音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Bachが平均律1巻冒頭に書いた“序文”の意味を解明できました■

2017-03-25 14:58:17 | ■私のアナリーゼ講座■

■Bachが平均律1巻冒頭に書いた“序文”の意味を解明できました■
~ゴルトベルク変奏曲17変奏から始まる完全8度音程の壮大な「大四角形」~
          2017.3.25   中村洋子

 

 


★私はテレビを持ちませんので、時々ラジオを聴きます。

アナウンサーの方に鼻声の方が多いようです。

花粉症の季節ですね。

桜の開花もあとわずかです。


★3月8日の名古屋アナリーゼ講座(次回は6月14日水曜)や、

18日の「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座で、

忙しい毎日でした。


★いまは、Bärenreiterベーレンライター「平均律クラヴィーア曲集1巻」の、

「前書き」の翻訳と、それに対する私の注釈などの執筆が佳境に入り、

いよいよ完成間近となりました。

 

 

 


★この「平均律クラヴィーア曲集1巻」の最初のページに、

Bachが、“序文”とみられる文章を大きく書いています。

★以下がその訳です。
----------------------------------------
「Das Wohltemperite Clavier.(よく調律されたクラヴィーア)」
       または(即ち)、
長3度 即ち [ド、レ、ミ」 と、短3度 即ち 「レ、ミ、ファ」 を含む
全ての全音と半音によるプレリュードとフーガである。

音楽の学習途上にあり、これから意欲的に学ぼうとする若い人や、
既に音楽に習熟した人たちの特別の楽しみのために。

アンハルト・ケーテン侯爵閣下の現楽長(カペルマイスター)で、
侯爵閣下の室内楽監督(ディレクター)である
ヨハン・セバスティアン・バッハにより
書かれ、作られた。
             1722年
----------------------------------------

★この短い文章をそのまま訳しましたが、そのままでは、

バッハが伝えたかったことが、理解されないと思われます。

音楽の大天才バッハは、音楽とは異なり、

文字による表現では、少々ぎこちない面があり、

舌足らずであったのは、仕方ないことでしょう。


★従来の楽譜には、“序文”の訳がそのまま掲載されることは、

ありましたが、それをどう解釈するかについての、

言及は見たことがありません。


バッハがこの「序文」で訴えたかったことは、

このようなことではなかったかを、私は熟考しました。

解明できたと、思います。


★この“序文”は、キーワードを散りばめた内容です。

バッハ存命中、その周囲にいたお弟子さんや息子たちにとっては、

そのキーワードを見るだけでバッハの言いたい事が理解でき、

至極当たり前に「ああ成程ね」と、思ったかもしれません。


★しかし、現代の私たちにとっては、そのままでは理解できません。

その手引きとなる注釈が不可欠です。

この私の解釈は、これまで長年にわたって、

「Inventionen und Sinfonien  インヴェンションとシンフォニア」、

「Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集」、さらに、

「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」のアナリーゼを

自筆譜や初版譜に基づいて行ってきたから可能となったと、

自負しております。

 

 


近く、刊行されますので、どうぞご期待ください。

「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」の翻訳と私の注釈は、

既に出版されています。

https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501733634
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501733635


3月18日のアカデミア「「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

アナリーゼ講座では、Var.19、20、21の三つの変奏曲について、

お話いたしました。


★しかし、「19変奏」を理解するためには、

「17変奏」まで戻る必要があります。

「17変奏」の29小節目について、初版譜ではこうなっています。

 

 

下声(左手の声部)を、分かりやすくト音記号に直します。

 

 

この下声冒頭の「h」と、上声2番目の16分音符「h¹」の8度音程は、

耳に突き刺さるよう、突出して聴こえます。


★しかし、これこそが、Bachの意図なのです。

この「h-h¹」の完全8度音程を「四角形」の一角として、

17変奏29小節目から、18変奏、19変奏の前半16小節目までの、

初版譜(19ページ)には、それはそれは見事な「大四角形」が、

形成されているのです。


★そして、その「大四角形」が、次の19変奏後半

(初版譜の20ページ)に、驚くような方法で集約されていきます。


★これを、何と譬えましょうか?

