音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■シューマン「子供の情景」■■その4

2007-12-24 15:39:30 | ★旧・私のアナリーゼ講座
■■シューマン「子供の情景」■■その4
2006/11/12(日)


★木枯らしが吹き、寒くなりました。

前回は、ロシアの作曲家・ボロディン(1833~1887)とシューマンとの関係でしたが、

意外なことにシューマンは、ロシアに旅をしたことがありました。

クララとの結婚3年後の1843年、シューマンが33歳のときです。

そのクララの演奏旅行に、半年ほど同行したのでした。

あちこちでクララの演奏は、熱狂的に歓迎されました。

シューマンは、「著名なピアニスト・クララの夫」という肩身の狭い立場でした。

彼の作品も若干、演奏されましたが、ほとんど無視されました。

ロシア滞在中は、寒さから健康も損ない「作曲する時間も、心のゆとりもない」という状態でした。

当時、ボロディンは、まだ10歳でした。

もしその時、ロシアで彼の作品が広く受け入れられていたならば、

ボロディンが後年、ドイツ留学でやっとシューマンを発見するということにはならなかったでしょう。

歴史の皮肉ですね。


★「子供の情景」第十番<きまじめ>では、シューマンは、曲頭に、ペダル記号を一つポツンと書いたきりです。

7小節目まで、なにもペダル記号を書いていません。

ペダルは各奏者が、工夫して踏むように、というシューマンの意図ですが、フォーレの校訂版では、

1~6の各小節の冒頭でペダルを踏み、2拍目でペダルを離す記号を付けています。

この記号通りに演奏しますと、一拍目が「掛留音」である2,3,4,5小節では、音が濁ります。

第5番「満足」の曲頭に、GisとGとを順に奏し、音を濁らせる手法がありますが、

それをさらに、敷衍して使い、音が一瞬濁ることを狙っているのです。

第11番「怖いぞ」の12小節目一番最後のアクセント「H音」も、怖がらせるように、

「C音」から短2度下がって、「H音」に到達するのと、すこし似ています。

このように、フォーレは、この曲集全体の設計を見て、ペダル記号を付したのです。

大作曲家の素晴らしい校訂です。


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■■シューマン「子供の情景」■■その3~ボロディンへの影響

2007-12-24 15:37:39 | ★旧・私のアナリーゼ講座

2006/11/1(水)

★「子供の情景」第8番「暖炉のそばで」は、

7番の「トロイメライ」に続く曲ですが、

弦楽四重奏のスタイルを彷彿とさせます。

バイオリン(右手上声)が、冬の暖炉のような暖かい旋律を奏で、

第2バイオリンとビオラ(内声)が、

和音を刻み、チェロ(左手下声)が、朗々とそれらを支えます。

アウフタクトの内声は、いかにも弦楽四重奏らしい響きです。

私は、この「暖炉のそばで」を弾きますと、

ロシアの作曲家・ボロディン(1833~1887)の

弦楽四重奏曲第2番の第一楽章の響きと曲想を思い起こします。


★ブラームスと同じ年に生まれたボロディンは、1859年、

化学(医学)の勉強でドイツの

ハイデルベルグに留学しました。

そこで1861年、将来の妻となるピアニスト・エカテリーナと出会い、

シューマンの曲を初めて教えられました。

ボロディンは、エカテリーナに自己紹介する際、

「熱心なメンデルスゾーン崇拝者」と言ったそうです。

エカテリーナのピアノの師は、メンデルスゾーンの有名な弟子でした。

当時のロシアでは、メンデルスゾーンとシューベルトの人気が高く、

シューマンはほとんど入ってきていなかったのです。

このように、シューマンの影響は、フォーレをはじめとするフランスのみならず、

ロシアの音楽家にも、深く浸透していくのです。


★軍医のインターンだったボロディンは、1856年、エレガントな青年将校だった

ムソルグスキーとサロンで出会います。

シューマンは、この年に亡くなっております。

ムソルグスキーが、ヴェルディーの「椿姫」の断片をピアノで弾き、

サロンのご婦人方から賞賛を浴びる光景を、やや皮肉を込めて回想しています。


★1859年、作曲に専念しようと退役したムソルグスキーと会い、

二人は親しくなります。

「椿姫」を弾いて、サロンの喝采を浴びるムソルグスキーから、

貪欲に新しい音楽を吸収する作曲家へと変身していたムソルグスキー。

二人でメンデルスゾーンの交響曲を連弾した後、ムソルグスキーは、

感動していたシューマンの交響曲を、ボロディンのために

ピアノで弾き始めました。

しかし、途中で「残念だが、この先は数学みたいで手に負えない」と、

止めてしまったそうです。

ボロディンは、当時としては最先端の“現代音楽”だったシューマンに

、ここで初めて接したわけです。

その直後、ハイデルベルグ(当時、ドイツのオックスフォードと呼ばれた学問の都)へ留学します。

そこで、シューマンとショパンの曲に目を開かされていきます。


★有名なボロディンの弦楽四重奏曲第2番も、

このようにシューマンの影響を抜きにしては語れません。

ロシアへの影響も折に触れて書いていきたい、と思います。


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■■シューマンの「子供の情景」について■■ ~音にされない音を聴く~

2007-12-24 15:34:37 | ★旧・私のアナリーゼ講座

2006/10/25(水)

★シューマン「子供の情景」の最後の曲は、第13番「詩人のお話」です。

冒頭の6小節は、コラールのように4声体で書かれています。

ソプラノ、アルト、テノール、バスの4声です。

ところが、6小節目の一番最後のテノールの音が、

ぽっかりと欠けています。

そこは、イ短調の「導音ソ♯」が、「主音のラ」へと進行する所です。

肝心の一番大事な「主音ラ」が、穴が開いたように欠けているのです。

その「ラ」がないために、耳は、「ラ」を期待していたので、

心の中に、あたかも「ラ」を聴いたかのような強い印象が、残ります。

生の音を聴く以上に、強い効果が生まれます。

この効果は、シューマンの“大発明”であると、思います。

さすがのクララも、このシューマンの意図を理解したのでしょう。

その「ラ」は、クララ版でも、原典どおり、欠けたままにしてあります。


★ところが、大作曲家フォーレは、“ラ”を作曲してしまいました。

6小節目と同じ音型が、18小節目にも再現されますが、

原典にはない「ラ」を、ここでも、フォーレは、書き込んでいます。

私の大好きな作曲家フォーレ!!!

