音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 第10回 インヴェンション・アナリーゼ講座のご案内 ■

2009-04-27 22:22:04 | ■私のアナリーゼ講座■
■ 第10回 インヴェンション・アナリーゼ講座のご案内 ■
                09.4.27  中村洋子


★《第10回》 インヴェンション第10 番、シンフォニア第10 番 ト長調    
       
       (バッハ フランス組曲の舞曲との対比)


★第10 回バッハ・インヴェンション講座は、

明るく爽やかな五月の空のような、

ト長調のインヴェンションとシンフォニアです。

ヘ短調9 番で、頂点に達した≪インヴェンション≫は、

この10 番から、新しい世界に入っていきます。

10 番から15 番は、より自由に大きな世界に、

音楽を、展開させていきます。

9 番までは、各曲が、がっちりと緊密に連携しあっていましたが、

10 番からは、一曲ずつが、とても華やかであったり、

メランコリックであったり、ヴィルトゥオーゾ的であったり、

とても奔放に個性的に、作曲されています。


★今回は、バッハの舞曲とインヴェンションとの関係を、

「フランス組曲」との対比により、解きほぐします。

バッハの作品は、無伴奏チェロ組曲や、

ヴァイオリンのためのソナタ&パルティータ、

イギリス組曲などで、みられるように、

さまざまな舞曲の様式が、重要な作品形式となっています。


★フランス組曲のなかにある舞曲で、

初めて、バッハの舞曲に触れられた方も、

きっと、多いことでしょう。

大変に、親しみやすい曲集です。

この舞曲を、応用することで、

インヴェンション10番を、より深く理解でき、

演奏の、貴重な手引きとなります。

それらを、分かりやすくお話いたします。


★バッハ(1685~1750)は、

「インヴェンションとシンフォニア」の序文(1723)で、

次のように、この曲集の意図を説明しています

(以下は、私が意訳して、分かりやすく書きました)


★クラヴィーアのLiebhabern=amateur(愛好家)特に、

それを真剣に学びたい、と思っている方にとって、

この曲集は「Auffrichtige Anleitung=Honest method

(誠実に筋道を教える手引)」です。


★まず、

・二声部を、はっきりと演奏することを学びます。

・そのうえ、さらに上達することを目指して

・記譜されている三声部を、すべて正確に、 かつ、

 上手に、演奏できるようにします。


★・同時に、優れた着想(インヴェンション)を

  得ることができるようにします。

・さらに、それを巧みに展開し、特に、カンタービレ奏法を身につける

・さらに将来、作曲をする際に味わうであろう、

(その苦楽を)事前に、十分に積極的に体験する。

このように、出版の目的を書いています。


★今回の私のシリーズでは、

二声のインヴェンションを全部終わってから、

三声のシンフォニアに入るのではなく、

二声と三声の同じ調の曲を同時に、学んでいく、

という方法をとります。


★曲の構成を詳しく理解することによって、

バッハを弾くことがさらに喜びに満ちたものとなり、

自信をもって弾くことが可能になります。


■講師:作曲家 中村 洋子
東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。
日本作曲家協議会、日本音楽著作権協会(JASRAC)の各会員。
ピアノ、チェロ、ギター、声楽、雅楽などの作品を発表。
2003 年~05 年、アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で、
新作を発表。
自作品「無伴奏チェロ組曲」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が
演奏したCD『W.ベッチャー 日本を弾く』を07 年に発表する。
このチェロ組曲やチェロアンサンブル作品がドイツ各地で演奏されている。
08年9月、CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」と、
ソプラノとギターの「星の林に月の船」を発表。
 

■日時: 2009 年5 月21 日(木)午前10 時~12 時30 分

■会場:カワイ表参道2F コンサートサロン「パウゼ」

■会費:3000 円 (要予約)

■参加ご予約・お問い合わせは カワイミュージックスクール表参道

 Tel.03-3409-1958 omotesando@kawai.co.jp


★第11 回は、6月 23日(火)インヴェンション第11 番、
         シンフォニアの第11 番のト短調です。

★特別アナリーゼ講座 6月 7日(日)午後3 時~午後6 時

≪前奏曲とはなにか~バッハの平均律からドビュッシーの前奏曲集   まで≫
  ・バッハ 平均律クラヴィーア曲集第一巻 1番前奏曲 ハ長調
  ・ベートーヴェン 月光ソナタ(ピアノソナタ14番 Op.27-2)1楽章
  ・ショパン エチュード Op.25 の 1 エオリアンハープ
  ・ドビュッシー 前奏曲集 第一巻 1番 デルフォイの舞姫

