音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■■ 狂言・山本東次郎さんの「おはなし」 ■■

2007-12-20 00:28:05 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■■ 狂言・山本東次郎さんの「おはなし」 ■■
2007/8/12(日)

★8月10日、国立能楽堂での「夏休み親子のための能楽公演」に行ってまいりました。

演目は、狂言の「蚊相撲」と、能の「雷電」でした。

しかし、お目当ては、その前の山本東次郎さんの「おはなし」でした。

山本東次郎さんは、現代日本で、最高の狂言演者であると、私は思います。


★感銘を受けたいくつかの「おはなし」をお伝えします。

「能と狂言は、“水と油”ではなく、“お湯と水”です」

「水と油」は異質なものの例えですが、

「お湯と水」は、水という一つの物質がもつ変化の様を表します。

「狂言は、人間のだらしない、滑稽な、愚かな面を、

能は、人間の辛さ、美しさ、素晴らしさを表現し、

どちらも人間のもっている一面です」。


★「言葉は、“言霊”といって人の心を変えることができる力をもっています」

「言葉には魂があり、そのために、能や狂言は、言葉が少ない」

「その少ない言葉を“点”とした場合、点と点を繋ぐのは、観客の想像力です」


★「能で使う太鼓は、いま流行りの和太鼓と違い、

ストイックで、知性に裏付けられた楽器です」

私は、ここで思わず、客席から拍手したくなりました。

肉体をこれ見よがしに見せ、破れんばかりに叩き続けるだけの「和太鼓」には辟易です。

太鼓の魅力は、そういうものではありません。

「知性」と「技術的修練」のバランスがとれて初めて、芸術といえます。


★歌舞伎の花道と、能の橋掛りの違いについて、

歌舞伎の花道は、観客席のなかにあり、昔は役者に花を渡すこともあったそうです。

観客へのサービスのために存在するのです。

能の橋掛りは、揚げ幕の奥の「あの世」から、「この世」である舞台への架け橋です。


★能の起源の一つとされている、次のようなお話をされました。

昔々、村人が川に橋を架けようとしますが、どうやっても成功しません。

たまたま、通りがかった旅人が、「人柱を立てたらどうか」と、提案しました。

ところが、なんと、その旅人が「人柱」にされてしまいました。

橋は、完成しましたが、村人はどうにも気味悪くてしかたありません。

夜は、怖くてとても渡れません。

そこで「毎年、供養しよう」ということになります。


★ところが、平安時代の平均寿命は12歳、室町時代でも18歳と、短命な社会でした。

その旅人を覚えており、語り伝えることができる人が、次第に亡くなっていきます。

橋の由来を知る人がすべて亡くなった後は、人柱の旅人を忘れないように、

橋が出来た顛末を伝えることが必要である、ということになりました。

そうしないと、橋が安全に保たれない、と思っていたのです。

旅人に扮装した役者が橋掛りから現われると、村人は、役者を丸く取り囲み、

その話や演技を見聞きします。

能舞台の観客席が、正面と脇から舞台を取り囲むように配置されている理由は、

ここから来ているそうです。


★当日の狂言「蚊相撲」は、室町時代に流行していた相撲を主題にしたものです。

大名が自分も相撲取りを雇おうと、太郎冠者に命じて捜しに行かせます。

ところが、本物の相撲取りではなく、「蚊の精」を雇ってしまいました。

人間に化けた蚊は、大名と相撲をとりますが、血を一杯吸って負かしてしまいます。

東次郎さんは、このお話に現代を見ています。

“何事も、大流行するものには偽者が出てくる”と。


★また、能「雷電」は、宮中で罪もなく陥れられ、非業の死を遂げた菅原道真が、

雷神となって宮中を襲います。

東次郎さんは、陥れられたことを「現代のいじめ」、雷神の襲撃を「テロ」とみます。

能、狂言は古びない現代性をもった劇である、とおっしゃています。


★能、狂言の格好の入門書を2冊、ご紹介いたします。

「中高生のための狂言入門」山本東次郎、近藤ようこ著(平凡社ライブラリーoffシリーズ)1200円

「まんがで楽しむ能の名曲70番」文・村尚也、漫画・よこうちまさかず(檜書店)1200円

入門書とはいいながら、どちらも質が高く、基本的な知識を得るのに最適な本です。

東次郎さんの本は、何度も何度も読み返したくなる奥深さです。

「まんがで楽しむ能の名曲70番」は、有名な演目の粗筋と見所を、

大変分かりやすく漫画で解説しております。

思わず、本物を見たくなる面白さです。


★能楽堂で、たくさんの小学生が、大変熱心に観ていました。

演者も一流の方ばかりで、手を抜かず、熱演されていました。

子供用に改作したりせず、媚びずに一級品を見せる素晴らしい企画だった、と思います。

私は、3歳のときから、日本舞踊を習いました。

日曜日は、よくお師匠さんから頂きました切符で、踊りを観に行きました。

伝説的名人といわれた方々の踊りは、子供心にも「凄い」という印象でした。


★クラシック音楽を勉強されている方や、職業とされている方も、

日本の芸術にも、是非、目を向けていただきたい、と思います。

ベッチャー先生も「あなたのルーツを大切にしてください」とおっしゃっています。

日本の芸術の凄さが理解できれば、

西洋のクラシック音楽の凄さもさらによく理解できるのです。

ドビュッシーは、インドネシアや日本の芸術に触れることにより、

最高の芸術を作り上げました。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■■ イタリア・サルデーニャ島の音楽と踊り ■■

2007-12-20 00:27:06 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■■ イタリア・サルデーニャ島の音楽と踊り ■■
2007/3/22(木)

★イタリアから来日中の「サルデーニャ民俗音楽団」の演奏を聴いてきました。

(会場:横浜「はまぎんホール・ヴィアマーレ」)