本当にフォーレが、「ラ」を望んで書き入れたのか、

出版社の暴走なのか、それ以外の事情なのか・・・・・・

よく分りません。



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■ ロジェ先生のお話の続き ■

2007-12-24 15:32:37 | ★旧・私のアナリーゼ講座

2006/10/24(火)

★≪ある「完全な音楽家」の肖像≫マダム・ピュイグ=ロジェが日本に遺したもの 音楽之友社 を

読んでいます。

今回はその中から、興味深いいくつかのお話です。

作曲家オリヴィエ・メシアン(1908~1992)について、「私(ロジェ)が、パリ音楽院の学生だったとき、

彼も学生でした。

オルガンのクラスでは、同級生で、『前奏曲集』の初演をはじめ、彼の多くの作品を演奏しました。

『前奏曲集』は、私に捧げられています」

「メシアンは、ポール・デュカ(「魔法使いの弟子」で知られている作曲家、日本ではデュカスともいう)の

クラスでした」

「デュカは、音楽様式に関して、妥協を許さない人で、作品を書いても、その多くを破り捨てていました。

自己への批判精神が大変に強く、生徒にも様式に関して、厳しいものを求めていました」

「本音を言えば、個人的には私(ロジェ)は、デュカの生徒になりたかった。彼は素晴らしい教師でしたからね。

しかし、私はビュセールのクラスに入りました。なぜなら、私はポール・ヴィダルの生徒だったからです。

ヴィダルが退官することになり、ビュセール(1872~1973)がその後任となったためです」

(ちなみに、ビュセールは、池内友次郎先生の師でもあります)。


★デュカについては、大ピアニスト・アルトゥール・ルービンシュタインの伝記に、つぎのような逸話が

出ています。

ルービンシュタインは、少し有名になりつつあった若い頃、周囲からちやほやされ、ピアノの練習もせず、

パリで放蕩三昧の毎日を過ごしておりました。

ある日、デュカは、カフェで酔っ払っているルービンシュタインの首根っこを捕まえ、デュカの家まで

連れ帰ったそうです。

そこで、ルービンシュタインはデュカから懇々と説教されました。

それ以来、心を入れ替え、練習に打ち込むようになりました。

“この説教があったからこそ、大ピアニストへの道が開けた”と、いつまでも感謝していたそうです。


★デュカには、『ラモーの主題による変奏曲と間奏曲、および終曲』(1903)という、素晴らしい

ピアノ独奏曲があります。

ブラームスの『ヘンデルの主題による変奏曲』に比肩しうる曲です。

日本のピアニストがあまり弾かないのはなぜなのでしょうか。


★ロジェ先生「メシアンは、ローマ賞は絶対に取れないだろう、と決めてかかっていました」

「彼は独創的過ぎたのです。彼は、あまりに傑出しすぎた個性で、他のコンセルバトワールの面々とは

違いました。

その彼がいま、コンセルヴァトワールで教えているのです」

「メシアンは、若い作曲家と、向き合うときに画一的な態度で接することはしません。

彼は、和声と音楽分析を教えていますが、音楽分析のクラスは、彼を念頭において創設されたのです」

ちなみに、ドビュッシーはローマ賞をとりましたが、ラベルは受賞できず、そのことが“事件”に

なったそうです。


★また、ロジェ先生は、ピアニストのマルグリット・ロン女史についても、一言おっしゃっています。

「ロンについては、鮮明な思い出がありますが、それは良いものではないので、話さないほうがいいでしょう」

ラベルも、ロン女史について『ピアノの下手なあの人』と言っています。

また、ロン女史は、ガブリエル・フォーレとも不仲だったと、伝えられています。

ロン女史の残した書物は、大変貴重で、私も参考にしておりますが、一応、上記のことを念頭に

入れておくほうがいいでしょう。


★≪ある「完全な音楽家」の肖像≫には、先生と同じころ滞日していた、マサビュオという

フランス人地理学者が友人のロジェ先生との交友を綴った想い出もあります。

“日本人は細部にこだわりすぎる”という感想から、

ロジェ先生は「私の生徒たちは、ひとつの楽譜(ソナタであったり、コンチェルトの一楽章であったり)を

全体として考えること、その全体構造を把握することができないの。

彼らはいつも小さいことにのめりこみ、作品全体の仕組みに無知なのね。・・・

そこで、作品の意味を本当には理解しないままで演奏する、という結果になってしまう」

「ある人の演奏が音楽的でないと言いたいとき、彼女は『ああ、彼(彼女)は全部の音を弾いている』と

いうのが常だった。

それは、バラバラとまではいわないが、その演奏が感受性に欠けており、機械的なだけだということを

意味していた」


★「ある日、ある名の通ったピアニストが弾く、著名な日本人作曲家のピアノ協奏曲を聴きに行ったとき、

帰りの道すがらに彼女曰く

『うちのトイレの水を流す音かと思った!』」


★私は、この曲と演奏家について、なんとなく想像がつきます。



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■ 作曲家リゲティについて ■

2007-12-24 13:32:08 | ★旧・私のアナリーゼ講座
■ 作曲家リゲティについて ■

2006/7/11(火)