  
 ▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■ベルリン・グリューネバルト教会でのコンサート■

2009-04-26 23:02:18 | ■私の作品について■
■ベルリン・グリューネバルト教会でのコンサート■
            09.4.27    中村洋子


★ベッチャー先生から、ベルリン・グリューネバルト教会で、

4月18日、催されたコンサートのポスターと、会場で配布された

プログラムノートが、郵便で送られてきました。


★演奏会の前日にも、先生からファックスが届き、

「Tomorrow  I will play your Cello Suite Ⅰ,

and  I have fun to practice it. 」

「明日、あなたの組曲1番を演奏します。

この曲を練習していて、楽しい」と、書いてありました。

さらに、私のチェロ組曲第3番の第5曲目を受取り、

「とても気に入っています」 とのことでした。


★お手紙には、「 The concert went very successful .」

「このコンサートも大成功でした、いつものように、

あなたの音楽の新しい愛好家が増えました」。

さらに、先生のお弟子さんで、現在、南ドイツで

活躍中のチェリストから、

「私の弟子たちが、Duets for two young cellists

(私がベッチャー先生と、お孫さんのために書いた曲)を、

とても愛している」と、先生にお手紙が来たそうです。

特に、2台チェロのための曲は、いい曲が少ないため、

とても、その方は、喜ばれているそうです。


★[ プログラムノート ] (翻訳:中村洋子)

Boettcher 教授は、このコンサートを、

独奏チェロための芸術作品の頂点である、2つの曲から始める。

それは、あまり聴く機会のない現代の作品である。

ベッチャー教授は、コンサートの幕開けを、

日本の作曲家 Yoko Nakamura の

「無伴奏チェロ組曲」から、始める。

この曲は、ベッチャー教授のために、作曲され、

プレリュードから、ジーグにいたる、

バッハの「組曲」と同じ形式で、作られている。

しかしながら、その音楽は、洗練された日本の音楽の

アロマに、満たされている。


★2曲目は、Volker David Kirchner (1942年 マインツ生まれ)

フォルカー・ダーフィット・キルヒナー作曲

「 Und Salomo sprach 」、「そして、ソロモンは語った」。

「 Prediger 1、2 」( 伝導書1、2)の「すべてはむなしい」という、

ソロモンの智恵に従って、それを引用して作った曲。

この作品は、曼荼羅形式の瞑想といえよう。

C(ド)の、オルゲルクンプト(保続音)を伴った、

アリオーソに等しい曲で、三部形式である。

頑固な音楽的ドクタスをもち、バロックとほとんど同じ様な

厳しい形式である。

真ん中の部分は、野生的な激しさをもち、

ここが曲の Drehpunkt 旋回の軸となる。


★バッハ「無伴奏チェロ組曲1番」

バッハの6曲の組曲は、1717~20年に書かれた。

アンハルト=ケーテン候レオポルドの廷臣だった、

ガンバ奏者とチェリストである、

Christian Ferdinand Abel と Christian Linike

のために、作曲された。

各々の組曲の構造は、イギリス組曲に似て、

すべて、プレリュードから始まり、

アルマンド、クーラント、サラバンド、最後のジーグの前に、

他の舞曲が、挿入される。

組曲1番は、2つのメヌエットが入る。

6曲は、それぞれ異なった個性をもつ。


★コンサートの第2部は、ベッチャー教授が、

アレクサンドラ・ミュラーと、インケン・ノイバウアー博士との

対話の、お客さまになる。

この二人は、ハインリッヒ・ヤコビ‐エルザ・ギントラー財団の

審議会のメンバー。

ベッチャー教授の、さまざまな音楽経験や、

音楽を演奏する喜びを、分かち合うことについて、

話し合われる。


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■バッハ「インヴェンション」のエドウィン・フィッシャー版■

2009-04-25 23:58:31 | ■私のアナリーゼ講座■
■バッハ「インヴェンション」のエドウィン・フィッシャー版■
                 09.4.25    中村洋子


