音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「伝通院コンサート」での衣装 ■

2007-12-20 00:38:28 | ★旧・曲が初演されるまで
■「伝通院コンサート」での衣装 ■
2006/5/19

7月1日の伝通院コンサート『東北(とうぼく)への路』では、衣装をことしも昼神佳代さんと

ヌゥイ・島田佳幸さんのお二人にお願いしております。

私の衣装は「芭蕉が奥の細道へと旅立つ際、胸中に思い描いた『上野谷中』の桜をイメージしてください」と、

昼神さんに依頼いたしました。

昼神さんは、古い和服の生地を素材として再利用し、いつまでも飽きず着心地がよいドレスを創作されている方です。

ギターの斎藤明子さんの衣装は、今回初演いたします2曲「東北(とうぼく)への路」と「最上川」に

ちなんで米沢紬の布を選び、島田さんが製作されます。

先日、島田さんのアトリエにうかがい、米沢紬の布を拝見いたしました。

生成りの地色に、まるで最上川の川面に漂う靄(もや)のように淡い灰色が織り込まれていました。

大変に美しく、曲想によく合っていると思いました。

私は島田さんが新しく発表されましたペンダントルーペを求めました。

首からペンダントのように掛けるルーペですが、ひもは「江戸組み紐」で、簡素ながらも凝った逸品です。

精巧なレンズが柔らかい皮に包み込まれ、アクセサリーとしても粋です。

五線紙を埋める細かい作業の時、首からぶら下げたままにしておくと重宝しそうです。

★ヌゥイ・島田佳幸さんのホームページです。http://www.nuistyle.com/


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

前回のブログ「ユリシーズの瞳」でご紹介いたしました北千住の「東京芸術センター」で、

9月に開講予定でした「黒澤明塾」が、5月16日に閉鎖されていた、という新聞記事を見つけました。

残念ですね。

『シネマ ブルースタジオ』に影響がないといいですね。


★中村洋子のホームページ http://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.html

★「東北への路」チケットお申込みは...
  平凡社出版販売株式会社 中崎 まで。 電話 03-3265-5885 FAX 03-3265-5714


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■東北(とうぼく)への路■ その4 楽琵琶のお話の続き

2007-12-20 00:36:30 | ★旧・曲が初演されるまで
■東北(とうぼく)への路■ その4 楽琵琶のお話の続き
2006/5/5(金)

★前回<■東北(とうぼく)への路■ その3 >で、楽琵琶のことに触れましたところ、

今回、演奏していただく雅楽奏者の八木千暁さんから、次のようにご教授を頂きました。

その道に精通されている方以外に知りえないとても素敵なお話です。

本当に繊細で典雅で、教養に満ちた世界であることがよく分りますね。

◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

「青山」とはおそらく楽琵琶のことです。

藤原貞敏が「玄象」(げんじょう)とともに唐から持ち帰った名器の一つといわれています。

現在楽器は存在しませんが、色々な逸話が残っているようです。

それから季節と調絃は、必ずしもそれでなければいけないというほど厳密ではなく、

たとえば殿上人の教養として「今日のお遊びの曲は何にしましょうか?」といったような時に、

さりげなく季節の調子の曲を選んだりすると、

なかなかこやつアジな選曲をするな・・・といった感じではなかろうかと思います。

しかし「経正」の謡文句を拝見すると、琵琶の調絃に精通していなければ書けないことだと

勘ぐってしまいます。

やはり能に「玄象」という曲があり、雅楽の名人藤原師長(ふじわらもろなが)が旅の途中雨に遭い、

ある老夫婦の家に宿を借ります。

そこで師長が琵琶を弾くと、主(あるじ)が屋根に苫をひきます。

そして「ただいまの琵琶は黄鐘調ですが、屋根をたたく雨の音は盤渉調でした。

しかし苫を葺いたので、雨音も同じ調子になりました」という件があります。

私などはワクワクしてしまう落ちなのですが、楽琵琶や調子をご存じない方がお聞きになっても、

あまり楽しくないのでは・・・

その昔の方々は調子や調絃、雅楽というものをもっと身近に知っていたのでしょうね。

                                八木千暁


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■東北(とうぼく)への路■ その3

2007-12-20 00:35:20 | ★旧・曲が初演されるまで
■東北(とうぼく)への路■ その3
2006/4/28(金)

★7月1日のコンサート「東北(とうぼく)への路」では、雅楽奏者の八木千暁さんに

「白秋 ~波の間に」という曲を初演していただきます。

楽琵琶と龍笛で、奥の細道の旅の終わり、秋の風情を、表現したいと思います。

楽琵琶は、普段なかなか見ることが出来ません。

筑前琵琶、薩摩琵琶と異なり床に水平に構えます。

調弦も春夏秋冬で異なる調弦を用います。

例えば、春は双調(そうじょう)、夏は黄鐘調(おうしきちょう)、水調(すいちょう)、冬は盤渉調(ばんしきちょう)などです。

今回は、秋の平調(ひょうじょう)をつかいます。

有名な越殿楽も平調です。

私は、月に2回、「お能を身近に感じる会」でお能を習っています。

いまは、経正(つねまさ)をお稽古中です。

平経盛(つねもり)の嫡子・経正は、西海の合戦で討ち死にしました。

彼のために催された管絃講の弔いでは、彼が生前に愛していた「青山(せいざん)」の琵琶が仏前に供え置かれました。

この銘器について、お謡(うたい)では

「第一、第二の絃は、索々として秋の風。

松を払って疎韻落つ。第三、第四の絃は、冷々として夜の鶴の子を憶うて籠の中に鳴く」と

白楽天の詩句を引用しております。

平家の時代でしたので、この「青山」は、楽琵琶だったのでしょうか。

7月の新作「白秋」では、普段なかなか接する機会のない楽琵琶を間近でじっくりとご覧ください。

ちなみに「お能を身近に感じる会」の詳細は、

お能の出版社「檜書店」のホームページhttp://www.hinoki-shoten.co.jp/lesson/で。

観世流の大変素晴らしい先生方が懇切丁寧にご指導してくださいます。


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■「東北(とうぼく)への路」 その2

2007-12-20 00:33:28 | ★旧・曲が初演されるまで
■「東北(とうぼく)への路」 その2
2006/4/24(月)