★作曲家のジェルジ・リゲティが2006年6月12日、ヴィーンで亡くなりました。


83歳でした。


ハンガリー人の両親の下にルーマニアで、1923年5月28日生まれました。


コロジェヴァール(現ルーマニア領)とブダペストで、音楽を学びました。


1950年より、ブダペスト音楽院で音楽理論を担当しました。


ユダヤ人として、ナチスドイツの強制労働キャンプに収容された経験もあります。


1956年のハンガリー動乱の後、ヴィーンに亡命し、以後西側で作曲活動をしました。


経歴からも明らかなように、バルトーク(1881~1945)の様式で書くことから出発しました。


以後、西側の作曲家と交流し、トーン・クラスター(音を塊としてとらえる)の大オーケストラ作品

などが有名です。


詳細に作品を検討しますと、彼の作品は一生涯、対位法から離れることがありませんでした。


音の塊のようにみえるオーケストラの響きも、個々の楽器については、彼独特の対位法で動いて

おります。


そのオーケストラ的「音響」だけを取り出し、真似をしたその後の世代の作曲家の作品とは、

大いに異なります。


リゲティの作品は、古典として定着する可能性をもっています。


チェンバロ独奏曲の「ハンガリアンロック」「ハンガリアンパッサカリア」「コンティニウム」は、

優れた作品です。


チェンバリストから愛好されています。


特に、「ハンガリアンパッサカリア」は、ミーントーン調律を指定しております。


平均率の調律とはまた、異なった味わいがあります。


私が昨年、作曲いたしましたチェンバロ独奏曲「ウルフ・イン・ザ・スカイ」や、

能管とチェンバロのための「水辺の西王母」も、ミーントーン調律を採用しております。


古典調律は、バロック時代だけの占有物ではなく、現代作品においても、よい楽器、よい調律師に

恵まれれば、素晴らしい効果を発揮します。


リゲティの出発点であるバルトークは、もし、彼がいなかったら20世紀の音楽は、

全く違う形をとっていたであろうと思われるほど重要な作曲家です。


9月24日(日)の午後、日本ベーゼンドルファー・東京ショールームで、バルトーク

「ミクロコスモス」とバッハ「インヴェンション」を対比しながら、分りやすくアナリーゼ致します。


バルトークもリゲティも作曲の根幹は、バッハに拠っています。


バッハの対位法がどのようにバルトークに影響をあたえたのでしょうか。


私はこの夏休み、楽しみにそれを探索してみたいと思います。


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■ シューマンのアナリーゼ ■ バッハからの影響、フォーレへの影響

2007-12-24 13:29:30 | ★旧・私のアナリーゼ講座
■ シューマンのアナリーゼ ■ バッハからの影響、フォーレへの影響
2006/6/13(火)

★一昨日(6月11日)、日本ベーゼンドルファーで「シューマンのアナリーゼ講座」が無事終了いたしました。

シューマンの個々の作品分析とともに、シューマンが影響を受けた作曲家、さらに彼が後の作曲家に

どう影響を及ぼしたか、についてもお話いたしました。

シューマン(1810~1856)が、終生、学び、勉強し続けた作曲はバッハ(1685~1750)です。

精神の病に侵され、作曲の筆を折る直前の43歳(1853年)。

ほとんど絶筆に近いこの作品は、バッハの「無伴奏バイオリンソナタ」と「無伴奏チェロ組曲」に

ピアノ伴奏を付けることでした。

この曲は、一般にはほとんど知られていません。(この楽譜はドイツ・ペータース版で入手可能です)。

病で作曲が困難になったシューマンが、バッハをもう一度勉強し、立ち直り、新たな創作に向かいたい、

という激しい渇望がひしひしと感じられてくる作品です。

「バッハ」に立ち戻ったのです。

心を打つ作品です。

歴史に「もしや」、という言葉は禁句ですが、彼がもし、病から立ち直り、作曲の筆をもう一度

とったとき、どんな作品が生まれていたのでしょうか。

1848~49年にかけて作曲された「森の情景」は、彼としては後期の作品です。

バッハの「フランス風序曲」の影響が、第4曲目「呪われた場所」の複付点のリズムにみられます。

このことは、よく知られています。

しかし、第7曲目の「予言の鳥」の特徴的なリズム(付点8分音符と、その後に続く、32分音符の

3連音から成る“ター、タタタ”)が、同じく「フランス風序曲」からきているように思われてなり

ません。

これはあまり気付かれていないことですが、私の作曲家としての勘です。

シューマン自身がもし気付いていなくても、バッハ勉強から自然ににじみ出て来たものではないで

しょうか。

第2曲目「待ち伏せる狩人」は、明らかにシューベルト「冬の旅」の18曲「嵐の朝」と似たモチーフを

使用しております。

これは、一目瞭然です。

しかし、シューマンは、バッハやシューベルトの影響を受け、さらにそこから、全く新しい曲を創り

上げています。

バックハウスがベーゼンドルファーピアノで弾いた「森の情景」の名演奏を、皆さんと一緒にCDで

聴きました。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


シューマンは、自分より35年後に生まれたガブリエル・フォーレに大きな影響を与えました。

アルフレッド・コルトーは、「フォーレの歌曲『夢の後に』の伴奏形は、シューマンのピアノソナタ

第2番2楽章の冒頭、左手の八分音符の音の刻みに類似している」と、指摘しています。

この2楽章はもともと、「秋に」という題名の歌曲をピアノ用に書き換えたものです。

コルトー(1877~1962)は、20世紀の大ピアニストです。

パリの「エコール・ノルマル音楽院」は、コルトーが創立しましたが、彼の晩年1954~1960年にかけて

の、マスタークラスでのレッスンがCD化されています。

そこで、彼はこの2楽章をレッスンしています。このCDも皆さんと聴きました。

フォーレは、シューマンの「子供の情景」を校訂し、出版しています。

「子供の情景」には、有名なトロイメライも含まれています。

この楽譜は、フランスのデュラン社から出ています。

大変に素晴らしい版で、シューマンをさらに深く知ることが出来ます。

それと同時に、フォーレの作品を理解し、演奏するうえでも参考になります。

「子供の情景」は、各曲に魅力的な題名が付いています。

各曲が有機的に関連付けられ、構成されているため、もし、題名がないとしても、独立した芸術作品

として同等に聴くことが出来ます。

これは、フォーレのピアノ連弾曲「ドリー」も同じではないでしょうか。

「ドリー」は、フォーレの“子供の情景”だったといえるかもしれません。

ちなみに、シューマンは「子供の情景」を1838年、28歳の時に作曲しております。

結婚の2年前、子供はいない独身時代の作品です。

バッハ(1685~1750)、シューベルト(1797~1828)、シューマン(1810~1856)、

フォーレ(1845~1924)という大作曲家の流れは、フォーレから弟子のラベル(1875~1937)に

受け継がれ、フランス音楽の大きな源流となっていったのです。

シューマンとシューベルトとの関係をもっとお話したいのですが、今回はここまでといたします。


◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇


今日(6月12日)は、伝通院コンサート「東北(とうぼく)への路」のリハーサルで、

八木千暁さんにお会いいたしました。

「東北への路」で最後に演奏される≪「白秋」~波の間に≫で、八木さんは龍笛と楽琵琶を

演奏されます。

また、歌も楽琵琶に合わせて歌われます。

昨日のシューマンから一転、日本の雅楽の奥深さと、その楽器によって新しい21世紀の音楽を

創造する喜びを味わいました。

雅楽の合奏では、楽琵琶はそれほど目立った楽器ではありませんが、表現力の深さに驚きました。

八木さんの歌の素晴らしさにも感動したました。

陶酔してしまいました。

このお話は近く、ブログでまた、ご報告いたします。


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■シューマンの没後150年、古典の学習とは?■

2007-12-24 13:26:24 | ★旧・私のアナリーゼ講座
■シューマンの没後150年、古典の学習とは?■
2006/6/2(金)