★第9回バッハ・ インヴェンションアナリーゼ講座を24日、

カワイ表参道「パウゼ」で、開催いたしました。

今回は、曲集の頂点である

「インヴェンション&シンフォニアの9番」でした。


★この9番と、マタイ受難曲やロ短調ミサ の中で、

要の役割を果たしている、いわば、

Hoehepunkt (頂点) の曲とが、

作曲技法などの面で、多くの共通点をもつことも、

実際に、マタイ受難曲のアリアの一部などを、

聴き、それをピアノでも音にしながら、お話ししました。


★原典版として、ベーレンライター版、ヘンレ版、

ウィーン原典版と、バッハの手稿譜および、

ピアニストの校訂譜との、比較もいたしました。

原典版でも、手稿譜をどのように解釈するかによって、

全く異なったスラーの、付け方になってしまい、

アーティキュレーションに、大きな影響を

及ぼすことを、お話しました。


★私の結論は、“ 原典版の、これが唯一最良である・・”

といった、「決定版」は存在しない、ということです。

研究が進めば進むほど、その新しい成果をどう、解釈するか、

謎が、さらに深まっていきます。

これは、ショパンやドビュッシーの

原典版について言えることと、同じです。


★今回は、歴史的ピアニストによる校訂版の勉強も、

絶対に欠かせない、ということも、実例を挙げて、

説明いたしました。

エドウィン・フィッシャーEdwin Fischer (1886~1960年)の、

「Dreistimmige Inventionen (3声のインヴェンション)」

(Edition Wilhelm Hansen) は、

大ピアニスト エドウィン・フィッシャーの、

不朽の、名校訂です。


★シンフォニア9番の全体について、

フィッシャーは、≪ラルゴ Largoで、

「この感動的な嘆き悲しむ歌

~Dieses ergreifend Klagelied を、

歌うようにレガートで、弾きなさい」≫と、

冒頭に、記しています。


★1小節目から2小節目にかけての、

第一対主題である、バスの動きを、

Das " Passionsmotiv" として、

die chromotisch absteigenden

Viertel weich aber klangvoll

と注釈を、付けています。

その意味は、

≪このバスの動きは、「受難のモティーフ」であり、

半音階で下行していく四分音符は、柔らかく、

しかし、よく響かせて、弾くべきである≫


★この曲の内容が、一気に把握できる、

適確無比な注であると、思います。

33小節目に現れる、この曲での最高音「 C 」については、

≪klagend (苦しみ)を訴えるように≫と、記しています。


★フランス語とイタリア語訳も、併記されていますが、

各々、lamentant 、lamentoso となっています。

スイス人で、ドイツで活躍したピアニスト、

エドウィン・フィッシャーの 「klagend」 という言葉は、

大変、切実に響き、この音が、35小節のこの偉大な曲の、

頂点である、ということを示し、それがよく伝わります。


★あたかも、大ピアニストから、

個人レッスンを、受けているかのような、

錯覚を起こさせる、この校訂版の、

音楽的想像力、創造力に満ちた「注」を、

皆さまも、是非ご覧になってください。


★次回の「第10回 インヴェンション・アナリーゼ講座」は、

5月21日(木)10時~12時半、

「インヴェンション&シンフォニア10番」です。


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■マタイ受難曲と、インヴェンション&シンフォニア9番との密接な関係■

2009-04-16 23:55:58 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■マタイ受難曲と、インヴェンション&シンフォニア9番との密接な関係■
                  09.4.16 中村洋子


★4月24日のアナリーゼ講座「インヴェンション9番」に向け、

「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ」を、じっくり勉強しております。


★「マタイ受難曲」の初演は、「1727年4月11日」ですから、

インヴェンション序文の日付「1723年」から、

4年後、ということになります。

ただし、両曲とも、一気に書かれてはいませんので、

どちらが、先に作曲されたかは、分かりませんが、

ほぼ、同時期に完成された、といえましょう。


★バッハの死後に、マタイ受難曲が全曲、

演奏されたのは、「1829年3月21日」です。

初演から102年後、没後79年目の、バッハの誕生日です。

それを指揮したのは、その時、20歳だった

フェリックス・メンデルスゾーンです。


★しかし、二男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが、

バッハの死後も、マタイ受難曲を部分的に、再演していますから、

決して、完全に忘れ去られていたわけではなく、

聴くべく人は、聴いていたことでしょう。

楽譜を見て、研究した人も、人知れずいたかもしれません。


★メンデルスゾーンの再演を、契機に、

マタイ受難曲は、19世紀になってから、

活火山のように一気に、あるべき位置、即ち、

音楽史上の最高傑作の一つ、に据えられ、

いまに至るまで、すべての優れた作曲家に、

影響を、与え続けています。


★優れた作品の例に漏れず、マタイ受難曲でも、

第一曲目が、全曲を支配しています。

音楽的なモティーフや、調性、リズムなどの点について、

それが、当てはまりますが、

詩の「語句」も、全曲を構成する、

重要な要素と、なっています。


★その「aus Liebe」 と 「Erbarme dich」 という語句が、

要の役割を、果たしています。

Erbarme dich, Mein Gott・・・ は、

「わが神よ、憐れんでください・・・」という意味ですが、

この重要な語句は、受難曲全体の、ほぼ中間に位置する

アリアの、冒頭でも、歌われます。

重要な語句です。


★aus Liebe は、「愛のゆえに」という意味で、

この語は、受難曲のほぼ、3分の2のところにある、

Aus Liebe will Heiland sterben

「愛ゆえに、イエスは死のうとしています」

というアリアでまた、出てきます。

このアリアは、マタイ受難曲の頂点、と

いえるかもしれません。


★マタイ受難曲は、劇的な場面も多く、そちらに、

つい、気を奪われてしまいがちですが、

バッハが、最も表現したかったのは、

この深く、静かな2つのアリアであり、

そのために、2分の1、3分の2、という、

構造的に、最も重要な位置に、設計して据えた、

と、私は考えます。


★Erbarm dich の旋律は、

「ヴァオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタ4番」の、

1楽章にも、使われています。

バッハが、大変に愛した旋律だったのでしょう。


★バッハは、鍵盤作品には、あまり、

アーティキュレーションを、記入していません。

しかし、アリア「aus Liebe」 の器楽による伴奏パートには、

バッハ自身が、アーティキュレーションを、

とても細かく、書き込んでいます。


★「aus Liebe」で、アーティキュレーションが、

記入されている音形を、

アーティキュレーションが、記入されていない、

バッハの鍵盤作品の音形に、当て嵌めますと、

ピアノで、バッハ作品を演奏される場合、

とても、参考になります。


★この 「aus Liebe」 のアリアや、

ロ短調ミサ曲に使われている半音階と、

シンフォニア9番との関連、さらに、

「aus Liebe」 の3度下行、2度上行の音形の意味と、

シンフォニア9番との関連についても、

4月24日に、お話するつもりです。



★ピアニストとって、マタイ受難曲や、ロ短調ミサの、

アリアを聴き、その器楽伴奏部分を、研究することにより、

バッハへの理解が、より深まり、

ピアノに、向かっているだけでは、

見えないバッハの世界が、眼前に、

広々と、展開してくることでしょう。

                  (写真は、牡丹の花です)


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■野町和嘉さんの写真展「聖地巡礼」、日本の歪みを映す鏡■

2009-04-12 17:39:37 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■野町和嘉さんの写真展「聖地巡礼」、日本の歪みを映す鏡■
                  09.4.12  中村洋子


