■■ 狂言・山本東次郎さんの「おはなし」 ■■
2007/8/12(日)
★8月10日、国立能楽堂での「夏休み親子のための能楽公演」に行ってまいりました。
演目は、狂言の「蚊相撲」と、能の「雷電」でした。
しかし、お目当ては、その前の山本東次郎さんの「おはなし」でした。
山本東次郎さんは、現代日本で、最高の狂言演者であると、私は思います。
★感銘を受けたいくつかの「おはなし」をお伝えします。
「能と狂言は、“水と油”ではなく、“お湯と水”です」
「水と油」は異質なものの例えですが、
「お湯と水」は、水という一つの物質がもつ変化の様を表します。
「狂言は、人間のだらしない、滑稽な、愚かな面を、
能は、人間の辛さ、美しさ、素晴らしさを表現し、
どちらも人間のもっている一面です」。
★「言葉は、“言霊”といって人の心を変えることができる力をもっています」
「言葉には魂があり、そのために、能や狂言は、言葉が少ない」
「その少ない言葉を“点”とした場合、点と点を繋ぐのは、観客の想像力です」
★「能で使う太鼓は、いま流行りの和太鼓と違い、
ストイックで、知性に裏付けられた楽器です」
私は、ここで思わず、客席から拍手したくなりました。
肉体をこれ見よがしに見せ、破れんばかりに叩き続けるだけの「和太鼓」には辟易です。
太鼓の魅力は、そういうものではありません。
「知性」と「技術的修練」のバランスがとれて初めて、芸術といえます。
★歌舞伎の花道と、能の橋掛りの違いについて、
歌舞伎の花道は、観客席のなかにあり、昔は役者に花を渡すこともあったそうです。
観客へのサービスのために存在するのです。
能の橋掛りは、揚げ幕の奥の「あの世」から、「この世」である舞台への架け橋です。
★能の起源の一つとされている、次のようなお話をされました。
昔々、村人が川に橋を架けようとしますが、どうやっても成功しません。
たまたま、通りがかった旅人が、「人柱を立てたらどうか」と、提案しました。
ところが、なんと、その旅人が「人柱」にされてしまいました。
橋は、完成しましたが、村人はどうにも気味悪くてしかたありません。
夜は、怖くてとても渡れません。
そこで「毎年、供養しよう」ということになります。
★ところが、平安時代の平均寿命は12歳、室町時代でも18歳と、短命な社会でした。
その旅人を覚えており、語り伝えることができる人が、次第に亡くなっていきます。
橋の由来を知る人がすべて亡くなった後は、人柱の旅人を忘れないように、
橋が出来た顛末を伝えることが必要である、ということになりました。
そうしないと、橋が安全に保たれない、と思っていたのです。
旅人に扮装した役者が橋掛りから現われると、村人は、役者を丸く取り囲み、
その話や演技を見聞きします。
能舞台の観客席が、正面と脇から舞台を取り囲むように配置されている理由は、
ここから来ているそうです。
★当日の狂言「蚊相撲」は、室町時代に流行していた相撲を主題にしたものです。
大名が自分も相撲取りを雇おうと、太郎冠者に命じて捜しに行かせます。
ところが、本物の相撲取りではなく、「蚊の精」を雇ってしまいました。
人間に化けた蚊は、大名と相撲をとりますが、血を一杯吸って負かしてしまいます。
東次郎さんは、このお話に現代を見ています。
“何事も、大流行するものには偽者が出てくる”と。
★また、能「雷電」は、宮中で罪もなく陥れられ、非業の死を遂げた菅原道真が、
雷神となって宮中を襲います。
東次郎さんは、陥れられたことを「現代のいじめ」、雷神の襲撃を「テロ」とみます。
能、狂言は古びない現代性をもった劇である、とおっしゃています。
★能、狂言の格好の入門書を2冊、ご紹介いたします。
「中高生のための狂言入門」山本東次郎、近藤ようこ著(平凡社ライブラリーoffシリーズ)1200円
「まんがで楽しむ能の名曲70番」文・村尚也、漫画・よこうちまさかず(檜書店)1200円
入門書とはいいながら、どちらも質が高く、基本的な知識を得るのに最適な本です。
東次郎さんの本は、何度も何度も読み返したくなる奥深さです。
「まんがで楽しむ能の名曲70番」は、有名な演目の粗筋と見所を、
大変分かりやすく漫画で解説しております。
思わず、本物を見たくなる面白さです。
★能楽堂で、たくさんの小学生が、大変熱心に観ていました。
演者も一流の方ばかりで、手を抜かず、熱演されていました。
子供用に改作したりせず、媚びずに一級品を見せる素晴らしい企画だった、と思います。
私は、3歳のときから、日本舞踊を習いました。
日曜日は、よくお師匠さんから頂きました切符で、踊りを観に行きました。
伝説的名人といわれた方々の踊りは、子供心にも「凄い」という印象でした。
★クラシック音楽を勉強されている方や、職業とされている方も、
日本の芸術にも、是非、目を向けていただきたい、と思います。
ベッチャー先生も「あなたのルーツを大切にしてください」とおっしゃっています。
日本の芸術の凄さが理解できれば、
西洋のクラシック音楽の凄さもさらによく理解できるのです。
ドビュッシーは、インドネシアや日本の芸術に触れることにより、
最高の芸術を作り上げました。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