現在、チェロの独奏曲を作曲中で、そのような時にコンサートへ行くのは、一種の賭けです。

いい気分に浸ることができればいいのですが、期待はずれなら、2~3日は嫌な気分が抜けません。


★しかし、思い切って出掛けてよかったです。

地中海に浮かぶサルデーニャ島は、欧州では「美しい海のリゾート島」として有名です。

スライドで島の様子が映し出されました。

シチリア島に次いで大きな島であるサルデーニャ島は、ほぼ四国と同じ大きさ。

ゴツゴツとした岩だらけの痩せ地で、昔は、わずかに生える草で羊を飼っていました。

戦後、貧しいこの島を後に、外国へ移住せざるを得ない人々が多くいたそうです。

しかし、独自の文化を築き、言語もイタリア語とは異なる系統だそうです。


★歌も踊りも素晴らしかったのですが、特に、「ラウネッダス」という葦笛が面白かったです。

3本の葦笛で出来ており、それを全部一度にくわえて吹く名人芸を堪能してきました。

この楽器は、左側に、50センチ以上はある長い葦がきます。

この葦には穴が開いておらず、「ボー、ボー」という音で、低音を出し続けます。

専門用語では「ドローン」です。

真ん中にある中位の長さの葦は、穴が4つあり、左手でその穴を塞ぎ、伴奏を受け持ちます。

右側の一番短い葦も、穴は4つで、右手でメロディーを奏します。


★スコットランドのバグパイプにも似た構造で、日本の篳篥の遠い親戚にも当たるそうです。

実物を目の当たりにして、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」の、

あのパンの笛と、半獣神を思い浮べました。

この楽器は、葦を冬期に刈り取り、感を頼りに、蜜蝋と黒い紐のみで、精巧に製作されるそうです。

音程は、葦に貼り付ける蜜蝋の量で細かく調整するそうです。

島では、お祭りも多いそうですが、聖人祭の行列や、聖体拝領が特に興味深く思えました。


★聖体拝領の儀式には、通常、オルガンを用いますが、

この島では、この葦笛「ラウネッダス」を使います。

微妙にイスラム的な節回しや、

バルトークが収集したトルコや東欧民俗音楽の旋法やリズムも含まれている、と感じました。

しかし、それだけではなく、この島以外にはない固有の独特な音楽である、というのが感想です。


★男性4人の「テノーレス・ディ・ネオネリ」(ネオネリ村のテノーレス)の歌も、

とても素晴らしく、低いだみ声のような発声法をするパートが、実によく声が通り、

洗練された美を感じました。

日本の名僧による読経にも通じるものがありました。

以上は、一度聴いただけの印象ですが、いつか現地のお祭りに行き、

聴いたり、踊ったりして、ローマより古いと言われるサルデーニャの魅力を体験したものです。



▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽

コメント(1)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ 「横道萬里雄の能楽講義ノート」を読む ■

