音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ショパン・ナショナル・エディション(エキエル版)は、本当に原典版か?■

2009-05-31 23:56:44 | ■私のアナリーゼ講座■

■ショパン・ナショナル・エディション(エキエル版)は、本当に原典版か?■
                     09.5・31 中村洋子


★6月7日のカワイ・アナリーゼ講座「前奏曲とは何か~」で、

お話します ≪ショパンの「エチュード Op.25 の1番」

変イ長調≫ の勉強をしています。

Op.25の12曲中、第1番と8番のみ、ショパンの直筆譜が、

完全な形で、残されています。

4、5、6、12番は、フォンタナの筆写譜、2、3、7、9、10、11番は、

グートマンによる筆写譜が、残されております。

フォンタナとグートマンの筆写譜は、ショパンが目を通し、補い、

認めているものですので、信頼度が高いものです。


★このすべてを、ワルシャワの「ポーランド国立図書館」が所有し、

ファクシミリ版として、現在、入手可能です。


★今回、私の講座で扱います「エチュード Op.25 の1番」は、

ショパン直筆の手稿譜が、幸い、残されています。

バッハ「インヴェンション」の手稿譜を勉強しているときと、

同様に、たくさんの発見と、

ショパンの音楽の奥深さに対する驚きを、感じています。

それと同時に、いままで、手元に置いておりました数種類の

「原典版」が、本当に「urtext」 と言えるのか、

疑問に、感じました。


★ドイツ語の「ur」は、名詞の前につけますと、

「根源の」という意味になります。

ですから、「urtext」は「原典、原本」という意味になります。

この本来の意味から考えますと、「urtext」の楽譜は、

ショパン直筆の楽譜を、改竄したり、

現在の編集者が独自につくった、「規格」に当てはめて、

ショパンの音楽や楽譜を、勝手に変更してはならない、

ということに、なります。


★バッハの「インヴェンション」も、バッハ直筆では、

上声はソプラノ記号、下声を、バス記号やアルト記号で、

表記しています。

しかし、現代の市販楽譜では、ト音記号とヘ音記号の、

いわゆる「大譜表」に置き換えられています。

この「大譜表版」では、符尾のつながり方が、

ガラリと、変わってしまいます。


★例を挙げますと、2声のインヴェンションであっても、

バッハは、下声にテノールやソプラノの声部をイメージしたり、

上声にも、ソプラノやアルトなどの2声を想定して、書いており、

2声のインヴェンションは、「2声部」の曲ではないのです。

この「大譜表」への置換えにより、楽譜を見て得られる、

曲の大きなアウトラインが、大きく、変わってしまいます。


★私は、まずこの段階で、これを「urtext」と、

言っていいものか、甚だ、疑問に思います。

最大限、その箇所、その箇所の、音楽的意味を

考えた結果として、大譜表に移したのであれば、

「urtext」表示は、止むを得ないのですが、

新バッハ全集から編集したとされる、

「ベーレンライター版」ですら、編集者が、

合議して作った規則を「法則化」し、機械的に、

バッハの音楽に当てはめて、楽譜を作成しているため、

バッハの明らかな意図が、無視されている点が、

多々あります。


★例えば、2声のインヴェンション8番 ヘ長調の、

最後の終止和音の右手「ラドファ」の符尾を、

バッハは3本、別々に書いております。

しかし、ベーレンライター版は、これを1本に、

まとめてしまっています。

バッハが、3本を別々にした理由は、その3つの音を、

明確に、3声に分けて考えている、あたかも、

3人の奏者が、同時に演奏しているような曲想のとき、

バッハは、よく、このような記譜法を、採用しています。


★これを、1本にまとめてしまいますと、単なる、

3和音のイメージしか、湧き上がらず、

3声を、感じることはありません。

「ヘンレ版」は、賢明にも、ここをバッハの手稿譜どおりに、

3本の線にして、記しています。

ベーレンライター版は、編集者が自分たちで作った規則を、

機械的に当てはめて、楽譜を作成し、

バッハの「意図」を損ねている部分が、多くあるように、

見受けられます。


★「インベンション」につきましては、私のカワイ講座で、

その都度、バッハの直筆譜と、「urtext」が、どう違うか、

どう演奏に反映させるべきか、お話しています。


★ショパンにつきましても、現在、権威とされています

「ナショナル・エディション(エキエル版)」に、

同様な問題点が、あるようです。


★直筆譜と「エキエル版」を比べて、最初に気付くのは、

8小節目から9小節目にかけての、「スラーの掛け方」です。

ショパンは、明らかに、スラーの終わりの音を、