2007/8/12(日)
★8月10日、国立能楽堂での「夏休み親子のための能楽公演」に行ってまいりました。
演目は、狂言の「蚊相撲」と、能の「雷電」でした。
しかし、お目当ては、その前の山本東次郎さんの「おはなし」でした。
山本東次郎さんは、現代日本で、最高の狂言演者であると、私は思います。
★感銘を受けたいくつかの「おはなし」をお伝えします。
「能と狂言は、“水と油”ではなく、“お湯と水”です」
「水と油」は異質なものの例えですが、
「お湯と水」は、水という一つの物質がもつ変化の様を表します。
「狂言は、人間のだらしない、滑稽な、愚かな面を、
能は、人間の辛さ、美しさ、素晴らしさを表現し、
どちらも人間のもっている一面です」。
★「言葉は、“言霊”といって人の心を変えることができる力をもっています」
「言葉には魂があり、そのために、能や狂言は、言葉が少ない」
「その少ない言葉を“点”とした場合、点と点を繋ぐのは、観客の想像力です」
★「能で使う太鼓は、いま流行りの和太鼓と違い、
ストイックで、知性に裏付けられた楽器です」
私は、ここで思わず、客席から拍手したくなりました。
肉体をこれ見よがしに見せ、破れんばかりに叩き続けるだけの「和太鼓」には辟易です。
太鼓の魅力は、そういうものではありません。
「知性」と「技術的修練」のバランスがとれて初めて、芸術といえます。
★歌舞伎の花道と、能の橋掛りの違いについて、
歌舞伎の花道は、観客席のなかにあり、昔は役者に花を渡すこともあったそうです。
観客へのサービスのために存在するのです。
能の橋掛りは、揚げ幕の奥の「あの世」から、「この世」である舞台への架け橋です。
★能の起源の一つとされている、次のようなお話をされました。
昔々、村人が川に橋を架けようとしますが、どうやっても成功しません。
たまたま、通りがかった旅人が、「人柱を立てたらどうか」と、提案しました。
ところが、なんと、その旅人が「人柱」にされてしまいました。
橋は、完成しましたが、村人はどうにも気味悪くてしかたありません。
夜は、怖くてとても渡れません。
そこで「毎年、供養しよう」ということになります。
★ところが、平安時代の平均寿命は12歳、室町時代でも18歳と、短命な社会でした。
その旅人を覚えており、語り伝えることができる人が、次第に亡くなっていきます。
橋の由来を知る人がすべて亡くなった後は、人柱の旅人を忘れないように、
橋が出来た顛末を伝えることが必要である、ということになりました。
そうしないと、橋が安全に保たれない、と思っていたのです。
旅人に扮装した役者が橋掛りから現われると、村人は、役者を丸く取り囲み、
その話や演技を見聞きします。
能舞台の観客席が、正面と脇から舞台を取り囲むように配置されている理由は、
ここから来ているそうです。
★当日の狂言「蚊相撲」は、室町時代に流行していた相撲を主題にしたものです。
大名が自分も相撲取りを雇おうと、太郎冠者に命じて捜しに行かせます。
ところが、本物の相撲取りではなく、「蚊の精」を雇ってしまいました。
人間に化けた蚊は、大名と相撲をとりますが、血を一杯吸って負かしてしまいます。
東次郎さんは、このお話に現代を見ています。
“何事も、大流行するものには偽者が出てくる”と。
★また、能「雷電」は、宮中で罪もなく陥れられ、非業の死を遂げた菅原道真が、
雷神となって宮中を襲います。
東次郎さんは、陥れられたことを「現代のいじめ」、雷神の襲撃を「テロ」とみます。
能、狂言は古びない現代性をもった劇である、とおっしゃています。
★能、狂言の格好の入門書を2冊、ご紹介いたします。
「中高生のための狂言入門」山本東次郎、近藤ようこ著(平凡社ライブラリーoffシリーズ)1200円
「まんがで楽しむ能の名曲70番」文・村尚也、漫画・よこうちまさかず(檜書店)1200円
入門書とはいいながら、どちらも質が高く、基本的な知識を得るのに最適な本です。
東次郎さんの本は、何度も何度も読み返したくなる奥深さです。
「まんがで楽しむ能の名曲70番」は、有名な演目の粗筋と見所を、
大変分かりやすく漫画で解説しております。
思わず、本物を見たくなる面白さです。
★能楽堂で、たくさんの小学生が、大変熱心に観ていました。
演者も一流の方ばかりで、手を抜かず、熱演されていました。
子供用に改作したりせず、媚びずに一級品を見せる素晴らしい企画だった、と思います。
私は、3歳のときから、日本舞踊を習いました。
日曜日は、よくお師匠さんから頂きました切符で、踊りを観に行きました。
伝説的名人といわれた方々の踊りは、子供心にも「凄い」という印象でした。
★クラシック音楽を勉強されている方や、職業とされている方も、
日本の芸術にも、是非、目を向けていただきたい、と思います。
ベッチャー先生も「あなたのルーツを大切にしてください」とおっしゃっています。
日本の芸術の凄さが理解できれば、
西洋のクラシック音楽の凄さもさらによく理解できるのです。
ドビュッシーは、インドネシアや日本の芸術に触れることにより、
最高の芸術を作り上げました。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