2007-12-20 00:26:01 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■ 「横道萬里雄の能楽講義ノート」を読む ■
2006/8/24(木)

★ 雑誌「観世」06・9月号に、≪横道萬里雄の能楽講義ノート(1)謡の楽型≫が掲載されています。


東京芸大在任中の1983年度になさった講義が幸い、聴講者の手によって録音されていました。


その録音を起こしたものです。


講義は全19回、「能の音楽技法」の概説が目的ですが、具体例や比喩が散りばめられています。


私も在学中に、これとは別の横道先生の講義を受講したことがあります。


当時は、作曲科の学生にとって、先生の講義を受講しても単位として認定はされませんでした。


楽理科の学生に混じって聴いていましたが、あまりに内容が深く、ほとんど分らないまま卒業してしまいました。


今回、読み直しまして、初めて少し分るとことが出てきました。


とても嬉しいです。


先生は、まず、日本の音楽はどれもそうですが、五線譜に採って分析しても実態は分らない、

と前置きしたうえで、

「能の音楽を考えるとき、西洋音楽の理論で解明するのではなく、白紙で能の音楽が

どういうものであるかをつかまえる、後でそれを、西洋音楽の理論で解釈することはできる」と

指摘します。


★ 一例を挙げますと、能の音階に「ツヨ音階・ヨワ音階」がありますが、ツヨ吟の音階での

「中音(ちゅうおん)」と「上音(じょうおん)」は全く、同じ高さです。


私もお能を習いながら、同じ高さなら音名は一つでいいのでは、と思いますが、そこがどうにも理解できません。


横道先生は、「謡の前後の流れから音名が二つ必要である」という一般的な説明のほかに

「江戸末期まで、ツヨ吟の音階は、上音と中音の音の高さが違っていた」と付け加えられています。


「下ノ中音と下音も高さが違った」ともおっしゃています。


「それが段々、一緒になってきた、そう言う歴史的事実があるのです」


この時代的変遷は初めて知りました。


ということは、江戸時代以前の能と現代の能は、旋律がやや違う、ということになります。


室町時代から、全く変わらずに続いてきたようなイメージがありますが、すこしづつ、変貌しているのですね。


★ 20世紀初頭のアイルランドの詩人イェーツが、日本の能に刺激を得て、詩劇「鷹の井戸」を書きました。


横道先生は、これを基に新作能「鷹の泉」を創作されました。


私は、2004年12月、能楽観世座で、この「鷹の泉」を、シテ「鷹姫」=観世清和さん、

老人=友枝昭世さんで観ました。


★ 「観世」の次号に載る講座も楽しみです。


このような貴重な講義を復活される檜書店の企画に拍手を送ります。


★ 横道萬里雄(よこみち まりお)
1916年生。1941年東京帝国大学文学部卒業。1974年東京国立文化財研究所芸能部長。
1976年東京藝術大学音楽学部教授。1984年同大学定年退官。1990年沖縄県立芸術大学付属研究所長を歴任。東洋音楽学会、日本演劇学会、舞踏学会、日本歌謡学会、楽劇学会、能楽学会等に所属。
主な著書、共著に「謡曲集」、「能劇逍遥」、「能劇の研究」、岩波講座「能・狂言」、
「謡いリズムの構造と実技」など。