和声や対位法の「禁則」という“地雷”が、

あちこちに埋まっている地雷原を、踏むと見せかけながらも、

巧みにかわし、疾走していくスポーツカー・ポルシェ、

そんなイメージです。


★以前、当ブログで書きましたように、

この29小節目下声1拍目を「g」に、改竄している楽譜は、

誤りです。

 

 


その楽譜では、“地雷”がすっかり除去され、

安全な大地を、大衆車でゆっくりと平穏に運転していく、

そんなイメージです。

凡庸。


★次回の「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

アナリーゼ講座は、5月13日(土)は、22、23、24変奏の三曲です。

この「大四角形」が、ここでどのように投影されていくのでしょうか。

楽しみです。

 

★次回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

アナリーゼ講座:5月13日(土)13:30~16:30 

 

https://www.academia-music.com/academia/m.php/20161026-0

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
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▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■フォーレ/ロン校訂「平均律」の光と影、しかし、Bachへの卓越した解釈■

2017-03-12 21:18:12 | ■私のアナリーゼ講座■

■フォーレ/ロン校訂「平均律」の光と影、しかし、Bachへの卓越した解釈■
              2017.3.12  中村洋子

 

 

3月18日開催の「「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

アナリーゼ講座の勉強と準備で、忙しい毎日です。
https://www.academia-music.com/academia/templates/pdf/20161026-0b.pdf

 

★3月8日は「平均律第1巻5番D-Dur」のアナリーゼ講座のため、

名古屋に行きました。

講座の後、愛知県美術館で「ゴッホとゴーギャン Van Gogh and Gauguin

reality and imagination」展を、観て参りました。


★既に昨秋、東京都美術館で同じ展覧会を観ていましたが、

もう一度じっくりと見たいため、名古屋での巡回展に行きました。


★東京都美術館は、やや手狭な展示でしたが、

光の当て方は、そこそこ工夫されていました。


★しかし、名古屋は、ガランとした体育館のような展示場に、

高い天井の上から、どの絵にも画一的な光を当てていました。

屈指の名画が皆、ノッペリと平坦な印刷物のように、

壁にへばりついていました。

絵画が、“さるぐつわ”を嵌められているようで、

観る人に“語りかけてくる”ことはありませんでした。

がっかりしました。

 

 


★もう随分と前のことですが、

京都の清水寺で、通常非公開である秘仏の特別開帳

遭遇したことがありました。

展示されているお堂は、いつもは扉で閉ざされています。


★堂の正面にご仏像が横一列に並び、

それを、蝋燭の灯りだけで見るのです。

仏像の右と左の端には、風神と雷神像が安置されていました。

驚いたことに、蝋燭の絶妙な配置により、

この風神雷神の二体の影が、真横にたなびき、

仏像群に覆いかぶさっていました。

あたかも仏像を守っているかのように、

長く長く延びていました。

新鮮な感動を覚えました。


★蝋燭の位置は、若干見上げる程度の高さに安置されている仏像の、

脇に置かれていたように、記憶しています。

それが、代々伝えられてきた「不動の場所」なのでしょう。

考えてみれば、歴史的に有名な仏像が安置された時代には、

電気照明がなく、仏像の両脇にある燭台の仄かな灯りと、

入口から差し込んでくる、しなやかな陽光とで、

基本的には、眺めていたと思われます


★もし、この仏像群を、天井からのそっけない照明の美術館で、

鑑賞しましたら、この感動はないでしょう。


★音楽は再現芸術です。

Bachの作品も一回一回演奏されることにより、

その都度、新たな生命を獲得していきます。


★絵画も同じでしょう。

どのような展示をするかにより、

その都度、画家が意図したその作品の神髄が表現できるか、

主催者の審美眼と知性が試されます。

 

 


★名古屋 KAWAI のアナリーゼ講座では、

平均律第1巻5番の Preludeを、まずコラールの形体に戻し、

皆さまに聴いていただくことから講座を始めました。


★そこに脈々と息づく Counterpoint 対位法を、どう解釈し、

演奏するかを、Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ(1845-1924)と

Marguerite Long マルグリット・ロン(1874-1966)による校訂版により、

詳しくご説明しました。


講座の最後にもう一度、コラールの形体の5番 Preludeを、

聴いていただきました。

講座の前と後で二回、演奏しましたが、

きっと、参加者の皆さまは、最後の演奏が、

最初とは随分と違って聴こえた、と思います。


★次回6月14日(水)の「平均律第1巻6番d-Moll」の

アナリーゼ講座でも、同じ試みをしたいと思います。

 

 


