の大きな構造には、近寄ることができず、跳ね返され、

その周辺を、まさぐっているだけ、という印象を受けました


★TVを、ご覧になっていた方のなかには、

≪ 世界的に有名な音楽家による Schumann シューマンだから、

これが、 Schumann シューマンの音楽なのであろう、

しかし、この演奏を聴いて、自分は感動しない、よく分からない、

だから、シューマンはやはり苦手である ≫ と思われた方が、

大勢いらっしゃったのではないか、と危惧します。

シューマンの本質に迫らない演奏で、シューマンを判断することは

( あるいは、判断させられることは ) 、非常に不幸なことです。

クラシック音楽の衰退に、つながってしまいます。

 

 


Angelopoulos テオ・アンゲロプロス については以前、

このブログで、書きました。

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/10735286a3c284d84300dbaa32487baf

芭蕉も、ユリシーズも、そしてアンゲロプロスも、

旅の途中の死により、永遠の漂泊者となりました。


★私は、 ≪ ユリシーズの瞳 ≫ ( ギリシア語の原題は

「 オデュッセウスのまなざし 」 、英語 「 ULYSEES'GAZE 」 、

仏語 「 LE REGARD D'ULYSSE 」 )が、

彼の最も優れた作品である、と思いますが、

Palme d'Or を取ってはいないので、

日本のマスコミ訃報記事では、触れられていません。

残念なことです。

http://www.youtube.com/watch?v=siw-1YQPvDQ

Theo Angelopoulos Ulysses' Gaze Sarajevo Scenes

 


歴史に永遠に残る、本当に素晴らしい作品が、

その時代の、コマーシャリズムに立脚した 「 賞 」 を、

取るとは限らない、ということの、好例かもしれません。

凡庸で、世俗的価値に左右される jury が、

その作品の真価を理解できなければ、当然のことです。

これは、どの時代の、どの世界についてでも、

当てはまることでしょう。

 

 


★“ギリシャの黒澤明”アンゲロプロス監督が事故死…新作撮影中、バイクにはねられる             (2012年1月26日  スポーツ報知)
 

 「旅芸人の記録」やカンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)を受賞した「永遠と一日」などで知られる、ギリシャの巨匠テオ・アンゲロプロス監督が24日(日本時間25日)、アテネ郊外で新作映画の撮影中、バイクにはねられて死去した。76歳だった。1970年に「再現」で長編デビュー。長回し撮影による映像など、独自の手法を貫いた。日本の多くの映画監督にも影響を与えた巨匠の突然の死は、世界中の映画人とファンに悲しみを与えた。
 
 独特の長回しや曇天にこだわっての撮影、360度をなめ回すようにカメラを動かすなど、かたくなに独自の手法を貫き、地位を築き上げたアンゲロプロス監督が、撮影中の事故で突然この世を去った。
 
 AP通信などによると、アンゲロプロス2 件監督は首都アテネ近郊のピレウス港付近に建設されたセットで最新作「The Other Sea(もう一つの海)」を撮影していた。道路を渡ろうとしたところ、走ってきたバイクにはねられ、頭を強打。すぐにアテネ市内の病院に搬送されたが、治療のかいなく、死亡が確認されたという。バイクを運転していたのは非番の警察官で、こちらも重傷を負った。事故現場は、トンネル内だったという話もある。
 
 監督は母国・ギリシャの自然と歴史の中で生きる人間の姿を、哲学的に描き出すことで知られた。長回し撮影で、セリフが少なく、静かに時間が経過していく作品が多いことから、ギリシャでは「寝付きの悪い子には、アンゲロプロス2 件の映画を見せろ」と、ことわざ的に使われることもあった。
 
 また、黒澤明監督と交流があったことでも知られ、昨年の東京国際映画祭で上映されたドキュメンタリー映画「黒澤、その道」(カトリーヌ・カドゥ監督)でも思い出を語っていた。
 
 最新作「The―」は、20世紀のギリシャを描く第1弾「エレニの旅」(05年)、第2弾「第三の翼」(年内公開予定)に続く新たな三部作の第3弾。世界恐慌前の1928年のギリシャを舞台にした風刺劇という。監督は「今年中には完成させたい」と話しており、来年のカンヌ国際映画祭への出品を予定していたという。
 
 ◆テオ・アンゲロプロス2 件 1935年4月27日、ギリシャ生まれ。アテネ大学を卒業後、仏パリのソルボンヌ大学に留学。中途退学後はギリシャに戻り、映画評を書きながら過ごす。68年、初監督作の短編「放送」を発表。70年に「再現」で長編デビュー。75年の「旅芸人の記録」で名声を確立。80年、「アレクサンダー大王」でベネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)、98年には「永遠と一日」でカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞。