★ 檜書店のこのページに横道先生の著書などが紹介されています。
http://www.hinoki-shoten.co.jp/publication/books_study.html


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■「能管」の独奏曲 ■

2007-12-20 00:24:52 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■「能管」の独奏曲 ■
2006/5/26(金)

★日本作曲家協議会(JFC)が、ことし2月に製作しましたCD「日本の作曲家2005」に、

私の作品「深山鶴声」が収録されています。

「能管」の独奏曲です。

多分、この楽器による独奏曲は初めて、と思われます。

一昨年(2004年)に、アリオン音楽財団<東京の夏音楽祭>関連公演として、伝通院で初演されました。

このCDの演奏は、昨年(2005年)2月にサントリーホールで収録されました。

国内外の大学、図書館、放送局などに送付されるものですが、日本作曲家協議会に連絡しますと、

入手可能です。

また、この楽譜も、JFCで出版されていますので、入手可能です。

伝通院での実演の録音は、DVDとVIDEOの「変身譚物語」に収録され、平凡社出版販売で購入

できます。

どちらも、福原百七さんが、素晴らしい演奏をされています。

緊張感の漂う初演のDVD版と、半年間、“発酵”させて自在な表現となっているCD版、どちらも

優劣つけ難いといえます。

幽玄な伝通院・本堂での、実際の演奏風景をご覧になれることから、DVD版がいいかもしれません。

福原さんは、日曜夜のNHK大河ドラマのテーマ曲で、笛の演奏をされています。

お能や歌舞伎などで使われる「能管」は、雅楽で使われている「龍笛」以降に出現した楽器です。

能管、龍笛とも、外見はほとんど同じです。しかし、構造はかなり異なります。

能管は、まず、竹を細く割箸のように裂き、すべすべした竹の表皮が笛の内側となるよう表裏を

逆にして管状に継ぎ合わせ、漆で張り合わせます。

張り合わせたものをさらに、樺あるいは桜の皮で巻き上げ、また漆で固めます。

漆は塗装剤として認識されていますが、実は強固な接着剤でもあるのです。

太古の昔、鏃(やじり)を木の柄に取り付ける際、天然の漆が接着剤として使われた、とも言われます。

また、錆止め剤としても強力で、戦時中は国内で採れた漆のほとんどが、砲弾の錆止め用に徴用されていた

そうです。

少々、脱線しましたが、能管は、龍笛のように一本の竹をそのまま使うのではなく、非常に手の込んだ

凝った作りです。

あの小さな笛から大音量が出てくる秘密の一端は、竹の硬い表面を管の内部にもってくることにあるそうです。

さらに、管内部の唄口近くに、鉛製の“喉(のど)”といわれる円い筒が嵌め込まれ、蝋で封印されて

います。

大気を引き裂くような鋭い音が出るのも、この“喉”の効果が大きいようです。

そうした構造のせいか、ピッチを龍笛や篠笛のように、正確にとることが極めて難しいそうです。

ことし7月1日の伝通院コンサートで、龍笛の曲を書きますが、龍笛を自分で体験して、能管や篠笛との

比較をいつか、まとめてみたいと思います。

7月1日の伝通院コンサート「東北(とうぼく)への路」では、八木千暁さんによる龍笛の名演を

聴くことができます。


★「変身譚物語」のDVDとVIDEO、「東北への路」チケットお申込みは...
  平凡社出版販売株式会社 中崎まで。
                電話 03-3265-5885 FAX 03-3265-5714

★中村洋子のホームページ http://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.html


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■活弁のお薦め■

2007-12-20 00:23:03 | ★旧・伝統芸術、民俗音楽
■活弁のお薦め■
2006/2/21(火)

