音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■バッハの考えた「教育」とは、きょうは第3回平均律アナリーゼ講座でした■

2010-03-30 23:52:01 | ■私のアナリーゼ講座■
■バッハの考えた「教育」とは、きょうは第3回平均律アナリーゼ講座でした■
               10.3.30   中村洋子


★今朝は、春とは思えないほど凍てつき、

庭の水鉢に、薄氷が張っているを見つけました。

ほころび始めた桜も、ここで中休み、

満開までゆっくりと、楽しめそうです。


★近ごろの東京は、事故や事件で、

電車が時間通りに動くのは、稀になってしまいました。

講座に、遅れるようなことがあってはいけないと、

少し早めに、家を出ました。

カワイ表参道「 パウゼ 」の近くで、お茶をしようとしましたところ、

参加者のお一人と、偶然にお会いし、少しお話しました。


★最近、ピアノを習うお子さんと保護者の意識が、

以前とは異なっているように、感じる、とおっしゃっていました。

私たちの世代ですと、ピアノを通して、

音楽の美しさ、芸術に触れてもらいたいと、

親が「 多少、無理をしてでも 」ピアノを、購入したものでした。


★その方によりますと、「 ピアノを習う 」という、

心の糧になること、つまり、広い意味での美しさ、芸術を求めること、

そのための「 教育費 」に、お金をかけるという意識が、

急速に、失われつつあるそうです。


★私の考えは、お金で買えるものは、いずれ、消えていきます。

しかし、心に住み着いた「バッハの音楽」は、

どんな状況でも、失われることがなく、永遠の「 宝物 」です。


★バッハの考えていた「 教育 」は、

知識を詰め込む、学校や塾での「 教育 」とは、程遠いものです。


★序文に、1720年の日付がある

「 フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小品集 」 に、

収録されている 「 平均律クラヴィーア曲集 1巻 3番 前奏曲 」 の、

第一稿の 1小節目の上声は、「 ソ ド ミ ド ミ ド 」

( Gis Cis Eis Cis Eis Cis ) から、始まっています。

これは、 1番 ハ長調の 前奏曲 1小節目から、紡ぎだされたものです。


★長男の教育用に作曲された「 3番 前奏曲 」が、2年後の、

1722年の日付をもつ 「 平均律クラヴィーア曲集 」 では、1小節目の上声を、

皆さまご存知のように、「 ミ ド ソ ド ミ ド 」

( Eis Cis Gis Cis Eis Cis ) と、変わっています。

推敲した結果のことです。


★その 2年間、息子への教育を通して、バッハが自分の作品を見つめ、

より深めた結果として、1番前奏曲の「ソドミ」の逆行形が採用されました。

なぜ、そのようにしたのでしょうか?

それについて、きょうの講座では、詳しくお話しました。


★皆様も、是非、「 フリーデマンのための小曲集 」を、

「 平均律 」 と比較し、何ヶ所かあります相違点に目を凝らし、

弾き比べてください。


★「 平均律 」 の素晴らしさを、いまさらながら、

より強く、実感できることでしょう。

バッハの才能、天才がいかに卓越していたか、

如実に、感じることができるでしょう。


★バッハの「 パルティータ 」や「 フランス風序曲 」、

「 イタリア協奏曲 」、「 ゴルトベルク変奏曲 」などの傑作群が、

「 クラヴィーア・ユーブング 」 というタイトルのなかに、含まれています。

「 ユーブング 」 は、英語で「 プラクティス 」、つまり「 練習 」です。


★バッハが、これらの曲を「 教育 」を目的として、

書いていた、ということです。

彼の考えていた 「 教育 」 とは、真剣に音楽に取り組み、美しさと喜びを、

分かち合うこと、であったと、私は思います。


★そんなことを、きょうは考えていましたが、

「 パウゼ 」 は、参加されました皆さまで、満員でした。

そんな私の考えに、皆さまも共感してくださったことでしょう。


★アンケートによりますと、「 バッハの音楽は宝石のようですね 」 という、

「 宝石 」 という言葉を、偶然にも、

何人もの方が、お使いになっていました。


★お金では決して買うことのできない 「 宝石 」 なのです。


★次回、第4回講座は、4月28日(水)、

「 平均律 第4番 前奏曲とフーガ 」 です。

ベートーヴェンの 「 月光ソナタ 」との、

密接な関連についても、お話いたします。


                            (フキノトウ)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント

■ショパンの「 前奏曲 」 雨だれの源泉は、平均律 1巻の 3番& 4番 ■

2010-03-28 22:55:52 | ■私のアナリーゼ講座■
■ショパンの「 前奏曲 」 雨だれの源泉は、平均律 1巻の 3番& 4番 ■
                10.3.28    中村洋子