★ 昨日(4月20日)は春の嵐。



芽吹いたばかりの新緑にわずかに残っていた桜、桃の花もすべて散り去りました。



本日は、うらうらな陽光、生まれたてのような、どこか怜悧な透き通る微風が体をよぎっていきました。



松尾芭蕉は、「弥生も末の七日」(陰暦の三月二十七日)、深川の草庵を引き払い、東北へと旅立ちました。



暁前の出立。



「月は有あけにて、ひかりおさまれる物から、富士の峯幽(はるか)に見えて、



上野谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし」と書いております。
 
この記述から、私は、花の盛りに江戸を旅立った、と思っておりました。



ところが、そうではありませんでした。



「弥生も末の七日」は、新暦の5月16日に当たるそうです。



花はもうとっくに終わり、したたるような新緑、初夏に差し掛かる頃です。



この旅は、芭蕉五十一歳の人生のなかで、晩年といえる四十六歳の時です。



彼は人生を「花」に見立て、自分は散リ行く花、あの咲き誇る上野谷中の桜を再び見ることがない



かもしれない、と心に詠じたのかもしれませんね。



「草の戸も住替る代ぞ雛の家」という句が想いを掻き立ててくれます。



「草の戸」とは、いわば、世捨て人の草庵のことだそうです。
 
この老い先短い世捨て人(芭蕉)が、庵を畳み、旅立ちます。



その空家に次は、お雛様を飾るような子や孫のいる新しい家庭が移り住みことでしょう。



“そうあって欲しい”と念ずる芭蕉。



散る桜を想う老人、お雛様と無邪気に遊び笑う幼子の姿が重なり合います。



老いと幼の見事な対比、人の世の悠久の流れ、流転が、この一句に見事に込められています。



7月1日の「伝通院コンサート」の第一曲目、斉藤明子さん演奏の10弦ギター用独奏曲はこうした



世界を表現したい、と思いますが、どうなることでしょう・・・




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■「東北(とうぼく)への路」~松尾芭蕉によせて~■その1

2007-12-20 00:31:39 | ★旧・曲が初演されるまで
■「東北(とうぼく)への路」~松尾芭蕉によせて~■その1
2006/4/14(金)

▼ことし7月1日(土曜日)午後7時から、東京・小石川の伝通院・本堂で、私の全曲初演による

個展コンサート「東北(とうぼく)への路」を開きます。

伝通院は、徳川家康の生母「於大(おだい)の方」の菩提寺。

格式の高いお寺です。

揺らめく蝋燭の明かりを前にして、本堂の荘厳な空間での演奏会は、幻想的です。

この本堂での個展コンサートは、ことしが3年目になります。

お蔭様でとても好評です。

音響も、能楽堂に匹敵する素晴らしさ。

有名なホールより優れているかもしれません。

今回は、松尾芭蕉「奥の細道」をテーマに、時空を超えた東北への旅を、音楽により表現いたします。

東北を「とうぼく」と呼ぶのは、お能の「東北(とうぼく)」から取りました。

発音が典雅ですね。


▼斎藤明子さんの10弦ギター独奏で、「春三月の旅立ち」から始まります。

「あらたふと青葉若葉の日の光」の日光、「五月雨の降り残してや光堂」の平泉。

「荒海や佐渡に横たふ天の河」の越後路へと旅をいたします。

斎藤さんは、日本人ギタリストとして初めてニューヨーク・カーネギーホールでリサイタルをなさった

実力のある音楽家です。


▼第2幕は歌です。

私の知人で鶴岡出身の婦人がいらっしゃいます。

民謡の名人です。

彼女は、小さい頃から大変苦労された方です。

「民謡を歌って慰めることで、日々の辛い労働を乗り切ってきた」と話されていました。

お母さんが歌う民謡を耳で聴いて覚えたそうです。

それは「最上川舟歌」です。

鋼鉄のように張りのある声で歌っていただきます。

鑑賞用ではない本当の民謡、生きる糧として歌い継がれてきた歌です。


▼次に、「最上川舟歌」の主題をテーマにした曲を、斎藤明子さん尾尻雅弘さんご夫妻のギター二重奏で

演奏いたします。

斎藤さんの10弦ギター、尾尻さんの7弦ギターという大変珍しい組み合わせです。

10弦ギターは特に低音が豊かで、オーケストラの響きにも匹敵しそうです。

「五月雨を集めて早し最上川」。

最上川のとうとうとした流れが髣髴とするといいですが・・・。

尾尻さんは、バッハから現代曲まで幅広いレパートリーで活躍中のギタリストです。

その真摯な演奏がいま、注目されています。


▼旅の終わりは、また舟に乗りて「蛤のふたみに分かれ行く秋ぞ」。

大きな旅を終えた安堵感と一抹の秋の寂しさ。

この世界を、八木千暁(せんぎょう)さんの樂琵琶と竜笛で表します。

八木さんは、雅楽の演奏団体「伶樂舎」のメンバーです。

古典や新作の雅楽演奏、さらに世界各国での演奏や、CD録音など多彩に活躍中です。


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■■ 狂言・山本東次郎さんの「おはなし」 ■■

2007-12-20 00:28:05 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■■ 狂言・山本東次郎さんの「おはなし」 ■■
2007/8/12(日)