モーツァルト生誕250周年のお祭り騒ぎに隠れがちですが、ことしは、シューマンの没後150年です。

1810年生まれのシューマンは、1856年に46歳の若さで亡くなっております。

モーツァルト、シューベルト、シューマンの3人の大作曲家は、ともに短命でした。

シューマンは、後に妻となったピアニストのクララ・ヴィークの父に、ピアノと作曲を学んだ以外は、

独学のようにとられています。

独学とはなんでしょうか。

それは、自ら古典にあたり、まずはその古典を模倣し、古典を自分のものとし、その上で、自分独自の

ものを創りあげていくことです。

シューマンは、世間では、何もないところから、いきなり傑作を書き上げた、理解しがたいような天才、

とうけとられています。

しかし、彼の作品は、実はバッハ、シューベルトに負うところが非常に大きい、ということがいえます。

シューマンは、若死にしたシューベルト(1797~1828年、31歳で没)の楽譜を発掘し、出版に尽力しました。

そのなかで、シューベルトの技法、つまり、シューベルトが古典から学び、模倣し、蓄積したものを、

シューマンも自分のものとして血肉化していきました。

朋友・メンデルスゾーンが、バッハを再発見していった過程と同じことです。

ちなにみ、ブラームスは、シューマンの没後、クララ夫人と一緒に、シューマンの未出版作品を世に

出しましたが、その過程で、同じようにシューマンを学んでいきました。

これこそが、古典の学び方と継承です。

その具体的な一例として挙げますと、シューマンが終始一貫して愛した和声進行があります。

「Ⅰ」→「Ⅵに行くための属和音」→「Ⅵ」の和声進行です。

ピアノソナタ第2番の第1楽章・第2テーマで使われています。

この和音はシューマンが、憧れに満ちた優しい場面でよくつかい、有名な「謝肉祭」や、独奏作品としては

最後の作品「森の情景」でも見られます。

この独特な和音進行は、どこから来たのでしょうか。実はシューベルトの「冬の旅」にありました。

こうした発見は、作曲家としての視点で、曲を分析していきますと見えてきます。

音楽学の文献に基づいた書物や、通常のピアノレッスンでは、大変少ないと思います。

そんなお話を、6月11日午後1時半から4時半まで、日本ベーゼンドルファー・東京ショールーム

(地下鉄・中野坂上駅徒歩1分)で、「やさしい楽曲分析(アナリーゼ)講座」としていたします。

このほか、「子供の情景」から「トロイメライ」、「知らない国々」。「幻想小曲集」から「夕べに」

「なぜに」。「森の情景」から「森の入り口」「予言の鳥」なども分析いたします。

詳細は、http://www.bosendorfer-jp.com/の Event Calendar→Lesson/Seminar→

「やさしい楽曲分析講座」をご覧ください。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲



■ブラームスの「4つのピアノ小品」
2006/4/7(金) 午後 4:07アナリーゼ(楽曲分析)

日本ベーゼンドルファー・東京ショールームで、数ヶ月ごとに「アナリーゼ講座」を開いております。

これは、バッハやドビュッシー、ラベルなど特定の作曲家を一人に絞り、その作曲家の代表的な曲を数曲アナリーゼします。

その作曲技法を分析することで全体像に迫るのが狙いです。約3時間の講座です。

これとは別に毎月2回、第1、3水曜日(午前11時半~午後1時)、カワイ青山店で「アナリーゼ講座」をしております。

1時間半の中で、1曲をじっくり分析いたします。

場合によっては1曲に数週間かけることもあります。

4月5日の講座は、ブラームスの最後のピアノ作品「4つのピアノ小曲:Opus119」の第1曲インテルメッツォでした。

ブラームスは肝臓ガンにより63歳で亡くなりましたが、この作品は60歳。

1893年の作です。

わずか67小節の曲。一見単純に見えますが、対位法と不協和音の網が、精緻に張り巡らされています。

それを一つ一つ解きほぐしていきますと、1時間半で冒頭の16小節までしか、たどり着きませんでした。

それでも、ブラームスと向き合う至福の時間を、受講者の方と分かち合いました。

シューマンの未亡人クララはこの曲を「灰色の真珠」と評したそうです。

私はこの主要音形となる下行分散和音が、頬を滴る涙のように思えてなりません。

講座からの帰り途、ハッと思いつきました。

あの音形は、バッハの「インヴェンション」の中で、ブラームスがとりわけ愛していた「ト短調シンフォニア」だ---と。

ともに「短調の3拍子」。曲頭に現れる分散和音が、主和音の第5音から始まり第3音を経て、主音にたどり着く下行形です。

バッハと全く同じ形で、バッハは♭2つのト短調、ブラームスは♯2つのロ短調です。

ブラームスは一生涯、バッハに寄り添うようにして作曲してきました。

(クララの夫「ロベルト・シューマン」でも全く同じことが言えます)。

それが、晩年、巧まずしてブラームスの珠玉の作品に滲み出てきたのです。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲


アナリーゼ講座第6回は「シューマン」です 傑作(0)
2006/3/20(月)

バッハ、モーツァルト、ドビュッシー、ラヴェル、と続いてきました「アナリーゼ講座」の第6回目は、「シューマン」を取り上げます。
シューマンは、ことしが没後150年。
この講座で「ロマン派」は初めてですが、文学的側面が強調されることの多い「ロマン派」を、
アナリーゼ講座らしく、言葉に囚われることなく、音楽の構造そのものを深く分析したい、と思います。