★30日のカワイ表参道・「 第 3回平均律アナリーゼ講座 」 のため、

ショパンの 「 24の前奏曲 」 Op.28 の

No. 15 Des dur 変ニ長調 「 雨だれ 」 を、

自筆譜を見ながら、詳細に検討しております。


★平均律の第 1回講座で、平均律 1番ハ長調と、

ショパンの「 24前奏曲 」 1番 ハ長調が、実に、似通っており、

“ 双子 ” のような関係にあることを、お話しました。


★今回の講座、バッハ 「 第 3番嬰ハ長調 」 と、

ショパンの「 雨だれ 」も、同様な関係です。

「 雨だれ 」 は、さらに、バッハの「 4番嬰ハ短調 」 をも、

取り込んでいます。


★「 雨だれ 」 は、三部形式で成り、第 1部は変ニ長調、

第 2部は嬰ハ短調、再現部としての第 3部は、

もちろん、変ニ長調です。

変ニ長調の主音「 変ニ音 」は、「 嬰ハ音 」と異名同種音です。

このため、考えようによっては、

「 雨だれ 」 は、嬰ハ長調、嬰ハ短調、嬰ハ長調、の

調性で書かれている、とも言えます。


★どうでしょう。

ここで、平均律 3番と 4番の調が、出てきます。

この調性のみならず、形式、モティーフ、フレーズの作り方など、

ショパンが、バッハから何を学んだか、手に取るように分かります。

講座では、それを詳しくご説明します。


★ショパンは、二つの「 エチュード 」、Op.10 と Op.25 を作曲しています。

この 2 曲集をあわせると、 “ 24 のエチュード集 ”になります。

一見しますと、こちらの方が、よりバッハの 「 前奏曲 」 に、

近い内容を、もっているように、思われます。


★しかし、ショパンは、より自由度を増したようにみえる

Op.28の曲集を、なぜ、「 前奏曲 」 と命名したのでしょうか。


★ショパンの伝記によりますと、1838年、28歳だったショパンは、

ジョルジュ・サンドと 「 マジョルカ島 」 に滞在していましたが、

パリを離れるとき、発送を依頼したプレイエル・ピアノが、

なかなか届かず、2ヶ月近くも、まともなピアノなしの生活でした。

クリスマスの頃に、やっと、プレイエルが部屋に届き、

思う存分、ピアノを弾けるようになりました。

そこで直ぐに弾いたのは、「 バッハ 」、

大好きな 「 バッハ 」 だったそうです。


★また、マジョルカ島から、弟子のフォンタナへの手紙で、

ショパンは、「 机の上には、蜀台と蝋燭、バッハ、

僕の下書きなどがある 」と、書いています。

翌年の1月、出来上がった 「 24の前奏曲 」 を、パリに送っています。


★「 前奏曲 」 の作曲中、不自由な環境のなかで、

焦がれるように、バッハを弾いていた、ことがよく分かります。

そして、初めて、バッハと同じタイトル 「 前奏曲 」 を、付けたのは、

バッハを元としながら、ショパンのオリジナルな 「 創造 」 が、

この曲集により、結実したという自負の表れでしょう。


★私の感想ですが、「 エチュード 」 は、あまりに「 バッハ 的 」 なので、

ショパンがそれを、「 前奏曲 」 と命名しなかったのが、

分かるような気がします。


★伝統を完全に自分のものとし、その上に、独創的なものを、

加えていくのが、伝統の真の継承でしょう。

ショパンが、バッハに何を加え、どう革新していったか、

この二人の天才の自筆譜を、見比べることにより、分かってきました。


★その一例として、バッハの「 アウフタクト 」と、

ショパンの 「 アウフタクト 」の相違についても、お話します。



                          (馬酔木の花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント

■平均律 1巻 3番 70小節目、なぜ途中で段落を分けたのか?、真央の秘密を解くかぎがここに

2010-03-26 17:59:55 | ■私のアナリーゼ講座■
■平均律 1巻 3番 70小節目、なぜ小節途中で段落を分けたのか?、
真央の秘密を解くかぎがここに■
                 10.3.26  中村洋子