9小節目の頭の「ミ♭」まで、延ばしています。

しかし、「エキエル版」では、8小節目の終わりまでしか、

スラーは、延びていません。


★作曲家が、これだけハッキリと書いているのですから、

「urtext」と、するならば、

ショパンの記譜どおりにすべきである、と思います。

また、エキエル版では、8小節目に「フォルテ」、

9小節目に「ピアノ」の記号が、付されていますが、

ショパン直筆譜では、8小節目に「フォルテ」、

8小節目と9小節目を分ける、小節線の真上のところに、

「ピアノ」記号が、付けられています。

ショパンの大譜表は、ト音記号の上声と、ヘ音記号の下声を

真っ直ぐに、一本に繋がない場合が多く、そのために、

ト音譜表と、ヘ音譜表の間に、空間を作ることができ、

その空間に、彼の重要なメッセージが、

込められていることが、多いのです。


★この問題の8、9小節目で、ショパンがなぜ、

普通ではないスラーの付け方をしたかは、

バッハの「前奏曲」の概念と、深い関係があるため、

講座で、お話いたします。


★いま指摘しました二点は、曲の構成上、

重要な意味を、持っており、

それを、エキエル版のように、大雑把に、

小奇麗に、まとめてしまっては、ショパンが、

どのように、“この曲を演奏して欲しい” と思ったか、

彼が、どういう風に演奏しながら作曲したか、については、

この版からは、何も浮かび上がってこないのです。


★“手書き譜のように、印刷譜を作ることはできないのだ”、

という編集者の先生方の声が、聞こえてきそうですが、

現代の技術をもってすれば、可能な限り見やすく、かつ、

手書き譜の意図を十全に汲んだ楽譜を、

印刷出版することは、そう難しくはない、と思います。


★「urtext」は、現在の段階では、「原典版」ではなく、

編集者の先生方の、「校訂版」と思って、

付き合っていくのが、妥当のようです。

編集者の先生方は、「音楽家」の方は少なく、

まして、対位法、和声、作曲法を習得されている方は、

そう多くは、ないようです。

「楽譜を読む」ということは、実際に対位法、

和声を土台とする厳密な作曲法を、実践し,

身につけた音楽家にしか、解読できないことも多いのです。

さらに、最も大切なことですが、「音楽に対する愛情」

「作曲家に対する尊敬」がないと、

無理なのでは、ないでしょうか。


★私が指摘しました原典版編集者の規則は、どうも、

統計的手法に、基づいているようです。

10例のうち、9例がある方法で書かれていると、

残りの1例は、たとえ、異なった書き方がしてあっても、

9例と同じと判断して、書き直しているようです。

ところが、その1例の “例外的” な記譜こそが、

天才の天才たる所以 、なのです。

ショパンの「エチュード Op.25 の1番」の、

9小節目が、まさに、その天才の証明です。


★たまたま、バッハの「ベーレンライター版」、

ショパンの「エキエル版」という、現在、

最も権威とされる版を、例にとり、書きましたが、

やはり、楽譜の購入者である私たちが、

それらを、盲信することなく、

機会があれば、直筆のファクシミリ版も、

勉強していく、という姿勢をとる人が増えていけば、

もっと、信頼の置ける「urtext」版も、

増えてくることでしょう。

7日の講座では、このファクシミリ版から、

分かることを、さらに、お話する予定です。

※参照:http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110812

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20110814

 http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1b0894d939c7afd7be182701f536756f

                       
                          (ヤブヘビイチゴの実) 
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■バルトークは、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」を、自分の校訂版で、どう並べ替えたか■

2009-05-29 22:53:44 | ■私のアナリーゼ講座■
■バルトークは、バッハ「平均律クラヴィーア曲集」を、自分の校訂版で、どう並べ替えたか■
                   09.5.29 中村洋子


★先週18日「バッハ・インヴェンション講座第10回」を開きましたが、

その晩、DAAD ドイツ学術交流会  

( Deutscher Akademischer Austauschdienst )