Fauré/ Long校訂の「Clavecin Bien Tempéré Volume Ⅰ

revision de Gabriel Fauré et Marguerite Long」は、
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=0111033700

百年ほど前の校訂ですので、5番に関しても、

明らかな間違いが、いくつかあります。


Prelude15小節目下声2拍目が「d」になっていますが、

 

 

これは「gis」が正しく、「d」は誤りです。






★実は、この誤りの「d」音につきましては、こんな発見もありました。

平均律第1巻の初稿である

J.S.Bach 「Klavierbüchlein Für Wilhelm Friedemann Bach

ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」では、
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=0111036400

この「d」音になっているのです。


★常識的にみますと、初稿の「d」音のほうが滑らかで心地よいのです。

決定稿の「gis」にしますと、1拍目の「D」と2拍目の「gis」は、

1オクターブと増4度(augumented fourth)です。

 

 


増4度は、三つの全音から成り、

トリトン tritone(英)、triton(仏)、Tritonus(独)とも、言われます。

 



大変な不協和音程で、ぎこちないため、避けるべき音程として、

Counterpoint 対位法の入門書では、

厳しく「禁則」とされている音程です。



1拍目から2拍目のD-dのオクターブ音程を、





Bachはなぜ、わざわざ禁則のト
リトン tritonにしたのか

については、講座で解説いたしました。

 

 


規則通りに、高い天井から光を一様に当てたような作品は、

芸術上の傑作にはならないでしょう。


★その他、 Fauré/Long校訂版では、

 Prelude34小節目1拍目のアルぺッジョが、欠落しています。

楽譜をお持ちの方は、書き足しておいてください。


★また、5番Fugue(仏)の14小節目3拍目下声の16分音符「c¹」は、

誤りで、「a」が正しいのです。

 

 


16分音符の「a」が奏された瞬間、

この三和音「a-c¹-e¹」の第3音が
存在せず、

不安定な響きになります。

 

 

「a-c¹-e¹」の「c¹」が存在しませんと、

「a-c¹-e¹」の短三和音なのか、

あるいは「
a-cis¹-e¹」の長三和音なのか、

和音の種類が分かりません。

これを「空虚5度」と、言います。

 

 

Bachは、その不安定な響きを敢えて狙ったのです。

そしてこれが、このFugueの構造に直結します。

そこを読み取れませんと、

Fauré/Long校訂版のような、“凡庸な改竄”となります。


★Fauré による、素晴らしいRobert Schumann シューマン(1810-1856)の

ピアノ作品校訂版は、Fauré 一人でなされていますが、

この平均律の校訂は、Marguerite Longとの共著です。

おそらく多忙で高齢であったFauré がどこまで、関与していたか

ということでしょう。


Fauré の炯眼をもって編まれたこの校訂版に、

時々忍び込む常識的な、
つまらない誤りは、

私には、天才Fauré ではなく、

問題の多いピアニスト Marguerite Longに起因することが

多いように、
感じられます

(ロンは、ロン=ティボーコンクールのロンです)

 

 


★しかし、それゆえこの「名校訂版」を手にしないのではなく、

常に、Bachの自筆譜を手元に置き、
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501728610

目を光らせながらも、天才Fauré のBach解釈、

その素晴らしいフィンガリングから読み解くことのできる

曲の構造と演奏法を、

我がものとしないのは、大きな損失でしょう。

 

 

★私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり≫で、

Bachの自筆譜について、詳しく説明しております。

 

 

 

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■平均律1巻5番Preludeから、コラールと対位法が厳かに姿を現す■

2017-03-03 01:52:27 | ■私のアナリーゼ講座■

■平均律1巻5番Preludeから、コラールと対位法が厳かに姿を現す■
~「5番Preludeは指の練習曲」の妄言に惑わされることなかれ~
              2017.3.3   中村洋子

 

 