 例えば、「アベッグ(ABEGG)変奏曲」では、“人名のアルファベットABEGGをドイツ音名に移し変えて
作曲した”など、本質とはあまり関係のない表層的な次元のことで、作曲ができているかのように解説
されがちです。
そして、それが誇張され、そのことだけが強調されています。
しかし、この曲を理解するためには、それほど重要な要素ではありません。
作曲に取り掛かる際の単なるヒントとしてABEGGをつかったに過ぎません。
作曲という営みはそれ以降のことです。

 講座では、「トロイメライ」を初めとする名曲を取り上げます。
ご自分で演奏される場合でも、アナリーゼから得られるいろいろなヒントが、新しい発見へと導き、
弾く喜びをきっと増すことでしょう。
堅苦しくなく、楽しみながら理解が深まれば、と思っております。

 シューマンについては「夢想の中に生きた常人には測り知れない天才作曲家」、「いまひとつ捉えようの
ない模糊とした曲の構造」などの印象をお持ちの方が多い、と思われます。
この講座で、シューマンの本当の世界に一緒に分け入ることが出来れば幸せです。


日時は6月11日(日曜日)、会場は、日本ベーゼンドルファー・東京ショールームです。
詳しい時間などが決まりましたらまた、お知らせいたします。


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■ 来年は「龍笛とピアノ」、「ソプラノとピアノ」を発表予定です ■