東京事務所長 イレーネ・ヤンゼンさん

(Frau Dr.Irene Jansen)の ホームパーティーに、

招かれました。

翌19日、ドイツ文化会館で開かれる、中国出身でNew York在住の

女性pianist、モリー・ヴィヴィアン・ファンさん

(Frau Molly Vivian Huang)の演奏会を、歓迎する集いでした。


★私も、知的で物静かなファンさんと、楽しくお話し、

翌日のコンサートにも、お招きいただきました。

ファンさんは、カーティス音楽院で学び、

1972~75年、ドイツでも学び、

ホルショフスキー Mieczyslav Horszowskiにも、師事しました。

プログラムは、ハイドン、メンデルスゾーンや

ブラームスの大曲でしたが、

アンコールで弾かれた、平均律クラヴィーア曲集第1巻の

「13番 嬰ヘ長調の前奏曲」は、軽やかで、暖かみのある、

誠実な演奏でした。


★6月7日(日)午後3時から、カワイ表参道で、

私の「第5回アナリーゼ講座 前奏曲とは何か」を開きます。

ファンさんのお弾きになった、前奏曲嬰ヘ長調の主音「嬰ヘ音」は、

12音から成るオクターブの、ちょうど真ん中の音です。

平均律クラヴィーア曲集第1巻の1番 ハ長調は、分散和音で、

作られていますが、この嬰ヘ長調も、同様に、分散和音で、

構成されています。

これは、バッハが意図的に、曲集の真ん中に、

分散和音の曲を、配列したと思われます。


★「バッハ・インヴェンション講座」で、

≪インヴェンションをどのような順番で弾いたらいいか≫、

という質問を、よくお受けします。

何曲か選んで弾く場合、どういう順番で弾くか、

それを決めるということは、それ自体がすでに

演奏するという行為である、ということができます。

グールドの配置が、そのよい例です。


★全曲演奏の場合も、配列を変えることは、

十分に可能であると、思われますが、

インヴェンション全体を、一つの大きな「変奏曲」と、

みることができるため、

番号順に弾くのが、いいかもしれません。

順番を変える場合は、強い主張、または、

再構成するという意図を、全面に、

押し出す必要が、あるでしょう。

そのいい例が、バルトークの

「平均律クラヴィーア曲集校訂版」です。


★作曲家のベーラ・バルトーク Bela Bartok

(1881~1945)には、多彩な仕事のうちの、ひとつとして、

「校訂版」と「編曲」があります。

「初期イタリア鍵盤楽器音楽の演奏会用ピアノ編曲」
                 (1926~28ごろ)、

J・S・バッハ「トリオ・ソナタ第 6番」の演奏会用ピアノ編曲
                      (1930ごろ)、

J・S・バッハ、ベートーヴェン、ショパン、クープラン、

ハイドン、メンデルスゾーン、モーツァルト、シューベルト、

シューマンなどの、作品の校訂があります。


★平均律クラヴィーア曲集 1巻、2巻の計48曲を、

校訂した楽譜が、EDITIO MUSICA BUDAPEST から、

2冊セットで、出版されています。

これは、1巻、2巻を取り混ぜ、教育的配慮から、

曲順を、並び替え、構成したものです。


★第1ページには、

≪指使い や 演奏記号、注釈を、新しく付け加え、

難易度の順に、再構築、並び替えた48の前奏曲とフーガ≫と、

タイトルを、付けています。


★このバルトークの解釈を見ますと、バッハが、

より深く理解できると同時に、バルトークという作曲家も、

理解することが、できます。


★これは、6月23日の「バッハ・インヴェンション講座 11番」で、

お話します、ブラームスとバッハとの関係と、同じことです。


★バルトークの配列は、冒頭が「第2巻の15番 ト長調」から始まり、

「第1巻の6番 ニ短調」、「第1巻の21番 変ロ長調」と、続きます。

この3曲は、前奏曲あるいはフーガに、明瞭な分散和音が

使われていることが、最大の特徴です。


★そして、なんと、「第1巻の1番」は、

22番目の曲として、配列されています。

その前後には、「2巻の7番変ホ長調」と、

「第1巻の17番変イ長調」が、置かれています。

この独奏的な配列と、その意図について、

6月7日の講座でも、触れたいと思います。


★バルトークが、第1巻の1番を、

“なかなか手強い曲”と、みていたことが、

よく、分かります。


★7日の「前奏曲とは何か」の講座では、

その“手強い前奏曲”が、ベートーヴェンの「月光」や、

ショパンの前奏曲「雨だれ」や練習曲に、

どのように、変容していったか、

ドビュッシーが、それらから、新たに、

なにを、学び取ったか、

分かりやすく、ご説明いたします。


★ヤンゼンさんのホームパーティでは、ヴァイオリンの

クルト・グントナー先生(Prof. Kurt Guntner)にも、

再会いたしました。

先生は、カール・リヒターの

「ミュンヘンバッハオーケストラ」で、

コンサートマスターを、なさっていた方です。

リヒターのことを、伺いましたら、

「 彼とは、バッハのカンタータを何百回も・・・、

なんとたくさん、一緒に、演奏したことだろう 」と、

感慨に、ふけっていらっしゃいました。

彼の初来日も、リヒターと一緒だったそうです。


   (花はカンゾウ)
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■第11回インヴェンション講座のご案内、 第11 番 ト短調~ブラームスの後期ピアノ作品への影響~■

2009-05-22 11:22:42 | ■私のアナリーゼ講座■
■≪第11回インヴェンション講座≫のご案内、 第11 番 ト短調
  ~ブラームスの後期ピアノ作品に、及ぼした影響~■     

講師:中村洋子

日時: 2009 年6 月23日(火)午前10 時~12 時30 分

会場:カワイ表参道2F コンサートサロン「パウゼ」

会費:3000 円 (要予約)

参加ご予約・お問い合わせは カワイミュージックスクール表参道

Tel.03-3409-1958 omotesando@kawai.co.jp


■第11 回バッハ・インヴェンション講座は、

明るく爽やかな10 番ト長調と、対をなす11 番ト短調です。

跳躍進行と全音階によるインヴェンション10 番に対して、

11 番は、順次進行と半音階を多用します。

また、インヴェンション全曲を、一つの「大きな変奏曲」と、

みることが可能です。


■ブラームスは、その変奏曲法を、徹底的に学び、

それを基に、彼独自の変奏曲様式を作り上げました。

彼はシンフォニア11 番、特にその掛留音を、こよなく愛していました。

晩年の傑作である間奏曲に、それが色濃く反映しています。

バッハの非和声音を理解することは、そのまま、

ブラームスを、理解することにつながります。


■今回は、バッハが後世に与えた影響の例として、

ブラームスを取り上げますが、それは、

バッハをさらに、深く理解する方法でもあるのです。

さらに、インヴェンションとシンフォニア全30 曲のなかで、

この11 番が占める位置と、意味についても、

詳しく、お話いたします。


■バッハ(1685~1750)は、

「インヴェンションとシンフォニア」の序文(1723)で、

次のようにこの曲集の意図を説明しています

(以下は、私が意訳して、分かりやすく書きました)