★日の暮れるのがずいぶんと遅くなった、と思い始めているうちに、

杉の花粉のクシャミがやってきました。

春の訪れです。


★越前・三国への旅の余韻からか、このところ、いろいろな本や雑誌に

ついつい、手が伸びてしまいます。


★岩波書店「図書」3月号、加藤真さんの「森と水田が織りなす自然と食」が、

とても勉強になりました。

 日本人がいま食べているもので、もともとこの列島に自生していたものは、
魚とキノコ以外はほとんどない。コメが渡来する前は、シイ、クリ、トチなどの
堅果に依存する生活であったを考えられる。イネが渡来後は、ヨシで
おおわれた氾濫原が、水田に変えられていった。列島各地の平野には、
水田風景が広がっていき、氾濫原に生息していた生物たちの多くも、水田に
生息するようになった。デンジソウ、オモダカ、ミズアオイといった水田雑草、
トンボ、ゲンゴロウ、タガメの水生昆虫、メダカ、ドジョウ、フナ、コイ、ナマズ、
トノサマガエル、イモリなどの水生生物、サギ、クイナ、トキ、コウノトリの鳥たち。
のどかな田園風景がひろがっていた。
 昭和30年代までは、水田に無数のトンボのヤゴや、ゲンゴロウ、蛍、ドジョウ、タニシなどが生息し、驚くほどのトンボが水田の上を滑空していた。水田近くの家では、夜はカエルの声が響いて眠れない程であった。

 昭和40年代ごろから、土地改良による湿田の乾田化、コンクリート三面貼りの
水路網の整備、農薬の大量使用、さまざまな外来種の帰化が進み、農業の生産性は向上したものの、水田生態系は大きく変貌していった。害虫と雑草を農薬によって
制御し、人口肥料の投入によってイネの成長率と収量を高め、徹底した機械化によって生産性を高めるという農業の到来である。こうして、水田生態系を構成していた生物たちが次から次へと消えていき、そのような生物たちを食用に利用することはおろか、そのような生物と触れ合ったり、心を通わせる機会を私たちは失ってしまった。

 しかし、ラオスはいまも昔の日本の田園風景が残されている。
市場には、水田とその周辺から採取される地域色豊かな植物が実に多い。伝統的な料理の食材は、ラオスの自生する植物が多い。動物でも水田生態系の構成種が
市場に並ぶ。タウナギ、小エビ類、カエル類、タニシ、カワニナ、カニ類。昆虫もアリの幼虫、ガの幼虫、セミの成虫と幼虫、カメムシ、タガメ、バッタ、ケラ、コオロギ、
トンボのヤゴ、ゲンゴロウ、ガムシ、オサゾウムシ、糞虫、白アリ、スズメバチ、ススメガなど、イネの害虫を含む実に多様な昆虫が、よく工夫された方法で採集され、
売られている。日本では絶滅に瀕しているゲンゴロウやタガメが食用に流通していることは、そこに、健全な水田生態系が維持されていることの証しである。
信じられないかもしれないが、セミも、バッタもカメムシも揚げたてのものは、味も
食感もエビに遜色ない。最も高価なタガメは西洋梨の香りがある。

   考えてみれば、メコン川流域一帯は、イネ野生種の自生地であり、スイギュウの故郷でもある。水田に生える植物やイネにつく昆虫もまた、この地に自生していたものが多い。雑草・害虫であるはずのそれらが、食用のために採取され続けてきたことと、農薬をまかずとも米の十分な収穫が維持されてきたという事実はなにを意味しているのだろうか。農薬使用以前の水田生態系にどのような食物連鎖が存在し、雑草・害虫がどのようにして低い密度で抑えらえていたかは、まだ明らかにされていない。ラオスの水田生態系は、日本の水田農耕のあり方を考えるときに、重要な示唆を与えてくれるにちがいない。

 しかし、ラオスのこの生命あふれる豊かな水田生態系は、変貌しようとしている。
メコン川支流にダムができ、天水田が灌漑田に変わりつつある。水田の灌漑は二期作を可能にするが、乾季に水田が出現することにより、雑草と害虫のこれまでのような制御が困難になり、それが農薬使用を助長させている。機械化が進めば、スイギュウは不要の存在となり、減少していくであろう。ラオスの雨緑樹林と水田が織りなす生態系と、それが育む食文化がいつまでも息づいていて欲しいと切に願う。

 

 

★この論文の中で、渡辺信一郎「江戸の正業事典」からの引用に打たれました。

江戸時代、江戸近郊では、実に多様な植物の食用としての利用が記録されているし、
実際に普段から、さまざまな野生・半野生の植物や動物が採集され、また、商われていた。
 つばな売り、薺(なずな)売り、土筆売り、蒼朮(おけら)売り、椎の実売り、自然薯売り、目高売り、どじょう売り、赤蛙売り、蜆売り、田螺売りなどがいたという。

書き写しているだけで、一編の詩を読んでいるようです。

「つばな」の用途は? 「椎の実」の調理法は? 