2007-12-21 16:10:49 | ■私の作品について■
■ 来年は「龍笛とピアノ」、「ソプラノとピアノ」を発表予定です ■


★本年は、ベッチャー先生とのCDを出しましたが、

来年は、「龍笛とピアノ」、「ソプラノとピアノ」の

2枚のCDを発表する予定です。

雅楽の笛である「龍笛」と「ピアノ」との二重奏が可能であるか、

先日、雅楽奏者の八木千暁さんと、試してみました。


★一番の問題は、龍笛が、ピアノのピッチに合わせることが可能か、ということです。

それへの対応策は、いろいろな方法が考えられますが、

「合わせる」のではなく、

「ずれを楽しむ」という“技法”を、

二人で練習を重ねながら、編み出していきたい、と思います。


★「龍笛」は、竹製の横笛で、音域は2オクターブ、全長は約40cm。

雅楽では、篳篥が主旋律を歌い、

龍笛はそれを彩るように、細かい動きをめぐらします。

七つの指孔があり、歌口(息を吹き入れる穴)や指孔の周囲は、

樺や籐を巻き、黒い漆で固めています。

孔の内部は朱の漆が塗られ、竹の茶、籐の黒と美しい色彩のコントラストです。

雅楽は本来、屋外で演奏されるものですので、

龍笛は、想像以上に音量が大きく、びっくりします。


★私も少し、龍笛を習い始めましたが、まだ息の出し方が未熟なため、

息漏れが多く、2、3分も吹きますと、頭はくらくら、ギブアップです。

自分でやってみますと、奏者がどれだけ凄いことを、やっていらっしゃるか、

実際によく分かりますね。

お稽古用には、プラスティック製の安価な龍笛がございます。


★二人で実験を重ねますと、龍笛の力強い太古の響きと、

西洋楽器の極致のようなグランドピアノとが、

素晴らしいアンサンブルを、創造できることが分かりました。

自信をもって、曲を作っていきたい、と思います。


★「ソプラノとピアノ」は、素晴らしいピアニストにお願いいたしますが、

「龍笛とピアノ」は、私がピアノを担当いたします。

クラシック音楽の思考では処理しきれない場面が、多々予想され、

まずは作曲家が、自分の考えに沿った演奏を残しておくべきである、

と思うためです。


★ベッチャー先生のCDも、越殿楽を基にして作曲しました

「平成越殿楽」を収録しています。

先生のチェロは、いわばクラシック音楽の極致ともいえる方法の演奏で、

雅楽とは異なった素晴らしい世界です。

しかし、ピアノパートの演奏は、

ややムード音楽的な分散和音になってしまっており、

少し残念に思っております。

雅楽は、笙と篳篥、龍笛の三管と、箏、楽琵琶の弦楽器、

さらに様ざまな打楽器によって構成される、

小編成の室内オーケストラともいえます。

このため、ピアノパートは、分散和音であっても、その各楽器を

髣髴とさせるような弾き方が望まれます。

単調に弾いてしまいますと、オペラの全体スコアを見ないで、

ヴォーカルスコア(オーケストラ部分をピアノに編曲した楽譜)だけを

見て弾くようなものです。


★「龍笛とピアノ」のCDでは、雅楽の「唱歌(しょうが)」も研究して、

みたいと思います。

雅楽では、楽器で雅楽を演奏する前に、手で拍子を取り、声を出して歌います。

それが「唱歌」です。

歌うことにより、その流れをつかみ、暗譜できます。

また、どこで息を取るかも、覚えます。

★この冬休みは、日本の1000年の昔の音楽「唱歌」と、

西洋クラシックの長い歴史のある「ソプラノ」の2つの世界で

創作する仕事を楽しみたい、と思います。



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■「伝通院コンサート」での衣装 ■

2007-12-20 00:38:28 | ★旧・曲が初演されるまで
■「伝通院コンサート」での衣装 ■
2006/5/19

7月1日の伝通院コンサート『東北(とうぼく)への路』では、衣装をことしも昼神佳代さんと

ヌゥイ・島田佳幸さんのお二人にお願いしております。

私の衣装は「芭蕉が奥の細道へと旅立つ際、胸中に思い描いた『上野谷中』の桜をイメージしてください」と、

昼神さんに依頼いたしました。

昼神さんは、古い和服の生地を素材として再利用し、いつまでも飽きず着心地がよいドレスを創作されている方です。

ギターの斎藤明子さんの衣装は、今回初演いたします2曲「東北(とうぼく)への路」と「最上川」に

ちなんで米沢紬の布を選び、島田さんが製作されます。

先日、島田さんのアトリエにうかがい、米沢紬の布を拝見いたしました。

生成りの地色に、まるで最上川の川面に漂う靄(もや)のように淡い灰色が織り込まれていました。

大変に美しく、曲想によく合っていると思いました。

私は島田さんが新しく発表されましたペンダントルーペを求めました。

首からペンダントのように掛けるルーペですが、ひもは「江戸組み紐」で、簡素ながらも凝った逸品です。

精巧なレンズが柔らかい皮に包み込まれ、アクセサリーとしても粋です。

五線紙を埋める細かい作業の時、首からぶら下げたままにしておくと重宝しそうです。

★ヌゥイ・島田佳幸さんのホームページです。http://www.nuistyle.com/


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

前回のブログ「ユリシーズの瞳」でご紹介いたしました北千住の「東京芸術センター」で、

9月に開講予定でした「黒澤明塾」が、5月16日に閉鎖されていた、という新聞記事を見つけました。

残念ですね。

『シネマ ブルースタジオ』に影響がないといいですね。


★中村洋子のホームページ http://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.html

★「東北への路」チケットお申込みは...
  平凡社出版販売株式会社 中崎 まで。 電話 03-3265-5885 FAX 03-3265-5714


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■東北(とうぼく)への路■ その4 楽琵琶のお話の続き

2007-12-20 00:36:30 | ★旧・曲が初演されるまで
■東北(とうぼく)への路■ その4 楽琵琶のお話の続き
2006/5/5(金)

★前回<■東北(とうぼく)への路■ その3 >で、楽琵琶のことに触れましたところ、

今回、演奏していただく雅楽奏者の八木千暁さんから、次のようにご教授を頂きました。

その道に精通されている方以外に知りえないとても素敵なお話です。

本当に繊細で典雅で、教養に満ちた世界であることがよく分りますね。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「青山」とはおそらく楽琵琶のことです。

藤原貞敏が「玄象」(げんじょう)とともに唐から持ち帰った名器の一つといわれています。

現在楽器は存在しませんが、色々な逸話が残っているようです。

それから季節と調絃は、必ずしもそれでなければいけないというほど厳密ではなく、

たとえば殿上人の教養として「今日のお遊びの曲は何にしましょうか?」といったような時に、

さりげなく季節の調子の曲を選んだりすると、

なかなかこやつアジな選曲をするな・・・といった感じではなかろうかと思います。

しかし「経正」の謡文句を拝見すると、琵琶の調絃に精通していなければ書けないことだと

勘ぐってしまいます。

やはり能に「玄象」という曲があり、雅楽の名人藤原師長(ふじわらもろなが)が旅の途中雨に遭い、

ある老夫婦の家に宿を借ります。

そこで師長が琵琶を弾くと、主(あるじ)が屋根に苫をひきます。

そして「ただいまの琵琶は黄鐘調ですが、屋根をたたく雨の音は盤渉調でした。

しかし苫を葺いたので、雨音も同じ調子になりました」という件があります。

私などはワクワクしてしまう落ちなのですが、楽琵琶や調子をご存じない方がお聞きになっても、

あまり楽しくないのでは・・・

その昔の方々は調子や調絃、雅楽というものをもっと身近に知っていたのでしょうね。

                                八木千暁


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■東北(とうぼく)への路■ その3

2007-12-20 00:35:20 | ★旧・曲が初演されるまで
■東北(とうぼく)への路■ その3
2006/4/28(金)

★7月1日のコンサート「東北(とうぼく)への路」では、雅楽奏者の八木千暁さんに

「白秋 ~波の間に」という曲を初演していただきます。

楽琵琶と龍笛で、奥の細道の旅の終わり、秋の風情を、表現したいと思います。

楽琵琶は、普段なかなか見ることが出来ません。

筑前琵琶、薩摩琵琶と異なり床に水平に構えます。

調弦も春夏秋冬で異なる調弦を用います。

例えば、春は双調(そうじょう)、夏は黄鐘調(おうしきちょう)、水調(すいちょう)、冬は盤渉調(ばんしきちょう)などです。

今回は、秋の平調(ひょうじょう)をつかいます。

有名な越殿楽も平調です。

私は、月に2回、「お能を身近に感じる会」でお能を習っています。

いまは、経正(つねまさ)をお稽古中です。

平経盛(つねもり)の嫡子・経正は、西海の合戦で討ち死にしました。

彼のために催された管絃講の弔いでは、彼が生前に愛していた「青山(せいざん)」の琵琶が仏前に供え置かれました。

この銘器について、お謡(うたい)では

「第一、第二の絃は、索々として秋の風。

松を払って疎韻落つ。第三、第四の絃は、冷々として夜の鶴の子を憶うて籠の中に鳴く」と

白楽天の詩句を引用しております。

平家の時代でしたので、この「青山」は、楽琵琶だったのでしょうか。

7月の新作「白秋」では、普段なかなか接する機会のない楽琵琶を間近でじっくりとご覧ください。

ちなみに「お能を身近に感じる会」の詳細は、

お能の出版社「檜書店」のホームページhttp://www.hinoki-shoten.co.jp/lesson/で。

観世流の大変素晴らしい先生方が懇切丁寧にご指導してくださいます。


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■「東北(とうぼく)への路」 その2

2007-12-20 00:33:28 | ★旧・曲が初演されるまで
■「東北(とうぼく)への路」 その2
2006/4/24(月)

★ 昨日(4月20日)は春の嵐。



芽吹いたばかりの新緑にわずかに残っていた桜、桃の花もすべて散り去りました。



本日は、うらうらな陽光、生まれたてのような、どこか怜悧な透き通る微風が体をよぎっていきました。



松尾芭蕉は、「弥生も末の七日」(陰暦の三月二十七日)、深川の草庵を引き払い、東北へと旅立ちました。



暁前の出立。



「月は有あけにて、ひかりおさまれる物から、富士の峯幽(はるか)に見えて、



上野谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし」と書いております。
 
この記述から、私は、花の盛りに江戸を旅立った、と思っておりました。



ところが、そうではありませんでした。



「弥生も末の七日」は、新暦の5月16日に当たるそうです。



花はもうとっくに終わり、したたるような新緑、初夏に差し掛かる頃です。



この旅は、芭蕉五十一歳の人生のなかで、晩年といえる四十六歳の時です。



彼は人生を「花」に見立て、自分は散リ行く花、あの咲き誇る上野谷中の桜を再び見ることがない



かもしれない、と心に詠じたのかもしれませんね。



「草の戸も住替る代ぞ雛の家」という句が想いを掻き立ててくれます。



「草の戸」とは、いわば、世捨て人の草庵のことだそうです。
 
この老い先短い世捨て人(芭蕉)が、庵を畳み、旅立ちます。



その空家に次は、お雛様を飾るような子や孫のいる新しい家庭が移り住みことでしょう。



“そうあって欲しい”と念ずる芭蕉。



散る桜を想う老人、お雛様と無邪気に遊び笑う幼子の姿が重なり合います。



老いと幼の見事な対比、人の世の悠久の流れ、流転が、この一句に見事に込められています。



7月1日の「伝通院コンサート」の第一曲目、斉藤明子さん演奏の10弦ギター用独奏曲はこうした



世界を表現したい、と思いますが、どうなることでしょう・・・




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■「東北(とうぼく)への路」~松尾芭蕉によせて~■その1

