■■シューマン「子供の情景」■■その4
2006/11/12(日)
★木枯らしが吹き、寒くなりました。
前回は、ロシアの作曲家・ボロディン(1833~1887)とシューマンとの関係でしたが、
意外なことにシューマンは、ロシアに旅をしたことがありました。
クララとの結婚3年後の1843年、シューマンが33歳のときです。
そのクララの演奏旅行に、半年ほど同行したのでした。
あちこちでクララの演奏は、熱狂的に歓迎されました。
シューマンは、「著名なピアニスト・クララの夫」という肩身の狭い立場でした。
彼の作品も若干、演奏されましたが、ほとんど無視されました。
ロシア滞在中は、寒さから健康も損ない「作曲する時間も、心のゆとりもない」という状態でした。
当時、ボロディンは、まだ10歳でした。
もしその時、ロシアで彼の作品が広く受け入れられていたならば、
ボロディンが後年、ドイツ留学でやっとシューマンを発見するということにはならなかったでしょう。
歴史の皮肉ですね。
★「子供の情景」第十番<きまじめ>では、シューマンは、曲頭に、ペダル記号を一つポツンと書いたきりです。
7小節目まで、なにもペダル記号を書いていません。
ペダルは各奏者が、工夫して踏むように、というシューマンの意図ですが、フォーレの校訂版では、
1~6の各小節の冒頭でペダルを踏み、2拍目でペダルを離す記号を付けています。
この記号通りに演奏しますと、一拍目が「掛留音」である2,3,4,5小節では、音が濁ります。
第5番「満足」の曲頭に、GisとGとを順に奏し、音を濁らせる手法がありますが、
それをさらに、敷衍して使い、音が一瞬濁ることを狙っているのです。
第11番「怖いぞ」の12小節目一番最後のアクセント「H音」も、怖がらせるように、
「C音」から短2度下がって、「H音」に到達するのと、すこし似ています。
このように、フォーレは、この曲集全体の設計を見て、ペダル記号を付したのです。
大作曲家の素晴らしい校訂です。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
2006/11/12(日)
★木枯らしが吹き、寒くなりました。
前回は、ロシアの作曲家・ボロディン(1833~1887)とシューマンとの関係でしたが、
意外なことにシューマンは、ロシアに旅をしたことがありました。
クララとの結婚3年後の1843年、シューマンが33歳のときです。
そのクララの演奏旅行に、半年ほど同行したのでした。
あちこちでクララの演奏は、熱狂的に歓迎されました。
シューマンは、「著名なピアニスト・クララの夫」という肩身の狭い立場でした。
彼の作品も若干、演奏されましたが、ほとんど無視されました。
ロシア滞在中は、寒さから健康も損ない「作曲する時間も、心のゆとりもない」という状態でした。
当時、ボロディンは、まだ10歳でした。
もしその時、ロシアで彼の作品が広く受け入れられていたならば、
ボロディンが後年、ドイツ留学でやっとシューマンを発見するということにはならなかったでしょう。
歴史の皮肉ですね。
★「子供の情景」第十番<きまじめ>では、シューマンは、曲頭に、ペダル記号を一つポツンと書いたきりです。
7小節目まで、なにもペダル記号を書いていません。
ペダルは各奏者が、工夫して踏むように、というシューマンの意図ですが、フォーレの校訂版では、
1~6の各小節の冒頭でペダルを踏み、2拍目でペダルを離す記号を付けています。
この記号通りに演奏しますと、一拍目が「掛留音」である2,3,4,5小節では、音が濁ります。
第5番「満足」の曲頭に、GisとGとを順に奏し、音を濁らせる手法がありますが、
それをさらに、敷衍して使い、音が一瞬濁ることを狙っているのです。
第11番「怖いぞ」の12小節目一番最後のアクセント「H音」も、怖がらせるように、
「C音」から短2度下がって、「H音」に到達するのと、すこし似ています。
このように、フォーレは、この曲集全体の設計を見て、ペダル記号を付したのです。
大作曲家の素晴らしい校訂です。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