★8月10日、国立能楽堂での「夏休み親子のための能楽公演」に行ってまいりました。

演目は、狂言の「蚊相撲」と、能の「雷電」でした。

しかし、お目当ては、その前の山本東次郎さんの「おはなし」でした。

山本東次郎さんは、現代日本で、最高の狂言演者であると、私は思います。


★感銘を受けたいくつかの「おはなし」をお伝えします。

「能と狂言は、“水と油”ではなく、“お湯と水”です」

「水と油」は異質なものの例えですが、

「お湯と水」は、水という一つの物質がもつ変化の様を表します。

「狂言は、人間のだらしない、滑稽な、愚かな面を、

能は、人間の辛さ、美しさ、素晴らしさを表現し、

どちらも人間のもっている一面です」。


★「言葉は、“言霊”といって人の心を変えることができる力をもっています」

「言葉には魂があり、そのために、能や狂言は、言葉が少ない」

「その少ない言葉を“点”とした場合、点と点を繋ぐのは、観客の想像力です」


★「能で使う太鼓は、いま流行りの和太鼓と違い、

ストイックで、知性に裏付けられた楽器です」

私は、ここで思わず、客席から拍手したくなりました。

肉体をこれ見よがしに見せ、破れんばかりに叩き続けるだけの「和太鼓」には辟易です。

太鼓の魅力は、そういうものではありません。

「知性」と「技術的修練」のバランスがとれて初めて、芸術といえます。


★歌舞伎の花道と、能の橋掛りの違いについて、

歌舞伎の花道は、観客席のなかにあり、昔は役者に花を渡すこともあったそうです。

観客へのサービスのために存在するのです。

能の橋掛りは、揚げ幕の奥の「あの世」から、「この世」である舞台への架け橋です。


★能の起源の一つとされている、次のようなお話をされました。

昔々、村人が川に橋を架けようとしますが、どうやっても成功しません。

たまたま、通りがかった旅人が、「人柱を立てたらどうか」と、提案しました。

ところが、なんと、その旅人が「人柱」にされてしまいました。

橋は、完成しましたが、村人はどうにも気味悪くてしかたありません。

夜は、怖くてとても渡れません。

そこで「毎年、供養しよう」ということになります。


★ところが、平安時代の平均寿命は12歳、室町時代でも18歳と、短命な社会でした。

その旅人を覚えており、語り伝えることができる人が、次第に亡くなっていきます。

橋の由来を知る人がすべて亡くなった後は、人柱の旅人を忘れないように、

橋が出来た顛末を伝えることが必要である、ということになりました。

そうしないと、橋が安全に保たれない、と思っていたのです。

旅人に扮装した役者が橋掛りから現われると、村人は、役者を丸く取り囲み、

その話や演技を見聞きします。

能舞台の観客席が、正面と脇から舞台を取り囲むように配置されている理由は、

ここから来ているそうです。


★当日の狂言「蚊相撲」は、室町時代に流行していた相撲を主題にしたものです。

大名が自分も相撲取りを雇おうと、太郎冠者に命じて捜しに行かせます。

ところが、本物の相撲取りではなく、「蚊の精」を雇ってしまいました。

人間に化けた蚊は、大名と相撲をとりますが、血を一杯吸って負かしてしまいます。

東次郎さんは、このお話に現代を見ています。

“何事も、大流行するものには偽者が出てくる”と。


★また、能「雷電」は、宮中で罪もなく陥れられ、非業の死を遂げた菅原道真が、

雷神となって宮中を襲います。

東次郎さんは、陥れられたことを「現代のいじめ」、雷神の襲撃を「テロ」とみます。

能、狂言は古びない現代性をもった劇である、とおっしゃています。


★能、狂言の格好の入門書を2冊、ご紹介いたします。

「中高生のための狂言入門」山本東次郎、近藤ようこ著(平凡社ライブラリーoffシリーズ)1200円

「まんがで楽しむ能の名曲70番」文・村尚也、漫画・よこうちまさかず(檜書店)1200円

入門書とはいいながら、どちらも質が高く、基本的な知識を得るのに最適な本です。

東次郎さんの本は、何度も何度も読み返したくなる奥深さです。

「まんがで楽しむ能の名曲70番」は、有名な演目の粗筋と見所を、

大変分かりやすく漫画で解説しております。

思わず、本物を見たくなる面白さです。


★能楽堂で、たくさんの小学生が、大変熱心に観ていました。

演者も一流の方ばかりで、手を抜かず、熱演されていました。

子供用に改作したりせず、媚びずに一級品を見せる素晴らしい企画だった、と思います。

私は、3歳のときから、日本舞踊を習いました。

日曜日は、よくお師匠さんから頂きました切符で、踊りを観に行きました。

伝説的名人といわれた方々の踊りは、子供心にも「凄い」という印象でした。


★クラシック音楽を勉強されている方や、職業とされている方も、

日本の芸術にも、是非、目を向けていただきたい、と思います。

ベッチャー先生も「あなたのルーツを大切にしてください」とおっしゃっています。

日本の芸術の凄さが理解できれば、

西洋のクラシック音楽の凄さもさらによく理解できるのです。

ドビュッシーは、インドネシアや日本の芸術に触れることにより、

最高の芸術を作り上げました。


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■■ イタリア・サルデーニャ島の音楽と踊り ■■

2007-12-20 00:27:06 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■■ イタリア・サルデーニャ島の音楽と踊り ■■
2007/3/22(木)

★イタリアから来日中の「サルデーニャ民俗音楽団」の演奏を聴いてきました。

(会場:横浜「はまぎんホール・ヴィアマーレ」)