★Theo Angelopoulos obituary
http://www.guardian.co.uk/film/2012/jan/25/theo-angelopoulos
Film director with a magisterial style who excelled at historical and political allegories
 Ronald Bergan

guardian.co.uk, Wednesday 25 January 2012 16.00 GMT

Angelopoulos's The Weeping Meadow (2004), the first film of a planned trilogy, spans 30 years of Greek history, from 1919 to 1949. Photograph: AP

The Greek film director Theo Angelopoulos, who has died aged 76 in a road accident, was an epic poet of the cinema, creating allegories of 20th-century Greek history and politics. He redefined the slow pan, the long take and tracking shots, of which he was a master. His stately, magisterial style and languidly unfolding narratives require some (ultimately rewarding) effort on the part of the spectator. "The sequence shot offers, as far as I'm concerned, much more freedom," Angelopoulos explained. "By refusing to cut in the middle, I invite the spectator to better analyse the image I show him, and to focus, time and again, on the elements that he feels are the most significant in it."
 Theo Angelopoulos in 1986. Photograph: Jerome Prebois/Kipa/Corbis
Angelopoulos was born in Athens, where he studied law. After military service, he went to Paris to attend the Sorbonne but soon dropped out to study at the IDHEC film school (now known as La Fémis). Back in Greece, he worked as a film critic for the leftist daily Allagi, which was closed down by the military junta that came to power in 1967. The seven-year regime of "the colonels" was seared into his consciousness and remained a subject – overtly or subliminally – throughout his oeuvre.

His elliptical style was born partly out of the restrictive atmosphere of the epoch during which he managed to make his first feature, Reconstruction (1970). Shot in spare, high-contrast black and white, it was about a Greek migrant worker who returns from Germany and is murdered by his wife and her lover. It was immediately clear that the director was less interested in the crime story than the ideological, individual and collective implications of the murder inquiry.

Angelopoulos then emerged on the international scene with his impressive historical triptych, Days of '36 (1972), The Travelling Players (1975) and The Hunters (1977), the most ambitious Greek films to date. Shot by Giorgos Arvanitis, the cinematographer on almost all of Angelopoulos's films, they are long, contemplative studies of modern Greek history.

Days of '36, based on actual events, tells of a man arrested for the murder of a trade unionist. Protesting his innocence, he holds a politician hostage in his cell, threatening to kill the man, and himself, unless he is released. The film subtly undermined the military regime in its portrayal of official incompetence. Given its physical confines, and the fact that the prisoner remains out of sight for much of the time, the high level of tension is a real achievement.

In The Travelling Players, set in 1952, a troupe of actors recall Greek political history and their own personal histories since they last visited the country, in 1939. Nearly four hours long, the film consists of just 131 shots, allowing the audience time to assess the situation rationally. The Hunters follows the eponymous group across a snowy mountainside in northern Greece as they come across the body of a Greek guerrilla fighter killed in 1949. At the subsequent inquest, each member of the group, as well as various peasants and workers, speaks of his experience of the civil war and the years that followed. Shot in pastel shades, the film slowly unravels the various strands in this inquisition of the right, using dream, memory and fantasy, and the powerful symbol of the corpse as the silent accuser.

In Voyage to Cythera (1984), the first of what Angelopoulos called the "trilogy of silence", an old man who fought with the communists during the civil war returns to Greece after more than 30 years' exile in the Soviet Union. He attempts to come to terms with his country and his wife and family, whom he hardly knows. The second, The Beekeeper (1986), was the first of Angelopoulos's films to use well-known actors, in this case Marcello Mastroianni as a morose, retired schoolteacher who sets off on a trip around the beehive sites of Greece, picking up an enigmatic young female hitchhiker on the way.

This compelling film could be called a metaphysical road movie, as could Landscape in the Mist (1988), the third in the sequence and the first of his films to feature children. Here, a 14-year-old girl and her little brother embark on a journey to find their father, whom they believe to be in Germany. In fact, it is an existential odyssey, a voyage towards the unattainable.

Harvey Keitel starred in Ulysses' Gaze (1995) as another character who returns to Greece from exile. He is a film-maker, back from the US, seeking some lost reels of films made by two famous Greek film-makers during the silent era. The film won the grand jury prize at Cannes. Uncharacteristically, Angelopoulos expressed his disappointment that it did not win the Palme d'Or. He told a shocked and suddenly silent audience: "If this is what you have to give me, I have nothing to say," before walking off the stage without even posing for pictures.

Cannes made amends three years later when Eternity and a Day (1998) won the festival's top prize. The film is a philosophical meditation about a dying writer, played by Bruno Ganz, and his thoughts on family, art and mortality. Angelopoulos executes the transition between present and past brilliantly, gliding easily between uncertain reality and nostalgia.