2007-12-20 00:31:39 | ★旧・曲が初演されるまで
■「東北(とうぼく)への路」~松尾芭蕉によせて~■その1
2006/4/14(金)

▼ことし7月1日(土曜日)午後7時から、東京・小石川の伝通院・本堂で、私の全曲初演による

個展コンサート「東北(とうぼく)への路」を開きます。

伝通院は、徳川家康の生母「於大(おだい)の方」の菩提寺。

格式の高いお寺です。

揺らめく蝋燭の明かりを前にして、本堂の荘厳な空間での演奏会は、幻想的です。

この本堂での個展コンサートは、ことしが3年目になります。

お蔭様でとても好評です。

音響も、能楽堂に匹敵する素晴らしさ。

有名なホールより優れているかもしれません。

今回は、松尾芭蕉「奥の細道」をテーマに、時空を超えた東北への旅を、音楽により表現いたします。

東北を「とうぼく」と呼ぶのは、お能の「東北(とうぼく)」から取りました。

発音が典雅ですね。


▼斎藤明子さんの10弦ギター独奏で、「春三月の旅立ち」から始まります。

「あらたふと青葉若葉の日の光」の日光、「五月雨の降り残してや光堂」の平泉。

「荒海や佐渡に横たふ天の河」の越後路へと旅をいたします。

斎藤さんは、日本人ギタリストとして初めてニューヨーク・カーネギーホールでリサイタルをなさった

実力のある音楽家です。


▼第2幕は歌です。

私の知人で鶴岡出身の婦人がいらっしゃいます。

民謡の名人です。

彼女は、小さい頃から大変苦労された方です。

「民謡を歌って慰めることで、日々の辛い労働を乗り切ってきた」と話されていました。

お母さんが歌う民謡を耳で聴いて覚えたそうです。

それは「最上川舟歌」です。

鋼鉄のように張りのある声で歌っていただきます。

鑑賞用ではない本当の民謡、生きる糧として歌い継がれてきた歌です。


▼次に、「最上川舟歌」の主題をテーマにした曲を、斎藤明子さん尾尻雅弘さんご夫妻のギター二重奏で

演奏いたします。

斎藤さんの10弦ギター、尾尻さんの7弦ギターという大変珍しい組み合わせです。

10弦ギターは特に低音が豊かで、オーケストラの響きにも匹敵しそうです。

「五月雨を集めて早し最上川」。

最上川のとうとうとした流れが髣髴とするといいですが・・・。

尾尻さんは、バッハから現代曲まで幅広いレパートリーで活躍中のギタリストです。

その真摯な演奏がいま、注目されています。


▼旅の終わりは、また舟に乗りて「蛤のふたみに分かれ行く秋ぞ」。

大きな旅を終えた安堵感と一抹の秋の寂しさ。

この世界を、八木千暁(せんぎょう)さんの樂琵琶と竜笛で表します。

八木さんは、雅楽の演奏団体「伶樂舎」のメンバーです。

古典や新作の雅楽演奏、さらに世界各国での演奏や、CD録音など多彩に活躍中です。


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■■ 狂言・山本東次郎さんの「おはなし」 ■■

2007-12-20 00:28:05 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■■ 狂言・山本東次郎さんの「おはなし」 ■■
2007/8/12(日)