クラヴィーアのLiebhabern=amateur(愛好家)特に、

それを真剣に学びたいと思っている方にとって、

この曲集は「Auffrichtige Anleitung=Honest method

(誠実に筋道を教える手引)」です。

まず、

・二声部を、はっきりと演奏することを学びます。

・そのうえ、さらに上達することを目指して

・記譜されている三声部を、すべて正確に、かつ、

 上手に演奏できるようにします。

・同時に、優れた着想(インヴェンション)を得ることができるようにします。

・さらに、それを巧みに展開し、特に、カンタービレ奏法を身につける

・さらに将来、作曲をする際に味わうであろう、

(その苦楽を)事前に、十分に積極的に体験する。

このように、出版の目的を書いています。


■今回の私のシリーズでは、二声のインヴェンションを

全部終わってから、三声のシンフォニアに入るのではなく、

二声と三声の同じ調の曲を同時に、学んでいく、

という方法をとります。

曲の構成を、詳しく理解することによって、

バッハを弾くことが、さらに喜びに満ちたものとなり、

自信をもって弾くことが、可能になります。


■講師:作曲家 中村 洋子
東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。日本作曲家協議会、日本音楽著作権協会(JASRAC)の各会員。
2003 年~05 年、アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で、新作を発表。自作品「無伴奏チェロ組曲」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が演奏したCD『W.ベッチャー 日本を弾く』を07 年に発表する。このチェロ組曲やチェロアンサンブル作品がドイツ各地で演奏されている。08年9月、CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」とソプラノとギターの「星の林に月の船」を発表。
 
★第12 回は、7月 28日(火)インヴェンション第12 番、シンフォニアの第12
      番のイ長調です。
★第13 回は、9月 29日(火)インヴェンション第13 番、シンフォニアの第13
      番のイ短調です。
★第14 回は、10月 29日(木)インヴェンション第14 番、シンフォニアの第          14 番の変ロ長調です。
★第15 回は、12月 4日(金)インヴェンション第15 番、シンフォニアの第15
番のロ短調です。


■特別アナリーゼ講座 6月 7日(日) 午後3 時~ 6 時
 
 ≪前奏曲とはなにか~バッハの平均律からドビュッシー前奏曲集まで ≫
  

▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■第10回 インヴェンション・アナリーゼ講座を開催しました、バッハの鳥の目、虫の目■

2009-05-21 17:52:20 | ■私のアナリーゼ講座■
■第10回 インヴェンション・アナリーゼ講座を開催しました、
             バッハの鳥の目、虫の目■
                    09.5.21 中村洋子