The Weeping Meadow (2004) was the first of what Angelopoulos planned as a trilogy. The mytho-poetic dimension of the film – a magical fusion of colours, sounds, music and images which expresses the deepest feelings surrounding life and death – is linked, as usual, to a strong political and social context. The film spans 30 years of Greek history, from the exodus of the Greek colony in Odessa under the threat of the Red Army in 1919 to the end of the civil war in 1949.

The Dust of Time (2008) covered the second part of the 20th century, venturing outside Greece for the first time. The Greek-German-Italian-Russian co-production, mainly in English, had all the makings of a Europudding, albeit one made by a master chef. Not all these fears were allayed. The Dust of Time is a fin-de-siècle drama, a cry of pain derived from the wounds inflicted during the previous century.

Angelopoulos's latest film, The Other Sea, was to be about Greece's financial crisis. While filming in Athens' main port, Piraeus, he was in collision with a motorcycle as he crossed a road. He died later in hospital.

He is survived by his wife, Phoebe, and three daughters.

 • Theodoros Angelopoulos, film director, born 27 April 1935; died 24 January 2012

 

 


★Posted on Tuesday, 01.24.12
Greek filmmaker Theo Angelopoulos dies in accident
The Associated Press
http://www.miamiherald.com/2012/01/24/2605964/greek-filmmaker-theo-angelopoulos.html
 ATHENS, Greece -- He was known for his slow and dream-like directing style and had enough stamina at 76 to be working on his latest movie.

But award-winning Greek filmmaker Theo Angelopoulos was killed in a road accident Tuesday after being hit by a motorcycle while walking across a road close to a movie set near Athens' main port of Piraeus.

The driver, who was also injured and hospitalized, was later identified as an off-duty police officer.

The accident occurred while Angelopoulos was working on his upcoming movie "The Other Sea."

Angelopoulos had won numerous awards for his movies, mostly at European film festivals, during a career that spanned more than 40 years.

In 1995, he won the Grand Jury Prize at the Cannes Film Festival for "Ulysses' Gaze," starring American actor Harvey Keitel. Three years later, he won the main prize at the festival, the Palme d'Or, for "Eternity and a Day," starring Swiss actor Bruno Ganz.

"The atmosphere, symbolism and historical context of his cinematic storytelling went beyond the art form that he worked in and inspired young filmmakers," Greek President Karolos Papoulias said Wednesday. "(This) occurred at a time when he was extremely creative and the country was in need of his insight, making his absence all the more painful."

Survived by his wife Phoebe and three daughters, Angelopoulos is to be buried Friday at Athens' First Cemetery.

Greece's state Ambulance Service, meanwhile, has ordered an inquiry into reports that paramedics arrived at the scene of the accident 45 minutes after they were called.

Born in Athens in 1935, Angelopoulos lived through the Nazi occupation of Greece during World War II and the ensuing 1946-49 Greek civil war - recurring themes in his early films.

He studied law at Athens University, but eventually lost interest and moved to France where he studied film at the Institute of Advanced Cinematographic Studies in Paris.

After returning to Greece, he worked as a film critic for a small, left-wing newspaper and started to make films during Greece's 1967-74 dictatorship.

Described as mild-mannered but uncompromising, Angelopoulos' often sad and slow-moving films mostly dealt with issues from Greece's turbulent recent history: war, exile, immigration and political division.

It was not until 1984 with "Voyage to Kythera" that his scripts were written in collaboration with others.

Angelopoulos attracted mostly art-house audiences, using established actors including Marcello Mastroianni and Jeanne Moreau in two of his most widely acclaimed films, "The Bee Keeper" and "The Suspended Stride of the Stalk."

His bleak landscapes, slow editing pace and long spells without any dialogue meant his movies did not always please filmgoers or critics.

American film critic Roger Ebert wrote of "Ulysses' Gaze": "There is a temptation to give 'Ulysses' Gaze' the benefit of the doubt: To praise it for its vision, its daring, its courage, its great length. But I would not be able to look you in the eye if you went to see it, because how could I deny that it is a numbing bore?"

In a rare television interview last year, Angelopoulos said his next film was to be about Greece's major financial crisis. He publicly called on rival political parties to work together to try and ease the hardships facing many Greeks.

"I remain a leftist in total confusion," he told state-run NET television.

Several months later, the country's two main rival political parties agreed to form a coalition government to tackle Greece's enormous debt problems.

"This is an emergency situation. We must realize this. So we must all examine what can be done - the left and right. This is my plea," he said in the interview. "I am afraid of what tomorrow will bring."


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