「赤蛙」を買ってどうしていたのかしら?

つつましく自然と共生していた江戸の庶民を思いました。


★来週3月8日(水)は、名古屋 KAWAI で「平均律第1巻第5番 D-Dur」の

アナリーゼ講座を、開催いたします。
          http://www.kawai.jp/event/detail/676/

東京、横浜でも勉強し、今回は3回目ですが、これまでと異なった視点で、

アプローチする予定です。


★一つ残念なお知らせです。

横浜講座は「 Chopin が見た平均律クラヴィーア曲集」というタイトルで、

第1巻24曲を勉強しました。

2010年に、 Chopin 生誕200年を記念してフランスで出版された

Chopin所有の平均律1巻の楽譜ファクシミリを基にして、

ChopinがBachをどう解釈し、

演奏していたかを、考察した講座でした。

このChopinが所有していた楽譜には、

Chopin 自身の手による書き込みがあり、とても貴重な楽譜です。


★その書き込みから、Chopinが平均律をどう分析していたかが、

分かります。

それにより、平均律の全容が、より明解に浮かび上がると同時に、

Chopin の音楽も同時に、理解できます。

 

 


★この貴重なファクシミリを、私は二冊求めました。

一冊は、書き込み用、もう一冊は、大切に保存するためです。

近頃は、貴重な楽譜は二冊購入するようにしています。


★遂に、危惧していましたことが起こりました。

このファクシミリ
「Vingt-quatre preludes et fugues (Le Clavier bien tempere, Livre I). Annote par Frederic Chopin」(平均律クラヴィーア曲集第1巻、ショパンの書き込み入り:ファクシミリ版)     出版社:Societe francaise de musicologie

が、絶版となっていました。


★私の講座をきっかけに、このファクシミリを入手されました方は、

どうぞ、末永く大切に、いつもいつも手に取って勉強なさってください。


★現代は、貴重な楽譜やCDほど、早々と市場から消えてしまいます。

Julius Röntgen ユリウス・レントゲン (1855~1932)校訂の

「平均律クラヴィーア曲集第2巻」はまだ、入手可能ですが、

1巻は絶版です。


★名古屋の講座では、どの版をどのように勉強したらよいのか、

お話いたします。


平均律クラヴィーア曲集1巻5番Preludeは、

日本の解説本が主張するように、

「指の練習曲」ではなく、Bachのコラールを基として作曲されていると

みて間違いないでしょう。

 

 


★では、そのコラールをどう解釈すべきか

大変に良い方法があります。

急がば廻れで、音楽史を大廻りするのです。


★大作曲家Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ(1845-1924)が

校訂したRobert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)の

「Album für die Jugend ユーゲントアルバム」の第4番、

「Ein Choral」を、Fauré がどう解釈し、

どこに counterpoint 対位法を見出しているか、

それを会得しますと、

この平均律1巻5番プレリュードの、一見単純で

絶え間なく続く16分音符から、

 

 

Bachのコラールとcounterpoint対位法が、

厳かに姿を現します。

講座では、詳しくお話いたします。


★5番フーガは、フランス風序曲のスタイルをもっています。

プレリュードは、絶え間なく続く上声の16分音符の動きと、

それを支える8分音符のバスでした。

続くフーガは、フランス風序曲を模した、

目まぐるしいほどの32分音符と、

付点8分音符と16分音符の組み合わせです。

 

 


★どこかで見たこと(聴いたこと)がある組み合わせではないでしょうか?

そうです、「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

第16変奏曲、

 

 

17変奏曲です。

 



★この場合、平均律1巻5番の Prelude、 Fuga とは逆に、

16変奏がフランス風序曲のスタイル、

17変奏は、ジグザグ進行を伴う絶え間ない

16分音符のmotif モティーフです。


ジグザグ進行は、「3度のmotif モティーフ」を形成します。

 

 

平均律1巻5番の Preludeの冒頭上声の「3度motif モティーフ」と、

無関係とも言えないでしょう。

---------------------------------------------------

中村洋子「Bach平均律 第1巻5番 D-Dur Prelude&Fuga」アナリーゼ講座

■日時: 2017年3月8日(水)     10:00~12:30 

■会場: カワイ名古屋コンサートサロン「ブーレ」  

■連絡先: カワイ名古屋 / TEL : 052-962-3939  
              MAIL : nagoya-shop@kawai.co.jp

 

 

 

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