★東京でも、遂に“豚インフルエンザ”の罹患者が発生しました。

カワイ表参道「第10回 インヴェンション講座」への、

皆さまのお出かけを、懸念いたしましたが、

いつもどおり、熱心な皆さまに、たくさん参加していただきました。

このブログをご覧になって、初参加の方も、いらっしゃいました。


★インヴェンションは序文に、「1723年」と記されています。

「フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」には、

「インヴェンション」の曲の大半が、「初稿」として、

収録されています。

この小曲集は「1720年」ころ、作曲されたとみられます。

しかし、「インヴェンション」は、「フリーデマン版」より、

内容的に、極めて、深くなっています。


★1723年までの「3年間」に、バッハが、どこを推敲し、

書き改めたか、その部分を、具体的に指摘しながら、

推敲の結果、どのように内容が深まり、飛躍していったか、

詳しく、解説いたしました。


★さらに、インヴェンションと、同時期に作曲された

「フランス組曲」や、バッハ自身による1723年の

「インヴェンション手稿譜」を、じっくり比較することにより、

演奏する際、「どこで、フレーズを区切るか」が、

自ずと分かってくる、ということも、お話いたしました。


★また、“フリーデマン版”に加えられた推敲を、分析することで、

「テーマの性格を、どう表現するか」が、≪大きく変化していた≫、

ということも、調性や、和声、非和声音などを、比べながら、

詳しく、ご説明いたしました。


★バッハを演奏するには、“鳥の目”のように、

大きく、全体像と骨格を捉えることのほかに、

細かく、アーティキュレーションを決定する“虫の目”の、

両方の目を、備える必要があります。

“虫の目”で見るには、上記のような、異なるエディションの、

比較研究、テキストクリティックが、欠かせません。


★しかし、1723年版のバッハの手稿譜で、インヴェンションが、

“成長する”ことを、止めたわけではありません。

1725年の、バッハの弟子「ゲルバー」の手稿譜に、

バッハ自身が、装飾音を書き加えた楽譜を、

さらに、研究しますと、

インヴェンションは、バッハのなかで、完成することなく、

絶えず、成長し続けていた、とみるのが妥当です。


★これは、どのエディションがいいか、絶えず問題となる

「ショパン」にも、全く同じことが指摘できます。

その理由は、バッハ、ショパンともに、

「超一流の教育者」でもあった、からです。

生徒に教えながら、いつも、その生徒の能力に合わせ、

新たな可能性を、発見し、書き加え続けていたからです。

その結果、そこで、また、新たな「版」が、生まれてきます。


★21世紀の現在でも、バッハやショパンの作品は、

演奏する人、聴く人の心の中で、

成長し続けているのです。

≪この楽譜以外は、駄目である≫ということは、ないのです。


★「フリーデマン版」のインヴェンション初稿の、順番が、

現在のインヴェンションの順番とは、大きく異なっています。

これを“やさしい曲から難しい曲の順に並べた”と、解説する

日本の楽譜もありますが、そうではないと、私は思います。


★バッハの長男フリーデマンは当時、既に10歳ぐらいで、

後年、お父さんに及ばないまでも、大作曲家になった人物です。

幼少時から、大バッハに手塩に掛けて、教育されたわけですから、

10歳ならば既に、高いレベルに達していたことは、容易に想像できます。

インヴェンションの初稿を、“やさしい順に一曲ずつ、勉強していった”

とは、とうてい考えられません。


★この「フリーデマン版」での、曲の並べ方と、

3年後の、「インヴェンション」での並べ方とを、

比較しますと、この3年間に、

バッハがいかに、飛躍的に「曲集」に対する考え方を、

深化、発展させているか、感慨を禁じえません。


★この「飛躍、深化」が、「変奏曲形式」と密接に関係し、

ここから、ベートーヴェン、ブラームスの「変奏曲」が生まれ出た、

と、言うことができます。

つまり、ベートーヴェンやブラームスは、このインヴェンションを

徹底的に学び尽くし、創作の源泉としていたのです。


★次回の第11回 インヴェンション講座 (6 月23日火曜日)では、

インヴェンション11番を素材に、

ブラームスの作曲法についても、触れてみたいと、思います。


                    (菖蒲の花)

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■アルベルト・シュバイツァーの卓越したバッハ・インヴェンションへの評価■

2009-05-17 17:31:27 | ■私のアナリーゼ講座■
■アルベルト・シュバイツァーの卓越したバッハ・インヴェンションへの評価■
                09.5.17   中村洋子


★5月27日に開催する「第10回バッハ・インヴェンション講座」の、

勉強を、続けています。

第9番で、曲集としての大きな頂点を、迎えましたが、

その後の10番は、インヴェンションとシンフォニアともに、

弾けるような、喜びに満ちた曲となっています。


★今回の講座では、「フランス組曲」との関連、それを、

ピアノで演奏する際、どう応用するか、についてお話します。

さらに、インヴェンションとシンフォニアが、

なぜ、15曲構成になっているか、

平均律クラヴィーア曲集(24曲)や、

フランス組曲(6曲)、無伴奏チェロ組曲(6曲)のように、

なぜ、6の倍数の曲数に、なっていないか・・・

についても、分析をお話します。


★最高のオルガニストであった アルベルト・シュヴァイツァーの

著書「バッハ」には、インヴェンションについての、記述があります。

この本の日本語訳もありますが、典型的な翻訳調文章ですので、

それを読んでも、シュバイツァーの言いたいことが、

多分、伝わらないと、思われます。

このため、英文から、直接、訳して以下に記しました。


★≪現代の平均的な音楽家が、作曲理論について、

乏しい知識しか、もちあわせていなかったとしても、

その音楽家が、もし、本物の芸術と偽物の芸術とを、

厳しく見分ける力を、もっていたとすると、

それは、まさに、バッハのインヴェンションの

お陰である、ということができる。


★このインヴェンションを、練習したことがある子どもは、

ピアノ習得のための一過程として、機械的に、

練習していたとしても、その子どもは、

多声部の作曲法を、身につけている、といえる。

それは決して、消え去ることのないものである。


★それを習得した子どもは、どんな音楽に接しても、

本能的に、その音楽の中で、インヴェンションと同じように、

多声部が、巧みに見事に、織り込まれているかどうか、

探求するように、なるのである。

そして、多声部が、紡がれていない部分は、

貧困な音楽である、と感じるのである。≫


★この言葉を、もっと単純化すると、次のようになります。

≪インヴェンションを学びさえすれば、本物の芸術と偽物とを、

区別できる能力が、自然に養われる。

そして、それは、終生、消え去らないのである。

(私は、子どもに限らず、大人でも、同様のことが言える、と思います)


★“このシュヴァイツァーの評価ほど、インヴェンションの本質を、

的確に表現したものはない”というのが、私の感想です。


★バッハのインヴェンションに関する資料は、現在、以下のように、

①1723年の、バッハ自筆清書譜、

②1720年の、「フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」
       に含まれる初稿。

③1723年ころ、バッハの弟子(名前はunknown)が筆写した楽譜
         (以前は、バッハ自筆と見なされていた)、

④1725年に、バッハの弟子のハインリヒ・ニコラウス・ゲルバー
        の手で、筆写された楽譜。

の4点が、存在します。


★1723年のバッハ自筆清書譜は、現在、

ベルリンのドイツ国立図書館が、所有しています。

そのファクシミリ版をつぶさに見て、分かること、

学べることについても、講座で、

詳しく、お話したいと思います。

この自筆譜を、読み込めば読み込むほど、

バッハが、どのように、この曲を、演奏して欲しかったか、

手に取るように、分かってきます。

興味は、尽きません。


             (写真は、茉莉花)
          
