■「アンダンテ・カンタービレ」の、心を奪われる転調の源は「Bach・Matthäus-Passion」にある■
~Borodin Quartet で Tchaikovsky「Andante cantabile 」を聴く~
2019.5.17 中村洋子
牡丹
★10連休も通り過ぎ、風薫る五月
≪牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片(にさんぺん)≫与謝蕪村(1716-1784)
牡丹に次いで、芍薬しゃくやく、金雀枝えにしだ、苧環おだまき、紫蘭しらん・・・
初夏の花が咲き乱れます。
苧環
★この10連休中に来日した「Borodin Quartet ボロディン弦楽四重奏団」で、
Tchaikovsky チャイコフスキー(1840-1893)作曲、String Qaurtet No.1
弦楽四重奏第1番 D-Dur Op.11(1871年)と、
Borodin ボロディン(1833-1887)作曲 String Qaurtet No.2
弦楽四重奏第2番(1881年)を、聴きました。
★「D-Dur」は、音がよく鳴り響く佳い調ですね。
このTchaikovskyのString Qaurtet No.1 第2楽章は、
有名な「Andante cantabile アンダンテ・カンタービレ」です。
★私はこの曲を、Borodin Quartet のCD
【CHANDOS Historical CHAN9871(2)】で愛聴しています。
といいましても、1944年に結成されたこの弦楽四重奏団の、
最初期の録音CDで、録音年代は不詳です。
当然、現在のBorodin Quartet は、メンバーが全員
入れ替わっていますが、この四重奏団の醸し出す美点は、
失われていないようです。
芍薬
★ところで、この曲の魅力は何処にあるのでしょうか?
そして、どうしてこれ程、人口に膾炙したのでしょうか?
第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」は、全184小節の曲です。
80小節目から「mf」になるのですが、88小節目から直ぐに
「diminuendo」となり、90小節目は、もう「p」です。
それ以外のところは、ほとんど「p(ピアノ)」か「pp(ピアニシモ)」です。
★その上、冒頭1小節目から四人の奏者(第1、第2violin, viola, cello)の
楽器すべてに、「con sordino 弱音器を付けて」と指示されています。
繊細で密やかに語りかけるような音楽です。
★更に、54~96小節目までの43小節間、チェロは弦を指で弾(はじ)く
「pizzicato ピツィカート」奏法です。
弓で弦を弾(ひ)く朗々とした響きではありませんので、
静けさは弥増しに、あたりを支配していきます。
★しかし、「p」や「pp」、「 sordino(弱音器)」の使用だけで、
この独特の雰囲気を説明できる訳ではありません。
この2楽章Andante cantabile のみ単体で演奏されたり、
聴いたりすることも多いので、案外気付かれていないのですが、
先ほど書きましたように、この弦楽四重奏第1番は、「D-Dur」です。
★勿論、第1楽章はD-Dur。
そして、終楽章の第4楽章もD-Durです。
そして、「第2楽章 Andante cantabile」は?
D-Durから見て、遠隔調ともいえる「B-Dur 変ロ長調」です。
第3楽章「Scherzo スケルツォ」は、d-Moll 二短調。
★d-Moll 二短調は、第1、4楽章D-Dur の同主短調です。
第2楽章の「B-Dur 変ロ長調」のみが、D-Dur やd-Mollの
近親調から、ポツンとかけ離れています。
★それでは、第1楽章 D-Dur と 第2楽章 B-Dur とは、
どのような関係で、どうしてTchaikovskyは、
その調を選択したのでしょうか?
D-Dur と B-Dur は、近親調ではありませんので、
両者の関係は、意外性を秘めたものと言えます。
白牡丹
★この第1、2楽章の調性を工夫なく並べた場合、互いの関連性が
見出し難く、空中分解しかねません。
それを避けるため、Tchaikovskyは、第1楽章の冒頭を、
このように始めています。
★D-Dur の主和音を優しく(dolce)で、囁くように反復します。
この音型は、第2楽章の50~53小節目の4小節間、
第2violinに引き継がれていきます。
この4小節目、第1violin、viola、celloは、休止しています。
★その後、前述しましたように、54小節目からcelloの印象的な
ピツィカートが始まります。
Tchaikovskyは、この50~53小節で、第2violinのソロにより、
第1楽章の冒頭を思い起こさせ、第1楽章D-Dur 、第2楽章B-Durの
遠隔調による空中分解を避けています。
★第1楽章のD-Dur から第2楽章のB-Durに転調すると、
聴く人に、意外性をもたらします。
その意外性はさらに、夢の中のような静かで深い、円やかな世界へと
沈潜していきます。
★作曲者は、現代のように第2楽章だけが爆発的人気を呼び、
単独で演奏されることが多々あるとは、想定していません。
ですから、この第2楽章がどんな曲であるかを知るためには、
やはり、この弦楽四重奏第1番の全体を知る必要があるのです。
★では、そうまでして意外性を秘めたこの転調は、
Tchaikovsky が初めて考え出したものでしょうか?
そうではありません。
白糸草
★甘く、密やかなB-Dur 変ロ長調で始まる第2楽章Andante cantabileは、
50~53小節目の第2violinのソロを経て、54小節目からは、
Des-Dur 変ニ長調に、転調します。
Des-Dur は、第1楽章のD-Durニ長調より半音低い長調です。
D-Dur とDes-Dur は、大きな隔たりのある遠隔調です。
★第1楽章の D-Dur から最も遠い調に行き着きました。
さて、第2楽章冒頭のB-Durと54小節目からの Des-Dur との
関係に、もう一度目を向けますと、
実は、これはBachの≪Matthäus-Passionマタイ受難曲≫
第1曲最後の和音と、第2曲目の調との関係と同じなのです。
★第1曲目は、e-Moll ホ短調なのですが、
終止和音は、「ピカルディのⅠ」、即ち、短三和音ではなく、
主和音の第3音が、半音上行して長三和音になります。
★第2曲目は、G-Dur ト長調です。
≪ Matthäus-Passionマタイ受難曲 ≫ の第1曲最終和音と、
第2曲の和音の関係は、各々が長三和音で、根音同士が短3度です。
★Tchaikovskyの「Andante cantabile アンダンテ・カンタービレ」の
第1小節目B-Dur 主和音と転調した54小節目の Des-Dur 主和音も、
各々が長三和音で、根音同士は短3度です。
★私は、この関係の適切な日本語を、日本の書物で見たことがありません。
ドイツ語では、「Nebenmedianten ネーベンメディアンテン」と呼びます。
この「Medianten」につきましては、また、詳しくご説明する機会が
あるかと思います。
まずは、このような調性同士の関係や、
和音同士の、この「3度の関係」を耳で覚えてみましょう。
★Tchaikovsky の「Andante cantabile アンダンテ・カンタービレ」
第2楽章の、心を奪われる転調の源流も「Bach」にあるということを、
耳と心に留めることこそ、大切でしょう。
★この「3度の関係にある和音」につきましては、
私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫の、
276ページでも、ご説明していますので、併せてお読み下さい。
鯉のぼり
★le 1er Mai nous offrions du muguet comme porte bonheur.
C’est donc avec plaisir que nous vous offrons virtuellement
celui de notre jardin.
5月1日はフランスのメーデー、この日に鈴蘭を贈りますと、
鈴蘭は幸せをもたらしてくれるそうです。
フランスの知人がお送りくださったお庭の鈴蘭の写真。
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