音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Beethoven「ピアノソナタ1番」の骨格は「弦楽四重奏」■ 

2024-06-30 19:13:56 | ■私のアナリーゼ講座■

■Beethoven「ピアノソナタ1番」の骨格は「弦楽四重奏」■ 
  ~第1番はアポロの彫像のような完璧な造形美~
         ~リヒテルのカラヤンに対する恨みとは~


        2024.6.30 中村洋子

 

 

                  ホタルブクロの中で光る蛍

 


★長年、気になっていたことがあります。

「ソナタ形式」提示部のリピート記号による≪反復≫と、

展開部以降即ち、「展開部∔再現部」でのリピート記号による

≪反復はなぜあるのか≫、という疑問です。


★作曲家の指示通り演奏する場合、例えば、

ピアノソナタの第1楽章の場合、「提示部」→「提示部」→

「展開部∔再現部」→「展開部∔再現部」という構成になります。

大きく見ると、2回反復される提示部のグループと、

「展開部∔再現部」を一まとめにしたもう一つのグループ、

という二つのグループになります。

このため、反復を省略せずに演奏しますと、ソナタ形式は二部構成

の曲のように見えます。


★しかし、私たちが、普通にイメージするソナタ形式は、

「提示部」→「展開部」→「再現部」という三部構成です。

せわしない現代人と違い、昔はゆっくりソナタの曲を楽しむため、

リピートしたのかもしれませんし、歴史的背景もあるでしょう。

しかし、この≪反復記号≫によるリピートの意味は

それだけでしょうか?


★ピアニストのSviatoslav Richter スヴィアトスラフ・リヒテル

(1915-1997)は、生前インタビューなどで、

ピアノソナタの≪反復記号≫は省略せず、作曲家の指定通りに

演奏するべきだ、という趣旨の発言をしていました。


★リヒテルの発言の原文を探そうと、蔵書を渉猟し、

《リヒテルは語る~人とピアノ、芸術と夢~ユーリー・ボリソフ著 

宮澤淳一訳 音楽之友社》を、拾い読みしました。

肝心のソナタ形式の反復についての言及は、生憎、

うまく見つけられなかったのですが、前回ブログの内容に

続くような、面白い発言をリヒテルはしていました。

その部分をピックアップしてみます。

 

 

                         木苺

 


★《ウィーンでの母の葬儀のあと、ある司祭に諭された。
決まりきったことだが、「兄弟の過ちを赦せ」とね。赦せ、赦せ—。
どうやら私が誰かに恨みを抱いていると察したらしい。
確かに恨みを抱いていた。そう、カラヤンにだ。三重協奏曲でね。
もっと練習するべきなのに、写真撮影に移ろうと言い出した!
まったく正気の沙汰じゃないよ。


★リヒテルと母親との関係は複雑でしたので、司祭は

「母親を赦しなさい」と言いたかったのでしょう。

しかし、その時点で、リヒテルが恨みを抱いていたのは、

あのカラヤンでした。

1969年、カラヤン指揮ベルリンフィル、リヒテルのピアノ、

オイストラフのヴァイオリン、ロストロポーヴィチのチェロによって

Beethoven「ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲 

ハ長調 Konzert für Klavier, Violine,Violoncello und 

Orchester C-dur )作品56」が、録音されました。


★リヒテルのカラヤンに対する恨みとは、

「出来上がったのは、実に嫌な録音で私は認めない悪夢のような
思い出しかない。カラヤンのこの曲の捉え方が表面的で、
明らかに間違っていた
第2楽章のテンポがのろすぎ音楽の
自然な流れをせき止めてしまう。
もったいぶった演奏で、
オイストラフと私は好まなかった。しかし、ロストロ
ポーヴィチは
変節して(カラヤンの味方となり)
、そこでは端役に過ぎなかった

チェロが全面に出ようとした。ある時点でカラヤンは、すべて整った、録音は終わりだ、と言った。私はもう一回補足録音をしてくれと頼んだが、もう時間がない、写真を撮らなくてはならないから
と返答。大切なのは写真だったしかし、何とむかつく写真でしょう、カラヤンは格好つけ我々三人は馬鹿みたいににっこり笑って
いる。」
(出典:「リヒテル」ブルーノ・モンサンジョン著 中地義一・
鈴木啓介訳 
筑摩書房)

 

★その写真がこれです。
https://wmg.jp/packages/22542/images/0190295282066_Beethoven_Triple_-_Karajan_LP.jpg

このリヒテルの言葉は、実に含蓄に富んでいます。

超一流奏者達による演奏録音であるからといって、決して、

良い演奏であると盲信してはならない、という教訓です。

大切な事は、権威に惑わされず聴く人が自らの感性

審美眼を磨く事です。

カラヤン先生、棺を覆った後も、このようにグルダリヒテルに、

こき下ろされてしまっては、なんとも・・・ですね。

(グルダのカラヤン評については、2023年4月30日の当ブログ参照)。
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1af637c2c597392ecf447fd2d9ca4a00

 

 

                  ホタルブクロと薔薇

 


★脇道にそれましたが、去年から1年かけてモーツァルトの

「KV333 ピアノソナタ」を勉強しましたが、なぜソナタの1楽章に

「反復記号」があるのか省略せずに演奏することで、どのように

曲が輝いてくるのかが、やっと分かりかけてきました。

(「KV333 ピアノソナタ」については、当ブログ2024年1~3月)。

 

★それでは「ベートーヴェンのピアノソナタ」はどうなのか?と、

勉強を始めました。

ソナタ形式の反復につきましては、稿を改めて詳しく書きますが、

今回はベートーヴェンの「ピアノソナタ第1番 Klaviersonate op.2 

Nr.1 f-Moll」素晴らしさについて、お伝えします。

Ludwig van Beethoven(1770-1827)のピアノソナタは、

ご存じのように32曲あります。

ピアノソナタ1番はベートーヴェンの師のハイドンJoseph Haydn

(1732-1809)に献呈されています。

Henle出版の「A guide to the 32works」によりますと、

作曲年は1794/1795年初版譜出版は1796年4月ウィーンの

Artaria出版で、初演はベートーヴェン自身によりハイドン臨席の下、

リヒノフスキー侯爵 Ferdinand Carl Johann Fürst von Lichnowsky

(1761-1814)邸で行われました。


★それでは「ピアノソナタ1番」の、1楽章を見てみましょう。

1楽章は「ソナタ形式」で作曲されています。

このソナタを「提示部」「展開部」「再現部」の三部構成で見た場合、

「提示部」は、1~48小節までの48小節。

「展開部」は、49~100小節までの52小節。

「再現部」は、101~152小節までの52小節です。

ソナタ形式の提示部とは、第1テーマと第2テーマを提示する部分

具体的には第1テーマ、推移部(移行部)、第2テーマ、推移部、

そして、コーダ(終結部)となります。


「展開部」は第1テーマ、第2テーマ、推移部などを縦横に

展開(変奏)します。

「再現部」は、ほぼ「提示部」を再現するのですが、

第2テーマの調性が、提示部とは異なるのがソナタ形式の特徴です。

この曲の主調は「ヘ短調 f-Moll」です。

ですから第1テーマは「f-Moll」です。

短調のソナタは、「提示部」の第二テーマを平行調にしますので、

この曲も定石通り、第二テーマは「変イ長調 As-Dur」です。

「平行調」とは、調号が同じである調の関係です。

「f-Moll」と「As-Dur」は、「♭4つ」の調性です。

しかし再現部で、もし第2テーマが転調して「As-Dur」になると、

主調の「f-Moll」で第1楽章を閉じることが、できなくなります。

その為、「再現部」の第2テーマは、転調することなく、

第2テーマも主調「f-Moll」のままです。

 

 

                    トンボ

 


★さて、この「ソナタ1番」の驚異的なことは、

上記のように、「提示部」「展開部」「再現部」が、ほぼ同じ小節数

であることがまず挙げられます。

敢えて数えてみませんと、情熱的なこの曲の曲想からは、こんなに

形の良いソナタであるとは気が付きません。

自由奔放な作曲であると見せて、その実、驚くほどプロポーション

proportionが良いのです。

 


★更に、提示部を詳しく見ますと、

第1テーマは、1~8小節と推移部分9~20小節を合わせて20小節

第2テーマ21~27小節、推移部分28~40小節を合わせますと、

これもまた、20小節です。

そしてコーダは、41~48小節の8小節です。

20小節∔20小節,それにコーダが足されている、という設計です。

全体の形を見るだけでも、均衡のとれた、ギリシア Apolloの

大理石彫像のような見事さです。


★この曲はベートーヴェン20代半ば、生命力と覇気に満ちた

傑作です。

ハイドン臨席の下で初演する、そして彼のピアノソナタとしては

初の楽譜出版も期待していたことでしょう。

この1曲だけで、ベートーヴェンは作曲家として名を残せたでしょう。

スカルラッティのように、この優れた形式美を踏襲し、それを変化

させつつ、次々に新しい作品をたくさん作り続けただけても、

大作曲家として、尊敬されたはずです。


★しかし、彼の32曲のソナタは、革新、前進あるのみでした。

「もっと高く、もっと深く」

私たちは、その32曲を理解するためにも、

このソナタ1番の勉強は、欠かせません。

そして初期のベートーヴェンの作品の例にもれず、「自筆譜」は現存

しないのですが、幸い、「Artaria社の初版譜」は残っていますので、

ベートーヴェンの思考の跡を辿ることが、可能となります。

「初版譜」を基に、ソナタ1番の神々しい森に入っていきましょう。


★「Artaria社の初版譜」は、現代のピアノの楽譜のように

縦長ではなく、「横長」です。

このため、初版譜の1段の小節数は、現代の実用譜より多くなります。

現代の定評あるHenle版、Bärenreiter版、Peters版などは、

1楽章の冒頭1段目は、1~4小節まで記譜されています。

しかし、「Artaria社の初版譜」の第1楽章冒頭1段目は、

1~9小節まで記譜されています。

これが実に、この1楽章の内容そのものを深く、示唆しています。

現代の実用譜の配置(レイアウト)に、あまり意味を感じません。

「自筆譜」は失われているとはいえ、「Artaria社の初版譜」は、

「自筆譜」にかなり忠実に、版を起こしているように見えます。

engraver(楽譜の彫り師)の知恵で、思いつく記譜ではない点が、

多々、あるからです。

 

 

                 ジャガイモの花

 

 


★例えば、冒頭1段に1~9小節を充てることにより、

楽譜を見て、以下のことが「視覚」から直接分かります。

①第1テーマ アウフタクトを伴った1~8小節3拍目までを、

1段に収めることができる。

②それでは1段目を8小節までにしないで、

なぜ9小節まで記譜したのでしょうか?

第1テーマは8小節目までですが、9~20小節冒頭までは、

第1テーマと第2テーマをつなぐ「推移部(移行部)」です。

常識的に見て、9小節を2段目から始めた方が、整った様相に

見えるのではないでしょうか?

③その理由は、第1テーマ冒頭にあるこの曲全4楽章を通しての

「最重要 motif」≪ ド ファ ラ♭ ド ファ  ( c¹ f¹ as¹ c² f²) ≫の

「応答」を、3小節目と、アウフタクトを伴った9小節目に置くこと

ができ、曲の構造が一目瞭然となる事です。

 

 

 

 


★④1段目の冒頭左端と、1段目の末尾9小節に、「主要motif」を

配置し、その段の両端からギューッとエネルギーを内側に送る、

という書式は、大作曲家の記譜に、共通して発見することができます。

(この点について、当ブログや拙著《11人の大作曲家「自筆譜」で解明
する音楽史》で度々解説していますので、どうぞお読みください)。

 


★⑤それでは、この1段目に3回現れる「主要 motif」を、

ベートーヴェンはどのようにイメージして作曲したのでしょうか?

この第1楽章を、ベートーヴェンは≪弦楽四重奏≫の音を想定して

作曲したようです。

それを解く鍵は、3小節目1拍4分音符「ソ g¹の」符尾にあります。

「ソ g¹の」は、五線の下から2番目第2線の音ですから、符尾は当然

上向きの筈です。

しかし、初版譜は下向きです。

これは多分ベートーヴェンが、こう書いたのでしょう。

 


 


これによって分かることは、冒頭の≪ ド ファ ラ♭ ド ファ  

( c¹ f¹ as¹ c² f²) ≫と、3小節目の≪ ソ ド ミ♮ ソ g¹c² e² g²) ≫

は、「声部」が違う、ということです。

 


作曲家の頭の中には、≪四声体≫という「物差し」が厳然とあります

Bach のコラールは、この「物差し」の源流の一つです。

「四声体」とは、「ソプラノ」、「アルト」、「テノール」、

「バス」という人間の4種類の声による音楽です。

「四声体」が、楽器編成として形を変えたのが、「弦楽四重奏」である

といってもいいかもしれません。

 

★ベートーヴェンのこの曲の場合、冒頭の≪ ド ファ ラ♭ ド ファ

( c¹ f¹ as¹ c² f²) ≫は「ソプラノ声部」で、弦楽四重奏ですと

第一ヴァイオリン3小節目の≪ ソ ド ミ♮ ソ g¹c² e² g²) ≫は、

「アルト声部」を模した(音域は高い)第2ヴァイオリンでしょう。


★ベートーヴェンはこの二つの声部の違いイメージする楽器の

違いを、「ソ g¹」の符尾を、≪下向き≫にすることで表現した

思います。

「ソ g¹」の符尾を、上向きにした場合、この二つの「主要motif」は、

繰り返して奏される、並列した二つの旋律に見え、

「異なる二声部」というイメージは、作りにくいかもしれません。

 

 

 

 

★それでは、「ヴィオラ」の声部「チェロ」の声部はどこでしょう。

初版譜1段目右端の≪ソ ド ミ♭ ソ ド G c es g c¹≫は、

チェロの音色、音域ですね。

 

 

 

 

1段目で、第1、第2ヴァイオリン、チェロが登場しました。

11~14小節の、それまでと打って変わった穏やかな4小節

聴いてみて、そして、できたら弾いてみてください。

「弦楽四重奏」を髣髴とさせます。

ピアノの左手部分、全音符の≪ファ ファ ミ♭ ミ♭ f¹ f¹ es¹ es¹≫、

これこそ「ヴィオラ」の声部、「ヴィオラ」の響きです。

 

 

 

 

モーツァルト「ピアノソナタ KV333」に、たくさんの

オペラのアリア聴こえたように、ベートーヴェン「ピアノソナタ

第1番」には、「弦楽四重奏」的な、がっちりとした思考と、

「対位法」が聴かれます。

次回ブログでは、そのベートーヴェンの「対位法」をご説明します。

 

 

                     モリアオガエル

  

 

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■モーツァルト「ピアノソナタKV333」は、バッハ「平均律2巻21番」と、 「シンフォニア14番」から生まれ出た■

2024-03-31 17:31:40 | ■私のアナリーゼ講座■

 

■モーツァルト「ピアノソナタKV333」は、バッハ「平均律2巻21番」と、「シンフォニア14番」から生まれ出た■
    ~その源は、やはりバッハの「コラール」~

                2024.3.31 中村洋子

 

 

 

 

 

 

★桜の便りが、各地から聞かれます。

松尾芭蕉(1644-1694)の句、

≪さまざまの事おもひ出す桜かな≫。

当たり前すぎる句のようにも思われますが、芭蕉が詠んだことに、

深い意味があるのでしょう。

芭蕉が、郷里の伊賀上野で花見の時に、旧主を偲んで詠んだ句ですが

私には「奥の細道」の旅立ちの春の句、

≪草の戸も 住み替る代ぞ 雛の家≫。

芭蕉の心象風景が、この二句で、対になって思い浮かぶ句です。

私の眼前には、やはり隅田川の華やかな桜並木が浮かぶのです。

旧暦での「雛祭り」は、今年は4月11日です。


★「思い出す」と言えば、1月と2月の当ブログで書きました

Mozart 「ピアノソナタKV333」は、学べば学ぶほど、

Bachが、大きく浮かび上がってきます。


★Mozart の先生の一人ともいえる、Johann Christian Bach

ヨハン・クリスティアン・バッハ(1735-1782)を通じて、

彼の父の大Bachが滔々と、Mozart のソナタに流れ込みます。

幼いMozart が、偉大な先輩の Christian Bachから受けた

薫陶により、大Bach の音楽や思い出が身に沁みつくと同時に、

無意識に思い出し、後の傑作を生み出していったのでしょう。

 

 

 

 

 


★2月のブログで書きました、Bachの≪平均律2巻21番≫

「Prelude B-Dur 変ロ長調」主要motif 「シ♭-ラ-ソ-ファ」は、

Mozart の「KV333」で、縦横無尽に活躍します。

今回は、この「KV333」の第二楽章に、まず着目してみましょう。


★KV333は第一、三楽章が主調「B-Dur 変ロ長調」である

のに対して、第二楽章は「Es-Dur 変ホ長調」です。

主調「B-Dur」から見ますと、「Es-Dur」は「下属調」になります。

「主調」から見た、「下属調」は物柔らかな、穏やかな関係です。

今回はその理由を説明しませんが、機会を見てまた解説します。

その穏やかな第二楽章は、あたかも弦楽四重奏のような曲想。

このままヴァイオリンⅠ、Ⅱ、ヴィオラ、チェロの四段譜に

書き写しましたら、弦楽四重奏で演奏できそうです。

 

 

 

 

全82小節の第二楽章は、五線紙一頁一枚に収まっています。

その第一段目1~7小節の中に、驚くなかれ、

「シ♭-ラ♭-ソ  b¹-as¹-g¹」の motif が7回も出現します。

各小節に一回ずつ現れるのです。

 

 

 

 

★この心地よい音楽を聴いていますと、しつこく感じるどころか、

穏やかに沈潜して、心が休まるのです。

この第二楽章は、「Es-Dur 変ホ長調」ですので、

第一楽章、第三楽章と異なる点は、「ラ a¹」が「ラ♭ as¹」に

なることです。

「Es-Dur 変ホ長調」の調号は、「♭」三つだからです。

 

 

 

 

 

 

★モーツァルトは1~7小節を、1段で書き切っていますが、

当ブログのスペースの都合上、1段を二つに分けて書き写してみます。

まずは1~5小節の冒頭までです。

 

 

 

 

 

 

なんとそれぞれ異なる相貌を持つ「シ♭-ラ♭-ソ b¹-as¹-g 」の 

motif であることでしょう!!!