★日本は、桜、桃、海棠、連翹、椿と、春の花で満ちています。

桜も、大島桜、寒緋桜、染井吉野、白桜、八重桜と、繚乱です。

桃色、黄色、白、真紅と、色とりどり。

昨晩、サッカーで有名なドイツ・ドルトムントの楽譜出版社の方から、

メールをいただきました。


★「こちらは、1週間前にようやく、雪が解けたばかりです。

最初の花が、大地から顔をのぞかせ始めました。

それは KROKUS クロッカスです。

MAIGLOECKCHEN スズランも、もう直ぐです。」

MAIGLOECKCHEN は、言葉どおりに訳しますと、

「五月の小さく可愛らしい鐘」です。

可憐な花の姿が、髣髴とします。


★来週の30日(火)に、カワイ表参道で開催いたします

「 バッハ平均律アナリーゼ口座 第 1巻 3番 嬰ハ長調 」の準備で、

じっくりと、勉強しています。

そこから、また、“あー、そうだったのか!”という、

いろいろな発見が、ありました。


★3番の「 前奏曲 」は、かなりの部分が、8小節単位で、作曲されています。

「 非常に、整っており、破綻がなく、弾き易い曲である 」と、思っていました。

ところが、バッハ自身による手書譜を、詳細に見ていきますと、

作曲の単位は 8小節であっても、単純に、

演奏の単位を 8小節として、

8小節ごとに、句読点を打ったような、機械的な演奏を、

決して、バッハは求めていなかった、

ということが、分かりました。


★フィギュアスケートの浅田真央選手の演技が、音楽的であり、

観客の皆さんは、演技中の真央選手と同じような呼吸を、

自然にしていることに、自ら気付きます。

これは、ちょうど、バッハが演奏者に求めていたものを、

真央選手が、見事に、演技で実践しているということでもあります。


★平均律 3番「前奏曲」を、8小節単位で演奏するということは、

強拍をフレーズの頭として、機械的に奏することです。

そうしますと、音楽は自然に流れません。

瘤ができたように、ぎこちない印象となります。


★フィギュアスケートでも、同様に、

音楽の強拍の部分で、いきなり、大きい技を始めますと、

観客は、心理的に面食らいます。

音楽の流れ、呼吸に乗ることができません。

心地好く、真央選手と息を合わせて演技を楽しむためには、

自然に息が合うように、観客の心理をもっていく工夫、技が必要です。

その工夫が、「 アウフタクト 」という操作です。


★バッハの実例で挙げますと、平均律 3番「 前奏曲 」(3拍子)の

70小節目に、それが出現します。

バッハの手書譜では、

70小節目の途中の、「 2拍目 」で、2段目が終わってしまいます。

次の「 3拍目 」 から、3段目が、始まっています。

普通の常識では、考えられない書き方です。

現在、出版されていますたくさんの楽譜は、

バッハの書いた通りには、印刷せずに、ごく普通に、

この70小節目を、途切れることなく書いています。


★なぜ、そのような横紙破りの書き方を、バッハがあえてしたのでしょか?

3段目の冒頭に、70小節目の 3拍目をもってきた、ということは、

3拍目の上声の「 嬰ト音 」が、≪ アウフタクト ≫であることを、

まず、視覚的に強く焼付ける効果を、もっています。

さらに、その「 嬰ト音 」と、それに続く71小節目 1拍目の、

「 重嬰ヘ音 」によってできる長 7度の、極めて、

不協和な音程が、際立った印象を与えます。


★この曲の主調である「 嬰ハ長調 」という調は、

有名な曲としては、バッハがほぼ初めて、この曲により、

歴史上に出現させたといえる、「 画期的な 」調です。

調号に♯が 7つ付きます(すべての音に♯が付きます)。


★71小節目 1拍目の「 重嬰ヘ音 」は、

ファのダブル♯という、衝撃的な音で、

この曲の構造上でも、要となる音の一つです。

この「 重嬰ヘ音 」を際立たせるために、

3拍目の「 嬰ト音 」を「 アウフタクト 」として使い、

それを、段落を変えて、あえて 「 冒頭に配置 」 し、

長 7度音程という 「 不協和音程 」 を使う、

という「 三重の仕掛け 」が、施されているのです。


★ここで、「 アウフタクト 」Auftakt の意味が、

少し見えてきたと、思います。

ドイツ語の「 アウフ Auf 」は、英語の「 on 」「 upon 」に近く、

「 ~ に接して 」、「 ~ ~の上(前)にくっついて存在する 」

というような、意味合いです

「 upper 」 のように、「上に浮かんでいる」のではありません。


★「 タクト Takt 」は「拍」という意味で、この場合は、

小節の第1拍、即ち、「 強拍 」ということになります。

別の言い方をしますと、≪ 大技 ≫ といってもいいでしょう。

ですから、「 アウフタクト 」という存在は、以下のように説明できます。

“ さあ皆さん、これから ≪ 大技 ≫ が、始まりますよ ”と前触れする

合図の拍(音、あるいは、動作)である、

といっても、いいかもしれません。


★真央選手は、音楽の強拍と同時に、3回転半ジャンプなどの

重要な技( 強拍 )を、演じているのではありません。

強拍( 大技 )に接する( 直前の )「アウフタクト」、つまり、

「 ≪大技≫の前の動作 」 の段階で、既に、

これから起こる ≪ 大技 ≫ を、想像させるような動きを、

見事に、自然に見せています。


★観客は、その動きを見て、十分に心の準備ができます。

まるで、自分が演じるかのように、

一緒に息を合わせ、待ち構え、楽しむことができます。

それが、感動につながります。

真央選手は、「アウフタクト」を、体現しているのです。

そこが、抜きん出た美質です。


★30日の講座では、聴く人の呼吸と一体化できるような演奏を、

するにはどうするか、

バッハの望んでいた、演奏はどのようなものか、について、

お話いたします。
 


                      (桃の花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント (2)

■チューリッヒでの私の作品の初演と、ノイエ・チューリッヒャ・ツァイトゥング紙の評■

2010-03-24 16:15:46 | ■私の作品について■
■チューリッヒでの私の作品の初演と、ノイエ・チューリッヒャ・ツァイトゥング紙の評■
               10.3.24 中村洋子


★スイス・チューリッチの≪ Ensemble für Neue Musik Zürich ≫

≪チューリッヒ 新しい音楽のためのアンサンブル≫

という演奏集団が、創設25周年を祝い、3月19~21日の3日間、

音楽祭を開きました。

私の作品 ≪ Zürich (by soggetto cavato) ≫ も、初演されました。


★このアンサンブルから、スイスでのドイツ語 Quality Paper

「 Neue Zürcher Zeitung 」

「 ノイエ・チューリッヒャ・ツァイトゥング紙 」に、

掲載されました紹介記事が、送られてきました。

主な内容を、意訳してご紹介しますと・・・


★≪ Ensemble für Neue Musik Zürich ≫は、フルートの

ハンス・ペーター・フレーナーをはじめとする、6人のメンバーから成る。

創設時は、ロック全盛時代だったが、

彼らは、それに負けないほど、アバンギャルドで、とても個性的であった。

創立以来、一貫して、新鮮で血の湧くような、

魅力的な音楽を、創造し続けてきた。

この音楽祭にも、面白い音楽が満載されていた。


★世界23ヶ国から、40人の作曲家が、

花束のように、「 1分間の曲 」を持ち寄った。

「 1分間 」という制約が課せられた曲には、音楽的な柔軟性が要求される。

そして、40曲中、5曲を紹介しています。

★ウルバン・メーダーの 「 Ahhhhh 」 は、ウィットに満ち、

アルフォンス・カール・ツヴィッカーの

「 Hommage a Jean Baudrillard 」 は、精緻な作品、

シュテファン・ズィグナーの「 Highmatt 」 は、楽士風の音楽、

ミヒャエル・ロイデンバッハの「 Oh,yes! 」 は、簡潔簡素な曲。

中村洋子の「 Zürich ( by soggetto cavato ) 」 は、

オーケストラを、思い起こさせるような曲。


★世界中の、多種多様な音楽が、

さぞかし、満天に打ち上げられる、花火のように、

参加者の耳を、楽しませたことでしょう。

演奏会を録音したCDの到着が、本当に楽しみです。


★ほとんど見ず知らずの、日本の「 私 」のところまで、

こだわりや偏見もなく、自分たちが 「 よい 」 と思えば、

どんどん作曲を依頼してくる、という企画性と行動性。

(もちろん、謝礼はゼロですが)

その結果、埋もれている作曲家にとって、

発表のチャンスが増えることにも、つながっていきます。

権威主義に自縄自縛され、窒息寸前の「日本」とは、

根本的に、発想が異なっているようです。


★ロック全盛時代でも、音楽の本質を追求するにとどまらず、

若者を惹きつけようと、ロックに劣らず、

さまざまな意匠を、凝らしていたようです。

それゆえ、新しい聴衆を増やし、25年の命脈を保つことができたのでしょう。

さらに、今回、新しく生まれた作曲家、音楽家の繋がりの輪が、

蜘蛛の糸のように、さらに拡がり、発展していくことでしょう。


★クラシック音楽は、このような姿勢がございませんと、

次第に、滅んでいくかもしれません。


★音楽祭を、大きく紹介する記事を掲載した「 Neue Zürcher Zeitung 」

「 ノイエ・チューリッヒャ・ツァイトゥング紙 」は、

スイスを代表するドイツ語のQuality paper として、権威ある存在です。

1780年の創刊、フランス革命の記事を書いたという、

230年の歴史をもつ新聞です。


★財政基盤が、あまり裕福でなさそうな、この意欲的な音楽家集団を、

暖かい目で好意的に、大きく取り上げる姿勢は、立派であると、思います。

とかく、有名で大きなスポンサーの支援がある音楽会などの紹介に、

傾き勝ちな、日本の新聞とは少々、異なるようです。


●≪参考:10.2.11のブログ 
   私の室内楽作品が、3月、チューリッヒで初演されます≫

---------------------------------------------------------
Neue Zürcher Zeitung
22. März 2010
Klangsträusse, Perlen und Dezibelorgien
25 Jahre Ensemble für Neue Musik im Kulturmarkt Zürich Wiedikon

Vor 25 Jahren trat das Ensemble für Neue Musik Zürich erstmals vors Publikum. Dass es am Puls der Zeit geblieben
ist, zeigten die ersten beiden Abende der dreitägigen Jubiläumsparty im Kulturmarkt in Zürich Wiedikon.
Jürg Huber
Charakterköpfe sind sie alle: Hans-Peter Frehner, Manfred Spitaler, Victor Müller, Lorenz Haas, Urs Bumpacher
und Nicola Romanò. Hätten sie nicht so seltsame Instrumente wie Geige, Cello oder Klarinette in der Hand, die
sechs Herren des Ensembles für Neue Musik Zürich würden glatt als in Ehren gealterte Rockband durchgehen, die
sich auf verschiedenen Positionen durch Frischblut erneuert hat. Das kommt nicht von ungefähr: Frehner, ihr
strategischer Kopf, hat sich seine Sporen seinerzeit in Rockbands abverdient. Und dass der Physiognomie des
Ensembles durchaus populärmusikalische Züge eingeschrieben sind, zeigte ihr vollgepacktes Jubiläumsprogramm
im Kulturmarkt in Wiedikon.

Grosses Beziehungsnetz

In 25 Jahren kommen aber auch allerhand Geschichten zusammen. So outete sich René Karlen, im Zürcher
Präsidialdepartement für den Bereich E-Musik verantwortlich, in seiner launigen Festrede als Gründungsdirigent
des Ensembles. An diesem Wochenende nun waren es Jürg Henneberger, Sebastian Gottschick und Andreas
Brenner, die in seine Fussstapfen getreten waren. Dirigentische Flexibilität verlangten die musikalischen
Minutenstücke, die sich das Ensemble im Vorfeld des Jubiläums erbeten hatte; an die vierzig solcher
Geburtstagssträusse waren zusammengekommen, was die Verankerung des Ensembles in der Szene unterstreicht.
Darunter waren witzige wie etwa Urban Mäders «ahhhhh», präzis gearbeitete wie Alfons Karl Zwickers
«Hommage à Jean Baudrillard», musikantische wie Stefan Signers «Highmatt», lakonische wie Michael
Reudenbachs «Oh, yes!» oder orchestral gedachte wie Yôko Nakamuras «Zürich (by soggetto cavato)≫
                      
[写真は、Neue Zürcher Zeitung に掲載の音楽祭の演奏風景
Das Ensemble für Neue Musik ist am Puls der Zeit geblieben, wie es im Zürcher Kulturmarkt bewiesen hat. (Bild: NZZ / Adrian Baer)」]
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント

■私の「チェロ組曲第 1番」の楽譜が、ドイツのリース&エアラー社から出版■

2010-03-16 20:34:41 | ■私の作品について■
■私の「チェロ組曲第 1番」の楽譜が、ドイツのリース&エアラー社から出版■
                       10.3.16 中村洋子


★私の『 無伴奏チェロ組曲第 1番 』の楽譜が、このほど、

ベルリンの歴史ある出版社、リース&エアラー社

「 Ries & Erler Music Publishers 」から、出版されました。


★伝統の重みに、圧倒されるような気もいたしますが、

つくづく、“ 作曲家でよかった ” と思います。

音楽という“ 世界共通の言語 ”のおかげで、

楽譜さえあれば、本場のドイツの出版社が、偏見もなく、

出版を決意する、ということです。


★私がもし、詩人や小説家のような文学者であった場合、

翻訳の厚い壁もあり、このように、直接、ベルリンで出版ということは、

ありえない、と思わざるを得ません。


★リース&エアラー社 Ries & Erlerは、1881年に、

フランツ・リースとヘルマン・エアラーにより、

設立された楽譜出版社で、

フランツ・リースは、音楽史で有名な、リース一族の出身です。


★バッハに及ばないまでも、リース一族も、

1723年にまで遡ることができる、音楽家の家系です。

イギリスの 「 ニュー・グローブ音楽辞典 」には、

4ページにわたり、一族の記述があります。


★ベートーヴェン(1770~1827)の先生として、有名でした

フランツ・リース Franz (Anton) Ries ( 1755~1846 ) は、幼少時から、

神童と謳われたヴァイオリニストで、ボン宮廷楽団の指揮者も務めました。

若きベートーヴェンが、母を亡くし、苦難に喘いでいたころ、

家族のように接し、支えた人です。


★その長男のフェルディナント・リース Ferdinand Ries(1784~1838)は、

ベートーヴェンの弟子となり、ピアニスト、作曲家、

そして、ベートーヴェンの写譜や、秘書の仕事もしたことで、有名です。


★私は、小学生のとき、世界の偉人伝「ベートーヴェン」を、

何度も読みましたが、そこで、

「リース」という名前が、たびたび出現し、

“ ベートーヴェンの後半生を助けた人 ”として、

しっかりと、その名前が記憶に、焼きついていました。


★ベートーヴェンは、彼にピアノを教えましたが、

作曲は、ベートーヴェンの指示で、

当時、著名だったアルブレヒツベルガー (1736~1809)

Albrechtsberger の下で、学びました。

その理由は、よく分かりませんが、

“ 作曲は、教えられるものではなく、自分で学ぶものである ”

という考えによるものかもしれない、とは、

私の、個人的な感想です。


★フェルディナントは、ベートーヴェンの「ハ短調 ピアノコンチェルト」を、

自らのカデンツァで初演し、成功を収めました。

この出版社の創設者であるフランツ・リース(1846~1932)は、

このフェルディナント・リースの弟の子、即ち、甥に当たります。


★フランツ・リースの設立した出版社から、フンパーディンク(1854~1921)、

プフィッツナー(1869~1949)や、

ヴァイオリン教則本で有名な カール・フレッシュ(1873~1944)などが、

世に出ています。

2代目のロベルト・リースは、戦前のドイツ音楽出版社界での重鎮でした。


★私はこれからも、作曲に励むと同時に、アナリーゼ講座を通して、

「 普遍性をもった音楽 」の読み取り方、楽しみ方を、

ご一緒に探求していきたい、と思います。


★バッハの音楽が、なぜ、いまに至るまで、世界の人々に、

愛され続けているのか、

それは、地域の民俗音楽ではなく、

普遍的価値をもっているからです。

日本人でも、その楽譜だけで、彼の音楽を読み取り、

味わい、楽しみ、表現(演奏)することができるのです。


★ドイツの別の出版社からも、最近、

私の『 3台のチェロのための曲集 』を、出版したい、という、

お手紙をいただきました。

もっとも、嬉しかったことは、「 I like them 」(あなたの作品が好きです)

と、書かれていたことです。

なんと、率直な言葉でしょう。


★私は、なんといっても 「 I love BACH 」 です。

      
                        (早咲き桜)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント

■ラフマニノフ 「 鐘 」 の源泉は、何処から来ているのか?■

2010-03-12 01:45:47 | ■私のアナリーゼ講座■

■ラフマニノフ 「 鐘 」 の源泉は、何処から来ているのか?■
     10.3.12  中村洋子     Yoko Nakamura

 


★フィギュアの浅田真央さんの演技について、

私の感想を書きましたところ、思いもかけない大勢の皆さまが、

このブログを、訪問されました。


★音楽を、本当に愛していらっしゃる方も、

たくさん、いらっしゃるようです。

ラフマニノフの、「 鐘 」 という曲について、

興味を、お持ちのようですので、

「 鐘 」 について、少しご説明いたします。


★セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943)は、

ロシアに生まれ、米国・ロサンゼルスで没しました。

「 鐘 」 は、ラフマニノフ、19歳の作品。

自分で、「 鐘 」 と命名したのではありません。

「 Morceaux de fantasie 」Op.3 ( 幻想小曲集、1892作曲 )の、

二番目の曲「 Prelude( 前奏曲 )」が、この「 鐘 」 です。

一曲目は、「 Elegie( 哀歌 ) 」、

三曲目は「 Polichinelle( 道化の )」・・・です。


★「 鐘 」 というニックネームがつくのは、

それだけ、人口に膾炙した曲である、といえます。

しかし、ショパンの「 練習曲集 」 Op.10 につけられた、

「 革命 」 や 「 黒鍵 」、「 別れの曲 」 などの愛称も、

ショパンの音楽的内容とは、ほとんど、無関係であるのと同様、

この、ラフマニノフ Op.3 No.2の 「 前奏曲 」 を、

ことさら 「 鐘 」 という言葉のイメージと、

関連させて聴く必要は、全くありません。

「 幻想小品集 」 の名のとおり、聴く人は、

ご自分の幻想を羽ばたかせて、自由に聴くべきです。


★ラフマニノフ自身、求められるままに、

この曲を、幾度となく演奏したがために、

嫌悪感を憶えるほどだった、と伝えられています。

ごく初期の作品ですが、後年の様式や、モティーフのすべてが、

含まれおり、典型的な“ ラフマニノフ・トーン ”によって、

作曲されてはいますが、

ロシア半音階を含む、主要モティーフ

( 主題とまでは成長していない )に、こだわりすぎ、

単調さは、否めません。


★つまり、何度も何度も、同じモティーフが出てきます。

逆に、それが、一般的には憶えやすく、親しみやすい曲となり、

その “ しつこさ ” が、“ ある雰囲気 ” を醸しだすことに、

成功している、ともいえます。

その “ ある雰囲気 ” については、“ 鐘 ” であったり、

“ 警鐘を鳴らしてる ”、“ 運命を宣告する ” など、

文学的に、いろいろに表現されています。


★この「 鐘 」 を聴いた時、誰もが “ ロシア的 ” と感じるのは、

≪ ロシアの半音階 ≫ と呼ばれる、半音階が使われているためです。


★≪ ロシアの半音階 ≫ とは、

≪ 保続音と、同時に奏される半音階 ≫ のことですが、

それを、説明するため、

まず、この「 鐘 」 の構造を、分析することから、始めます。


★冒頭 1、2小節 「 ラ、ソ♯、ド♯ 」 の、3つの音は、

ff( フォオルティッシモ )に、さらにアクセント記号まで

付けられた、強烈な音です。

ソ♯が、「 嬰ハ短調 」 の属音、ド♯が 「 嬰ハ短調 」 主音で、

まずは、 ≪ 短調 ≫ という調性を、強く、聴く人に植え付けます。

同時に、それ以降に出現する

≪ ロシアの半音階 ≫ との、違いを、

際立たせる効果も、もっています。


★そして、3小節目で、急に、ppp ( ピアニシッシモ ) となり、

ソプラノの「 ド♯、ミ、レ♯、レ、シ♯ 」 の、動きのなかに、

「 ミ、レ♯、レ 」 の、≪ ロシアの半音階 ≫ が、

はっきりと、聴き分けられます。

一方、バスについては、2小節目の全音符 「 ド♯ 」 が、

3小節目前半まで、タイで、結ばれています。


★3小節目の、上声は、バスの 「 ド♯ 」 を、無視した和声進行です。

「 無視 」 というのは、ド♯を和声音に含まない和声が、

置かれている、ということです。

このような持続音を、「 保続音=オルガン・ポイント

( オルゲル・プンクト )」 と、いいます。

パイプオルガンで、右手と左手で奏される鍵盤の音を、無視し、

足鍵盤で、特定の音が長く奏されている、というイメージです。


★このように、≪ 保続音と同時に奏される半音階 ≫ を、

≪ ロシアの半音階 ≫ と、称することが、あります。

その保続音に、ロシアの鐘の印象を重ね合わせたのが、

この 「 前奏曲 」 です。


★人々のさまざまな生活を、さまざまな和音に譬えますと、

その生活( 和音 ) に、覆いかぶさる一つの持続音、

つまり、「 保続音 」 を、“鐘の音”に、譬えることも可能でしょう。

このニックネーム 「 鐘 」 は、そのような連想から来たのかもしれません。


★このド♯の保続音は、4、5、6 小節、そして、引き続き、

10、11、12、13 小節でも奏され、第一部 14 小節の中、

なんと10 小節にわたって、重苦しくたち込めています。


★第二部 Agitato アジタート では、

冒頭15 小節目の低音部 ( バス ) に、

ド♯の全音符が、保続音として置かれています

その上のテノール部分に、「 ラ♯、ラ、ソ♯ 」 の半音階が、

流れています。

これも、≪ ロシアの半音階 ≫ と、いえるでしょう。


★次の16小節では、テノール部分が、「 シ、ラ♯、ラ、ソ♯ 」

と、さらに ≪ 長い半音階 ≫ となり、性格が強められていきます。

この16 小節目の、バスとテノールのパターンは、

19、20、28、29、32、33 小節でも使用され、

駆り立てられるような効果を、上げています。

楽譜をお持ちの方は、この部分のみを、ピアノで弾き、

ロシアの半音階を、味わってみてください。


★≪ ロシアの半音階 ≫ は、

ロシア人の作品に、よく見られる半音階ですが、

このような使い方を始めたのは、ロシア人ではなく、

実は、ドイツの大作曲家ブラームス( 1833~1897 ) です。

彼は、若い頃から、これを好んで使いました。

ブラームス50代の作品、ヴァイオリンソナタ第3 番( 1886~88 )の、

第一楽章でも、分かりやすく、見つけることができます。


★ラフマニノフが、「 鐘 」 を作曲したのが、1892 年。

案外、ブラームスを研究していたのかもしれません。


★3 月30 日に、カワイ表参道で開催します、

第3 回「 バッハ平均律クラヴィーア曲集アナリーゼ講座 」 は、

「 第1 巻 3番 嬰ハ長調 」の「 前奏曲 」 を、

詳しく見たうえで、ショパンが、それを、どう吸収、咀嚼し、

彼の前奏曲 「 雨だれ 」 を、作曲したか、詳しくご説明いたします。

バッハ、ショパンを勉強いたしませんと、

本当のラフマニノフを、弾くことができず、

素人受けする効果だけを、狙った演奏になり勝ちです。

ブラームスが生涯にわたって、研究し、

滋養としたのも、もちろんバッハでした。

私の著書です、バッハ、ショパン、ラフマニノフなど大作曲家を一層、

深く、理解できるようになると思います。

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20160203

                        (サンシュユの花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント (3)

■≪浅田真央さんへの感想≫についての、驚くほどの反応■

2010-03-05 20:59:41 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■≪ 浅田真央さんへの感想 ≫ についての、驚くほどの反応■
                  10.3.5   中村洋子


★このブログに2月27日、≪ 浅田真央さんへの感想 ≫を、

掲載しましたところ、驚くほど多くの皆さまが、

当ブログを、訪問されました。

普段は毎日、数百人の音楽愛好家が訪問される、

こじんまりとしたブログですが、ここ数日は、その何十倍もの数です。

この現象について、さまざまな考えが、去来します。

取り留めないかもしれませんが、綴ってみたいと思います。


★浅田真央さんについて、「銀」に終わって残念、

なぜ、「金」ではなかったのか、という意見が多いようです。

しかし、私は、「金」であろうと、「銅」であろうと、

どうでもいいことである、と思います。


★オリンピックでの女子フィギュアで、思い出しますのは、

前回の荒川静香さんと、伊藤みどりさんだけです。

荒川さんは、「金」、伊藤さんは「銀」だったようですが、

私は、「金」か「銀」かについては、

ぼんやりとした記憶しか、ありませんでした。

しかし、記憶に焼きついているのは、

荒川さんの、溜め息のでるような「イナバウアー」、

いまでも脳裏に、彼女の優美な姿が蘇ります。


★伊藤さんは、何回転か忘れましたが、当時としては、

前人未到の技に挑戦し、成功し、その高みに到達された方です。

よく憶えていますのは、彼女が「銀」に終わった時のインタビュー。

「銀でいいじゃないですか。満足しています。銀ではだめですか?」

という趣旨のことを、にっこりと微笑みながら、おっしゃっていました。

とても、美しい笑顔でした。


★「イナバウアー」という演技は、いくら秀逸でも、

審査では加点されない演技、だったそうですが、

荒川さんは、敢えてそれを

“演技の華”として、頂点に据えました。

自分が最も美しく輝くのは、「イナバウアー」である、という信念、

点にもならない「イナバウアー」を、決め技とする豪胆な決断力。

それにより、彼女の演技は、“ 永遠の命 ” を与えられました。

世界中の人々の記憶に、焼き付いたからです。

素晴らしい判断でした。

結果的に「金」メダルでしたが、それは副次的なこと。

“ 永遠の命 ” が、大切です。


★伊藤みどりさんが演技をされていたころ、アメリカから

来日されたばかりの方と、お話をしている最中、

「アメリカで、最も有名な日本人は誰ですか」と、尋ねたことがありました。

答えは、「 伊藤みどり 」。

意外な返事で、正直、面食らいました。

「誰も出来ないジャンプを成功させた。素晴らしいことです。

尊敬されています」

オリジナリティーを、なにより高く評価する、

欧米の根本的な思想に、触れた思いです。


★バンクーバー五輪での、浅田真央さんのジャンプ、

駒が回転して切り込むように、天に垂直に駆け上がる、

その可愛らしく凛々しい、さわやかな姿は、

永く、記憶されることでしょう。


★オリンピックは、1984年のロス五輪から、

商業主義路線に走ったのは、周知のことです。

テレビへの放映権を、尋常ではない高い値段で売却することで、

運営費などを、賄う方式です。

アマチュアによる純粋なスポーツの祭典とは、次第にかけ離れ、

アマ選手が、マスメディア上で、商品の宣伝にも登場するようになりました。

「金」メダリストが宣伝に登場すれば、大変な注目を浴び、

契約料が何億円、「銀」ならば、一桁下がるなど、

スポーツの本質とは、関わりのない低次元なお話が、乱れ飛びます。

その駒にされる選手が、お気の毒です。


★そのような状況で、今回、韓国が、五輪の花のフィギュアで、

キムヨナさんに、「金」を獲得してもらい、

韓国を世界にアピールしたい、と願うのは当然かもしれませんね。

さぞ戦略的に、準備をされてきたことでしょう。

採点基準も、巷間言われていますように、

何度も、変更されたのでしょう。


★キムヨナさんが、五輪史上、最高点を獲得しました。

しかし、一般人は、その点数がいくらであるかは、記憶しません。

肝心なのは、記憶に永く留まる演技が、出来たかどうかです。

テレビ、マスメディアで、いくら“素晴らしい”と宣伝されても、

そうであるのか、そうでないのか、判断するのは、ご自身の審美眼です。


★キムヨナさんも、浅田真央さんも、まだまだ19歳。

これから、一層精進され、

歴史に残る美しい演技を、期待したいものです。


★少々脱線しますが、広い意味での≪舞台≫、踊りであれ、

能であれ、フィギュアであれ、運動であれ、

≪舞台≫上で、私が最も、美しいと思った人間の動きは、

誰でしょうか。


★横綱「 双葉山 」 の土俵入りです。

テレビで、白黒画像により、一度見ただけです。

しかし、いまでも、それを思い出しますと、

胸の高まりを覚え、崇高な気持ちになります。


★蹲踞の姿勢から、地球を包み込むかのように、

手を大きく広げ、両手を打ち合わせます。

そして、足をゆっくりと挙げ、土俵の土の上に、

また、足を下ろします。

ただ、それだけの動作です。

非常に、短い時間です。


★柔らかく、しなやかな双葉山の大きな体、

足をゆっくり、高く高く挙げていくその数秒間、

私は、自分が天の高みにまで、引き揚げられていくような、

爽快感、心地好さを感じます。

見ている私も、一緒に土俵入りをしています。

そして、足が下ろされます。

足が、ゆっくりと下り、大地に根を張り、

それまでの緊張が、解放されます。

息を吐く私、心地好い疲労感。

自分と、観客との呼吸を一体化させる、

究極のリズム感をもった人、といえるでしょう。


★横綱「白鵬」は、「双葉山」を尊敬されているそうです。

69連勝という数字は結果であり、その数字に惑わされることなく、

「双葉山」の美しい相撲を、体得して頂きたいものです。

結果は、自ずとついてきます。


★音楽の世界で、私が体験した限りにおいて、

最高のリズム感をもつ方は、沖縄民謡の、故「嘉手刈林昌」さんでした。

お亡くなりになる数年前、東京で、息子さんと一緒に、

演奏会を、開かれました。


★息子さんの三線に合わせて、小さな太鼓を、

ご自分で、叩かれました。

トントントンと、軽く打ち始めますと、観客席の私たちは、

座席から突き上げられ、天井に届かんばかりです。

ドンと大きく叩くと、私たちは再び地上に落ち、引き戻されます。


★太鼓は、リズムだけの楽器です。

その奏者のリズム感が、むきだしに出ますので、怖い楽器です。

肉体美を見せる道具では、ありません。


★今回、浅田真央さんの記事で、私のブログに、たくさんの方が

訪問され、コメントも多くいただきました。

いずれも、知的な分析力と、明晰なロジックをもたれた意見ばかりで、

感服しております。

マスメディアの宣伝や、いわゆる“権威”の方々の主張に対し、

“こういう理由から、自分はそうは思わない”と、

主張できる、立派な方ばかりです。


★私はこれ以上、フィギュアについて、書くつもりはございません。

知識も時間も、ございません。

しかし、こういうご縁で、

私のブログにお出でになりましたのを、きっかけに、

是非、本物の音楽についても、

関心をもっていただきたいと、思います。

真央さんの世界に、劣らず、

敢えて、言わせていただけますと、

さらに、広く、深い、美しい豊穣な世界が、待っています。


★残念ながら、この音楽の世界も、宣伝が蔓延っています。

音楽性より、顔の美しさが重要な要素とされ、

出発点でしかありえないコンクール受賞歴を、もてはやし、

“天才”であると、何万回も宣伝されれば、

“凡才が天才”に化け、市民の頭に刷り込まれます。


★そうした“天才”の演奏を聴きますと、失望され、

“なーんだ、この程度か、つまらない世界”と、

もう、二度と足を踏み入れなくなります。

本当の芸術家は、そんなには存在しません。

宣伝に、惑わされることなく、

そういう本物の音楽を、聴く必要があります。

それを、お聴きになれば、素晴らしい世界が開けます。


★このブログに到達された皆さまは、ご自分の頭で、

真贋を、判断できる方ばかりと、思います。

ブログの過去の記事を、参考にしていただき、

ご一緒に、美しい音楽を愛し合いたいものですね。


                       (花梨の若芽)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント (14)