★8月10日、国立能楽堂での「夏休み親子のための能楽公演」に行ってまいりました。

演目は、狂言の「蚊相撲」と、能の「雷電」でした。

しかし、お目当ては、その前の山本東次郎さんの「おはなし」でした。

山本東次郎さんは、現代日本で、最高の狂言演者であると、私は思います。


★感銘を受けたいくつかの「おはなし」をお伝えします。

「能と狂言は、“水と油”ではなく、“お湯と水”です」

「水と油」は異質なものの例えですが、

「お湯と水」は、水という一つの物質がもつ変化の様を表します。

「狂言は、人間のだらしない、滑稽な、愚かな面を、

能は、人間の辛さ、美しさ、素晴らしさを表現し、

どちらも人間のもっている一面です」。


★「言葉は、“言霊”といって人の心を変えることができる力をもっています」

「言葉には魂があり、そのために、能や狂言は、言葉が少ない」

「その少ない言葉を“点”とした場合、点と点を繋ぐのは、観客の想像力です」


★「能で使う太鼓は、いま流行りの和太鼓と違い、

ストイックで、知性に裏付けられた楽器です」

私は、ここで思わず、客席から拍手したくなりました。

肉体をこれ見よがしに見せ、破れんばかりに叩き続けるだけの「和太鼓」には辟易です。

太鼓の魅力は、そういうものではありません。

「知性」と「技術的修練」のバランスがとれて初めて、芸術といえます。


★歌舞伎の花道と、能の橋掛りの違いについて、

歌舞伎の花道は、観客席のなかにあり、昔は役者に花を渡すこともあったそうです。

観客へのサービスのために存在するのです。

能の橋掛りは、揚げ幕の奥の「あの世」から、「この世」である舞台への架け橋です。


★能の起源の一つとされている、次のようなお話をされました。

昔々、村人が川に橋を架けようとしますが、どうやっても成功しません。

たまたま、通りがかった旅人が、「人柱を立てたらどうか」と、提案しました。

ところが、なんと、その旅人が「人柱」にされてしまいました。

橋は、完成しましたが、村人はどうにも気味悪くてしかたありません。

夜は、怖くてとても渡れません。

そこで「毎年、供養しよう」ということになります。


★ところが、平安時代の平均寿命は12歳、室町時代でも18歳と、短命な社会でした。

その旅人を覚えており、語り伝えることができる人が、次第に亡くなっていきます。

橋の由来を知る人がすべて亡くなった後は、人柱の旅人を忘れないように、

橋が出来た顛末を伝えることが必要である、ということになりました。

そうしないと、橋が安全に保たれない、と思っていたのです。

旅人に扮装した役者が橋掛りから現われると、村人は、役者を丸く取り囲み、

その話や演技を見聞きします。

能舞台の観客席が、正面と脇から舞台を取り囲むように配置されている理由は、

ここから来ているそうです。


★当日の狂言「蚊相撲」は、室町時代に流行していた相撲を主題にしたものです。

大名が自分も相撲取りを雇おうと、太郎冠者に命じて捜しに行かせます。

ところが、本物の相撲取りではなく、「蚊の精」を雇ってしまいました。

人間に化けた蚊は、大名と相撲をとりますが、血を一杯吸って負かしてしまいます。

東次郎さんは、このお話に現代を見ています。

“何事も、大流行するものには偽者が出てくる”と。


★また、能「雷電」は、宮中で罪もなく陥れられ、非業の死を遂げた菅原道真が、

雷神となって宮中を襲います。

東次郎さんは、陥れられたことを「現代のいじめ」、雷神の襲撃を「テロ」とみます。

能、狂言は古びない現代性をもった劇である、とおっしゃています。


★能、狂言の格好の入門書を2冊、ご紹介いたします。

「中高生のための狂言入門」山本東次郎、近藤ようこ著(平凡社ライブラリーoffシリーズ)1200円

「まんがで楽しむ能の名曲70番」文・村尚也、漫画・よこうちまさかず(檜書店)1200円

入門書とはいいながら、どちらも質が高く、基本的な知識を得るのに最適な本です。

東次郎さんの本は、何度も何度も読み返したくなる奥深さです。

「まんがで楽しむ能の名曲70番」は、有名な演目の粗筋と見所を、

大変分かりやすく漫画で解説しております。

思わず、本物を見たくなる面白さです。


★能楽堂で、たくさんの小学生が、大変熱心に観ていました。

演者も一流の方ばかりで、手を抜かず、熱演されていました。

子供用に改作したりせず、媚びずに一級品を見せる素晴らしい企画だった、と思います。

私は、3歳のときから、日本舞踊を習いました。

日曜日は、よくお師匠さんから頂きました切符で、踊りを観に行きました。

伝説的名人といわれた方々の踊りは、子供心にも「凄い」という印象でした。


★クラシック音楽を勉強されている方や、職業とされている方も、

日本の芸術にも、是非、目を向けていただきたい、と思います。

ベッチャー先生も「あなたのルーツを大切にしてください」とおっしゃっています。

日本の芸術の凄さが理解できれば、

西洋のクラシック音楽の凄さもさらによく理解できるのです。

ドビュッシーは、インドネシアや日本の芸術に触れることにより、

最高の芸術を作り上げました。


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■■ イタリア・サルデーニャ島の音楽と踊り ■■

2007-12-20 00:27:06 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■■ イタリア・サルデーニャ島の音楽と踊り ■■
2007/3/22(木)

★イタリアから来日中の「サルデーニャ民俗音楽団」の演奏を聴いてきました。

(会場:横浜「はまぎんホール・ヴィアマーレ」)

現在、チェロの独奏曲を作曲中で、そのような時にコンサートへ行くのは、一種の賭けです。

いい気分に浸ることができればいいのですが、期待はずれなら、2~3日は嫌な気分が抜けません。


★しかし、思い切って出掛けてよかったです。

地中海に浮かぶサルデーニャ島は、欧州では「美しい海のリゾート島」として有名です。

スライドで島の様子が映し出されました。

シチリア島に次いで大きな島であるサルデーニャ島は、ほぼ四国と同じ大きさ。

ゴツゴツとした岩だらけの痩せ地で、昔は、わずかに生える草で羊を飼っていました。

戦後、貧しいこの島を後に、外国へ移住せざるを得ない人々が多くいたそうです。

しかし、独自の文化を築き、言語もイタリア語とは異なる系統だそうです。


★歌も踊りも素晴らしかったのですが、特に、「ラウネッダス」という葦笛が面白かったです。

3本の葦笛で出来ており、それを全部一度にくわえて吹く名人芸を堪能してきました。

この楽器は、左側に、50センチ以上はある長い葦がきます。

この葦には穴が開いておらず、「ボー、ボー」という音で、低音を出し続けます。

専門用語では「ドローン」です。

真ん中にある中位の長さの葦は、穴が4つあり、左手でその穴を塞ぎ、伴奏を受け持ちます。

右側の一番短い葦も、穴は4つで、右手でメロディーを奏します。


★スコットランドのバグパイプにも似た構造で、日本の篳篥の遠い親戚にも当たるそうです。

実物を目の当たりにして、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の、

あのパンの笛と、半獣神を思い浮べました。

この楽器は、葦を冬期に刈り取り、感を頼りに、蜜蝋と黒い紐のみで、精巧に製作されるそうです。

音程は、葦に貼り付ける蜜蝋の量で細かく調整するそうです。

島では、お祭りも多いそうですが、聖人祭の行列や、聖体拝領が特に興味深く思えました。


★聖体拝領の儀式には、通常、オルガンを用いますが、

この島では、この葦笛「ラウネッダス」を使います。

微妙にイスラム的な節回しや、

バルトークが収集したトルコや東欧民俗音楽の旋法やリズムも含まれている、と感じました。

しかし、それだけではなく、この島以外にはない固有の独特な音楽である、というのが感想です。


★男性4人の「テノーレス・ディ・ネオネリ」(ネオネリ村のテノーレス)の歌も、

とても素晴らしく、低いだみ声のような発声法をするパートが、実によく声が通り、

洗練された美を感じました。

日本の名僧による読経にも通じるものがありました。

以上は、一度聴いただけの印象ですが、いつか現地のお祭りに行き、

聴いたり、踊ったりして、ローマより古いと言われるサルデーニャの魅力を体験したものです。



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