★私の大好きな写真家・野町和嘉さんの写真展「聖地巡礼」が、

恵比寿・東京都写真美術館で、開かれています。

メッカの「カーバ神殿」での、イスラム巡礼者の、

撮影に関する、随筆を読んでから、ファンとなり、

品川での写真展「地球巡礼」(2005年)で、

初めて、本物の彼の作品に、触れることができました。


★その折、一時間ほど、写真を一つ一つご説明してくださり、

その暖かなお人柄と、日本の尺度には入りきれない真の、

国際的な芸術家であることにも、心を打たれました。

また、偶然にも、野町さんの奥様・榎並悦子さんが、

ギターの斎藤明子さんの、プロフィール写真を、

撮影されていることを知り、驚きました。


★昨11日は、野町さんが会場で直接、

解説される日でしたので、楽しみにして、

見に行って、まいりました。


★野町さんはこれまで、インドの取材を、

「とても、太刀打ちできない」と、避けられていたそうですが、

5年前から、やっと取材を始め、精力的に訪れているそうです。


★この写真展の中心は、そのインド、インドのガンジス河、

聖なるガンジスへと巡礼する、何億人もの人々の群れです。

シバ神を信仰する人々は、ガンジスの聖水に身を浸し、

沐浴することで、罪が清められ、遺灰を流すことで、

天国に生まれ変わると、信じています。


★ガンジス河は、ヒマラヤ氷河から、

2500キロを流れ、ベンガル湾に注ぎます。

その途中に、たくさんの聖地があります。

12年に1回の「クンプ・メーラ」という祝日は、約1ヵ月続き、

1日だけで1800万人、総計、何億人もの巡礼者が、押し寄せます。

インド最大の、国民的行事だそうです。


★写真は主に、ヒマラヤとベンガル湾との中間にある、

ガンジス河畔の「アラハバート」と、

「バラナシ」という聖地で、撮影されています。


★未明のガンジス河、野球のナイターのような照明が、

ギラギラと川面に反射、川岸には、ウンカかアリの集団のように

くすんだターバンやサリーの民衆が、夜明けを待っています。

無限大の果てまで、同じアリのような集団が、

米粒のように、写っています。


★チケットの写真は、極彩色のサリーを纏った女性たちが、

小船に満載されて、上流のシバ寺院に、向かう光景です。

未明の、出立です。


★圧巻は、「サードゥー」という世俗と断縁した、

行者になる人々の、入門式の光景。

頭を丸め、ほぼ全裸。

壮年から老人まで、さまざまな人たち。

お団子をこねて作り、それを河に流します。

「ピンダ」というお団子は、普段は、死者の弔い用。

ここで、家族や俗世間との訣別をするのです。

自分の“葬式”を、出しているのです。

それ以降、祈りと托鉢の日々に入ります。



★聖なる日の沐浴は、このサードゥーが何十万人も、

裸で行進して、信者を先導して、河に入ります。


★サードゥーは、死して火葬されず、

河に、流されます。

そして、その遺骸が岸辺に流れ着きますと、

犬たちが、生の輪廻で、それを食します。

その川辺の光景、犬たちの写真は、

不思議な静けさを、もっています。

残酷さとは、異質の世界です。


★野町さんの平易な言葉は、写真と同じ様に、

力があり、聴く人の心に残ります。

印象に残った言葉・・・。


★≪「祈り」つまり、宗教とは、家族の絆のようなもの。

絆はとても強く、深いところで、安心感がある。

支えあっている、ということかも≫

祈りと托鉢の日々の、サードゥーという行者は、

自分の家族より、もっと大きな“家族”が、

支えてくれる、という安心感が、根底にあるから、

托鉢によって、生命を保つことができ、

そして、祈りによって、精神の高潔さを、

保ってことが、できるのでしょう。


★≪日本も50年ほど前は、そういうウェットな家族関係が、

ありましたが、これから、そういうものに、

向き合っていく必要が、あるのかもしれませんね≫


★≪巡礼者は、何日も何日も歩き、そして河に入り、

沐浴して、祈りを捧げる。

それが終わると、さっさと、帰る。

巡礼者が手にしたものは、達成感だけ、ただそれだけ。

だから、尊いのです≫


★≪インドは、ベジタリアンが約半分、

不殺生が行き届いている≫


★≪イランは、30年間、アメリカと敵対しています。

グローバリゼーションという言葉で、世界中が、

単一化されようとしていますが、

イランは、アメリカとの敵対のおかげで、

美しい文化が残り、自爆テロもなく、

経済も、ダメージ受けていない。

一方、同じイスラムのドバイは、

お金によって、すべてが変わり、いまは、ガタガタ≫


★野町さんは、「グローバリゼーション」の

中身を、具体的には、おっしゃいませんでしたが、

お金儲け最優先、経済成長至上主義、

弱者切捨て、すべては自己責任、

そういう特異な、価値観のことでしょう。

それに、どっぷりと浸かり、絡め捕られ、

しかも、それを自覚していない日本。

どんなに歪んでいるかを、巧まずに、

映し出してくれる鏡が、野町さんの写真、

ということが、できるでしょう。


★写真展は、東京・恵比寿の「東京都写真美術館」で、
 5月17日まで。
 野町さんの解説がある日は、4月25日、29日、
 5月2.3.4.5.16.17の各日、いずれも午後2時から。

★4月18日(土)、NHK「お早う日本」首都圏ジャーナルで、
 この写真展と野町さんの解説が、放映されます。


               (写真は、写真展のチケット)
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■山形新聞に掲載された私のエッセー「感じてほしい芭蕉の世界」の独訳・後編です■

2009-04-10 00:12:44 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■山形新聞に掲載された私のエッセー「感じてほしい芭蕉の世界」の独訳・後編です■

          09.4.10    中村洋子  Yoko Nakamura

★★Ein Stück über den Mogami-Fluss in Nord-Japan,

als Thema dient ein Schifferslied

Yoko Nakamura: Was ich mir wünsche ist, dass die Zuhörer,

wenn sie mein Werk hören,

in die bezaubernde Welt von Matsuo Basho eintauchen.

(der zweite Teil)
   

★Das Thema des „Mogamigawa“ hat die Form von dem Schifferslied.

Charakteristisch ist auch das sich wiederholende Begleitmotiv,

das die Bewegung der Wellen und das Schaukeln des Schiffes darstellt.

Dies eingebunden in die alte Form des Liedes

ergibt etwas wirklich Reizvolles.


★Beim Oberlauf des noch kleinen Baches hatte ich das sprudelnde Wasser,

welches kleine Steine an die Felswand wirft, vor Augen.


★Als nächste folgt ein von mir selbst geschriebenes Wiegenlied.

Man stelle sich eine Mutter vor, die ihr Baby im Arm hält und

es sanft in den Schlaf singt.

Die Mutter sitzt am Ufer, der wunderschöne Fluss fließt friedlich dahin.


★Die nächste Szene ist während der Regenzeit.

Durch den ununterbrochenen Regen, der verdampft,

gibt es über dem Fluss viel Nebel. Es dampft..., es regnet...,

der Nebel, alles fließt unaufhörlich fort.

Das Haiku von Basho dazu folgt hier in freier Übersetzung:

Der den Mai-Regen sammelnde reißende Mogami-Fluss.


★Der Regen im Mai, samidare, ist die alte Bezeichnung für die Regenzeit.

Im heutigen Japanisch nennt man sie tsuyu ,

wörtlich bedeutet das „Ume-Regen“, das bedeutet:

die Regenzeit, in der die Ume-Pflaumen-Bäume Früchte tragen.

Wegen dem alten Mondkalender ist hier von Mai und nicht von Juni die Rede.

Die Regenzeit geht nämlich von Mitte Juni bis Mitte Juli.)


★In der folgenden Szene sehe ich folgendes Bild vor mir: es ist Abend,

das sieht man an den mit traditionellen Vorhängen geschlossenen Fenstern.

Basho sitzt vor einem Andon (einem stehenden Papierlampion)

und schreibt ein Haiku, das allerdings eine Szene beschreibt,

die während der Mittagszeit spielt.

Die Uhr schlägt ruhig und ohne Pause.

★Die letzte Variation ist von folgendem Haiku inspiriert:

Der Mogami-Fluss bringt die Hitze des Tages zum Meer.

Etwas wörtlicher ausgedrückt: Der Mogami-Fluss bringt

den heißen Tag zum Meer.

Dieser Teil ist der Höhepunkt des ganzen Stücks.

Die sengende Hitze im Hochsommer wird durch heftige

Bewegung im ungleichmäßigen Takt dargestellt.


★Die Gitarristen in dem Konzert im Tempel Denzuin,

die das Stück inzwischen regelmäßig aufführen,

waren Akiko Saito und Masahiro Ojiri,

sie sind miteinander verheiratet.

Akiko Saito ist eine international aktive Musikerin,

sie hat zum Beispiel ein Solokonzert in der

New Yorker Carnegie Hall gegeben.


★Viele neue Stücke werden, wenn überhaupt, nur einmal aufgeführt.

Im Falle meines „Mogamigawa“ ist dies glücklicherweise nicht so.

Die Zuhörer wünschten sich immer wieder, dass das Stück in neue

Konzertprogramme aufgenommen werden möge.

Und so wurde es tatsächlich schon mehrmals aufgeführt,

wie zum Beispiel dieses Jahr in Azumino

(in der Präfektur Nagano, siehe Foto).


★Hier nochmal zwei der Haikus:

Der den Mai-Regen sammelnde reißende Mogami-Fluss

Der Mogami-Fluss bringt den heißen Tag zum Meer

Diese beiden Haikus haben wir noch.