5~7小節の「シ♭-ラ♭-ソ b¹-as¹-g」 motif も、

一つとして、同じ顔を持ちません。

それでいて、全体は大きな統一感を持っています。

うっとりする様な、心地よい春の一日でしょうか。

 

 

 

 

★自筆譜第二楽章2段目は、8~15小節が記譜されています。

この段にも、三か所この motif が奏されます。

9小節と11小節は、1段目の motif より1オクターブ高い

「シ♭-ラ♭-ソ-ファ b²-as²-g²-f²」、12小節はまた元の高さの

「シ♭-ラ♭-ソ b¹-as¹-g¹」です。

 

 

 

 

 

★これだけ「これでもか、これでもか」と、秘術を尽くすかのように、

1~12小節まで、10回も同じ motif を投入しましたのに、

その後はふっつりと、この motif は顔を出しません。

 

★第二楽章は「A-B-A'」の三部形式です。

「A」は1~31小節で、この「A」の部分では、反復記号によって

この motif は、繰り返し奏されます。

即ち、1~12小節の後、13~31小節では、この motif はいったん

姿を消しますが、反復記号により、第二楽章冒頭1小節に戻り、

もう一度、この motif を、畳みかけるのです。

≪薫風 嫋嫋(くんぷう じょうじょう)として 菜花 黄波を揚ぐ≫

(織田純一郎訳・花柳春話)の「薫風 嫋嫋」という風情ですね。

「嫋嫋」とは、風がそよそよと吹くさまです。

 

 

 

 


★続く「B-A'」32~82小節も、反復記号により、2回奏されます。

その「B」の部分32~50小節の間も、この motif は姿を現しません。

やっと「B」が終わりを告げ、「A'」に回帰する直前の50小節に、

この「薫風嫋嫋 motif」は、第二楽章に帰還するのです。

Mozart が秘術を尽くして、大切に大切に用いたこの motif は、

実は第一楽章で入念に用意されていました。

第一楽章の自筆譜を見れば、一目瞭然です。

 

 

 

 

★3小節に登場した「シ♭-ラ  b¹-a¹」は、「自筆譜」2段中央の

11小節「シ♭-ラ-ソ  b¹-a¹-g¹」として、育ち、

「自筆譜3段」19小節、4段冒頭21小節、4段中央23小節、

5段冒頭28小節、5段中央31小節と、各段の要所要所に、

効果的かつ規則的に、姿を現し、成長を続けます。

これが第二楽章につながっていくのです。


★ではなぜこれほど、この motif が重要なのでしょうか。

 前回ブログで、このMozart 「KV333」と、

Bach 「平均律2巻21番」変ロ長調B-Dur との関係を、

説明しました。

Mozart の心に沁み込んだ Bach の「変ロ長調 B-Dur」は、

平均律2巻21番だけではありません。

 

★≪Inventionen und Sinfonien

インヴェンションとシンフォニア≫は、決して、決して、

Bach の「入門曲集」ではありません。

「平均律クラヴィーア曲集」のエッセンスを、凝縮した曲集です。

恐ろしいほど奥深い「Inventio15曲、Sinfonia15曲」全30曲です。

その中で、29曲目にあたる「Sinfonia14番 変ロ長調B-Dur」に、

その謎を解くカギがあります。

 

 

 


★この「Sinfonia14番」の主題は、まさに「B-Durの主音」を

開始音とする、下行音階から始まっています。

Mozart KV333の「薫風嫋嫋 motif」と同じです。

 

 

 

 

Bach の自筆譜1段目は、1~5小節2拍目まで記譜されています。

5小節は「不完全小節」です。

1小節アルト声部の主題は「シ♭-ラ-ソ-ファ b¹-a¹-g¹-f¹」から

始まりますが、4小節バス声部に配置される、主題提示

「シ♭-ラ-ソ-ファb-a-g-f」により、自筆譜1段目の両端は

「シ♭-ラ-ソ-ファ」で、固められます。

 

 

 

 

★そればかりでなく、ソプラノ声部4小節3拍目から、

5小節2拍目にかけては、「シ♭-ラ-ソ-ファ b¹-a¹-g¹-f¹」の

拡大形が、 更に頑強に「シ♭-ラ-ソ-ファ」 motif で、

1段目末尾を補強しています。

1小節バス声部八分音符の、ゆっくりと歩むような音階にも、

「シ♭-ラ-ソ-ファ b-a-g-f」 motif が、アルト声部の主題に

寄り添うような「カノン」を形成しています。

 

 

 

 

★このBach の息をのむ「対位法」を、Mozart が

研究しなかった訳がありません。

その成果が、「KV333」に存分に生かされています。

それでは、Bach の「シ♭-ラ-ソ-ファ」の源泉はどこから

来たのでしょう。


★それは「コラール(讃美歌)」にある、と思います。

「コラール」は Bach 以前から、営々とドイツで歌い継がれていた

讃美歌です。

人々によって歌い継がれてきた「旋律」は、計り知れない

力強さをもっています。

Martin Luther マルティン・ルター(1483-1546)の作曲した

コラールも、Bachは実は作品の中でたくさん使っています。

 

 

 

 

Bach が作曲した「四声のコラール」の冒頭を、

「カンタータ48番」から、書き写してみます。 

このカンタータのテキストは、Martin Rutilius

マルティン・ルティリウス 1604年作の

「Ach Gott und Herr  ああ 神よ、主よ」です。

Bach が、四声体で作曲しています。

 

 

 


★「Sinfonia 14番」と、同じ「枠構造」をもっています。

この「カンタータ48番」が初演された1723年頃に、

「インヴェンション」も作曲されています。

心の奥底に、真っ直ぐな光の矢となって到達するような、

Bach の「変ロ長調 B-Dur」の音階です。

 

 

 

 


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■モーツァルトの「不完全小節」は、バッハへのオマージュ■

2024-02-19 20:06:08 | ■私のアナリーゼ講座■

■モーツァルトの「不完全小節」は、バッハへのオマージュ■
~葛飾北斎は一生涯努力の人、カザルスやシューマンと同じ~

                                           2024.2.19 中村洋子

 

 

 

 

浮世絵師「葛飾北斎」の伝記を、読んでいます。

葛飾北斎は、1760年に生まれ、1849年に逝去。

数え年で90歳、当時としては大変な長寿でした。

「葛飾北斎伝」(岩波文庫)
https://www.iwanami.co.jp/book/b246621.html

の著者、飯島虚心(1840-1910)の生まれた1840年は、

清(中国)で、阿片戦争が勃発した年です。

三年前の1837年には、大塩平八郎の乱、

1839年には渡邉崋山、高野長英らが処罰された蛮社の獄、

1841年は、水野忠邦が「天保の改革」を始めました。

1853年嘉永6年には、アメリカのペリーが浦賀に来航、

幕末の激動期に入ります。


★伝記の冒頭には、以下のように書かれています。

《画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。
酒を飲まず、煙茶を喫せず。
其の技大いに售るる(売れる)も赤貧洗うが如く、
殆ど活を為す能わず。
…略…
北斎歿するに臨み、十年若しくは五年を加えて、
以て画家の数に入らんと欲す。
其の終身刻苦して自ら足れりとせず、
此れ其の名匠為る所以なり》。

 

 

 


★北斎は臨終に当たり「あと十年、いや五年でも、描き続ける

ことができれば、自分も本物の画家になれるのに。

一生努力したが、まだまだ足りない。」と、述懐しています。


★私は折々、シューマンカザルスの例を挙げていますが、

天才であればあるだけ、彼らにとって、勉強は限りなく、

その為の一生は、あまりに短い、ということですね。

Boettcher ベッチャー先生の口癖

「üben und  üben/practice and practice/練習 練習」も、

同じです。


Mozart 「ピアノソナタ・KV333」1楽章にある二カ所

「不完全小節」は、Bach へのオマージュです。

前回のブログで、Mozart の「ピアノソナタ・KV333」の1楽章、

自筆譜1ページ6段目の右端40小節は、何故か「不完全小節」

であることを、お伝えしました。

自筆譜は1ページ12段で記譜されていますので、

6段目右端は丁度、この第1楽章1ページの真ん中です。

 


 

 

★この極めて重要な位置にある小節のみ「不完全小節 

incomplete bar」であるのは、決して偶然ではありません。

それでは、第1楽章では、ここだけが「不完全小節」なのでしょうか。

驚くことに、2ページ目の11段目右端162小節もまた、「不完全小節」

になっています。

2ページ目も、12段で記譜されていますから、結果的に、

11段目右端と、12段目冒頭左端が「不完全小節」になります。

 

 

 

 

★1楽章は2ページで記譜されていますので、1ページ目と2ページ目に、

一カ所ずつ「不完全小節」が存在する、ということになります。

2ページ最終段12段目は、1段全部に記譜はされていません。

最終小節の165小節は、12段目の真ん中にあり、

それ以降は、「空白」です。

11段目右端をわざわざ「不完全小節」にせず、162小節を

12段目から始めれば、ゆったり問題なく記譜できます。

モーツァルトは「意図的に」、162小節を「不完全小節」にした、

といえましょう。

 

 

 

★先ず分かることは、1ページ目40小節の「不完全小節」

「motif」は、「f²- g²- a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」ですが、

 

 

 

 

2ページ12段目冒頭、162小節後半の上声(右手)十六分音符

3番目から後の音は、「b²-a²-g²-f² シ♭-ラ-ソ-ファ」ですので、

両者は、「逆行形」の関係になるということです。

 

 

 

 

(逆行形につきましては、拙著《11人の大作曲家「自筆譜」で
解明する音楽史》15ページをお読みください)。

 

 

 

 

★これにより、自筆譜第1楽章の二カ所の不完全小節は、

互いに「対応、呼応」し合っていることが、明白となります。

しかし、それだけではありません。

不完全小節の「162小節」の前の161小節から、12段目冒頭

「162小節」の後半の下声部分(左手)を、見てみましょう。

 

 

 

 

「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」の「motif」を、

「b¹-a¹-as¹-g¹-ges¹-f¹ シ♭-ラ-ラ♭-ソ-ソ♭-ファ」と、

「半音階」で埋めています。

この「半音階」も骨格としては、「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」

ですから、161~162小節は、「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」と

「b²-a²-g²-f² シ♭-ラ-ソ-ファ」の「カノン」ということになります。

12段目左端(162小節後半)は、161小節から始まる

「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」の「縮小カノン」になります。

 

 

 

 

「縮小形」についても、上記拙著のchapter 1をお読み下さい。

シューマンが、いかにバッハや、モーツァルトを揺り籠にして育ち、

そして自分の子供達や若い音楽家に、「対位法は難しくないよ、

楽しいですよ」と教えようとしたかが、伝わります。


★拙著《クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!》

256~258ぺージ「chapter 8 シューマンの音楽評論、音楽の本質

を珠玉の言葉で表現」

~平均律クラヴィーア曲集を毎日のパンとしなさい~

も併せてお読みください。


Mozart ピアノソナタ「KV・333」の「自筆譜」ファクシミリは、

ドイツの「Laaber」社から、出版されています。

この曲は3枚の綴じていない五線紙の裏表に書かれ、

計6ページとなっています。


★この「KV・331」の書き方は少々、変則的です。

1枚の紙の左に1ページ目、右に2ページ目を書きますと、

譜めくりが楽になり、通常はこのスタイルですが、

Mozart は、3枚の紙の裏表に記譜し、綴じていません。

つまり、一枚目の紙の表は1ページ、裏に2ページ、

という具合に書いています。

 

 

 


★面白いことに、この「不完全小節」である40小節前半の

真裏は、2ページ6段目冒頭左端119小節になります。

もし、40小節前半に、針を刺すとしますと、

その針は真裏の「119小節」に刺さります。


★それでは、その「119小節」はどうなっているでしょうか?

この部分は、ソナタ形式である第一楽章の、

「再現部第2テーマ」です。

 

 

 

 

119小節上声(右手)は、「f¹」を刺繍音「g¹」で装飾した後、

「f¹-es¹-d¹-c¹-b ファ-ミ♭-レ-ド-シ♭」と、なります。

1ぺージ40小節の「f²-g²-a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」を、

1オクターブ下げた「f¹- g²- a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」に、

つなげてみますと、驚いたことに、《B-Dur 変ロ長調》

「音階」が、できてしまいます。

 

 

 

 

★不完全小節「40小節前半」は、1ぺージ6段目の右端ですから、

素直に、2ページ6段目の右端を見てみますと、

この下声(左手)にも、ちゃんと「f-es-d-c-B  ファ-ミ♭-レ-ド-シ♭」

が、あります。

Mozart 先生、「何といたずら好きな」とも思いますが、

この手法、Bach先生は、ごく当たり前に使っています。

特に「ゴルトベルク変奏曲」で、如実に見ることができます。


★それではMozart が敬愛したであろうBach の

「平均律クラヴィーア曲集2巻21番」の「自筆譜」は、

どうなっているでしょうか。

「2巻21番」のプレリュード87小節の「自筆譜」は、3ページに

わたって記譜されています。

 

 

 


★1ページは「大譜表」7段です。

1ページ目は、4、5、6、7段の右端が不完全小節です。

2ページ目は、1、4、5の右端が不完全小節。

3ページは、2、3、5の右端が不完全小節です。

殆ど、全曲の半分の段の末尾右端が、「不完全小節」です。

これらは全部、《深い意味》を持っています。


★具体例として「1ぺージの4、5、6段」を挙げますと、

4段目右端17小節は、たった1拍だけの不完全小節です。

5段目右端21小節、これも2拍だけの不完全小節

6段目右端25小節、これも2拍だけの不完全小節

4段目17小節の下声「f¹-es¹ ファミ♭」が、

5段目21小節の上声「f²-e²-d²-c²-b¹ ファミレドシ♭」

6段目右端25小節内声の

「f²-e²-d²-c²-b¹ ファミレドシ♭」と、対応していることは

一目瞭然です。

 

 

 

 

演奏者や学習者にとって、「これをどう解釈して演奏するか」は、

その次の、ステップになります。

まずはBach 先生の親切な「楽曲分析」を理解する必要があります。

そして、その最大の理解者、継承者の一人が、

Mozart だったということになります。

 

 

 

 

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■モーツァルト「ピアノソナタ KV333」に宿る バッハ「平均律2巻21番」■

2024-01-31 17:44:28 | ■私のアナリーゼ講座■

■モーツァルト「ピアノソナタ KV333」に宿る バッハ「平均律2巻21番」■
~BACHは平均律2巻で「音階」を追求、Mozartの天才はそれを育てた~
                2024.1.31   中村洋子

 

 


★2024年最初のブログが、1月最後の日になりました

新年を祝う間もなく、能登半島の大地震が発災しました。

あまりの大災害に、言葉を失っていました。

亡くなられた皆様のご冥福を、お祈りします。

罹災されました皆様に、心よりのお見舞いを申し上げます。

「能登は優しや、土までも」と言われる、心優しい人々。

日本の文化の源流の一つともいえる、奥深い歴史。

憧れの能登に、いつか旅したいと思いながら、

出不精で「そのうちに」と思っていました。

旅も勉強も「いつかそのうち」は禁句ですね。

「勉強、勉強」「Practice & Practice」「Üben und Üben」です。


★昨年2023年大晦日に更新しましたブログで、

Mozart の「ピアノソナタ KV333」について、少し書きました。

このソナタの「自筆譜ファクシミリ」は、容易に入手可能です。

モーツァルトの神髄に触れることができる最適の作品、といえます。

https://www.academia-music.com/products/detail/23321

私は、去年2023年1年間かけて、KV333を勉強しました。

「驚き」と「驚嘆」の連続ですが、それでもやっとモーツァルトの

扉をノックしたところ、という感じです。

 

 

 

 


★この作品は「B-Dur 変ロ長調」です。

1楽章冒頭から、「B-Dur」の≪下行音階≫が出現します。

自筆譜1ページ1段目は、アウフタクトの1拍+7小節が記譜され、

その1段に「g²-f²-es²-d²-c² -b¹ ソ-ファ-ミ♭-レ-ド-シ♭」という

この全3楽章を通して、一番大切な motif (要素)が3回も現れます。

その「motif」が、この≪下行音階≫なのです。

 

 

 


この一度聴いたら忘れられないような、明るく軽やかな音階、

「どこかで聴いたような・・・?、どこだったか???」と、

この疑問がずっと、頭の片隅に宿っていました。


★ある日遂に、長年の“疑問の氷”が、ゆっくりと溶けてくれました。

氷の中から、姿を現してくれたのは、やはりBach

Bachの「平均律2巻 21番 B-Dur Prelude」でした。

清々しい気持ちで、一杯になりました。

薔薇の花びらが、天から舞い降り、教会の澄んだ鐘の音が、

響きわたるような、「平均律2巻 21番 Prelude」の冒頭です。


★この冒頭「b²-a²-g²-f²-es²-d²」と、Mozart「KV333」は、

何と多くの共通点を、持っていることでしょう!

 

 

 

 


私は、Bachの平均律1巻は「調性とは何か」を追及した曲集である、

と思います。

「Bärenreiter」版の楽譜に、その解説を書きましたので、

是非お読みください。
https://www.academia-music.com/products/detail/159893


★それでは、Bachはなぜ平均律を「1巻24曲」だけでなく、

更に、「2巻24曲」を作曲したのでしょうか。

これにつきましては別の機会に、じっくりご説明したいのですが、

一言で言うならば、Bach先生は

「私は、1巻では≪調性とは何か≫を、解き明かした」。

「2巻では、≪音階とは何か≫を解明しよう」ということである、

と思います。


「調性」の正体がつかめたら、その「調性」によって成り立つ

「音階」を、音楽によって定義しなければなりません。

この様にして、人類史上「至高の曲集」の1巻と2巻が、

編み出された、と私は考えます。


★このバッハの真意を、モーツァルトの天才が察知しない訳が

ありません。

私の著書《11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史》

chpter6 108ページ~127ページ

《モーツァルト「交響曲40番」は平均律1巻24番から生まれた》

・8歳で、Bachの息子のクリスチャン・バッハから学ぶ
・モーツァルトは、平均律やフーガの技法を編曲していた
・交響曲40番テーマは平均律1巻24番に酷似・・・・・・


を是非お読みください。

 

 

 

 

★モーツァルトの「ピアノソナタ KV333」は1ページ12段の

縦長の五線紙に、記譜されています。

6段目と7段目の間に、折り曲げたような跡が、

各ページに見られます。

これは演奏する方にはすぐわかることですが、

本来1ページ6段で書くところを、2ページ分縦につないで、

1ページ12段にしますと、演奏する時の譜めくりの回数が、

半分で済みます。

モーツァルトは自作自演をしたでしょうから、

1ページ12段は非常に便利です。


★その1ページの12段の4段目、即ち、このページの三分の一の段の

真ん中23小節目に、ソナタ形式である第一楽章の「第2主題」

配置されています。

その「第2主題」で平均律第2巻「21番プレリュード」の

「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」が、堂々と登場するのです。

 

 

 

 


★更に、興味深いことに、この1ページ12段の各段右端、

即ち、次の段に移る小節は、6段目を除いて、

「完全小節 complete bar」です。

完全小節とは、この曲の場合四分の四拍子ですから、

1小節に四分音符4個分、正規の拍数を持つ小節です。

しかし、6段目右端40小節だけは、四分音符2個分しか

拍数を持たない「不完全小節 incomplete bar」です。

 

 

 

 


★これは、Bachもしばしば用いる記譜法です。

とても大事な「motif」を、際立たせるために、

その段の右端を不完全小節にします。

この場合、とても大事な「motif」とは、驚くなかれ

「f²-g²-a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」なのです。

 

 



 

「f²-g²-a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」は、23小節の第二主題の

主要 motif 「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」の

「retrograde 逆行形」なのです。

「b²-a²-g²-f² シ♭-ラ-ソ-ファ」は、

平均律2巻「21番プレリュード」冒頭の「motif」です。

これこそが、モーツァルトの「counter-point 対位法」なのです。

ここで、Mozartは、Bach先生に「敬意」と「挨拶」を

表しているのでしょう。

私は、クスッと微笑んでしまいました。

 

 

 

 

★この1ページ6段目右端40小節の、不完全小節

「f²-g²-a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」を、じっくり観察しますと、

その2小節前、38小節左手部分の後半に、

「b-a-g-f シ♭-ラ-ソ-ファ」が、“隠れん坊”をしています。

「f²-g²-a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」b-a-g-f シ♭-ラ-ソ-ファ」の

関係は、逆行形です。

 

 

 

 

★勿論、これは23小節の第二主題「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」

「カノン」でもあります。

11小節や、19小節にもこの「シ♭-ラ-ソ-ファ」は姿を見せますので、

是非探してみてください。


Mozart の対位法は、パズルのように面白く

その上、その曲を聴く時は、まったくそのような「知的な遊び」には

気が付かないほど、美しく心躍る音楽です。

この様に、深く勉強してこそ、

Mozartの天才のルーツが、どんなにかBachに依っているか

分かります。

モーツァルトを弾く楽しみ、聴く楽しみは、その勉強があってこそ、

一層深まります。

是非、ご自分で実感してください。

 

 

 

 

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■大作曲家の「自筆譜」を子細に学ぶと、驚くほど曲の理解が深まる■

2023-12-31 18:47:10 | ■私のアナリーゼ講座■

 

■大作曲家の「自筆譜」を子細に学ぶと、驚くほど曲の理解が深まる■
~ドビュッシー「シランクス」について、嬉しい感想を頂きました~

      2023.12.31   中村洋子

 

                                蝋梅

 

★戦争に明け暮れた波乱の2023年が、幕を閉じます。

2024年は、昭和では「昭和99年」です。

私の著書《11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史》の、

「column 4」(102~106ページ)で、

作家「半藤一利」さんについて、書きました。

タイトル《歴史探偵・半藤一利さんの言いたかったこと

~音楽史を「自筆譜」から学ぶ意義もそこにあり~》です。


★この短いコラムの、小見出しを列記しますと

・人間の目は、歴史を学ぶことではじめて開く

・確かな音楽観を築くには、大作曲家の「自筆譜」から学ぶ

・熱狂に流されない、時の勢いに駆り立てられない

・むずかしいことをやさしく、ふかいことをゆかいに

・バッハもモーツァルトも、難しい音楽は書いていません

・聡明な青年でも、洗脳教育に染まる


★半藤さんは「歴史」について書いていますが、

これは「音楽」についても、そのまま当てはまります。

華々しく宣伝される演奏家には、組しない。

時流に流されない、洗脳されないためには、

ご自身の確固たるクラシック音楽観を、確立することが

必要です。

その音楽観を獲得するには、市販の実用譜だけに頼らず、

音楽の真実を知ることができる、

大作曲家の「自筆譜」を、ひたすら勉強することが、

何より重要である、と思います。


★半藤さんは歴史の「40年周期説」を唱えています。

「50年周期説」を唱える方もいらっしゃいます。

さて再来年が、昭和100年で、50年が二巡するとなると、

世界情勢やクラシック音楽は、一体、

どう変化するのでしょうか。

 

 

 

 

★2023年9月30日10月9日の当ブログで

ドビュッシーの独奏フルート「Syrinx シランクス」を、

取り上げました。

9月30日■ドビュッシー「シランクス」は「牧神の午後への前奏曲」
「小さな羊飼い」が源、その1■
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/a4a4d16c50652ee7226a20408ad9e7e4

10月9日■Debussy「シランクス」は「小さな羊飼い」と、
構造が瓜二つ■
~「シランクス」は、「牧神の午後への前奏曲」「小さな羊飼い」
が源、その2~
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/f88af4afa245cd9fffdaf29349c07283

 


★これについて、読者の方から、素晴らしい感想を頂きました。

「ご感想」と私の「コメント」を、皆様にもお知らせします。

 


★《ご感想1
【2023年11月30日ブログ
■ドビュッシー「子供の領分」を俯瞰すると、バッハが見えます■
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1f09505ac749fdcc23caa6cbc48f6cdb

の、レイアウトについて書かれていた部分を、読んだ後、

「Syrinx シランクス」の写譜を、じーっと、じっくり何度も何度も、

見ていましたら、「あれ、同じだ!!!」と、驚きました。

それは、3段目の右端9小節目のところです。

余白部分に、五線が手で書き足され、なんとそこに、1小節目の

「主題の前半」が、1オクターブ下げて書き込まれていました。】


★《私のコメント》
ドビュッシーは「シランクス」も「ゴリウォーグのケイクウォーク」

も、3段目の右端に、最重要の主題や旋律を配置しています。

「シランクス」は、余白に五線を書き足すことまでして、

3段目に、「主題」を置いています。



 

★11月ブログでの当該文章は、以下です。
------------------------------------------------------------
★ドビュッシー「子供の領分」自筆譜レイアウトを見てみましょう。
Golliwogg は1ページを、大譜表6段で記譜しています。
「Wiener Urtext Edition∔ Faksimile」で、このGolliwogg
1曲だけですが、自筆譜ファクシミリを見ることができます。
https://www.academia-music.com/products/detail/32645

★自筆譜1ページ目は1~35小節が書き込まれ、2ページ目、
3ページ目と続き、全部で計3ページです。
そしてこの重要な17小節は、どこにあるかと探してみますと、
驚くべきことに、1ページ目●3段目の一番●右端(最後の小節)に、
「レイアウト」されています。

★3段目の右端ということは、全6段の真ん中です。
ドビュッシーの意図が、実に明確に把握できる配置ですね。
バッハもドビュッシーも、そのページの最初の小節、最後の小節、
真ん中の小節には、構造上重要な小節を配置します。

 ★この重要な位置に、第1曲「パルナッスム博士」の冒頭motif 
であり、しかも、バッハの「平均律クラヴィーア曲1巻1番Prelude」
の幕開けでもあるmotif ≪G-c-d(G₁-C-D)「 ソ ド レ」≫を
配置するとは・・・
ドビュッシーの天才と、その大胆不敵さには感嘆します。
------------------------------------------------------------

★私のコメント:
ドビュッシーは、3段目の右端に、特別のこだわりをもち、

極めて重要視しています、この点については今後、

さらに、考察していきたいと思います。

 

 

                            山茱萸の実

 


★《ご感想 2》
【9小節目の1拍目「b¹」と、ほぼ同じ位置に、

「b¹」が、(5段目を除いて)全ての段に出てきます。

この曲をフルートで演奏する時に、ずっと「b¹」を頭の中で

響かせて演奏していたのは、間違っていなかった・・・

確認できた事が、とても嬉しくて・・・】 


★私のコメント:
ドビュッシーの、凄い技法ですね。

こんなに各段の右端に、「b¹」がありながら、飽きさせない

ばかりか、それがこの曲の基調となっているのです。

(6段目は、「heses¹」ですが、「シ」には違いありません。)

 







 


いつも、この「b¹」に戻ります、それがこの曲を支配する世界、

神秘的でけだるく、どこかに進行するのではなく、

方向性を排除して、一点に留まるような曲想を見事に

導き出しています。


★この曲の最後を見ると、「Des-Dur 変ニ長調」にみえますが、



 


まるでこの「b¹」は、「b-Moll 変ロ短調」の主音のような扱いです。

「シランクス」全曲を通して、「b¹」と「b²」が、あたかも

「保続音 organ point(英) Orgelpunkt(独)」のように

鳴り続ける手法も、バッハ由来でしょう。

平均律2巻1番prelude冒頭3小節にわたる左手保続音

(C-c のオクターブ)が、全曲にわたって響いているかのような

作曲技法です。

前回ブログでも述べましたが、「子供の領分」第1曲「グラドゥス・

アド・パルナッスム博士」を、透かし見ますと、

バッハ平均律1巻1番のpreludeが、姿を現してきます。


★《ご感想 3》
【21小節目2拍目、4つ目の16分音符から続く3拍目も「b¹」。

22小節目は、次のページの冒頭。

 


 

 

それは、ブログで指摘の「ゾウの子守歌」のレイアウトと、同じ。】

 


★この感想の11月ブログでの当該文章は、以下です。
------------------------------------------------
第1曲と、第2曲「ゾウの子守歌」 Jimbo's Lullaby を
見てみましょう。
第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の4小節目は、
ドビュッシーの「自筆譜」1ページの2段目に位置します。
この上声部(ソプラノ声部)の「h¹-a¹-g¹-f¹ シ ラ ソ ファ」
というmotifは、第2曲「ゾウの子守歌」の63~66小節の
内声(アルト声部)に、ゆったりと二回現れる
「motif b¹-a¹-g¹-f¹」につながっていきます。
蜘蛛の巣に、美しいレース編みの糸が掛けられるかのようです。
-------------------------------------------------------

 

 


★私のコメント:
ドビュッシーに限らず、大作曲家の「自筆譜」では、

ページの最後と、次のページの冒頭で、極めて重要なシグナルが

点滅しています。

これを常に意識されますと、非常に有益と思います。

 

 

★《ご感想 4》
【ブログにあった「パルナッスム博士」のレイアウトの所では、

1ページ、4段目冒頭に大切なモチーフが…とあり、

シランクスの4段目を見ると、そこにも「b¹」が・・・。】


★11月のブログの当該箇所は以下です。
-----------------------------------------------------
★第3曲「お人形のセレナーデ Serenade for the Doll 」は
どうでしょうか。
冒頭1~2小節は、お人形さんがブリキのギターをかき鳴らすような、
何ともかわいらしい「E-Dur ホ長調」の主和音が、続きます。
この和音、どこかで聴いたことがあるような・・・。
そうです! 第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の
11小節の分散和音と同じ和音です。
第1曲は「C-Dur ハ長調」なのに、この11小節で突然
「E-Dur ホ長調」の主和音が出現します。
実は、「C-Dur ハ長調」の主和音と、「E-Dur ホ長調」の主和音は、
≪3度の関係≫にあります。この≪3度の関係≫は、まさに「バッハ由来」です。

★さて、この第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の
11小節は、ドビュッシーの自筆譜には、どのようなレイアウトで
書き込まれているでしょうか?
なんと、自筆譜1ページの4段目冒頭に、この小節があります。
--------------------------------------------------------

★私のコメント:
自筆譜2ページ一段目は、この曲の頂点です。

全曲35小節の、三分の二にあたる「22小節」から、

頂点のこの段が、始まるからです。



 


頂点は、22小節「b¹」から始まり、23、24、25小節の

「b²」で、極まります。

ここでも、また筆写譜は、2ページ1段目右端の五線を、

手書きで、延長させています。

 

 

 

 

「伝記クロード・ドビュッシー」フランソワ・ルシュール著

笠羽映子訳クロード・ドビュッシー作品目録ー自筆譜」に、

1888年からドビュッシーが亡くなるまで親交があった

スイス人ジャーナリスト・ロベール・ゴデ(Robert Godet

1866-1950)の、以下の文章が掲載されています。

 

★『ドビュッシーの手稿譜は、端正かつ明確な、この世で最も優美な、

そして擦って消した跡などない書記法のモデルを提供していた。

…中略…

ドビュッシーは、ひとつの作品を、自分の頭の中で、そして楽器には

一切頼らずに、仕上げてしまってからしか、書き始めなかった。

その代わり、頭の中での熟成期間‥‥は往々とても長くかかった‥‥

彼の非常に重要なピアノ作品の数々は、

具体的な資料をひとつとして目の前に置かず、

まるで聴きとめられたものであるかのように書かれた。

 

★笠羽さんが「書記法」と訳されている言葉は、

おそらく「記譜法」のことだと思います。

ドビュッシーの記譜は、芸術品のように、流れるように美しい

「フランス式の記譜」です。

 

★ドビュッシーの「子供の領分」の作曲も、発想から完成までの

時間は、短くありません。

作品は、頭の中で既に完全に出来上がっています。

それを記譜する際意図した通りにレイアウトされているか、

念入りに確かめ確認しながら書いたものが、

ドビュッシーの「自筆譜」なのです。

 

★ドビュッシー自筆譜「3段目の最後の小節」が重要

と指摘しましたのは、それが彼の「作曲航海図」

重要な「羅針盤」の役割を果たしている、とも言えるからです。

モーツァルトの「自筆譜」も、同様の発想で書かれています。

例えば「ピアノソナタ KV333」を挙げることができます。

この曲は「自筆譜」ファクシミリも出版されていますので、

是非、勉強してみてください。

 

★今回は、私のブログを丁寧にお読みくださり、

一生懸命学んでくださっている方のお便り

ご紹介いたしました。

読者の皆様から、時々ご質問をいただきます。

なかなか多忙で、ゆっくりお答えできず、

申し訳なく思っています。

拝読はしていますので、どうぞお返事は

気長にお待ちくださいね。

 

★それでは今年一年ブログをお読みいただきまして

有難うございます。

皆様にとりまして、よい年明けとなりますことを

お祈り申し上げます。

 

 

 

 

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             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

 

 

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■ドビュッシー「子供の領分」を俯瞰するとバッハが見えます■

2023-11-30 16:42:04 | ■私のアナリーゼ講座■

■ドビュッシー「子供の領分」を俯瞰するとバッハが見えます■
~張り巡らされた「子供の領分」の motif は、蜘蛛の巣の様に美しい~
   2023.11.30  中村洋子

 

 

 

 


★前回ブログで掲載しました「青柚子」が、黄色に熟し、

初冬の青空に瑞々しく輝いています。


★前回ブログでお約束しました、《ドビュッシーの「子供の領分」

第5曲小さな羊飼いと、フルート独奏曲「Syrinxシランクス」の

motif(要素)を「虫の目」で詳細に観察》しますが、その前に、

ドビュッシー「子供の領分」の本性、本質について、ご説明します。

 

 

 

 

★ドビュッシーの「Children's Corner」につきましては、

当ブログの5月22日、
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/m/202305
■ ドビュッシー「子供の領分」第5曲「小さな羊飼い」の源は
「牧神の午後への前奏曲」■~「小さな羊飼い」はわずか
 31小節、しかし一筋縄ではいかない傑作~を書きました。

8月31日には、https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/m/202308
■【子供の領分】の第6曲「ゴリウォーグのケイクウォーク」は
《異名同音》の技法を使う■~第5曲「小さな羊飼い」と
《異名同音》で緊密に手を結ぶ~をご説明しています。


★それでは「子供の領分」の全体像を、「鳥の目」(鳥瞰図)で見たら

どうなるのでしょう。

結論は、≪バッハの「組曲」と同じ構造、構成である≫という事です。

各曲の関係を、ドビュッシーの「自筆譜」から詳細に検討しますと、

あぁ、ここにも Goldberg Variationen ゴルトベルク変奏曲が!

と、「子供の領分」の自筆譜のレイアウトが、驚くほど、

バッハの「ゴルトベルク変奏曲」をはじめとする鍵盤作品の、

現存する自筆譜や写譜に、似ているのです。


★勿論、平均律クラヴィーア曲1、2巻の影響は多大ですが、

「ゴルトベルク変奏曲」の各変奏曲の規模と、

「子供の領分」の各曲の規模が似ていることも、

自筆譜レイアウトが似ている理由の一つです。


★「ゴルトベルク変奏曲」の自筆譜は行方不明ですが、

バッハ生前に出版された「初版譜」は、バッハ自ら

目を通しており、見事な「レイアウト」の楽譜です。

「似ている」ということは、「ゴルトベルク変奏曲」と、

「子供の領分」のレイアウトを、≪構成する考え方≫が、

「そっくりさん」であるということです。

 

 

 


★それでは layout レイアウトとは何でしょうか?

辞書では、①所定の面に文字、図版、写真などを効果的に

配列すること。また、その技術。割り付け。

②空間や平面に物を効果的に配置・配列する事。

とあります。


★現代、私たちが日常的に手に取る楽譜(実用譜)は、

大作曲家が「自筆譜」のレイアウトに込めた深い意味を、

ほとんど無視しているようです。

演奏する場合には、やはり「見やすさ」も大切ですから、

「自筆譜」のレイアウトを無視した譜面作りは、

一概に非難できないのですが、

大作曲家の「自筆譜」を深く勉強しますと、作曲家自身が

書いた、楽譜の間取り(レイアウト)は、その曲の一番親切な

「手引き」であることが多いので、残念な気がいたします。

当ブログでは、「自筆譜」に込められたレイアウトの意味も

少しづつお伝えします。


★「自筆譜」の重要性について、ご興味のあおりになる方は

拙著≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫、

≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史≫を、

是非お読みください。

https://diskunion.net/dubooks/ct/list/0/72217778/64442

 

★「子供の領分」全6曲は、バッハの組曲と同じ曲数です。

第1曲 「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」 (Doctor Gradus

ad Parnassum)に、この全6曲のエッセンスが含まれています。

まさに「バッハのPrelude」です。

 

 

 

 


★ところが、巷では以下のような、見当外れで、曲の本質を全く

理解していない解説数多くなされいています。

クレメンティの練習曲集『グラドゥス・アド・パルナッスム』
(パルナッスム山への階梯)のパロディであり、練習曲に挑戦
する子供(シュシュ)の姿を生き生きと描いたものとされる。
退屈な練習に閉口する子供の心理を表現した曲 】(wikipedia)


★この様な捉え方は、孫引き、孫引きで巷間に広まっていますが、

上記文面を真に受けた途端、

ドビュッシーの“広大な花園”、芸術世界に入るドアが、

「パタン」と閉められてしまうことでしょう。

ドビュッシーの「韜晦趣味」は、そのような人を、まず

シャットアウトしてから「私の芸術を、真摯に勉強し、理解し、

楽しむ人だけお入りなさい」と言っているようです。


★この第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」は、決して、

ドビュッシーの愛娘 Chouchouシュシュちゃん~Claude-Emma 

Debussy(1905-19191)が、「退屈な」練習曲に挑戦している姿を

描いたものではありません。

これは生命力あふれる、バッハの「平均律クラヴィーア曲集1巻1番

プレリュード」へのオマージュ hommage、頌歌でもあります。

 

 

 

 

★このことを理解しますと、第6曲ゴリウォーグのケイクウォーク

Golliwogg's Cakewalkの17小節G-c-d(G₁-C-D)「 ソ ド レ」に、

「アクセント」と「スタッカート」が付いている意味が、分かります。

「ゴリウォーグのケイクウォーク」(以下、 Golliwoggと略)だけを

練習していても、何故この三つの音に、アクセントとスタッカートが

付いているか、決して分かりません。

その理解なくして、Golliwoggを真に弾くことはできないでしょう。

Golliwogg の佳い演奏には、「子供の領分」全曲の勉強が必要です。

 

 

 

 


★この17小節の「 ソ ド レ」は、第1曲「パルナッスム博士」を回想

していると同時に、この全6曲で1曲の「組曲」Petite Suite pour 

Piano seul であることも示唆しています。

 

 

 

 

★それでは、ドビュッシーの「子供の領分」の自筆譜レイアウト

見てみましょう。

Golliwogg は1ページを、大譜表6段で記譜しています。

「Wiener Urtext Edition∔ Faksimile」で、このGolliwogg1曲

だけですが、自筆譜ファクシミリを見ることができます。
https://www.academia-music.com/products/detail/32645


★自筆譜1ページ目は1~35小節が書き込まれ、2ページ目、

3ページ目と続き、全部で計3ページです。

そしてこの重要な17小節は、どこにあるかと探してみますと、

驚くべきことに、1ページ目3段目の一番右端(最後の小節)に、

「レイアウト」されています。


★3段目の右端ということは、全6段の真ん中、です。

ドビュッシーの意図が、実に明確に把握できる配置ですね。

バッハもドビュッシーも、そのページの最初の小節、最後の小節、

真ん中の小節には、構造上重要な小節を配置します。

 

 

 

 

 

★この重要な位置に、第1曲「パルナッスム博士」の冒頭 motif 

であり、しかも、バッハの「平均律クラヴィーア曲1巻1番Prelude」

幕開けでもあるmotif ≪G-c-d(G₁-C-D)「 ソ ド レ」≫を

配置するとは・・・

ドビュッシーの天才と、その大胆不敵さには感嘆します。

 

 

 

 


★この様な例は枚挙に暇がないのですが、

次に第1曲と、第2曲「ゾウの子守歌」 Jimbo's Lullaby

見てみましょう。

第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の4小節目は、

ドビュッシーの「自筆譜」1ページの2段目に位置します。

この上声部(ソプラノ声部)の「h¹-a¹-g¹-f¹ シ ラ ソ ファ」

という motif

 

 

 

 

第2曲「ゾウの子守歌」の63~66小節の内声(アルト声部)に、

ゆったりと二回現れる「motif b¹-a¹-g¹-f¹」につながっていきます。

蜘蛛の巣に、美しいレース編みの糸が掛けられるかのようです。

 

 

 

 

★この第2曲「ゾウの子守歌」も1ページ大譜表6段で、3ページに

わたって記譜されていますが、63~65小節は2ページの最後

即ち2ページ6段目右端に記され、66小節は、3ページ冒頭です。

2ページの最後も、3ページ冒頭も大変重要な位置です。

 

 

 

 

 

★明らかにドビュッシーはこの63~66小節を、

第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」との関連を、

強く意識して作曲しています。

やはり、この組曲を、演奏したり、勉強したりする時に、

これを無視できませんね。

 

 

 

 


★それでは第3曲「お人形のセレナーデ Serenade for the Doll 」

どうでしょうか。

冒頭1~2小節は、お人形さんがブリキのギターをかき鳴らすような、

何ともかわいらしい「E-Dur ホ長調」の主和音が、続きます。

 

 

 

この和音、どこかで聴いたことがあるような・・・。

そうです!第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の

11小節の分散和音と同じ和音です。

第1曲は「C-Durハ長調」なのに、この11小節で突然

「E-Dur ホ長調」主和音が出現します。

実は、「C-Durハ長調」の主和音と、「E-Dur ホ長調」の主和音は、

≪3度の関係≫にあります。

この≪3度の関係≫は、まさに「バッハ由来」です。

 

 

 

 

この「3度の関係」につきましては、上記の拙著や、

べーレンライター出版の「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の

解説に詳しく記述しましたので、どうぞお読みください。
https://www.academia-music.com/products/detail/159893


★さて、この第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」

11小節は、ドビュッシーの自筆譜には、どのようなレイアウトで

書き込まれているでしょうか?

なんと、自筆譜1ページの4段目冒頭に、この小節があります

 

 

 

 

 

「子供の領分」の自筆譜は、1ページを大譜表6段で書かれています。

第1曲「パルナッスム博士」も1ページ6段ですから、

4段目の冒頭ということは、この第1ページの真半分の位置です。

非常に重要な位置に、第3曲「お人形のセレナーデ」の冒頭髣髴

させる和音を設定する、何という深謀遠慮でしょう。

 


ドビュッシーもバッハと同じく「推敲、そしてまた推敲」の人でした。

その「自筆譜」を勉強しますと、実にそれがよく分かります。

この「子供の領分」全曲も、一点一画を揺るがせない、

凄まじいばかりの構成です。

その秘密を解き明かす鍵が、彼の「自筆譜」なのです。


★「子供の領分」第1曲と続く2~6曲との関係は、

この後のブログでも続けます。

「子供の領分」の、蜘蛛の巣のように美しく張り巡らされた

motif から、この組曲Suiteの全体像が見えてきますと

晩年の傑作「Syrinx シランクス」への理解も深まるでしょう。

 

 

 

 


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■Debussy「シランクス」は「小さな羊飼い」と、構造が瓜二つ■

2023-10-09 21:21:24 | ■私のアナリーゼ講座■

■Debussy「シランクス」は「小さな羊飼い」と、構造が瓜二つ■
~「シランクス」は、「牧神の午後・・」「小さな羊飼い」が源、その2~


      2023.10.9 中村洋子
      

 




★前回ブログの副題にしました

高校生の質問、「本ってどこで買えるのですか?」について、

知人からいくつかの反響をいただきました。

ご紹介します。

 

★ある方は、この様におっしゃっています。

本屋の存在を知らないということに、びっくり。

本当に、本屋さんが減っているんですね。

代わりに、ネットで買えてしまったり、電子書籍などデジタルが

当たり前の世の中になってしまいました。

良さもあるとは思いますが、何だか味気ないですね。

そして、仰るようにクラシック音楽を知らない、という

子供が増えていそうで、とても残念です。

聴けば感動する子供が、現代にも絶対いるはず。

希望を持ちたいです。


★もう一人の方のご感想。

高校生の「本ってどこで買えるのですか」という質問のお話、

知らないうちに、そんな事態になっているのですね。

そういえば、高校の国語には古典・漢文の不要論があり、

時間数も大幅に減らされているという話を、最近知りました。

高校生がクラシック音楽を知らないという時代も

本当に来てしまうかもしれません。

そうならないよう、願うばかりです…。


★私(中村洋子)は、前回ブログを更新した後、

たまらない気持ちになり、思わず本屋さんに直行して、

本(紙)の匂いを、嗅いできました。

そして衝動買いしました。

買おうとは思ってもみない、分野の本達でした。

この意外性が、本屋さんに行く楽しみでもあります。

自分の興味に限定された、狭い分野ではなく、

視野を幅広く広げる一助になっています。

この楽しさ、本屋さんでのワクワク感、

私たちの次の世代にも残したいですね。

本は本屋さんで買い、

楽譜は「楽譜屋」さんで買いたいと思います。

 

 

                紫蘇の白い花から蜜を吸うシジミチョウ


★さて、前回ブログの続きです。

今回は、Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)

「子供の領分~第5曲小さな羊飼い Children's Corner ~
                                        Ⅴ.The little Shepherd」

「Syrinx シランクス」の二曲を、比較してみます。


「小さな羊飼い」は、ドビュッシーが長い時間をかけ、

練りに練って作曲した、ゆるぎなき構造をもつ

 「Suite 組曲」(六曲構成)の、第五曲です。

それに対し「シランクス」は劇に合わせ、舞台の脇で

演奏された音楽です。


★ドビュッシーは、1913年11月17日、劇を書いた

ガブリエル・ムーレへの手紙で、こう書いています。

 Mon cher Mourey,
 Jusqu'à ce jour je n'ai pas encore trouvé ce qu'il faut...
pour la raison,  qu'une  flûte chantant sur l'horizon doit 
contenir tout de suite son émotion- ! 
Je veux dire qu'on a pas le temps de s'y reprendre 
à plusieurs fois, et que:tout artifice devient grossier,
la ligne du dessin mélodique ne pouvant compter sur 
aucune intervention de couleur,secourable.

(中略)

親愛なるムーレ様
今日になっても、まだどうすべきを見つけていません。
舞台脇で演奏するフルートは、即座に感情を込めなくては
いけない。何度もやり直す時間はないのです。
どんな凝ったことをしても雑になるのです、
メロディーを描く線は、どんな色彩を介在させても、
それに頼ることはできない。色彩は助けてくれない。

(中略)

Après de nombreux essais, je crois qu'il faut s'en tenir 
à la seule de Pan, sans autre accompagnement. 
C'est plus difficile, mais plus logique dans la nature.
   Affectueusement.
Claud Debussy

いろいろ試した結果、伴奏をつけずにパンのフルートだけに
するべきだと思うようになりました。
それはより難しいが、自然でより理にかなっています。
(注:Debussyは、logiqueの語を横線で消しています)。 
   敬具
ドビュッシー

(参考: 英訳
So far I have not found what I need...because a flute 
singing on the horizon must at once contain its emotion!)


「舞台脇で演奏するフルート」と、ドビュッシーは書いています。

舞台の中央で、コンサートの主役として演奏するフルートではなく、

「シランクス」は、劇と一体となって効果を上げる「付随音楽」です。

手紙によりますと、フルートに伴奏をつけることも試みたが、

独奏の方が、自然で理にかなっている、としています。

当然この二曲を作曲した時、ドビュッシーの心構えは、

大いに異なっていたと思われます。

 

 

                          初咲きの西王母


二曲を比較してみますと、構造や曲の「要素 motif」は、

酷似しており、「シランクス」は、「小さな羊飼い」から派生した曲

と言ってもいいでしょう。


★「シランクス」は、最円熟期にあった大作曲家が、

持てる技法をすべて駆使し、手早く書かれた印象です。

大作曲家の円熟を極めた技法が昇華し、

それが「Syrinx 」として結実した、あるいは、

「天才のひとふで(一筆)」ともいうべき卓越した一瞬の技が、

この「Syrinx」をもたらした、とも言えるかもしれません。

長い年月をかけ、練りに練り上げた「小さな羊飼い」が、

完全に刻み込まれていたからこそ、可能だったことでしょう。

「Syrinx」が、独奏フルートの名作中の名作として揺るぎない

地位を占めている理由が、そこにあると、私は感じています。


★幾つか、この二曲の「類似点」を挙げてみましょう。

「小さな羊飼い」全31小節「シランクス」全35小節

tempo(曲の速さ)も、二曲ともにTrès modéré 

(トレ・モデレ Molto moderato ごく中庸な速さで)と、曲頭に

指定されていますので、ほとんど同じ規模の作品といえます。


「小さな羊飼い」のドビュッシーの自筆譜は現存しています。

「シランクス」の自筆譜は、行方不明ですが、

ドビュッシーの自筆譜の「写譜」は、現存しており、

写譜と自筆譜は、大きな違いはないと思います。


★Bach の場合も、自筆譜は行方不明、筆写譜のみが

現存している曲は、膨大な数に上ります。

そこで、これはバッハの意図なのか、筆写した人の間違いか、

あるいは、改竄なのかは、大変難しい問題となります。

今回は、「シランクス」の筆写譜を、細かい相違はあるにしても、

ほぼドビュッシーの「自筆譜」に等しいとして、お話します。

 

 

                         青柚子 

 

★「小さな羊飼い」は全31小節、「シランクス」は全35小節。

二曲とも、自筆譜(筆写譜)は見開き2ページに記譜。

「小さな羊飼い」は、1ページに大譜表6段が書き込める五線紙

「シランクス」は1ページ7段が書き込める五線紙で書かれています。

「シランクス」はフルート独奏ですので、大譜表にする必要性は

ないのですが、何故か、あたかも大譜表のように、各段の小節線は、

五線紙2段分を使っています。

 

★上記のドビュッシーの手紙にあるように、

ドビュッシーはフルートに、伴奏を添えることを試みたのでしょう。

ドビュッシーは劇の進行と雰囲気によっては、伴奏を書いても良いと

思ったのでしょう。

その為に、フルートの下に伴奏が書き込めるように余白があるのですが、

最終的には、フルート独奏の作品になりました。

 



 



「小さな羊飼い」の左ページは、大譜表6段分をすべてを使い、

右ページは2段だけで、残り4段分は余白となっています。

「シランクス」は左ページは7段分すべてを使い、

右ページは4段だけで、残り3段分は余白となっています。

 

★二曲の自筆譜(筆写譜)を一瞥しますと、

本当によく似ています

そしてその構造も、双子のように似ているのです。

一例をあげますと、「小さな羊飼い」は大まかに

三分割できます。

1~11小節は、第一部(1~4小節は重要な前奏、

5~11小節は第一部本体)

12~26小節は中間部、27~31小節はコーダを兼ねた、

第一部の回想で、三部形式と見ることもできるでしょう。

 


「シランクス」も、大まかに三分割できます。

1~8小節は第一部、9~25小節は中間部、

26~35小節はコーダを兼ねた、第一部の回想。

構造が似ているばかりではなく、

第二部の始まる「小さな羊飼い」の12小節と、

「シランクス」の9小節は、各々左ページの3段目右端

位置していることも、視覚的に「そっくりさん」を裏付けます。

 

 

★この二曲の第二部の始まり方も、そっくりです。

「小さな羊飼い」は、12小節目から始まる第二部開始の直前、

11小節後半に、ピアノの右手も左手も、二部休符によって

休止してしまう部分があります。

10小節から始まり、11小節前半まで続く長く静かな和音、

森の中で遠くから聞こえるホルンの音のような、

深々とした和音の響きが終わったのち、

その余韻を聴き取るような「総休止」です。

 

 



 


★一方「シランクス」の方も筆写譜では、第二部の始まる

9小節の前は、8小節目が終わったのち、1小節分の空白

があり、そこにフェルマータが書き込まれています。

しかしその部分に休符はありません。

 

 

 

 

★現在出版されています実用譜の当該箇所は、8小節が終わった

ところに、複縦線が書かれ、Durand(デュラン)版はピリオド、

Wiener Urtext Edition(Schott/Universal Edition)

ウイーン原典版はカッコつきのピリオド、

Bärenreiter(べーレンライター)版では、複縦線の上にフェルマータ

つけられています。

 

 

★これはどういうことかと言いますと、「シランクス」は

演劇の付随音楽で、8小節の後に、登場人物ロレアード

L'Oreadeの《Tais-toi ,contiens ta joie, ecoute.
  黙って、喜びをかみしめ、耳を傾けるんだ。》という台詞が

入るからです。


★8小節のフルート演奏が終わった後、台詞が入り、

9小節の第二部が始まるのです。

台詞の長さは、音楽の休符では表せません。

ここでも「シランクス」は実は独立した音楽として作曲された

のではなく、劇と一体化した付随音楽だったということが

よく分かります。

「小さな羊飼い」「シランクス」を「鳥の目」で俯瞰しますと、

この様な発見ができます。

 

★次回ブログでは、この二曲のモティーフの共通点などを、

「虫の目」で見て、更にドビュッシーの驚くべき天才に

迫ります。

 

 


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■ドビュッシー「シランクス」は、「牧神の午後・・・」「小さな羊飼い」が源、その1■

2023-09-30 14:35:42 | ■私のアナリーゼ講座■

■ドビュッシー「シランクス」は、「牧神の午後・・・」「小さな羊飼い」が源、その1■
  ~高校生の質問「本ってどこで買えるのですか?」~

           2023年9月30日     中村洋子

 

 

 

 

★読書の秋です。

新潮社のPR誌「波」10月号で、作家の群ようこさんの興味ある

記事を見つけました。

 

★ 「本は待ってくれている 群ようこ」
       沢木耕太郎『夢ノ町本通り ブック・エッセイ』
----------------------------------------------
私が最近聞いて、びっくりした話がある。
ある記者の人が、高校生に取材がてら、読書の楽しさを話した。
まずゲームの話題で引きつけ、それにつなげて自身の読書体験や、
最近読んで面白かった本などの話が終わって、質疑応答になったとき、
一人の男子高校生が手を挙げた。そして彼は、
「本ってどこで買えるのですか」と、聞いてきたというのだ。

                       (群ようこ)     
-----------------------------------------------

★私(中村洋子)は、「本は本屋さんで買うものでしょう」と、

最初は吹き出し、その後、ぞっとしました。

群さんも、書いていらっしゃいます。

------------------------------------------------
書店は、ほとんどの人が知っているものだと思っていたのだが、
とうとう本をどこで売っているのか、知らない若者が、出てきた。
昔はどこの町内にも、個人の新刊書店、古書店、貸本屋があり、
読書に興味がない人でも、書店の場所は知っていたが、
今はそういう環境ではなくなってしまった。

                     (群ようこ)    
-------------------------------------------------

★間もなく、「クラシック音楽って、どういう音楽ですか?」、

「そのクラシック音楽というものは、どこで聴けるんですか?」と、

高校生に質問される日が、来るかもしれません。

そうならないことを、祈るばかりです。


★7月17日に、岡山で開催しました、私のアナリーゼ講座には、

高校生の方も、かなりご参加くださいました。

実際に、バッハ「平均律第2巻」1番や、ドビュッシーのピアノ作品、

ブラームス「交響曲第4番」の一部を、ピアノで弾き、

どういうものか、実感していただきました。


★講座終了後に頂いたアンケートので、

「先生はピアノがお上手ですね」というような感想が、

何人かから、寄せられていました。

複雑な感情でした。

褒めていただき、妙な「こそばゆさ」は感じましたが、

この高校生の皆さんは、これまで、生のピアノの演奏をほとんど、

聴いた体験がなく、大作曲家の音楽の美しさを、

実感することがなかったのでは、と思いました。


クラシック音楽を生み出し、それを深め、極みに達したのが

ヨーロッパであっても、いまでは、人類すべての宝物です。

本屋さんの存在をしらない高校生と同様に、

日本で「クラシック音楽ってなあに?」と、言われないことを

切に願うばかりです。

 

 

 


★前置きが長くなりましたが、

ドビュッシーの全創作を、一本の線でつなぐ「牧神の午後への前奏曲」

について、過去のブログで、少しづつ書きました。

 

2023年5月22日
■ドビュッシー「子供の領分」第5曲「小さな羊飼い」の源は
             「牧神の午後への前奏曲」■      ~「小さな羊飼い」わずか31小節、しかし一筋縄ではいかない傑作~                                       

https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/469e5208c25a5c957cf2216730fb0680

 

2023年8月31日
■【子供の領分】の第6曲「ゴリウォーグのケイクウォーク」は
                  《異名同音》の技法を使う■
~第5曲「小さな羊飼い」と《異名同音》で緊密に手を結ぶ~
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/540b8d1d552b12aca07185854af4d026


★今日はこの5月と8月の「ドビュッシー」の続きです。


「牧神の午後への前奏曲」「子供の領分~第5曲小さな羊飼い」

「Syrinx シランクス」は、Debussy クロード・ドビュッシー

(1862-1918)初期、中後期、後期の作品です。

「牧神の午後への前奏曲」は、1892~94年に作曲

・「子供の領分」の5曲「小さな羊飼い」は、1908年に出版と初演

・フルート独奏曲「Syrinx」の原題は、『パン(牧神)の笛』
                                        (Flûte de Pan)で、1913年作曲です。


★「牧神の午後へ・・・」と「Syrinxシランクス・・・」は、

ギリシャ神話の半獣神、「牧神 Pan」をタイトルに掲げています。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%B3_(%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B7%E3%82%A2%E7%A5%9E%E8%A9%B1)

「The little Shepherd ~小さな羊飼い」は、

キリスト教の幼子のイメージもありますが、ドビュッシーの生きた

19世紀末から20世紀初頭の少年ではなく、神話的世界を彷彿

させます。

この様に、この3曲は、「牧神」や「羊飼いの少年」という共通の

イメージのもとに作曲されています。

 

 

                          ヤマボウシの実

 


★今回はドビュッシー死去の5年ほど前に作曲した、

「Syrinx シランクス」に焦点を、当ててみます。

「Syrinx」は、Gabriel Moureyガブリエル・ムーレの3幕の劇

『プシシェ』(Psyché)の付随音楽として、舞台袖で演奏する小品

(劇伴ですね)として、作曲されました。

1913年12月1日にLouis Mors 劇場で(公式ではなくプライベートで)、

初演されています。

この時のフルーティストLouis Fleury(1878-1926)です。

Fleury フルーリーは、パリ・コンセルヴァトワールでPaul Taffanel 

タファネル(1844-1908)に師事後、ソリストとして活躍。

ドビュッシー、ミヨー、ルーセル、シリル・スコット、イベールは、

彼のためにフルートの作品を作曲しています。

余談ですが、タファネルはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の

初演のフルーティストでした。

「牧神の午後」のけだるい冒頭のフルート独奏を、全世界で初めて

演奏したのはタファネル

「Syrinx」の初演は、そのタファネルの弟子のフルーリー

何か深い縁を感じます。


★「Syrinx」の原題は、「パンの笛」(Flûte de Pan)でしたが、

ドビュッシーの連作歌曲(Chansons de Bilitisビリティスの歌)に、

同名の作品があり、「Syrinx シランクス」に変更しました。


★この謎めいた名曲について、私の学生時代には、

ドビュッシーの自筆譜は今は失われているが、

「その自筆譜は、小節線が全くない現代音楽のような楽譜だ」と

まことしやかに、喧伝されていました。


★確かに、ドビュッシーの朋友 Éric Satie エリック・サティ

(1866-1925)には、24歳の作品「Trois Gnossiennnes

3つのグノシェンヌ」をはじめ、小節線のない作品は沢山あります。

小節線を欠如させることにより、サティの独特の、流れる様な浮遊感

を、醸し出しているとも言えます。

 

 

 

 


★ドビュッシーの「Syrinx」の自筆譜が、失われているとはいえ、

Louis Fleury ルイ・フルーリーが所持して、おそらく初演の際に

使われたとみられる写譜(Collection Madame Hollanders de 
                                     Ouderaen,Brussels)を見ますと、

“小節線がなく、サティのような何となくふわふわと曖昧模糊な曲”

という誤った先入観は、粉々に打ち砕かれます。


★実に、構造のがっしりした、堂々たるドビュッシー晩年の作品

であると確信できるからです。

そのレイアウト(楽譜の譜割り)は、大作曲家ドビュッシーにしか

できない、見事なものです。

まかり間違っても、小節線のない自筆譜に、engraver(写譜師)が

勝手に小節線を書き込んだ、などという楽譜でありません。


★その「Syrinx」の、堂々たる構造を解くカギが「Childeren’s

Corner 
子供の領分」第5曲の「The little Shepherd」なのです。

この「Syrinx」写譜楽譜は、2ページですが、

「Syrinx」全35小節のうち、1ページには1~21小節、

2ページには22~35小節が書かれています。

現在この写譜楽譜は出版されていませんが、1ページ目1~21小節

は、Wiener Urtext Edition ウィーン原典版に、

鮮明なファクシミリが掲載されています。

https://www.academia-music.com/products/detail/57658


★ウィーン原典版の「Syrinx」は、写譜のファクシミリの他に、

Debussyの「La Flûte de Pan」の自筆署名写真や、

『プシシェ』(Psyché)の上演写真、解説も詳しく載っています。

見どころ満載で、お薦めです。

ただし、19小節「d¹♮」を、「e¹♭♭(eses¹)」書き替えて

しまっています、これには十分ご注意下さい。

校訂者は、どうしてこのような「余分なおせっかい」をする

のでしょうか? 困りますね。

 

 

 

 


★やはり、このウィーン原典版の他に、

Durand版
https://www.academia-music.com/products/detail/161709

Bärenreiter版
https://www.academia-music.com/products/detail/57589

同時に、参照することが無難だと思います。

それでは次回ブログで、いよいよ、Syrinxの構造が、

「子供の領分~第5曲小さな羊飼い」とどう関連しているのか、

詳しく、ご説明します。

秋の夜長を読書にかまけないで、なるべく早く・・・を心がけます。

 

 

                        中秋の名月

  


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■【子供の領分】の第6曲「ゴリウォーグのケイクウォーク」は《異名同音》の技法を使う■

2023-08-31 20:41:18 | ■私のアナリーゼ講座■

■【子供の領分】の第6曲「ゴリウォーグのケイクウォーク」は《異名同音》の技法を使う■
 ~第5曲「小さな羊飼い」と《異名同音》で緊密に手を結ぶ~
                     2023.8.31 中村洋子

 

 

 

 

★酷暑の8月もようやく終わりを迎えました。

7月17日の岡山での講演会の後、ブログを沢山更新する

方針でしたが「暑い暑い」と言っているうちに、もう9月に。

宿題を沢山抱え、新学期を迎えてしまった小学生の気分です。

岡山の講演会は、素晴らしいお客様方に多数ご参加いただき、

とても楽しく、心に残る会になりました。


ブラームス「交響曲第4番」についても、

講演でお話することで、自分の理解が更に深まりました。

この講演内容については、この後のブログで報告いたします。


★講演会終了後、岡山城でレセプションが開かれました。

お城から見る、夕闇に囲まれた岡山の街の風景は

一生忘れないでしょう。

夏の遅い夕闇に沈んだ城下町は、詩情豊かな美しさでした。

江戸時代の城主の見た風景を想起させます。

その美しさの半面、人々の個々の暮らしは見えません。

何となく「十把一絡げ」の「民草」の印象です。

為政者は「庶民」をこうやって眺めていたのだなぁ、

という感慨も。

私も「草」の一本ですが、

それでも「考える葦」にはなりたい、と思いました。

 

 

 


★さてブログの更新が、遅れましたが、

「勉強」は、ゆっくり、じっくり、ずっと続けています。

その一つは、Claude Debussy クロード・ドビュッシー

(1862-1918) 「子供の領分」です。


★Debussyの"Children's Corner"が決して「子供用の曲」では

ないのは、自明の理ですが、学べば学ぶほど、その愛らしく優しい

外見とは裏腹に、物凄く峻厳な論理の世界によって

構築されていることがわかります。


★大事なことは、この曲集が「6曲」で構成されていることです。

ドビュッシーは、「Préludes pour Piano」の作曲家であることを

以前お話しました。

「前奏曲集」とは取りも直さず、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」

を、根底に持っている作品を、意味します。

ショパンの「Préludes」も、同様です。

ドビュッシーは自らを、“バッハの正当な後継者である”と、

高らかに、宣言しています。


★それでは、「子供の領分」はどうでしょうか。

これは、バッハの「Suite 組曲」を土台に作曲された、と

言うことができます。

"Children's Corner"の第6曲は、バッハの「組曲」の

最終曲の第6曲と同じ意味を、持っているのです。

 

 

 

 

★第6曲"Golliwogg’s cake walk"は明るく楽しい曲です

ので、単独で演奏されることも多く、

気楽なポピュラー音楽のレッテルさえ貼られているようですが、

本当にこの曲の意味を知りたいのであれば、

この組曲の第1曲から第5曲の勉強は必須です。


★私の勉強会でもほぼ1年かけて、この曲を学んでいますが、

ドビュッシー音楽の扉を、やっとノック出来た、という感じです。

さて"Golliwogg’s cake walk"を学ぶのには、その前の曲、

第5曲"The little Shepherd"「小さな羊飼い」の理解が

不可欠です。


★この第5曲は短く、比較的「地味」なので、目だない

存在ですが、ドビュッシーの生涯の全作品を通して、

これ程、重要な曲もないでしょう。

第5曲"The little Shepherd"「小さな羊飼い」は、

オーケストラ曲「Prélude à "L'après-midi d'un faune" 

牧神の午後への前奏曲」と、フルート独奏曲

「Syrinx シュランクス」を、繋ぐ曲でもあります。


★この"Children' Corner"でも、第5曲は、僅か「31小節」

とても小さな作品ですが、これなくしては、全曲がガラガラと

瓦解してしまうほど、大きな役割を担っています。


★この役割について、今回は"Golliwogg’s cake walk"との

関係に絞って、見てみましょう。


"The little Shepherd"は、イ長調「A-Dur」です。

調号は、「♯3つ」です。

"Golliwogg’s cake walk"は  変ホ長調「Es-Dur」

調号は「♭3つ」です。

これだけ見ますと、イ長調「A-Dur」と変ホ長調「Es-Dur」は、

大変遠い「遠隔調」ですから、

二つの曲の調には、何の関連も無いように見えます

(以降、"The little Shepherd"を「小さな羊飼い」、
"Golliwogg’s cake walk"を「ゴリウォーグ」と略します)

 

 

 


★それでは第5曲「小さな羊飼い」の後に、

「ゴリウォーグ」君は、唐突に姿を現したのでしょうか?

そうではありません。

この二曲の調性は、非常に遠い《遠隔調》ですが、

各々の個性を失わせることなく、

「緊密に手をつないぐ方法」、即ち、バッハが

「平均律クラヴィーア曲集1巻8番」のプレリュードを、

「変ホ短調es-Moll(♭6つの調)」で、

フーガを「嬰ニ短調dis-Moll( ♯ 6つの調)」で作曲したのと、

同じ手法を使っています。


★ただドビュッシーは、この二曲の調号をバッハのように、

「異名同音の調」にすることは、しませんでした。

この「小さな羊飼い」と「ゴリウォーグ」の【非常に重要な音】を、

《異名同音》を使うことによって、二曲が全く違う曲でありながら、

大きな一体感を醸し出すことができたのです。


★具体的に見ていきましょう。

「小さな羊飼い」12小節目を、幹音(♯や♭の付いていない音)

以外すべての音を、《異名同音》で書き替えてみます。

12小節目は、もちろん「♯3つ」のA-Durですから、♯系です。

これを「♭系」で、書き替えるのです。

 


 


★続く13~16小節も同様に、「♯」系から「♭」系

《異名同音》で、書き替えてみます。

この様に、異名同音で書き替えましても、

楽譜を見ずに、耳で聴く分には全く音は変わりません。

 

 

 


★「小さな羊飼い」12小節3拍目の「dis² -h¹」は、

異名同音で書き替えると、「es² -ces²」になります。

12~15小節までの各小節に、しつこく「dis² -h¹」

即ち、異名同音「es² -ces²」が出現します。

16小節では1オクターブ低い「dis¹ -h」、即ち

「es¹-ces¹」になります。

ドビュッシーはどうして、同じモティーフを畳みかけるように

連続して使ったのでしょうか?


★解答は、第6曲「ゴリウォーグ」の冒頭にあります。

曲の冒頭2~4小節に、「小さな羊飼い」と同じく、

しつこい位「es²- ces²」→「es¹-ces¹」→「es-ces」の

モティーフが連続します。

 

 

 


★「ゴリウォーグ」は、直前の第5曲「小さな羊飼い」とは、

かけ離れた「遠隔調」でありながら、この「耳で聴くだけ」では

全く同じ音によるモティーフが、両方の曲で連続して奏され、

違和感なく、一体感を醸し出しているのです。

 

 

 

 

★次に「小さな羊飼い」の、21小節を見てみましょう。

この小節の下声(左手)部分を、同じように

異名同音で、書き替えてみます。

 

 

 

1-3拍目の「ais¹-gis¹」の異名同音は、

「b¹-as¹」です。

この「b¹-as¹」は、「ゴリウォーグ」の1小節目、

冒頭音に相当します。

 

 

 

 

★この様に「ゴリウォーグ」の冒頭の主要モティーフは、

「小さな羊飼い」で異名同音ながら、

慎重に、準備されていたことが分かります。

このため、この二曲は、曲想も、調号も全く異なりながら、

違和感なく接続し、それでいて「小さな羊飼い」の静かで

穏やかな牧歌的曲想から、どこか猥雑な雰囲気さえ

漂わせた、都会的な20世紀のパリの劇場へと、

無理なく、移動できるのです。


★更にもう一つ、「小さな羊飼い」24 、25小節

下声(左手)部分の第3拍目の二分音符和音も、

異名同音で、書き替えてみましょう。

 

 

「ゴリウォーグ」の6小節目。

前奏が終わった後の、cake walkの軽やかな踊りの

伴奏の和音「Es-B」

これも「小さな羊飼い」の24、25小節と、

高さは1オクターブ違いますが、同じ音です。

 

 

「ゴリヴォッグ」冒頭部分の重要モティーフは、

「小さな羊飼い」から由来していることが、

お分かりいただけたかと思います。

 

★それでは「小さな羊飼い」の、異名同音変換した

この部分は、「小さな羊飼い」の曲の中で、一体

どんな意味を持っているのでしょう?

遠からぬ次回の当ブログで、ご説明いたします。

 

 

 


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■ブラームスは「交響曲4番」冒頭から、対位法の秘術を尽くしている■

2023-07-03 17:26:35 | ■私のアナリーゼ講座■

■ブラームスは「交響曲4番」冒頭から、対位法の秘術を尽くしている■
  ~7月17日岡山での「講演」内容の前触れ~
            2023.7.3  中村洋子

 

 

 

 

★前回のブログで、お知らせいたしましたように、

7月17日、岡山市で開催されます

「リジェネフォーティ先端医学セミナー」で、

「特別講演」をさせて頂きます。

講演では、Johann Sebastian Bach バッハ(1685-1750) の

「平均律クラヴィーア曲集」が、

Frederic Chopin ショパン(1810-1849)、
Johannes Brahms ブラームス (1833-1897)、
Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)

の作品の根幹をなしている、というお話を分かり易く

ピアノで音を確かめながら、お話いたします。

https://www.regene4t.co.jp/post/%E3%83%AA%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC-%E5%85%88%E7%AB%AF%E5%8C%BB%E5%AD%A6%E3%82%BB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E3%83%AC%E3%82%BB%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3%EF%BC%86%E8%A8%98%E5%BF%B5%E8%AC%9B%E6%BC%94%E3%81%8C%E9%96%8B%E5%82%AC%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82


★今回、Brahms(1833-1897)「交響曲第4番」について、

講演会でお話する内容を、前触れとして少しお知らせいたします。

以下を十分に理解されたうえで、講演をお聴きになりますと、

理解がより一層深まると、思うためです。


★ブラームスの作品は「重厚」である、とよく評されます。

「重厚」とは、まさに「重く厚い」という意味で、私もそう思います。

では、ブラームスのどこが、何が「重く」「厚い」のでしょうか?

その「重い」装いの中から、溢れ出る情感、あるいは情熱が、

聴く人の心を、とらえて離さないのは、どうしてなのでしょうか?

それは、「ブラームスの音楽」は、一体どこから来たのか、

という問いでもあります。


★ブラームスの音のパレットは、画家「Georges Rouault ルオー

(1871-1958)のようだ」と、私は感じることがあります。 

油絵具を何度も何度も、熱く塗り重ねることによって、

不思議な透明感を得るルオーの絵画

そこに差し込む透明な光の色彩は、まるでブラームスの

音楽のようです。

 

 

 


★ルオーが塗り重ねた絵の具と同じような役割を、ブラームスの

音楽では、どのような「技法」が、担っているのでしょうか?

やはりクラシック音楽の基本「Counterpoint 対位法」です。

「対位法」と言いいますと、広い意味がありますが、

ここでは「カノン」に絞って、「1楽章冒頭」を見てみましょう。

一度聴いたら忘れがたいメロディーから、1楽章は始まります。

 

 

 

 

★上記譜例はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの

パートを、要約したものです。

「あぁ、ブラームスの《4番》!」という音楽です。

しかしこの時、オーケストラのその他の主要な楽器は、

何をしているのでしょうか?

「休符」が付いた休止部分では、決してありません。

上記の譜例の「ヴァイオリンⅠ」の部分と、「フルートのⅠ、Ⅱ」

の部分を、試みに抜き書きしてみます。

 


 


ヴァイオリンの旋律を、「二分音符」分の間隔を空けて

第Ⅰフルートが、追いかけています。

これは立派な「カノン」です。

他の木管楽器も、クラリネットはフルートのⅠ、Ⅱの旋律を

一オクターブ低くして、全く同じように演奏し

ファゴットⅠ、Ⅱは、さらに1オクターブ低くフルートと同じ

旋律を演奏します。

 


 

 

ヴァイオリンⅠ、Ⅱの圧倒的な音量と存在感に、ともすれば

見落としがちになりますが、フルート、クラリネット、ファゴットの

木管楽器連合が、ヴァイオリンの濃厚な色彩とヴォリュームを、

点描のように、カノンで追いかけています

 

 

 

 


★この二つのグループが織りなす“色彩のパレット”を支えるのは、

ホルンとコントラバスによる、主調「e-Moll ホ短調」主音である

「ミ」の「持続音」です。

深く、憂愁に満ちています。

 

 

 

 

★ここでとても重要なことは、ブラームスはこの交響曲の1楽章で、

なんと「1小節目」から、「カノン」を始めていることです。

カノンは通常は曲の始めには、あまり登場しません。

その曲の「主題」の旋律や、大事な「motif 要素」の旋律

聴く人の耳が馴染んだ頃、カノンの「追いかけっこ」が、

始まることが多いのです。


★このような曲頭に、すぐカノンを配置する例は、実は、

Bach 「平均律クラヴィーア曲集」のフーガに見られます。

さてその後、この1楽章はどのように変遷するでしょうか?

Brahmsの自筆譜を見てみましょう、19小節に注目です。

そこには、自ら、青鉛筆で大きく【A】と、書いています。


★その自筆譜は、自ら指揮をするために、青鉛筆で大きく

「A」(19小節)、「B」(45小節)、「C」(57小節)、「D」(87小節)・・・

と練習番号(番号ではなく、アルファベット)を書き込んでいます。

その大きな区分である「A」「B」「C」「D」の、

「A」19小節から「ヴィオラ」→「クラリネットとファゴット」→

「オーボエとヴィオラ」→「フルートとクラリネットとファゴット」

の順に、次々と息をのむような「緊迫したカノン」が展開します。

 

 

 

 

 

これほど「緊迫したカノン」は、曲の後半や最後のクライマックスまで

とっておきたいと、普通の作曲家は考えるかもしれませんね。

ブラームスの練習番号「B」(45小節)が始まって8小節経過した、

自筆譜53小節から、練習番号「C」(57小節)にかけての3小節間

上方に、ブラームスは黒鉛筆で、以下の文章を記しています。

"Nirgends a2 setzen immer doppelt streichen! Brahms 
                   hat das lieber!"
(「a2 (a due)」とは記さないでください)


★これにつきましては、私の著書《11人の大作曲家「自筆譜」で解明

する音楽史~バッハからバルトークまで~》174~176ページの、

《ブラームスの作曲意図が伝わる「第4番」自筆譜への書き込み》

お読みください。

 

 

 

 


53小節から始まるオーボエⅠ、Ⅱ、クラリネットⅠ、Ⅱ、

ファゴットⅠ、Ⅱ、ホルンⅠ、Ⅱの、各々二人ずつの奏者が、

同じ旋律を、一緒に演奏していましても、それは一つの旋律

《二人で同じ音》で、弾いているのではなく、

《カノンが極まった段階》に到達した結果として、二人の奏者

《同じ旋律》を奏することになった、ということなのです。


★例えますと、競馬のレースで、先頭を走っている馬を、

後続の馬がどんどん追い詰め同時にゴールへ到着した

状況を、思い浮かべてください。

先頭の馬が奏者Aで、追いついた馬が奏者Bです。

結果的にゴールで、同じ音を弾いていることになります。


全440小節ある交響曲第4番1楽章の、8分の1位の位置

にある「53小節」で、曲の最後に配置するような、

「究極のカノン」を、ブラームスは繰り出しています。

ですから、彼の鉛筆のメモ書きで、楽譜の「engraver彫り師」に

《「a2 (a due)」とは書かないでください、一つの音符の上下に
符尾を2本書いてください。ブラームス(私)はそれを好みます》

とお願いしています。


★さて53小節で、この様な秘術を尽くしたブラームスは、

この後、“1楽章の船”をどのように航海させていくのでしょうか。

皆様も、そこに注意して、楽しみながらお聴きになり、

そして、スコアとも仲良くなって下さい。

 

 

 


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■「ブラームス交響曲4番」に宿る「バッハ」を、自筆譜から解明する■

2023-06-28 01:00:32 | ■私のアナリーゼ講座■

■「ブラームス交響曲4番」に宿る「バッハ」を、自筆譜から解明する■
~2023年7月17日 岡山市三木記念ホールで講演いたします~
      2023.6.28    中村洋子

 

 

 

 


7月17日(月・祝日 15:45~16:55)岡山市・三木記念ホール

(岡山市北区駅元町19-2)で、

《「ブラームス交響曲4番」に宿る「バッハ」を、ブラームスの

自筆譜から解明する》というテーマで、講演を致します。

事前予約が必要ですが、入場無料です。

15時45分~16時55分です。


★私の講演は、【リジェネフォーティー先端医学セミナー】の一環

としての記念講演です。

このセミナーで、中心となられる中西徹先生からのご依頼です。

中西先生は、分子生物学者で、現在、脊髄損傷治療用細胞薬

開発に、尽力されています。

また、クラシック音楽を心から愛され、「日本モーツァルト協会」

会員で、特に、Johannes Brahms ブラームス (1833-1897)が

お好きです。

そんな音楽のご縁から、今回の「Brahms と Bach 」との関連を、

解きほぐす講演を、依頼されました。


J.S.Bach バッハ(1685-1750)の[平均律クラヴィーア曲集」は、

音楽史上「聖書」と言われます。

なぜ「聖書」なのでしょうか?

Bachはこの曲集で、私たちが今日当たり前に使っている「調性」

とは、一体何であるかを定義し、そして無限の可能性があること

実証しました

Bach以降、今日に至るまで約300年の音楽の歴史は、この曲集が

屋台骨となって支えています。


★講演では、「平均律クラヴィーア曲集」と、その後の「名曲」

ピアノで実際に演奏することで、いかにこの曲集が土台、

屋台骨なっているか、それを実感して頂きます。

 

 

                                                                                                               (蛍)


★平均律クラヴィーア曲集は、Ⅰ、Ⅱ巻共に24曲の

「プレリュードとフーガ」から成っています。

このプレリュードは、後世の大作曲家に計り知れない影響を及し、

Chopin(ショパン 1818-1849)の「24の前奏曲集」、

Debussy(ドビュッシー 1862-1918)の「PréludesⅠ(12曲)、

PréludesⅡ(12曲)」など枚挙に暇がありません。


Chopin の前奏曲集の第15番「雨だれ」や、

Debussyの前奏曲1巻 第8曲の「亜麻色の髪の乙女」は、

どなたもご存じの名曲ですが、Bach の技法を新しい"語法"で

再創造したものに他なりません。


★私たちは、ショパンやドビュッシーの曲を通して、知らず知らずの

うち「平均律クラヴィーア曲集」の世界に、足を踏み入れいるのです。

ピアノで音を出し、具体的にご説明いたします。


Brahms の Bach由来の曲はどこにあるか・・と申しますと、

答えは「彼の全作品に!」となります。

具体例として、Brahms 「交響曲第4番」(1884-85年作曲)作品98

を、Brahms の自筆譜を基に、分かりやすく解説いたします。

楽譜になじみのない方でも、「成程」と納得でき、

クラシック音楽の歴史が、名曲を通してご理解いただけると思います。


参加ご希望の方は7月16日までに下記へメールをお送りください。
southern.cross@regne4t.co.jp

 

 

 

 


ショパンやドビュッシーほどの大作曲家が、自作の曲集に

「Préludes 」と命名するのは、並大抵の覚悟ではありません。

私の曲は、Bach 「平均律クラヴィーア曲集ⅠⅡ巻」各24曲ずつ

計48曲の「Preludium&Fuga プレリュード&フーガ」の、

正当な後継である》と高らかに宣言している、とみてよいからです。


★ドビュッシーの前奏曲1巻 第8曲「亜麻色の髪の乙女」を、

一度も聴いたことがない人は、おそらくいないでしょう、

というくらい有名な曲です。

美しく、親しみやすい曲なのですが、子細に分析いたしますと、

空恐ろしいほどの「対位法の坩堝(るつぼ)」です。

大ドビュッシーが、ただ美しいだけの小品を「Prélude」と

名付けるはずがないのです。

それをピアノの音で確認しながら、分かり易くお伝えします。


★この曲の重要なカギは、≪3度音程≫です。

その「3度音程」について、Bachは「平均律クラヴィーア曲第Ⅰ巻」の

謎めいた「序文」で、とても重要な記述を残しています。

https://www.academia-music.com/products/detail/159893

ベーレンライター出版社(ドイツ語: Bärenreiter-Verlag)の

私が「日本語訳」と「解説」をしました「平均律クラヴィーア曲Ⅰ巻」

に、≪バッハの意図≫について、詳しく解説しております。

 

 

 


★このBach の考えを発酵させ、反映させたのがドビュッシーです。

2018年刊行「Durand版 Claude Debussy Préludes LivreⅠⅡ

(avec notes critiques)」=これは、ドビュッシー全集に基づく

「前奏曲集第1巻」、「同第2巻」の演奏譜に、新たな校訂報告

解説異版ファクシミリ(部分、モノクロ)が加わったものです。

(旧来の全集版演奏譜「第1巻・第2巻」は楽譜のみ)

https://www.academia-music.com/products/detail/183715?utm_source=newsletter&utm_medium=email&utm_campaign=2306010


★この楽譜の巻末87ページに、「亜麻色の髪の乙女」の完成稿に

達する前のスケッチ写真が1ページだけ掲載されています。

この1ページを詳しく見て、私はとても驚きました。

私たちが親しんでいる完成稿の、「3度音程」が連続するあの美しい

冒頭の旋律

 

 

「3度+3度+3度」

 

 

ドビュッシー「初期スケッチ」は、「3度+3度+4度」だったのです。


★このスケッチは、調性が省略して書かれているので、

何調なのか不明ですが、ここではっきり分かることは、

当初の構想を変更し、推敲を重ね、

「3度+3度+3度+3度+3度+3度・・・・・」という

驚異的な旋律を、作り上げたことです。

 

 

 


★このドビュッシーの推敲には、Bach「平均律クラヴィーア曲Ⅰ巻」

「序文」が、密かに大きな翼となって、ドビュッシーを包み込んだ

ではないかと、私は推測します。


★さて講演で取り上げる大作曲家を、歴史順に並べますと、

Bachバッハ→ ショパン→Brahmsブラームス→ドビュッシー

となります。

Brahmsの「交響曲第4番」も、この「3度音程」が深く深く、

浸み込んでいます

「平均律クラヴィーア曲1巻」に、そのルーツを求めつつ、

ご自分の耳で、納得していただけるようお話する予定です。

 

 

                            (モリアオガエルの産卵)


★【リジェネフォーティー先端医学セミナー】
主催:リジェネフォーティー先端医学セミナー実行委員会
共催:ASEAN-JAPANゲノム医療研究推進会議(13:00~17:00)
東京工業大学・田川洋一先生、
和歌山県立医科大学・保富宗城先生
奈良先端科学技術院大学院大学・笹井紀明先生
京都府立医科大学・新井祐志先生
就実大学・山崎勤先生のご講演の後に、
私(中村洋子)の講演となります(15時45分~16時55分です)。

 


★中村洋子プロフィール
東京藝術大学作曲科卒。
・Bach「インヴェンション・アナリーゼ講座」全15回
  「平均律クラヴィーア曲集Ⅰ、Ⅱ巻アナリーゼ講座」全48回、
  「ゴルトベルク変奏曲・アナリーゼ講座」全10回を開催。
・ベーレンライター社刊のBach「ゴルトベルク変奏曲」原典版の
  「序文」  日本語訳と「注釈」を執筆。
・ベーレンライター社刊のBach「平均律クラヴィーア曲集第1巻」
  原典版に、Bach自身の「序文」について、「解説」を執筆。
・自作品「無伴奏チェロ組曲1~6番」、チェロ「二重奏のための
  10の曲集」  の楽譜を、「Musikverlag Ries&Erler Berlin 
  リース&エアラー社」   (ベルリン)より出版。
・自作品「無伴奏チェロ組曲1~6番」のSACDを、
  Wolfgang Boettcher  ヴォルフガング・ベッチャー演奏で
  発表(disk UNION:GDRL1001/1002)
  (レコード芸術 特選盤)
・CD『Mars 夏日星』(ギター二重奏&ギター独奏)を発表。
  (アカデミアミュージッ  クで発売中)
・著書
 ≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫
 ~バッハ、ショパンの自筆譜をアナリーゼすれば、曲の構造、
 演奏法まで分かる~(DU BOOKS社)
 ≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史≫
  ~バッハからバルトークまで~(DU BOOKS社)

 

 

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

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■ ドビュッシー「子供の領分」第5曲「小さな羊飼い」の源は「牧神の午後への前奏曲」■

2023-05-22 22:11:37 | ■私のアナリーゼ講座■

■ ドビュッシー「子供の領分」第5曲「小さな羊飼い」の源は「牧神の午後への前奏曲」■
~「小さな羊飼い」はわずか31小節、しかし一筋縄ではいかない傑作~
        2023.5.22  中村洋子      

 

 

                

 

Debussy の組曲「Children's Corner 子供の領分」の第5曲

「The little Schepherd 小さな羊飼い」は、全6曲

「Children's Corner」の中でも、比較的目だなない小曲です。

一番人気は、最終曲「ゴリヴォーグのケークウォーク」でしょう。


★それでは「子供の領分」全6曲を、簡単に俯瞰してみましょう。

第1曲「Doctor Gradus ad Parnassum 
           グラドゥス・アド・パルナッスム博士 」

韜晦趣味のタイトルですが、曲の内容は、流麗で、

バッハの基本に忠実な、美しい「Prelude 前奏曲」です。

第2曲「Jimbo's Lullaby ジンボーの子守歌 」

ぬいぐるみの象さんジンボーちゃんが眠りにつくための、

愛情たっぷりの子守歌。

一度聴いたら忘れられない旋律と愛おしさを持った曲です。


★第3曲 「Serenade for the Doll お人形のセレナーデ 」は、

お人形さんの青年が、夜更けに、恋人の部屋の窓辺で、

おもちゃのギターをかき鳴らし、愛の歌を歌います。

明るく、かわいらしいセレナード


★第4曲 「The snow is dancing 雪は踊っている 」は、

幻想的な、雪百態です。

この曲のドビュッシーの自作自演の録音を聴きますと、

眼前に雪が舞い上がり、風に吹き飛ばされている、

フランスの静かな、田舎の雪景色が浮かび上がります


★さてこのように個性豊かな4曲と、最後の有名な6曲に挟まれて、

やや埋もれた印象もあるのが、

第5曲「The little Schepherd 小さな羊飼い」かもしれません。


★事実、幼いころ私が東京のブリジストンホールで開かれた、

ピアノ発表会で弾いた曲目も、

 「雪は踊っている」と「ゴリヴォーグのケークウォーク」でした。

憧れのピアノ・ベーゼンドルファーで弾くことができましたので、

ワクワクし、そのピアノの醸し出す豊饒な響きと感動は、

いまでも脳裏にはっきり残っています。

この曲がずっと終わらないでほしい、と思いながら

弾いていました。


★因みに、ブリジストンホールは、東京京橋のブリジストン美術館

に、併設されていた音楽ホールでした。

ブリジストン美術館(1952年開館)は、2020年1月改称し、

新しく「アーティゾン美術館」となりました。

従来の西洋美術、日本近代絵画に加え、古美術品や現代美術も

幅広く収蔵・展示する施設となりました。

 

 

 


★さて、何となく地味で目立たない印象の、この第5曲

「小さな羊飼い」は、勉強すればするほど、

「ドビュッシーは何という天才なのだろう!」と、改めて感動する、

底知れない魅力と、同時に一筋縄では行かない傑作です。


★この曲は、幼子イエスを暗示しているのではないかと、思います。

羊飼いである以上、王宮や豪奢な邸宅に住む子供ではなく、

羊の世話をし、野原を吹き渡る風の音を聴き、

自然の中で、静かに生活している子供でしょう。


★この曲の冒頭4小節は、ピアノの右手だけの単旋律です。

特に3、4小節は、あたかも羊飼いが吹く葦笛のようです。

 

 

 


この4小節でいつも私が想起する曲は、ドビュッシーの

「Prélude à "L'après-midi d'un faune 
                                     牧神の午後への前奏曲」です。

牧神 faune(仏)、Pan(英)は、ヤギの角と耳と足の形をした、

森林、狩猟、牧畜をつかさどる半人半獣の神様です。

葦笛を吹きます。

牧神の午後への前奏曲はオーケストラの作品ですが、

冒頭4小節はフルート独奏です。
       
この動画の冒頭で、このフルート独奏が流れます。
https://youtu.be/b6PaOrhZT8I

 

 

 

 

「牧神の午後への前奏曲」は、1892~94年に作曲されました。

Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)の、

30代初めの作品です。

それに対して、「子供の領分」は、1908年に出版と初演です。

一人娘クロード・エマ(愛称 “シュシュ” Chouchou)を授かり、

彼女のために作曲したドビュッシー40代半ばの傑作です。

 

 

 


★この「小さな羊飼い」には、10数年前の「牧神の午後への

前奏曲」が色濃く投影されている、と見てもよいでしょう。

この二つの曲の冒頭の旋律が、増4度音程

(三全音 tritonus トリトヌス)を使っているのも、

偶然ではないでしょう。

全音(長2度)を3回連続させますと、それによってできる音程は、

結果として、「増4度」音程になります。

 



 

「小さな羊飼い」は、全音を3回重ねてできた三全音。

「牧神の午後への前奏曲」は、半音階の開始音と終始音により、

「三全音トリトヌス」を形成しています。

ドビュッシーはこの「三全音トリトヌス」を、好んで使っています。

この三全音の先に、さらに全音を2回重ねますと、

ドビュッシーの音楽を決定づける要素の一つである、

「全音音階 whole tone scale」に行きつくのです。



 


この音階の中に「小さな羊飼い」が隠れていますよ。

 


 


ドビュッシー以前に、この全音音階を作品に使っている作曲は

皆無ではないのですが、最も頻繁に効果的に使用しているのは、

ドビュッシー以前の、ムソルグスキーやチャイコフスキー等の

ロシアの大作曲家たちでしょう。


★私の著書《11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史》で、

詳しく、ご説明しましたように、

ドビュッシーは、チャイコフスキーのパトロンのフォン・メック夫人

ピアノ連弾等のお相手と、夫人の子供たちの家庭教師を兼ねる

アルバイトを、若い頃していました。

チャイコフスキーの新作は、真っ先に夫人のもとに送られ、

ドビュッシーはそれを目にし、編曲をし、夫人とピアノで

連弾する機会を持つことができたのです。

多彩な顔を持つドビュッシーの音楽の、一面である、

甘くうっとりとした音楽の源泉は、間違いなく

チャイコフスキーにあります。

 

 

 


★つい先日、ドビュッシー作品全集 というBox CD を、
           https://wmg.jp/discography/18869/

求めました(CD33枚)

前から気になっていたのですが、演奏家が玉石混合?、

と不遜にも思い、購入の決心がつかなかったのです。

しかし、こんなにも不穏な世の中に暮らしていますと、

「出来ることは今やる」という考えになり、躊躇なく求めました。


★全33枚のうち、まだ3枚しか聴いていませんが、

「面白い、なんで早く購入しなかったのか!」と、思っています。

聴いたCDは、「CD8:連弾のための作品集」

「CD9:2台のピアノのための作品集」

「CD33:ドビュッシー・プレイズ・ドビュッシー
            (ピアノ・ロールと78回転盤録音)」です。


★CD8:連弾のための作品集の中に、チャイコフスキー

(ドビュッシー編):『白鳥の湖』より「ロシアの踊り」「スペインの踊り」

「ナポリの踊り」が、収録されていました。

おそらくドビュッシーが、フォン・メック夫人と連弾するために、

「白鳥の湖」を編曲したのでしょう。


★これを聴き、同じくCD8に収録されているドビュッシーの

不朽の名曲『小組曲』L.71aを聴きますと、

この明るく、生きる喜びを歌ったような連弾曲の根っこに、

チャイコフスキーがド~ンと構えているのが見えてきます。

 

 

 


★CD8にはドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」を

モーリス・ラヴェルが連弾曲に編曲した作品も、入っています。

Mozart がBachの作品を編曲して、Bachをより深く学んだように、

ドビュッシーは、チャイコフスキーの編曲を通じて、

「音楽の精髄 essence」を身に付け

Maurice Ravel モーリス・ラヴェル(1875-1937)は、

ドビュッシーを編曲して、ドビュッシーを我が物にしました。


ラヴェルによる連弾編曲の「牧神の午後への前奏曲」

出版されています。
https://www.academia-music.com/products/detail/131649

流石です。

この曲を、ご自身のピアノソロで楽しみたい時は、

Borwickの編曲が、優れています。
https://www.academia-music.com/products/detail/129534

Leonard Borwick ボーウィック(1868 – 1925)は、

イギリスのピアニストでクララ・シューマンのお弟子さんです。


★Borwickが1891年、ウィーンでデビューの際、ハンス・リヒターの

指揮で Johannes Brahms ブラームス(1833~1897)のニ短調

協奏曲を、演奏しました。

この演奏会には、Brahms 自身も出席しています。

このボーウィックは、シューマン、ブラームスの演奏、さらに、

ブラームスの盟友であったヴァイオリニストのヨアヒムとの

二重奏などで、活躍した大家です。


★さて、一筋縄で済まない「小さな羊飼い」の背景を知るだけで、

これだけの勉強が、必要です。

次回のブログで、もう少しその奥深い、fauneフォーン

羊飼いshepherdの住む、牧場や森に分け入ってみます。

 

 

                           (モリアオガエル)

 

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■アイネ・クライネ・ナハトムジークの冒頭、たった二音で“春”を感じさせる■

2023-02-28 20:04:11 | ■私のアナリーゼ講座■

■アイネ・クライネ・ナハトムジークの冒頭、たった二音で“春”を感じさせる■

      2023.2.28 中村洋子

 

 

 

 

モーツァルトに春を感じる

2月もいよいよ今日が最後の日です。

2月が「光の春」であるならば、

3月は「開花の春」でしょうか。

大きく膨らんだ桜の蕾は、Botticelli ボッティチェリ(1445-1510)の

Primavera プリマヴェーラ~春」の、女神たちのようでも

あります。


★今年はブログ更新を続々と~と思いっていましたが、

2月5日の「日本モーツァルト協会」主催の講演会で、

モーツァルトの自筆譜についてお話しましてから、

ずいぶん時間がたってしましました。

講演会は終わりましたが、

この2月中はMozart モーツァルト(1756-1791)の世界

を探求し、楽しみ、浸っていました。


★講演会でお話しましたモーツァルトの作品中で、

今の春の気分にぴったりなのは、

「Eine Kleine Nachtmusik アイネ・クライネ・ナハトムジーク」

KV525の1楽章のように感じています。

「 Le nozze di Figaro フィガロの結婚」KV492の成功の後、

1787年に「Don Giovanni  ドンジョバンニ」KV527の作曲と

並行して、Mozart は「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を、

1787年に完成しました。

「Eine Kleine Nachtmusik」 ( A little music at night)

「小さな夜の音楽」は日本でいえば、

夜桜見物の楽しさでしょうか。

 

 

 

 

第1楽章には、溌剌とした生命の息吹が感じられます。

「自筆譜」ファクシミリは
https://www.academia-music.com/products/detail/23398

紙の端のギザギザまで、再現されていています。

通常は展覧会に出品され、ガラスケースに収まった「自筆譜」しか

見る手段がないところを、自宅でピアノの譜面たての上や、

机で読書するように、眺め、勉強できるので、「いい時代だな」と

上機嫌になっています。


★上記ホームページを見ていただけますと、

「自筆譜」の大雑把なところは読めると思います。

しかしこれはあくまで「見本」であり、パソコン用にデフォルメされて

いますので、実寸とは大きくかけ離れています、ご注意くださいね。

本物をお手に取られることを、お薦めします。


「自筆譜」は、実寸で縦22.5cm 横31.5cmの横長の五線紙

書かれています。

このネット上の楽譜ですと、縦横の長さの割合が、現物と異なり

ますので、モーツァルトの伸びやかな筆致は再現できていません。

それでも、重要なことは読み取れますので、

今日は私の書き写した譜例ではなく、

この画像を見ながら、お話します。


★まず1楽章冒頭を、見てください。

一部の「実用譜」では、この1小節「1拍」に、f」あるいはff

記号が、書かれていることが多いのですが、

モーツァルトの「自筆譜」では、f」や「ff」の記号の位置は、

全く異なった場所にあります。


★そもそも、モーツァルトは「f」とは、書いていません。

ff」と書いているのです。

さらに、その位置は、1小節と2小節を分ける小節線上に、

大きく、はっきりと記され、あたかも

ff はここから始まりますよ!」と、主張しているかのようです。

 

 

 


★このように記譜が二通りもありますと、実際の演奏は、

それぞれ、どのようになるのでしょうか?

まず「実用譜」を見てみましょう。

1小節1拍に「ff」がありますと、

曲の開始と同時に、大きな打ち上げ花火が「ドカ~ン!」と上がり、

空中に“花”が開いたような印象です。

しかしその後は、空中に“大輪の花”が咲いたままですので、

やや変化に乏しい、とも言えます。


★モーツァルトの「自筆譜」のように、1~2小節を分ける小節線上に、

ff」がありますと、どうでしょうか?

1小節には、何も記号がありません

しかし1、2小節を区切る小節線上(正確に言いますと、

1小節最後の8分音符「レ」と小節線の間)に、

ff」がありますと、「レ」が、2小節冒頭の「ソ」の

「Auftakt アウフタクト」となります。

「tutti 総奏」である「ソ」に対して、「レ」が物凄いエネルギーを

発していることが分かります。

 

 

 


1小節1拍の「fortissimo」が表現している打ち上げ花火の

「ドカ~ン!」を、モーツァルトは要求していません。

モーツァルトの「自筆譜」では、「ff」は2小節からです。

それではなぜ、2小節が重要なのでしょうか?


★1小節の第1ヴァイオリンを見てみます。

 

 

「ソ レ ソ レ ソ レ ソ  g² d² g² d² g² d²g²」

「ソ」と「レ」が数回繰り返されますが、この2つの音「ソ レ」

(レとソ)の関係は、各回違っています。

「ソ レ-ソ レ-ソ レ-ソ  g²  d² -g² d² -g² d²- g²」

 

 

 

 

1小節1拍の「g²」 は、この曲の主調「ト長調 G-Dur」の主音です。

ここでファンファーレのように、高らかに「ト長調」を知らせます。

次に1回目の「レ-ソ d² -g² 」はト長調の「属音ー主音」です。

「ト長調」を、これにより確立します。

まだff」ではありません。

 

 

 

 

次に2回目の「レ- ソ   d² -g² 」です。

これは先ほどご説明しましたように、

このレ-ソの間に小節線があり、

「Auftakt」の「レ」を従えた「ソ」はff」です。

 

 

 

 

 

3回目の「レ-ソ d² -g² 」は、同型反復3回の鉄則通り、

最重要な役割を担います。

「レ-ソ 」を先駆けとして、続く「シ-レ   h²-d³」を合わせて、

「ソ シ レ」、つまり、ト長調の主和音が、華やかに顔を現します。

 

 

 

 

「主音」「属和音と主和音」「主和音」という順に、

「ソ」と「レ」の音だけで、この様に魅力的で、素晴らしい曲頭を

創りあげています。

見事です

 

 

 

 


★そして、それを演出するのが、1~2小節を区切る小節線上の

ffだったのです。

モーツァルト「自筆譜」1段目は、1~10小節が記譜されていますが、

ここでは、拙著《11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史》の

Bartókの項289ページに書きましたように、

バッハや大作曲家が、よく使う特別な「手法」が用いられています。


1段目の左端(曲頭)と、右端(1段目最後)に、同じ音や

関連のある重要なモティーフを配置し、両端から中央部に向けて

力強く、エネルギーを放出するような記譜法です。

その結果、強い緊張関係が生まれます。

事実、9、10小節の第1ヴァイオリンの旋律を、要約しますと

「ソ シ レ   g²-h²-d³」になります。

 

 

 

 


★勿論、2段目中央やや右よりの、18~20小節

第1ヴァイオリンで、この「ソ シ レ  g¹-h¹-d²」(1オクターブ下)が、

今度は、沸き立つようなsfpsfp」で、表現されているのも、

見逃せません。

 

 

 

 


★大作曲家の、一見常識外れの記譜、この曲の場合は

ff」の位置ですが、それを「自筆譜」を基にして考えますと、

モーツァルト

「この様に作曲し」、

「この様に演奏していた」、

「この様な演奏を望んでいた」

ということが、

誰から教わることもなく、

自分で発見でき、

そして得心できるのですね。

 

 

 

 

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■2月5日(日)東京で、「モーツァルト」について講演会を開きます■

2023-01-17 20:36:37 | ■私のアナリーゼ講座■

■2月5日(日)東京で、「モーツァルト」について講演会を開きます■
 ~Mozart 「きらきら星変奏曲」の四声体が分かると、
                 その美しさが更に解る~
  
     2023.1.17 中村洋子

 

 

 

 

★来月のことですが、2月5日(日)に東京で、

「日本モーツァルト協会」主催の講演会に招かれ、

「Mozart モーツァルト」に、ついてお話します。

講演の題は
≪Mozart の音楽を理解し、楽しむための最良の手引きは、
 Mozart の「自筆譜」≫です。

https://www.mozart.or.jp/event/2140/

https://www.mozart.or.jp/event/

当ブログでご紹介の「ピアノ・ソナタK333」、

「きらきら星変奏曲」などを、取り上げます。

 

★前回は、ピアノソナタ「KV333」の「自筆譜」について

書きましたが、≪「自筆譜」を通して「Mozart」を学ぶ≫

シリーズ No.2の今回は、

「12 Variationen über ein französisches Lied 

きらきら星変奏曲 KV265/K.300e」です。


★幼稚園の、お遊戯で習う「きらきら星」"Twinkle, Twinkle, 

Little Star" は、モーツァルト(1756-1791)の没後に作られた歌詞

ですから、モーツァルトのあずかり知らない「お歌」です。

フランスの俗謡「Ah!vous dirai-je, maman」を主題とした

ピアノ独奏用の「12の変奏曲」です。


★この曲は、Mozart モーツァルトが、1778年4~9月まで

滞在していたパリで、作曲されたと考えられていましたが、

現在の研究では、それより後のモーツァルト20代半ば、

1781~82年頃の作曲、1785年ウィーンで初出版されました。

 

 

 


「Ah!vous dirai-je, maman」の訳は、いろいろ

ありますが、典型的な翻訳調で、いまひとつ

面白味がなく、意味不明の所もあるため、

私が、意訳してみました。

「Ah!vous dirai-je, maman ママ、言っていい!」

「恋に落ちた羊飼いの乙女の切ない思い」の変奏曲。

その切なさが分かりますと、演奏に深みが増すことでしょう。


ママ! 言っていい?
私のずっと悩んでることを
それはね、シルヴァンドルがやさしい目で
じっと私を見つめているのに、気付いてからなの
好きな人なしで生きていけるのかしらと
思うようになっちゃったの

ある日、森の中で彼は花束を作って
羊を追う杖に飾ってくれたの
そして私にこう言ったのよ 
「可愛いブルネット(茶髪)ちゃん
フローラ(花と春の女神さま)は、君ほどキレイじゃないよ
アムール(愛の神さま)は、僕ほど優しくないよ」

私は真っ赤になり、困ったことには
耳元で囁かれたので
思ってもみないことになっちゃた
気絶して彼の腕の中に落ちちゃったの

近くに身を守る杖はなかった 犬もいなかった
アムール(愛の神さま)はきっと私の敗けを
望んでいたのよ
でもなんて甘くて幸せなんでしょう!!!
心が愛にくるまれると
          (中村洋子訳)

 

★「Deutsche Mozart-Gesellschaft Augsburg 
ドイツ・モーツァルト協会 アウグスブルク 
(Kommissionverlag Henle verlag ヘンレ社
委託出版 2001年)の「自筆譜」ファクシミリに、
以下のような解説がなされています。


★モーツァルトは、このような旋律の変奏曲を4曲作曲。
①La belle française (KV353/300f)
②Ah!vous dirai-je, maman(KV265/KV300e)
③La Bergère Célimène(for violin and piano
             KV359/374a)
④Hélas, j'ai perdu mon amant
    (for violin and piano KV360/374a)

ほとんどの場合、曲や文章の作者は匿名であり、
「Ah!vous dirai-je, maman」も同様である。
このシャンソンは、1760年代の手稿や印刷物に初めて登場。
そして、その人気は瞬く間に広がり、1770年には、この曲は
大流行し、その結果、多くの楽器による変奏曲を生み出す
ことになった。


★1781年6月20日、Mozart はザルツブルクの父宛の

手紙に、 「弟子のために変奏曲を作曲しなければ

ならないので、ひとまず終えますね」と書いています。

この変奏曲が、どの曲を指しているのか、不明のようですが、

貴族の夫人方が是非モーツァルトに習いたい、

と思っていたことは、間違いないようです。

 

 

 


★それでは、「自筆譜」を見てみましょう。
http://www.academia-music.com/products/detail/23501

「主題」の7小節目右手上声はこうです。

 

 


第一変奏(Var.1)と第三変奏(Var.3)で、

モーツァルトは、「主題」の7小節目右手上声を、

このように、変奏しました。

 

 

 

この小節の最後の「h¹」は、五線紙の第3線にある音で、

符尾は「上向き」でも「下向き」でも、かまいません。

事実、「初版譜」から現代の「実用譜」まで、この小節の

音符の符尾は、すべて「下向き」に整えられています。

 

★初版譜は、更にご丁寧に、スラーまで勝手に変えています。

7小節目の四つの音すべて、一つのスラーでくくって

しまっています。

 

★この例でもお分かりのように、初版の譜面でさえも、

Mozart の「自筆譜」通りには、記譜されていない、

というのが、楽譜出版の通例なのです。

逆に言えば、「自筆譜」どおりに記譜されている

楽譜は、稀なのです。

それゆえ、「自筆譜」の勉強が、絶対に不可欠です。

 

 

 

 

 


★何故、モーツァルトはそう書かなかったのか?

「上向き」に書いたのでしょうか?

Var.1だけでしたら、何かの偶然かもしれませんが、

Var.3も、同様の書き方をしているのですから、

モーツァルト深い意図が込められている、と

見るべきです。


★その理由を、Var.1を例にしてご説明します。

「d² a² g² h¹ c²」の、「a² g²」「h¹ c²」は、

≪声部が違います≫と、モーツァルト先生は

おっしゃっています。

 

 

 


「初版譜」や、現代の「実用譜」のような記譜の

楽譜を使いますと、貴族のお嬢様たちの、

ピアノレッスンにとって、進歩の妨げになります。

現代でも同じく、レッスンの妨げになります。

「自筆譜」の記譜、4声体を意識して、演奏しますと、

Mozart 意図した音楽流れます。


★この曲の「主題」は一見単純な、右手の「単旋律」と、

左手の「単旋律」に見えます。

しかし、Mozart は、鋭く「四声体」構築しています。

Bach の「ゴルトベルク変奏曲」が、単純な庶民の歌

主題としながら、その主題を展開し、目も眩むような、

大宇宙にも比すことができる世界を、創っていったことを、

まざまざと思い起こさせます。

この 主題は、そうした「主題」です。


「声部」とは何かと言いますと、「part」即ち「部分」です。

この曲の右手部分は「女声」と解釈してもよいでしょう。

「女声」は大きく分ければ、「ソプラノ」「アルト」です。

声部が違うということは、「ここはソプラノ」「ここはアルト」

という違いです。


★もう少し細かく、「ここはメゾソプラノかな?」などと、

絶えず、考えることが重要です。

Var.1の、4~8小節の「スラー」の位置に、着目しながら、

右手部分を見てみますと、

Mozart が何を言いたかったか、分かります。


★各小節の「スラー」の掛かっている「モティーフ」

拾って、つなげるとこうなります。

 

 

 

 

 

 

「a² g²」 、「g² f²」、 「 f² e² 」 、「d²」 まで

一つの声部でした。

あえて言えば、「ソプラノ声部」でしょう。



★それが、このVar.1の7小節で、枝分かれします。

「a² g²」は「ソプラノ」「h¹ c²」は少々音域が高いですが、

「アルト」と考えると、解りやすいかもしれません。

このことだけからも、Mozart もやっぱり Bach先生の

まごうことなき「お弟子さん」であったことが、

よく分かります。

 

 

 

 

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             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■モーツァルト Piano sonata「 KV333」の四声体を、「自筆譜」から読み取る■

2023-01-12 23:06:17 | ■私のアナリーゼ講座■

■モーツァルト Piano sonata「 KV333」の四声体を、「自筆譜」から読み取る■
  ~ 「自筆譜」を通して「Mozart」を学ぶ No.1~

            2023.1.12 中村洋子

          

 

 

★「今年はブログを数多く更新する」という元旦の計を立てました。

当ブログで2回続きましたドビュッシーを、ひとまずお休みし、

この1月は、ドビュッシーも敬愛したであろうモーツァルトの、

「自筆譜」を通して「Mozart」を学びたいと思います。


★「大作曲家を知る」ということは、彼らのプライベートのエピソード

や、細々したデータを頭に詰め込むことでは、ありません。

大作曲家を知る、最も手っ取り早い方法は、その「自筆譜」から、

彼らの肉声とも言える音楽を、吸収することです。


★まずは、Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト

(1756-1791)「ピアノソナタ KV333」です。

大変親しまれている名曲で、ドイツのLaaberラーバー出版から、

「自筆譜」ファクシミリも出版されています。

http://www.academia-music.com/products/detail/23321

さらに、大ピアニスト Edwin Fischer エトヴィン・フィッシャー
                     (1886-1960)

(Curci社)と、大作曲家 Bartók Béla バルトーク・ベーラ
                     (1881-1945)

による「校訂版」(Musica Budapest社)まで、出版されており、

 Mozart を知るためには、「鬼に金棒」でしょう。


★もちろん、実用譜の「Henle ヘンレ出版」の新版モーツァルト

ピアノソナタ全集、「Bärenreiter-Verlag ベーレンライター出版」

の、「モーツァルト ピアノソナタ全集」に目を通す事も、

お忘れなく。

 

 


★さて、この名曲の「自筆譜」ファクシミリを手に取りますと、

まず驚くのは、「大譜表」が1ページに、12段も書かれています。

1ページに、「大譜表」12段が記譜されているということは、

「大譜表」は2段使いますので、1ページ24段の五線紙に、

この「KV333」が記譜されている、ということになります。


★定評ある現代の実用譜「Henle出版」は、この曲を20ページ

で記譜していますが、モーツァルト「自筆譜」は、たった6ページに

ぎっしりと書き込まれています。

6ページといいましても、6ページ目は大譜表が2段(実質4段)

使われているだけです。


★モーツァルトはどうしてこんなに不自然なほど、

ぎゅうぎゅう詰めに楽譜を書いたのでしょう。

モーツァルトやショパンのように、若死にした作曲家の自筆譜を

見ますと、その音符の小ささ、細かさに、びっくりすることが

よくあります。

「老眼」とは無縁の年齢で、その生涯を終えた天才たちです。


★逆にバッハの「フーガの技法」の自筆譜は、年老いて目を傷めた

バッハの、剛毅ではありながら、五線から外れたり、震えたり、

痛々しい筆致に心が痛みます。

 

 


★モーツァルトの「KV333」に戻りますと、「Henle版実用譜」は、

全体で20ページから成り、大体1ページに、5段または6段、

まれに7段の大譜表が書かれています。

その1段につき、3小節~6小節が記譜されています。


★ところが、モーツァルトの自筆譜1ページは、前述しましたように

大譜表12段(24段の五線紙)、1段につき、6小節または

7小節が、満員列車のように、詰め込まれています。


★五線紙は異常に縦長で、23.5×37.5cmの大きさです。

私はこの「自筆譜」ファクシミリを見たとき、あまりに縦が長く、

もしや、24段の五線紙ではなく、12段の五線紙を上下に

つないで、24段にしたのではないか、と疑ったほどです。

確かに12段目と13段目の間に、くっきりと横の線が

見えるからです。

しかし、Laaberラーバー出版の「自筆譜」ファクシミリの

解説によると、この線は2枚を貼り付けたのではなく、

縦長の楽譜を折った時の、折り目だと書かれていました。


★ Mozartが、これほどまでに詰め込んで書いたかは謎です。

この「KV333」のピアノソナタは、1783~1784年(27~28歳)に

かけての作曲と推定され、1784年夏、「Dürniz Sonata」と

呼ばれるピアノソナタ「KV284/205♭」と、

ヴァイオリンソナタ「KV454」と共に、「Opus7 作品7」として

ウィーンの「Christoph Torricella社」から、出版されています。


★それでは具体的にピアノソナタ「KV333」の「自筆譜」を

見てみましょう。

「自筆譜」全6ページのうち、冒頭第1ページには、

1楽章の1~77小節までが、記譜されています。

「Henle版実用譜」では、冒頭1ページは、1~16小節です。

「自筆譜」は、77小節、「Henle版」は16小節ですから、

モーツァルトは現代の実用譜より、約5倍も多い小節を

1ページに詰め込んだといえます。


★理由は、この楽譜で演奏する時に、なるべく譜めくりの

回数を少なくするための手段とも考えられます。

しかし、そのような単純な理由だけなのでしょうか?

 

 


1ページ12段、この「12」という数字には、深い意図

込められています。

「12」は、「12÷2」、「12÷3」、「12÷4」というように、

2分割、3分割、4分割ができる数字です。


★その2分割した段の始まりは、7段目、

3分割した段の始まりは5段目、9段目、

4分割した段の始まりは4段目、7段目、10段目となります。


★このように各段の意味を考えつつ、「自筆譜」をみますと、

曲の構造上、とても「重要な部分」や「モティーフ(要素)」が、

一目で分かる位置に、整然と、配置されているのが分かります。

まさに、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」そっくりです。


あるものは、冒頭や段末、四隅に、あるいは真ん中に、

それらのバリエーションは、その真下に・・・

あたかも天空に煌めく星座群のように、盤石の位置を占め、

その「配置構図」が、曲の「骨格」そのものを指し示しています。

つまり、一目眺めるだけで、曲の「構造」が把握できます。

全体像が、分かるのです。


このような「自筆譜」の見方は、モーツァルトにしろ、

ベートーヴェン、ドビュッシー・・・どんな大作曲家にも

当てはまります

それが当てはまらない作曲家は、残念ながら、

バッハに続く大作曲家の列からは、少し外れているようです。

 

 


★モーツァルトの「自筆譜」1ページの「四分の一」は、

1~3段目1~20小節です。

「四分の二」の開始点である4段目の真ん中23小節から、

≪第2主題≫が、始まります。

 

 

 

「四分の三」、即ち、このページの後半分は、七段目からですが、

六段目の終わりから、≪推移主題≫が、始まります。

 

 

最後の「四分の一」が始まる10段目の中央右寄りから、

「提示部」が終わって、「展開部」が始まります。

 

 

★このようにバッハと同じく、モーツァルトの頭の中にも、

「自筆譜」を書くに当たり、整然とした「航海図」が

作成されていたことが分かります。

モーツァルトはバッハの一番下の息子 Johann Christian Bach

クリスティアン・バッハ(1735-1782)のお弟子さんであったこととも

無縁ではないでしょう。


★これにつきましては私の著書 ≪11人の大作曲家「自筆譜」

で解明する音楽史≫の108~127ページ、

Chapter 6 《モーツァルト「交響曲40番」は平均律1巻24番から

生まれた》を、お読み下さい。

//////////////////////////////////////////////////////////////////
Mozartが8歳の時、ロンドンに5か月間滞在しました。その時、
お世話をしたのがバッハの一番下の息子のクリスティアンで、
イギリス王妃の音楽監督を務めていました。
彼は、ちっちゃいモーツァルトを膝の上に乗せ、一緒に
ピアノ連弾を楽しんだという逸話が残っています。
まだバッハ没後16年です。
吸い取り紙のようにすべてを吸い取る天才モーツァルトが、
クリスティアンと5ヵ月も一緒にいたのです。
バッハの「音楽」、バッハの「対位法」を
学び尽くさなかったはずがありません。
//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 


★次に、モーツァルトが実際に書いた楽譜を、見てみましょう。

現代の実用譜と「異なる点」が、多々ありますが、

それが、モーツァルトの音楽を理解する

重要なカギ」となります。


★「自筆譜」1ページ1段目は、1~7小節ですが、その半分の

1~4小節前半までを、私が写譜しました楽譜で、

もう一度、見てください。

すぐに気付くことは、「大譜表下段」左手の部分の一部が、

「大譜表上段」の高音部(ト音記号)譜表に、

≪侵入している≫ことです。

現代の実用譜と、比較してみます。

下記は現代の実用譜です。比較してみましょう。

 

 

★これは左手の「d¹ f¹ es¹ g¹」を、加線なしで書くため、という

理由が一応は考えられますが、この第1ページで、「d¹ f¹ es¹ g¹」

の音を、高音部譜表に「侵入させず」、大譜表ヘ音記号で

加線を用いて記譜してる箇所は、沢山あります。

従って、この1~4小節の書き方は、「加線なしで書くため」だけ

ではなく、他の理由がありそうです。



 


★その理由はやはり、モーツァルトがバッハの息子の「お弟子さん」

であったことに、由来しています。

モーツァルトは作曲する時、「ソプラノ」、「アルト」、「テノール」

「バス」の≪四声体≫を、常に基準にしています。

逆に言えば、≪四声体≫の音が、全部出ていなくても、

頭の中では、≪四声体≫で書いているのです。

私の作曲家としての目で、モーツァルトの「自筆譜」を

見ますと、そのことをいつも、実感します。

 

常識で考えますと、モーツァルトのピアノ曲は、

右手は「ソプラノ」声部か「アルト」声部、

左手は「テノール」声部、「バス」声部を、担当するように、

考えられます。

しかし、この曲の、1小節左手部分「d¹ f¹ es¹ g¹」は、

「アルト」声部です。

わずかに「b音」のみが、「テノール」声部です。

右手の旋律は「ソプラノ」声部になります。

 

 

★モーツァルトは、しばしば誤解されるように、

「右手の旋律と左手の伴奏」という単純な形ではなく、

常に「四声体」の範疇で、音楽を創りあげています。

この第1小節は、「ソプラノ」、「アルト」、「テノール」声部が

活躍し、「バス」が「休止している」≪四声体≫なのです。

まさに、バッハの世界です。

 

1小節の左手4拍目「d¹ g¹」は、

その直前の右手「d² g²」の≪カノン≫です。

この曲には、こうした≪カノン≫が網の目のように、

張り巡らされています。

それ故、この曲は「永遠の傑作」なのです。

 


 

★さて、前回ブログでムソルグスキーの「子供部屋」と

ドビュッシーの「Children's Corner」について書きました。

読者の方から、以下の嬉しいお便りを頂きました。


★『≪かわいい子供たちの遊び場≫という訳に、納得しました。

大好きな居場所で遊んだり、夢見たりしているのでしょうね。

小さい子供たちは、隅っこや狭い場所が大好きなようで

娘や甥っ子が狭い場所に入りこんで、遊んでいたのを

思い出しました


★ドビュッシー先生にはしばしお待ちいただき、

1月は、モーツァルト先生の曲について

沢山お話します。

 

 

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