★千代田区神田錦町の「学士会館」で時々、懐かしい「活弁」の上映会が開かれます。
数回見に行きましたが、病み付きになりそうです。

 前回12月は、 小津安二郎監督の戦前の無声映画「東京の合唱」。
活動弁士は澤登翠(さわと・みどり)さん。
澤登さんの至芸といえる語り、映像の質の高さ、会場である学士会館の重厚で心安らぐ静寂空間、それらが一体となり、稀に見る充実した一晩でした。

 昭和6年・1931年製作のこの映画は、小津がまだ27歳の作品。
いまの日本を思い起こさせられ、思わず、苦笑すること多しでした。
甘く知的な顔の主人公(岡田時彦)は旧制高等学校卒。(映像では大学についての言及なし)
当時でいえばエリート中のエリート。
しかし、勤め先の保険会社で、定年直前のしょぼくれた老人が理不尽な理由から首を切られたことに立腹し、社長に直談判。逆に馘首(かくしゅ)を言い渡されます。
3人の幼い子供、和服の似合う美人の妻(八雲恵美子)を抱えるサラリーマンの身。
当時は1929年の大恐慌の後、失業者であふれ、「大学は出たけれども」の大不況。
さんざん苦労する毎日の生活を暖かい目で描きます。

 戦後の名作「東京物語」にあるものはすべて、既にこの映画に内包されています。
幻燈写真のようにいろいろなシーンが網膜に焼き付き、しょっちゅう思い出します。
多分、一生消えないことでしょう。
岡田時彦が自宅に帰り、妻の手助けで背広を脱ぐ着替えのシーンは、何度も何度も出てきます。
戦後の作品より、カメラの視座は少し高い位置のようですが、家庭とは、家庭の幸せとはこういう素朴な日常の立ち居振る舞いの中に現れるものか、と不思議な感慨をもたされます。
人力車を引く車夫の横顔では、一生車を引いている人はこういう顔をしていたのか、と感銘を受けます。都電の窓からの風景、シケモク拾いのルンペン・・・。

 映像もさることながら、澤登翠さんの語りは、誇張なしで第一級の芸術です。
何人もの登場人物を、その性格まで髣髴とさせるような語り口で描き出します。
始まって暫くすると、これが一人の弁士によって語られていることを忘れています。
物語に没頭させられます。
大変な芸です。
艶のある凛とした声。透明感があり、うるさくありません。
そして何より、知性の裏づけが感じられます。
オペラの世界に入っていれば、プリマとして名を残すような方でしょう。
コマーシャリズムに踊らされる偽者名人ばっかりのいまの日本で、掛け値なしに本物といえる希少な方です。

 映画の後には、ワインが出ます。その後に澤登さんのお話があります。
これもまた素晴らしい内容です。

 ルンペン、銀ブラ、エログロナンセンス、アチャラカ、男子の本懐などの言葉は、この映画の1930年ごろの流行語だそうです。
 カレーライスの値段は10銭、昼定食12銭、大卒初任給は50円。
庶民に最も人気があったのはラジオの浪花節、一方ではインテリ階級の間で輸入のレコードがブーム。
ベートーベンのバイオリン協奏曲が驚くべき35円50銭。
この映画の主人公の家にもレコードが登場していました。
また、傾向映画という左翼映画もあり、財テクの本が流行していたそうです。
 これらのデータはすべて、澤登さんのお話です。
それを手書きして資料配布されました。勉強になります。

■次回は24日金曜日午後6時半から、1927年アメリカ映画「第7天国」。
 第1回のアカデミー監督、女優、脚本賞を受賞した歴史的名画だそうです。

電話予約は企画係03-3292-5955.前売り2500円。
学士会のホームページ・企画イベント欄にも案内あり。http://www.gakushikai.or.jp 。
企画係の西川さんが目利きで、落語、旅行など楽しい催し物も計画されています。


▼▲▽△▼無断での転載、引用は固くお断りいたします▲▽△

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする