■モーツァルトの「自筆譜」は、まるで歌っているかのよう■
~去年から執筆中の本の原稿が昨夜完成しました。~
2022.1.31 中村洋子
★去年からずっと執筆中でした本の原稿を昨夜、完成しました。
偶然にも昨日は、昨年亡くなられた Wolfgang・Boettcher
ヴォルフガング・ベッチャー先生(1935年1月30日-2021年2月24日)
の87回目のお誕生日でした。
★今年はお誕生祝いのカードを送る事もなく、寂しい1月でしたが、
原稿完成が先生のお誕生日だったのは、天国から、応援していて
くださったようだと感じています。
先生は、Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト(1756年1月27日 -
1791年12月5日)と、お誕生日が近いことをいつも喜んで
いらっしゃいました。
ファーストネームも、モーツァルトと同じヴォルフガングです。
★来月2月24日、先生のお命日に、ドイツで先生の追悼文集が出版
されます。
私も追悼文を寄稿しました。
ここで思い出されますのは、2007年5月の先生の来日中のことです。
この年は先生が、私のチェロ組曲1番をCD録音してくださった年です。
その来日期間中、同年4月に亡くなったチェリストのMstislav
Rostropovich ロストロポーヴィチ(1927年3月27日-2007年4月27日)
の追悼文を、ホテルで書いていたそうです。
★お忙しい演奏と教育活動の日々、貴重な休息時間の夜も、
心のこめて文章を紡いでいらっしゃったのでしょうね。
私がそのベッチャー先生の追悼文を、十数年後に書くことになるとは、
夢にも思いませんでした。
★お話を、私の今度出版する本に戻します。
この本の内容は、大作曲家の自筆譜によって、音楽史の大きな流れ
を俯瞰する試みです。
もちろんその中に、モーツァルトも含まれます。
選んだ作品は「Sinfonie g-Moll KV550 交響曲40番 ト短調」です。
作品を選ぶ基準は、その曲の「自筆譜」ファクシミリが出版されている
こと、を前提としました。
★現代は便利で、ネットでかなりの自筆譜を見ることができます。
けれども、私は紙の「自筆譜」ファクシミリを、ピアノの譜面台に
置き、矯めつ眇めつ(ためつすがめつ)勉強することが好きです。
残念ながら、大半の「自筆譜」ファクシミリは、分厚く重く、
譜面台には置けないことも多く、やむを得ず、机に置いて
見ていますが・・・
本の原稿の一部をここに掲載します。
★モーツァルトの「自筆譜」は、まるで歌っているかのよう。
交響曲40番の「自筆譜」ファクシミリを読んでいて、つくづく
楽しいと思うのは、スラーの掛け方です。
モーツァルトが歌っているかのような、息遣いが感じられます。
★これはショパンのスラーとも共通点があります。
バッハの作品にはスラーが掛けられることはあまりなかったですが、
それはバッハ時代の楽譜の記譜様式が、そうだったからです。
★モーツァルトの時代は、もう現代のように、スラーをたくさん
書き込みます。
バッ ハ「自筆譜」は、一度書き上げた楽譜上に、時を経て、
推敲のペンを入れる ことがあり、平均律1巻も楽譜の色が
違うところは、その推敲の跡です。
★ところが、モーツァルト「交響曲40番」は、第1ページから
二色のペンで楽譜 が書かれています。
これはどういうことかと言いますと、モーツァルトは作曲 の際、
先ず「旋律部分(ソプラノ声部)」と「バス声部」を書き込み、
その後 「内声部」を異なる色のペンで書いているからです。
★この「ソプラノとバスの声部」は、太い筆跡の鷲ペンで書き、
「内声」は、カチッと硬い線の引ける、当時では珍 しかった鋼鉄の
ペンで書かれたようです。
モーツァルトの音楽に、バッハの対位法は地下水脈のように滔々と
流れているとしても、彼の作品の様式は、 「旋律」とそれを支える
「和声」部分からな っていることは自明の理です。
★「ソプラノ」声部のヴァイオリンと、「バス」 声部のチェロと
コントラバスが、太く力強い鷲ペンで朗々と記されているのに対 し、
「内声」を担当するヴィオラの八分音符の、空間を区切るように
細かく 刻む音は、硬質な鋼鉄ペンのほうが、書き易く
曲想にも見合っています。
(引用は以上)
★モーツァルトの「自筆譜」を見ていると、彼が歌っているような
錯覚にとらわれてしまうほど、楽しい時間を過ごすします。
原稿を書く手を休めて、楽譜を読みふけっていました。
★ベッチャー先生に私の「無伴奏チェロ組曲4、5、6番」を
録音していただいた2011年末の頃ですが、
モーツァルトの主要なオペラの「自筆譜」ファクシミリを、
意を決して、揃えました。
★「 Die Zauberflöte KV620 魔笛」のスコアも、「交響曲40番」と
同様に、二色刷りのようなきれいな楽譜です。
もちろん、主だった歌は濃く太く、力強い鷲ペンで書かれています。
本でもご紹介しますが、モーツァルト独特のスラーやスタッカート
の音を、彼がどのように演奏されることを望んでいたか、
頭の中で、その音を想像しながら、楽譜を読む愉悦。
★是非、この愉しさを皆様にもお裾分けしたいと思っています。
原稿の本文は完成したのですが、まだやるべきことが、
多々残っています。
まずは、文章を理解しやすくするための、「譜例」をたくさん、
手で書く作業です。
★楽譜を読めることが堪能な方には、この譜例により、
更に具体的に分かり易くなると思います。
読譜があまり得意でない方も、文章だけで、十分に大作曲家と
その作品の自筆譜が、どんなに多くのメッセージを発しているかを
お伝えできていると思います。
★大作曲家の自筆譜からは、「このように演奏してください。
このように聴くと、より深く楽しめますよ」という声が、
囁きが、聞こえてきます。
★今回出版する本は、当初の心積もりでは、バッハから
年代順に、次々と大作曲家とその「自筆譜」をたどり、
音楽史を俯瞰するつもりでした。
しかし、当ブログで取り上げましたように、昨年私は、
半藤一利さんの現代史の著作を読み進めていくうち、
歴史は決して一本調子で、時間軸に沿って進むものではない
ことを知りました。
★音楽史でいえば、ムソルグスキーの曲に、ショパンが色濃く
宿っていることを、一つの例とすることができます。
ですから、本で取り上げる作曲家の順番は、ムソルグスキーの
次に、ショパンを取り上げたりしました。
時間軸の流れは、逆転しています。
チャイコフスキーの次は、当然ドビュッシーになります。
その理由は、本をお読みください。
★書き終えてみて、クラシック音楽の直線的ではない、
歴史の大きなうねりを、実感できました。
予定では、マーラーやシェーンベルク、バルトークにヴェーベルン、
そしてジョン・ケージやリゲティを、「自筆譜」から読み解くつもりで
準備もしたのですが、ラヴェルに行き着いたとき、既に予定の
紙面を越えました。
20世紀のマエストロたちについては、また次回のお楽しみに。
★1月は半藤一利さんの、生前のインタビューをNHKラジオで
放送していました。
聴き逃し配信で、まだ聴くことができますので、
お聴きになることを、お薦めします。
特に若い皆さんが、これを聴き、彼の本を手にとられることを
願っています。
★音楽学生の皆さんには、「本物の音楽家」になるために、
本当に必要で有益な知識と考え方、その方法論を、
彼から得ることができると、思います。
カルチャーラジオ NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史
~半藤一利」
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=1890_01
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