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■チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD(続)■

2009-05-11 22:58:13 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD(続)■
                       09.5.11  中村洋子


★5月21日の「第10回 バッハ・インヴェンション講座 」では、

バッハの「フランス組曲」と「インヴェンション」との

関係についても、お話したいと思っています。

両曲は、大変、密接な関係にあり、

「舞曲」という表題が、ついていなくても、

ヨーロッパの、クラシック音楽は、

舞曲的要素が、含まれているかどうか、

注意深く分析して、演奏に生かすべきだと思います。


★チャイコフスキー「四季」も、「12月」は

「 Tempo di Valse 」 (ワルツのテンポ)と、

記載されていますが、残りの月も、

舞曲あるいは、彼のバレー音楽との類似を、

見て取ることが、できます。


★トロップ教授の、チャイコフスキー「四季」についての、

解説の、続きです。


★「3月~雲雀の歌」 冬が終わり、あらゆる生き物が息づき始める。

荒々しさではなく、柔らかく、繊細で、優雅な曲。

13小節目の、2拍目メロディーは、雲雀の鳴き声を模している。


★「4月~松雪草」 気温が上がり、大地が緩み、雪が溶け、

天気も、変わりやすくなる。

はかなくも、もろい喜びと、悲しみの混ざり合っているような曲。


★「5月~白夜」 この曲は、

エピグラフ「なんと、すべてが心地よい夜だろう。

この北の故国に感謝する。氷と雪の王国から、

この新鮮で、清々しい5月が、やってきた」 と、

密接に、かかわり合っている。

全曲に、優しさと平穏さが満ちている。


★「6月~舟歌」 夏の気配が、にじみ出ている。

夜の音楽。

32小節目は、川面に寄せる、波の動きを模しています。


★「7月~草刈人の歌」 合唱曲的な要素が入っており、

畑で働く農民が、歌っている。

最後の2小節は、刈り取りを終えた畑、

何も残っていないが、熱い空気だけが、残る。

そんな雰囲気が、漂っている。


★「8月~刈り入れ」 夏の最後。

人々は、ずっしりと実ったライ麦を、

根元から、手際よく、刈り取っていく。


★「9月~狩」 ライ麦の収穫が終わると、

さあ、狩のシーズンだ。

“ いまだ、いまだ、さあ行くぞ ” と、角笛が鳴り響く。


★「10月~秋の歌」 ロシアの10月は、長く厳しい真冬を前に、

先が見えないような “ 悲劇的な ” 月である。

喪失。

チャイコフスキー自身も、10月に亡くなった。

これは、ニ短調で作曲されているが、

ニ短調という調は、悲しみを増幅させる。

ベートーヴェンのソナタも、同様である。


★「11月~トロイカ」 トロイカは、

かつての、ロシアの3頭立て馬車のこと。

喪失の悲しみは、次第に元気を回復していく。

(以下は私の推測です)

大変な、お母さんっ子だったチャイコフスキーは、

子供時代、全寮制の寄宿舎で、

生活していたことが、ありました。

お母さんが、寄宿舎を訪問後、

トロイカに乗って、また帰っていきます。

寂しさから、そのトロイカの後を、涙ぐみながら、

走って、追いかけたのかもしれません。



★「12月~クリスマス」

(トロップ教授のお話は、年の初めのほうに力が入り、

後半は短いコメントのみで、12月はありませんでした)

エピグラム「クリスマスの夕べに、娘たちは、占いをした。

脱いだスリッパを、門の向こうに放り投げた」

(ジューコスフキーの詩)

以下は、私の分析です。

日本でも、雨占いで、下駄を空に向けて、放り投げましたが、

娘たちがスリッパに託したのは、自分の恋占いでしょうか。

この曲は、ワルツの形式です。

母に早死にされたチャイコフスキーが、

母存命中の味わった、それはそれは暖かい、

家庭的なクリスマスに、思いを馳せ、

偲んでいるようです。


               (写真は、ムラサキカタバミの花)
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■チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD■

2009-05-10 11:17:39 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ チャイコフスキーの「四季」とウラジーミル・トロップのCD ■
                  09.5.10 中村洋子


★チャイコフスキー作曲「四季」は、ロシアのピアニスト、

ウラジーミル・トロップが、録音したCD

(DEON COCO‐80118)を、愛聴しています。

この演奏は、一音ずつの音の、和声的意味と、

モティーフの構成のなかでの、その音の果たしている役割とが、

鮮明に、美しく表現されていると同時に、

ロシアの四季、風土を、心から愛していることが、

しみじみと、伝わってくる名演です。


★かなり、昔のことになりますが、

トロップ教授(グネーシン音楽アカデミー)の、

公開講座が、東京で開かれました。

私も、それに参加いたしました。

以下は、トロップ教授から聴いたお話です。

(通訳を介したお話ですので、正確ではないかもしれません)