現在、チェロの独奏曲を作曲中で、そのような時にコンサートへ行くのは、一種の賭けです。

いい気分に浸ることができればいいのですが、期待はずれなら、2~3日は嫌な気分が抜けません。


★しかし、思い切って出掛けてよかったです。

地中海に浮かぶサルデーニャ島は、欧州では「美しい海のリゾート島」として有名です。

スライドで島の様子が映し出されました。

シチリア島に次いで大きな島であるサルデーニャ島は、ほぼ四国と同じ大きさ。

ゴツゴツとした岩だらけの痩せ地で、昔は、わずかに生える草で羊を飼っていました。

戦後、貧しいこの島を後に、外国へ移住せざるを得ない人々が多くいたそうです。

しかし、独自の文化を築き、言語もイタリア語とは異なる系統だそうです。


★歌も踊りも素晴らしかったのですが、特に、「ラウネッダス」という葦笛が面白かったです。

3本の葦笛で出来ており、それを全部一度にくわえて吹く名人芸を堪能してきました。

この楽器は、左側に、50センチ以上はある長い葦がきます。

この葦には穴が開いておらず、「ボー、ボー」という音で、低音を出し続けます。

専門用語では「ドローン」です。

真ん中にある中位の長さの葦は、穴が4つあり、左手でその穴を塞ぎ、伴奏を受け持ちます。

右側の一番短い葦も、穴は4つで、右手でメロディーを奏します。


★スコットランドのバグパイプにも似た構造で、日本の篳篥の遠い親戚にも当たるそうです。

実物を目の当たりにして、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の、

あのパンの笛と、半獣神を思い浮べました。

この楽器は、葦を冬期に刈り取り、感を頼りに、蜜蝋と黒い紐のみで、精巧に製作されるそうです。

音程は、葦に貼り付ける蜜蝋の量で細かく調整するそうです。

島では、お祭りも多いそうですが、聖人祭の行列や、聖体拝領が特に興味深く思えました。


★聖体拝領の儀式には、通常、オルガンを用いますが、

この島では、この葦笛「ラウネッダス」を使います。

微妙にイスラム的な節回しや、

バルトークが収集したトルコや東欧民俗音楽の旋法やリズムも含まれている、と感じました。

しかし、それだけではなく、この島以外にはない固有の独特な音楽である、というのが感想です。


★男性4人の「テノーレス・ディ・ネオネリ」(ネオネリ村のテノーレス)の歌も、

とても素晴らしく、低いだみ声のような発声法をするパートが、実によく声が通り、

洗練された美を感じました。

日本の名僧による読経にも通じるものがありました。

以上は、一度聴いただけの印象ですが、いつか現地のお祭りに行き、

聴いたり、踊ったりして、ローマより古いと言われるサルデーニャの魅力を体験したものです。



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■ 「横道萬里雄の能楽講義ノート」を読む ■

2007-12-20 00:26:01 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■ 「横道萬里雄の能楽講義ノート」を読む ■
2006/8/24(木)

★ 雑誌「観世」06・9月号に、≪横道萬里雄の能楽講義ノート(1)謡の楽型≫が掲載されています。


東京芸大在任中の1983年度になさった講義が幸い、聴講者の手によって録音されていました。


その録音を起こしたものです。


講義は全19回、「能の音楽技法」の概説が目的ですが、具体例や比喩が散りばめられています。


私も在学中に、これとは別の横道先生の講義を受講したことがあります。


当時は、作曲科の学生にとって、先生の講義を受講しても単位として認定はされませんでした。


楽理科の学生に混じって聴いていましたが、あまりに内容が深く、ほとんど分らないまま卒業してしまいました。


今回、読み直しまして、初めて少し分るとことが出てきました。


とても嬉しいです。


先生は、まず、日本の音楽はどれもそうですが、五線譜に採って分析しても実態は分らない、

と前置きしたうえで、

「能の音楽を考えるとき、西洋音楽の理論で解明するのではなく、白紙で能の音楽が

どういうものであるかをつかまえる、後でそれを、西洋音楽の理論で解釈することはできる」と

指摘します。


★ 一例を挙げますと、能の音階に「ツヨ音階・ヨワ音階」がありますが、ツヨ吟の音階での

「中音(ちゅうおん)」と「上音(じょうおん)」は全く、同じ高さです。


私もお能を習いながら、同じ高さなら音名は一つでいいのでは、と思いますが、そこがどうにも理解できません。


横道先生は、「謡の前後の流れから音名が二つ必要である」という一般的な説明のほかに

「江戸末期まで、ツヨ吟の音階は、上音と中音の音の高さが違っていた」と付け加えられています。


「下ノ中音と下音も高さが違った」ともおっしゃています。


「それが段々、一緒になってきた、そう言う歴史的事実があるのです」


この時代的変遷は初めて知りました。


ということは、江戸時代以前の能と現代の能は、旋律がやや違う、ということになります。


室町時代から、全く変わらずに続いてきたようなイメージがありますが、すこしづつ、変貌しているのですね。


★ 20世紀初頭のアイルランドの詩人イェーツが、日本の能に刺激を得て、詩劇「鷹の井戸」を書きました。


横道先生は、これを基に新作能「鷹の泉」を創作されました。


私は、2004年12月、能楽観世座で、この「鷹の泉」を、シテ「鷹姫」=観世清和さん、

老人=友枝昭世さんで観ました。


★ 「観世」の次号に載る講座も楽しみです。


このような貴重な講義を復活される檜書店の企画に拍手を送ります。


★ 横道萬里雄(よこみち まりお)
1916年生。1941年東京帝国大学文学部卒業。1974年東京国立文化財研究所芸能部長。
1976年東京藝術大学音楽学部教授。1984年同大学定年退官。1990年沖縄県立芸術大学付属研究所長を歴任。東洋音楽学会、日本演劇学会、舞踏学会、日本歌謡学会、楽劇学会、能楽学会等に所属。
主な著書、共著に「謡曲集」、「能劇逍遥」、「能劇の研究」、岩波講座「能・狂言」、
「謡いリズムの構造と実技」など。

★ 檜書店のこのページに横道先生の著書などが紹介されています。
http://www.hinoki-shoten.co.jp/publication/books_study.html


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■「能管」の独奏曲 ■

2007-12-20 00:24:52 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■「能管」の独奏曲 ■
2006/5/26(金)

★日本作曲家協議会(JFC)が、ことし2月に製作しましたCD「日本の作曲家2005」に、

私の作品「深山鶴声」が収録されています。

「能管」の独奏曲です。

多分、この楽器による独奏曲は初めて、と思われます。

一昨年(2004年)に、アリオン音楽財団<東京の夏音楽祭>関連公演として、伝通院で初演されました。

このCDの演奏は、昨年(2005年)2月にサントリーホールで収録されました。

国内外の大学、図書館、放送局などに送付されるものですが、日本作曲家協議会に連絡しますと、

入手可能です。

また、この楽譜も、JFCで出版されていますので、入手可能です。

伝通院での実演の録音は、DVDとVIDEOの「変身譚物語」に収録され、平凡社出版販売で購入

できます。

どちらも、福原百七さんが、素晴らしい演奏をされています。

緊張感の漂う初演のDVD版と、半年間、“発酵”させて自在な表現となっているCD版、どちらも

優劣つけ難いといえます。

幽玄な伝通院・本堂での、実際の演奏風景をご覧になれることから、DVD版がいいかもしれません。

福原さんは、日曜夜のNHK大河ドラマのテーマ曲で、笛の演奏をされています。

お能や歌舞伎などで使われる「能管」は、雅楽で使われている「龍笛」以降に出現した楽器です。

能管、龍笛とも、外見はほとんど同じです。しかし、構造はかなり異なります。

能管は、まず、竹を細く割箸のように裂き、すべすべした竹の表皮が笛の内側となるよう表裏を

逆にして管状に継ぎ合わせ、漆で張り合わせます。

張り合わせたものをさらに、樺あるいは桜の皮で巻き上げ、また漆で固めます。

漆は塗装剤として認識されていますが、実は強固な接着剤でもあるのです。

太古の昔、鏃(やじり)を木の柄に取り付ける際、天然の漆が接着剤として使われた、とも言われます。

また、錆止め剤としても強力で、戦時中は国内で採れた漆のほとんどが、砲弾の錆止め用に徴用されていた

そうです。

少々、脱線しましたが、能管は、龍笛のように一本の竹をそのまま使うのではなく、非常に手の込んだ

凝った作りです。

あの小さな笛から大音量が出てくる秘密の一端は、竹の硬い表面を管の内部にもってくることにあるそうです。

さらに、管内部の唄口近くに、鉛製の“喉(のど)”といわれる円い筒が嵌め込まれ、蝋で封印されて

います。

大気を引き裂くような鋭い音が出るのも、この“喉”の効果が大きいようです。

そうした構造のせいか、ピッチを龍笛や篠笛のように、正確にとることが極めて難しいそうです。

ことし7月1日の伝通院コンサートで、龍笛の曲を書きますが、龍笛を自分で体験して、能管や篠笛との

比較をいつか、まとめてみたいと思います。

7月1日の伝通院コンサート「東北(とうぼく)への路」では、八木千暁さんによる龍笛の名演を

聴くことができます。


★「変身譚物語」のDVDとVIDEO、「東北への路」チケットお申込みは...
  平凡社出版販売株式会社 中崎まで。
                電話 03-3265-5885 FAX 03-3265-5714

★中村洋子のホームページ http://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.html


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■活弁のお薦め■

2007-12-20 00:23:03 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■活弁のお薦め■
2006/2/21(火)

★千代田区神田錦町の「学士会館」で時々、懐かしい「活弁」の上映会が開かれます。
数回見に行きましたが、病み付きになりそうです。

 前回12月は、 小津安二郎監督の戦前の無声映画「東京の合唱」。
活動弁士は澤登翠(さわと・みどり)さん。
澤登さんの至芸といえる語り、映像の質の高さ、会場である学士会館の重厚で心安らぐ静寂空間、それらが一体となり、稀に見る充実した一晩でした。

 昭和6年・1931年製作のこの映画は、小津がまだ27歳の作品。
いまの日本を思い起こさせられ、思わず、苦笑すること多しでした。
甘く知的な顔の主人公(岡田時彦)は旧制高等学校卒。(映像では大学についての言及なし)
当時でいえばエリート中のエリート。
しかし、勤め先の保険会社で、定年直前のしょぼくれた老人が理不尽な理由から首を切られたことに立腹し、社長に直談判。逆に馘首(かくしゅ)を言い渡されます。
3人の幼い子供、和服の似合う美人の妻(八雲恵美子)を抱えるサラリーマンの身。
当時は1929年の大恐慌の後、失業者であふれ、「大学は出たけれども」の大不況。
さんざん苦労する毎日の生活を暖かい目で描きます。

 戦後の名作「東京物語」にあるものはすべて、既にこの映画に内包されています。
幻燈写真のようにいろいろなシーンが網膜に焼き付き、しょっちゅう思い出します。
多分、一生消えないことでしょう。
岡田時彦が自宅に帰り、妻の手助けで背広を脱ぐ着替えのシーンは、何度も何度も出てきます。
戦後の作品より、カメラの視座は少し高い位置のようですが、家庭とは、家庭の幸せとはこういう素朴な日常の立ち居振る舞いの中に現れるものか、と不思議な感慨をもたされます。
人力車を引く車夫の横顔では、一生車を引いている人はこういう顔をしていたのか、と感銘を受けます。都電の窓からの風景、シケモク拾いのルンペン・・・。

 映像もさることながら、澤登翠さんの語りは、誇張なしで第一級の芸術です。
何人もの登場人物を、その性格まで髣髴とさせるような語り口で描き出します。
始まって暫くすると、これが一人の弁士によって語られていることを忘れています。
物語に没頭させられます。
大変な芸です。
艶のある凛とした声。透明感があり、うるさくありません。
そして何より、知性の裏づけが感じられます。
オペラの世界に入っていれば、プリマとして名を残すような方でしょう。
コマーシャリズムに踊らされる偽者名人ばっかりのいまの日本で、掛け値なしに本物といえる希少な方です。

 映画の後には、ワインが出ます。その後に澤登さんのお話があります。
これもまた素晴らしい内容です。

 ルンペン、銀ブラ、エログロナンセンス、アチャラカ、男子の本懐などの言葉は、この映画の1930年ごろの流行語だそうです。
 カレーライスの値段は10銭、昼定食12銭、大卒初任給は50円。
庶民に最も人気があったのはラジオの浪花節、一方ではインテリ階級の間で輸入のレコードがブーム。
ベートーベンのバイオリン協奏曲が驚くべき35円50銭。
この映画の主人公の家にもレコードが登場していました。
また、傾向映画という左翼映画もあり、財テクの本が流行していたそうです。
 これらのデータはすべて、澤登さんのお話です。
それを手書きして資料配布されました。勉強になります。

■次回は24日金曜日午後6時半から、1927年アメリカ映画「第7天国」。
 第1回のアカデミー監督、女優、脚本賞を受賞した歴史的名画だそうです。

電話予約は企画係03-3292-5955.前売り2500円。
学士会のホームページ・企画イベント欄にも案内あり。http://www.gakushikai.or.jp 。
企画係の西川さんが目利きで、落語、旅行など楽しい催し物も計画されています。


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■■ 春のフキノトウ・スパゲッティー ■■

2007-12-20 00:08:47 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■■ 春のフキノトウ・スパゲッティー ■■
2007/4/3(火)

★春爛漫です。

桜に続き、海棠、花梨、花桃・・・ピンクの花盛り

山吹も、可憐な黄色いお花を、ぼんぼりのように燈し始めました。

気が付かないうちに、姫リンゴも純白な花を、枝一杯びっしり飾っていました。


★先日、都内のイタリアレストランで、美味しい「フキノトウ・スパゲッティー」をいただきました。

小麦色のスパゲッティに、萌黄色の細切りフキノトウが、お星さまのように散りばめられています。

他にはなにも入っていません。

麺にはオリーブオイルが、まったりと、からまっています。


★そっと口に運びます。

若い春の息吹のような香りが、鼻をくすぐります。

お口の中では、奥ゆかしいほろ苦さが、縦横に駆け巡ります。

苦味は、脳の奥まで細い糸のようにたなびいていきます。

しゃきっと、目覚めました。

大地を割って頭をもたげる野草の生命力を、そのまま頂いたような気持ち。


★早速、私なりに再現してみました。

かなり満足のいく出来具合でしたので、レシピをお知らせします。

どうぞ、お試しあれ。


★1)熱湯に重曹を少し入れ、フキノトウを丸のまま、さっと茹でます。

すぐに取り出し、氷水に入れて、鮮やかな色を出します。

(重曹と氷水がカギです)

2)茹でたフキノトウを軽く絞り、好みの大きさに刻みます。

3)スパゲティーは、塩をたくさん入れた湯で茹でます。

塩味が麺にうまく移ります。

4)冷えたフライパンに、みじん切りのニンニク、赤唐辛子、オリーブオイルを同時に入れます。

5)点火し、香りが立つまで、弱火で熱します。

6)そこにフキノトウを入れ、塩コショウを少々散らし、

スパゲティーの茹で汁をお玉一杯弱くらい加え、乳化させます。

7)そのお汁にスパゲティーを和え、さらにバターとオリーブオイルを加えて、こくと香りを出します。

これで完成です。

ベーコンでもマイタケでもお好きなものを、炒め合わせても結構です。


★オリーブオイルの質が、やはり、このお料理の要です。

以前にお知らせしました「VIOLA」というオイルを使いました。

このスパゲッティーの美味しさは、「VIOLA」に負うところも大です。

http://blogs.yahoo.co.jp/nybach321/folder/1310049.html?m=lc&p=2 の

06年10月7日の欄でご紹介しています。


★春を、目と舌で、どうぞお楽しみください。


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■■ ケンプの「シューベルト・ピアノソナタ全集」と、古今亭志ん生 ■■

2007-12-20 00:05:36 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■■ ケンプの「シューベルト・ピアノソナタ全集」と、古今亭志ん生 ■■
2007/3/2(金)

★ケンプの演奏した「シューベルト・ピアノソナタ全集」

=Deutsche Grammophon COLLECTORS EDITION= を聴いています。

7枚CDセットで、ピアノソナタが18曲、収録されています。

シューベルトのピアノソナタ全曲ではありませんが、有名な作品はほとんど網羅されています。

特に名高い最後のピアノソナタ変ロ長調D960は、いろいろな名ピアニストの録音を聴きましたが、

どれもいまひとつ、もの足りなく感じていたところ、やっと、究極の演奏に出会えた気がします。

この演奏法については、4月15日のアナリーゼ講座で、お話できる時間があれば、と思っています。


★私の好きなイ短調D845(Op.42)は、グルダの演奏を愛聴していましたが、

演奏の方向性が違うとはいえ、ケンプの深さには脱帽です。

私が自分で弾いてみますと、単調な一本調子な演奏になってしまいます。

ケンプは、あたかも、声楽家がするような微妙なリタルダンド、

アッチェレランド、ポルタメントをつかい、多声部を弾き分けています。

何声部の音楽だったのかと、唖然とします。

(どうして、シューベルトは対位法が苦手だった、と言うことができるのでしょうか)

休符のもつ意味の恐ろしさは、モーツァルト譲りでしょう。

ケンプが告白しているように、若いころ、彼がこの曲に耽溺したのも納得します。

口幅ったいったい言い方ですが、この凄さを理解するには、

聴く方にも、それなりの勉強や感受性が必要かもしれません。

何度も聴いて、得るものが多い演奏です。

いま流行の「すぐ分かる、華やかな」演奏とは、正反対です。


★付録の解説に、ケンプが「Shubert's hidden treasures 」という一文を寄せています。

彼は若い頃(第一次世界大戦前)、このイ短調 D845(Op.42)に、深く傾倒しました。

ケンプは、シューベルトが後の作曲家に与えた影響についても、

「これは、私自身の経験によるものだが」と前置きし、

ブラームスや、ショパン、さらにブルックナーにまで言及しています。

ケンプの演奏や、ルービンシュタインの演奏が、かくも深く、

いつまでも私たちの心を離さないのは、残念なことであるのですが、

彼らが、第一次、第二次世界大戦を経験していることがかなり大きいと、私は思います。

この素晴らしいCDが、録音されたのは、1965年から69年にかけて、ケンプの全盛期であると同時に、

“戦後”が終わり、安定した世の中となり、生と死について、あらためて

自ら深く思いを馳せている時期だったからかもしれません。


★シューベルトは31歳の若さで亡くなり、20代はほぼ病気との闘い、共存の時期でした。

青年らしい明るさや、希望、激情とともに、病や死への恐怖と背中合わせに生きていました。

それが、シューベルトの音楽を深く、普遍的にした大きい要素かもしれません。


★一昨晩、NHKラジオの深夜便で、古今亭志ん生の落語「大工調べ」を偶然、聞きました。

母親と長屋に二人暮しで、家賃を滞納している大工、その親方、大家の3人のお話です。

仕事は丁寧、腕はいいが、世事にうとく、万事にのろいため、小馬鹿にされている大工。

大家は、支払いが滞った家賃のかたに、大工道具を取り上げてしまいます。

そのために何日も仕事ができない大工、それを何とかしたいと思う親方。

お奉行所で、三人三様の言い分を面白おかしく並べ立てます。

奉行所のお役人は、大工に家賃の支払いを命じますが、

大家が質草のように大工道具を取り上げたのは、「質屋の鑑札をもっていないのに、

不届きである」として、「その間の利子を大工に払え」、

しかも、「家賃以上の額を支払え」と、大工に味方する大岡裁き。


★家賃払わないと、道具を取り上げられる。

道具がないと仕事ができず、家賃も払えない。

親方も、助けてやりたいと思いながら、内心では、

“腕の良いこの大工は、少々トロいので安く使え、儲けが多い、

この男が働いてくれないと、自分が損する”と思っています。

大家も親方も、小ずるく、うまく立ち回ろうとする人たちで、

しかも、どこか憎めない人たち。

志ん生の噺は、大笑いしているうちに、面白い“サゲ”であっという間に終わってしまいます。

聞き終えた後、これはいまの世でも、あちこちで起きているお話、

さらに、いつの世も、世の中とはこのように動いている、という重い感慨にひたらされます。

志ん生は、各登場人物に共感をもって、その性格、心理までくっきりと浮かび上がらせます。

顔付きまで浮かぶようです。

志ん生の凄さです。


★なにも現代の難しい「不条理劇」を見なくても、

同じような話は、江戸時代から、延々と現代まで続いているのです。

近頃、狂言もよく見ますが、狂言は“サゲ”すらなく、

太郎冠者、怖い女房、大名が三つ巴となり、いつまでも、

言い争いをしながら、楽屋に走り去って行きます。

狂言も同じことを言っているのだ、と思います。


★ケンプは、小さな旋律一つにも、それがソプラノ歌手の歌なのか、

フルートの響きなのか、チェロの朗々としたメロディーなのか、

聴衆に分かるよう、音色と歌い方に変化を与えて演奏しています。

ケンプのシューベルトを聴いた後は、オーケストラを聴いたような感じがします。

指揮者ケンプが繰り出す音楽は、実は、

本当に「作曲家」でもあったケンプの美しい創造物でもあったのです。


★志ん生も、第二次世界大戦中、中国に渡り、九死に一生を得た人ですが、

とうとう中国での苦しい体験は、一言も語らなかったそうです。

しかし、戦前、才能は評価されながらも、しくじりを重ね、

不遇の落語家であった彼は、戦後に大化けし、亡くなった現在でも、

越えることのできない存在として、いまだに人気は尽きることがありません。

ケンプ、ルービンシュタイン、志ん生のもつ、人間の大きさ、芸術の偉大さは、

そうした人知れない苦労を、芸術に転化し得たことにもあるのかもしれません。


★ケンプは「Shubert's hidden treasures 」で、

シューベルトのピアノソナタについて、こう書いています。

「大部分のピアノソナタは、巨大なホールの光輝くライトの下で演奏されるべきものではない。

これらのソナタは、とても傷つきやすい魂の告白だからです。

もっと正確にいいますと、独白だからです。

静かに囁きかけるため、その音は、大きなホールでは伝わりません。

(シューベルトは、そのピアニッシモに、自分の心の奥底の秘密を託しているのです)


★このケンプのCDは、外盤ですが、7枚で7000円弱のお値段でした。

お求めになることを是非、お薦めいたします。



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■ 龍雲庵のお料理と佐川さんの漆器 ■

2007-12-20 00:02:39 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■ 龍雲庵のお料理と佐川さんの漆器 ■
2007/2/19(月)


★先日、佐川泰正さんの漆器展に行ってまいりました。

今回は、ヒノキで作ったお箸が、特に私の興味をそそりました。

塗り箸は、一年も使いますと、通常は先端の漆が剥がれ、醜くなります。

そこで買い換えることになります。

業界は、そうなるように作っているのでしょう。

佐川さんは、それを「もったいないなあ!」と思われる方です。

そこで今回、長い間、使うことのできるお箸を考案されました。

先端や頭の部分が鋭角に尖っていると、塗った漆が磨り減ったり、

剥がれやすくなります。

角に丸みをつけ、先端部に入念な布着せをするなど工夫を凝らしました。

それでいて細身、上半分は小粋な朱色、下半身が深い黒、どこか歌舞伎調の艶やかさ。

しっとりと手に馴染み、幾久しく使えることでしょう。


★展示会では、「おしのぎの御献立」をいただきました。

すべて佐川さんの器に盛られています。

とても贅沢なことです。

新宿「龍雲庵」のお料理は、季節感や色彩感に溢れ、切れ味鋭く、感動の美味しさでした。

「龍雲庵」の主・後藤紘一良さんが自ら、節分にちなんだお献立の解説をしてくださいました。

そのお話は、平易、明快、的確な言葉、まさに「簡にして要」でした。

ほんの数分で、お料理のすべてが伝わってきました。

お料理の出来栄えと同じぐらい、感銘しました。

日本語をかくも使いこなせるとは。

「料理」は究極のところ「知性」である、と得心しました。

その他の領域でもさぞかし達人のお方であろうと思われます。

さっそく、おうちに帰り、真似っこ料理を作ってみたくなってしまいます。

メモいたしましたお話のすべてを、皆さまにお伝えしたい、と思います。


★★ 御献立のご紹介 ★★

●【 先附け 】 ・高足付き朱色のデザート皿

「胡桃豆腐 割しょうゆ、山葵添え」=国産の姫クルミを素揚げ、ペースト状にして葛と混ぜて練る。

(山葵の緑が新鮮、香りが鼻をくすぐります。お豆腐のプルンプルンとした舌触り、

割しょうゆの切れのよさ、塩気を感じさせない清流のような爽やかさ。

こんなに美味しいものが最初なら、次はどんなに素敵なものが・・・と、心ときめきます)


●【 和風盛り合わせ(節分皿) 】 ・拭き漆の楕円盆

「枡大根」=豆撒きの枡の形に刳り抜いた大根、その中に、緑鮮やかなお多福豆。

(枡にお出汁がじっとりと滲みています。お豆は蜜で煮てあり、典雅な軽い甘さ)

「赤鬼麩」=やんちゃな赤鬼の顔に似せたお麩、中に味噌餡入り。(遊び心満点です)

「海老芋寿司」=大和芋を蒸して裏ごし、酢、砂糖、塩を加え、手毬のように丸め、

巻き海老(小さい車海老)を貼り付ける。(海老の鮮烈な赤、お芋の滑らかさ)

「独活甘酢」=ウドを甘酢に漬け、細く切る。(目が覚めるような酸味、とても爽やか)

「穴子入り出し巻き」=穴子を白焼きしてから軽く煮る。

(卵のやさしい感触に、穴子のしっかりした食感、焼いた皮の硬質な味が見事に調和)

「鰯梅香煮」=節分に欠かせないイワシを三枚におろし、梅干で煮る。

(口に含みますと、梅干の軽く若い酸味、つぎに、醤油の逞しく香ばしい風味、そして最後に、

イワシ本来の旨みが、じっくり重厚に染み出してきます。

その余韻がしばらく続きます。

お箸がおのずと止まります。

そして、おもむろに消えていきます。

“人の一生とはこんなものかな・・・”と、目を瞑っている自分にふと、気付きました。

最も感動した一品です)

「ひいらぎ」=柊の小枝が一本刺してあります、厄除け用です。


●【 汁 】 ・檜の四季椀

「菜の花スープ」=菜の花、京人参、牛蒡、蒟蒻、椎茸、白味噌、酒粕。

(立春が旬である菜の花を茹で上げ、それをすり鉢で摺りおろします。

その色鮮やかな菜の花ペーストを、白味噌と酒粕のお汁に混ぜます。

真っ黒いお椀の中は、萌え黄色の大海原でした。

早春が溢れています。

崩れそうに柔らかい真っ赤なニンジン、椎茸や小岩のような蒟蒻たちが泳いでいます。

そんな中、笹がきゴボウのシャリシャリ感と土の香りには参りました。

刃を食べているかのような舌触り。蕎麦の喉切れをさらに鋭角的にした心地いい食感。

視覚を、触感をとことん追求して、異次元の美味に到達する。

「これが割烹である」と理解しました)


●【 洋風盛合わせ 】 ・楕円形の乾漆皿

「合鴨鍬焼き」=アイガモの皮側を焼き、そぎ切りして小麦粉を付ける。

フライパンで焼き、たれを絡める。

(これまでの、軽い品々と比べ、お肉のしっかりした旨みと脂分が、充実感を与えます)

「ししとう」=サッと素揚げ。(鮮やかな緑)

「きざみ野菜」=レタスの細切り。(サクサクとした歯応えの心地よさ)

「芽キャベツ」=半分に輪切り。(緑、黄、白と断面の色彩変化が見事)

「ドレッシング」=経験したことのない軽やかな味。


●【 ご飯 】 ・外周に茶の模様が入った黒の大椀

「芋粥」鼈甲餡かけ=おイモの入ったお粥に、清流で育った芹を細かく刻んで混ぜます。

甘酸っぱい醤油味の餡(ベッコウあん)を、粥にトロリと垂らす。

(白いお粥に描かれるベッコウ色の文様は、琳派の川流れの図のようです。

緑のセリから、早春の香りがプンプン)


★すべてのお料理は、一口で召し上がるそれはそれは可愛い「おしのぎ」ですが、

いただき終わりますと、気持ちのいい腹心地でした。

季節の肌触り、大地の恵みを余すところなく感じさせていただいたお料理でした。

私たちは、なんと豊かな国に生きているのでしょう。



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