★チャイコフスキーの「四季」は、ロシアの音楽家にとって、

とても重要な曲で、(公開講座があった当時)、

チャイコフスキー・コンクールで、必ず、この「四季」から、

2曲を、演奏することになっていたそうです。


★各曲の、冒頭に記されている、

詩(エピグラフ)は、チャイコフスキーが作曲した後に、

出版社の提案で、付けられたようだ。

“チャイコフスキーは、「四季」の12曲を、

毎月1曲ずつ書いて、出版社に渡した”、

という話は、伝説であり、自分はそうでない、と思う。

毎月、プツンプツンと作曲していたのであったら、

全12曲が、これほど、有機的には結び付いていないはず。

出版(1876年)の前年11月、あるいは12月ごろ、

「1月~炉辺で」が、作曲されたが、

「5月~白夜から」から、「12月~クリスマス」までは、

その後、おそらく一気に、書かれたであろう。


★トロップ教授は、「四季」の初演者を、

タネーエフ Taneyev ではなく、

イグームノフ というピアニストではなかったか、

と、推測していました。

イグームノフは、チャイコフスキーの死後、

彼が遺したピアノ作品を、次々と初演した人物です。

イグームノフが残した「四季」に関する、

貴重な言葉を、トロップ教授は、たくさん紹介されました。

曲のイメージが、よくつかめます。

以下はその言葉です。


★「1月~炉辺で」について、

“ ロシアの冬は、早く日が沈み、夜がとてもとても長い。

家の中で、ずっと過ごす。

長い長い物語を、語り合うように弾く曲 ”

“暖炉の前の絨毯に、寝そべって遊んでいた

子ども時代を、思い出す ”

“ すべてが、薄暗い部屋の中で出来事 ”

“ 最後の100小節目、3回奏される4分音符の音は、

暖炉の燃え尽きそうな薪が、パチパチと音を立て、

最後に一瞬輝き、そして、炎が消える情景 ”


★「2月~冬送りの祭(マースレニッツァ)」

“ まだ外は、冷たく寒い風が吹いているが、

市場は、復活祭を前に、賑わっている ”

“ 85小節目の L'istesso tempo の部分は、

昔、定期市で見た変わった情景。

なんと、クマさんを、連れて歩いていた男がいた、

それを、思い出す ”

“ 最後の3小節は、市場から、人々が去ってしまい、

復活祭のお祝いが、終わりました ”。


★(きょうは、ここまでです。写真は、紫蘭)


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■チャイコフスキーの「四季」と「中級程度の12の小品」の楽譜について■

2009-05-09 14:50:29 | ■私の作品について■
■チャイコフスキーの「四季」と「中級程度の12の小品」の楽譜について■
                   09.5.9   中村洋子


★ゴールデンウイークも終わり、日常が戻ってきました。

皆様は、いかがお過ごしでしたか。

私は、休み中「3人のチェロ奏者のためのトリオ集」

「Trios fuer drei Cellisten」を、作曲していました。


★この曲集も、ドイツのたくさんのチェリストたちに、

弾いて頂けることに、なるでしょう。

チェロ学習者が、音楽の喜びを感じながら、

気軽に、取り組むことができ、

同時に、プロの演奏家にも、真剣に演奏し、

楽しんでいただけるような曲、となるよう、

配慮いたしました。


★そのような意図の曲集として、チャイコフスキーが作曲した、

「四季」Op.37bis(1876年出版)と、

「中級程度の12の小品」Op.40(1879年出版) を、

挙げることが、できます。

かつては、チャイコフスキーの楽譜は、

良いものを入手することが、かなり困難でしたが、

最近は、優れた版がたくさん、出版されています。


★私が持っています楽譜は、Edition Peters や

Editio Musica Budapest などですが、

最近、Schott 社から、

「新チャイコフスキー全集に基づく演奏譜」が、

刊行されました。

信頼が置け、見やすく、お薦めしたいと、思います。


★「四季」につきましては、各月の冒頭に、

曲を象徴する詩が、英語とドイツ語で、記されています。

チャイコフスキーが、曲で描こうとしたイメージや世界が、

よく、伝わってきます。

詩を読んで得られるイメージを、自分で心に描きながら、

演奏することは、奏者にとって、

想像力を養ういい訓練になると、思われます。


★ピーター・イリッチ・チャイコフスキー

Peter Ilyich Tchaikowsky 1840 ~ 1893 は、

「中級程度の12の小品」Op.40 、

「12 Pieces of Medium Difficulty」を、

1878年2月、フィレンツェ滞在中に書き始め、

同4月、ロシア・カメンカの自宅に戻り、完成させました。

出版は、翌年の1879年の1月です。


★チャイコフスキーは、1878年8月の手紙で、

このように、言っています。

「私はいま、異なった種類の、いくつかのシリーズを、

全部、完成させました。私が書いたのは、ピアノソナタ、

3つのヴァイオリン小品集、12のピアノ小品集、

24の子どものためのピアノ小品集、6つのロマンス、

混声合唱のための作品 です」。


★この時期、彼の創作意欲が、溢れんばかりに、

満ち満ちて、いました。

大曲だけでなく、同時に、若い音楽家に対し、

愛情に満ちた小品集の“贈り物”を、たくさん書きました。


★これら小曲集は、図らずも、彼のリリックで、

優しく、叙情的な内面を、日記を綴るように、

素直に、正直に告白している作品、といえます。

この「12の小品集」の初演は、1879年12月21日に、

チャイコフスキーの弟子である、ピアニスト・作曲家だった、

タネーエフ Sergey Ivanovich Taneyev が、いたしました。


★1878年11月の、チャイコフスキーの手紙によりますと、

出版途中の楽譜を、タネーエフに渡し、校閲を依頼し、

出版前に、初演したようです。


★チャイコフスキーのピアノ作品には、まるで、

オーケストラのような響きを、もった曲が多く、

「12の小品集」も、そういう響きを、楽しめます。

これを、子ども時代に、練習しますと、

オーケストラ作品に親しむ、よい手引きとなります。


★また、大変に美しい曲が多く、

他の楽器に編曲され、よく、演奏されています。

名チェリスト・ピアティゴルスキー Piatigorsky も、

アンコール作品として、この「12の小品集」から、

2番「悲しい歌ト短調」を、

「6つの小品」Op.51 から、6番「感傷的なワルツ」を、

演奏していました。

これらは、CDの「Naxos Great Cellists Piatigorsky」

「Concerts and Encores」で、実際に聴くことができます。


★それを聴きますと、旋律の歌わせ方、

チャイコフスキーの息づかい、間の取りかた、リズムを、

ピアティゴルスキーのチェロから、個人レッスンのように、

おおいに学ぶことが、できます。

曲の強拍が、ただ「重い」のではなく、「一瞬の打撃」を、

「引き伸ばす」ように、演奏すると、

どんなに、生き生きとしたものになるか、

いい例と、言えましょう。


              (写真は、野草ハルジョオンの蕾)

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■第5回 カワイ特別アナリーゼ(楽曲分析)講座~前奏曲とはなにか~のご案内■

2009-05-01 11:35:06 | ■私のアナリーゼ講座■
■ 第5回 カワイ特別アナリーゼ(楽曲分析)講座の ご案内 ■
               09.5.1    中村洋子


≪前奏曲とはなにか~バッハの平均律からドビュッシー前奏曲集  まで≫
 
 ・バッハ 平均律クラヴィーア曲集第一巻 1番 前奏曲 ハ長調
 
 ・ベートーヴェン 月光ソナタ(ピアノソナタ14番 Op.27-2) 1楽章
 
 ・ショパン エチュード Op.25 の 1  エオリアンハープ
 
 ・ドビュッシー 前奏曲集 第一巻 1番 デルフォイの舞姫


■日時:2009年6月7日(日) 午後3時~6時

■会場:カワイ表参道 2F コンサートサロン「パウゼ」

■会費:3000円 (要予約)


★バッハの平均律クラヴィーア曲集第一巻 全24曲

(1722~23年頃作曲)は、その後のピアノ音楽に、

大きな影響を、与え続けています。

特に、第1番のプレリュードは、単純にわずか 35小節ですが、

そのなかに、前奏曲の構成法とバスの動き、和音の作り方など

基本原理を、すべて含んでいます。

これを、徹底的に勉強しますと、ベートーヴェン、ショパン、

ドビュッシーの、ピアノ音楽への理解が、一層深まります。


★ベートーヴェンには、前奏曲という形式の曲は、

ほとんどありませんが、バッハの構成原理を、

学び尽くし、ピアノソナタに応用しています。

「月光ソナタ」の 1楽章を、例にとり、

バッハとの共通性や、どこをポイントにして演奏するか、

などを、お話します。

また、ショパンの前奏曲「雨だれ」

Op.28-15との関連にも、触れます。


★ショパンの初期の作品である「エチュード」は、

バッハの前奏曲を、学び、彼独自の音楽に昇華させたものです。

特に、「エオリアンハープ」は、分散和音による曲で、

バッハの1番プレリュードとの関連は、深いものがあります。


★ドビュッシーの前奏曲集(1907年~10年)は、

彼のピアノ作品の集大成の、傑作です。

全24曲の第1曲目「デルフォイの舞姫」には、

バッハとショパンの影響が、色濃く見られ、

それを理解していませんと、構成力の弱い、

表面的な効果を狙うだけの演奏に、なり勝ちです。


★これらの作品の分析により、

共通する点を理解することで、

一曲だけを勉強していたのでは、

見えなかったことが、見えてきます。

音楽史の流れが分かるのです。

それにより、演奏がより深まり、また、

音楽を聴くことの喜びが、より増していきます。


★ピアニストや先生のみならず、アマチュアの方で、

ただ聴いたり、弾いたりしているだけでは物足りないと、

日ごろ、思われている音楽愛好家にも、

是非、お聴きいただきたい講座です。


★『バッハ インヴェンション講座』★

第10回 5月21日(木)インヴェンション&シンフォニア10番 10時~12時半

第11回 6月23日(火)インヴェンション&シンフォニア11番 10時~12時半


                  (写真は、ヤブヘビイチゴの花)
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