Den Fluss, wie Basho ihn gesehen und bereist hat,

gibt es so natürlich nicht mehr.

Aber der Leser, der sich in die Haikus vertieft,

überbrückt Zeit und Raum.


★In meiner Cello-Solosuite Nummer 1, die ich letztes Jahr komponierte,

habe ich den Verlauf, sprich Übergang der Jahreszeiten dargestellt,

beginnend beim Winter und endend im frühen Sommer.

Wolfgang Böttcher, Professor an der Universität der Künste Berlin,

hat die Cellosuite auf CD aufgenommen.

Überall in Deutschland spielte und spielt er sie in verschiedenen

Konzerten und stößt bei den Zuhörern auf ein breites Echo, d.h.

das Werk wird von den deutschen Zuhörern verstanden.


★Im Juni dieses Jahres wurde mein Werk „Leicht verflogene Sommernacht“

von den „Zwölf Berliner Cellisten“,

deren erster Cellist ebenfalls Wolfgang Böttcher ist, uraufgeführt.

In der Zwischenzeit arrangierte ich für dieses Ensemble auch

den „Mogamigawa“.

Demnächst wird das Werk also auch in Deutschland erklingen.

Bashos Mogami-Fluss fließt zu meiner Freude bald auch in Deutschland,

und die Gitarrenversion soll nächstes Jahr auf CD aufgenommen werden.


★Erklärung zum Foto:

Akiko Saito (rechts) und Masahiro Ojiri (links) bei einer Aufführung

des „Mogamigawa“ dieses Jahr (2008) am 6.Juli in der „Azumino Concert

Hall“ in der Stadt Azumino (Präfektur Nagano)


★Bei der vorliegenden Übersetzung,

die David Schicketanz in enger Absprache mit Yoko Nakamura vornahm,

wurden für die deutschsprachigen Leser zusätzliche Erklärungen und

Hintergrundinformationen hinzugefügt,

um den Inhalt besser verstehen zu können.


                   (写真は、シャガの花)
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■山形新聞に掲載された私のエッセー「感じてほしい芭蕉の世界」の独訳・前編です■

2009-04-09 23:59:42 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■山形新聞に掲載された私のエッセー「感じてほしい芭蕉の世界」の独訳・前編です■

          09.4.9    中村洋子  Yoko Nakamura


★昨年9月、山形新聞の文化欄に掲載されました、

私のエッセーの、独訳(前編)です。

私が「奥の細道」に、どのように触発されてギター二重奏

「もがみ川」を作曲しましたか、などを綴りました。

このエッセーを、ライプチッヒ出身のドイツ人ビオラ奏者、

ダーフィット・シッケタンツさんが、翻訳してくださいました。

このエッセー「感じてほしい芭蕉の世界」は、

本ブログ「08.9.20」に、掲載されています。


★Ein Stück über den Mogami-Fluss in Nord-Japan,

als Thema dient ein Schifferslied

Yoko Nakamura: Was ich mir wünsche ist, dass die Zuhörer,

wenn sie mein Werk hören,

in die bezaubernde Welt von Matsuo Basho eintauchen.


★Im Jahre 1689 beginnt die Reise des Poeten Matsuo Basho (1644-1694)

nach Norden.

Er bereist die Straße in den Norden der japanischen Hauptinsel Honshu

und verarbeitet seine Reiseeindrücke, indem er viele Haikus schreibt,

die in dem Werk „Oku no hosomichi“ zusammengefasst sind.

Der Titel bedeutet in etwa „Schmale Straße ins Hinterland“.


★Zu der Zeit war der Vater der westlichen Musik,

Johann Sebastian Bach, vier Jahre alt.

Diese beiden großen Künstler wirkten also fast zur selben Zeit.

Am 3. Juli 1689 kommt Basho mit einem Schiff,

das auf dem Mogami-Fluss (dem Mogamigawa) flussabwärts fährt,

in der Hafenstadt Sakata an.

Ich muss bekennen, dass ich, eine gebürtige Tokioterin,

leider noch nie am Mogami-Fluss war.

Aber Bashos Mogamigawa-Haikus haben mich auf Grund ihrer inneren Kraft,

Tiefe und Energie so inspiriert,

dass ich sie in meinem Stück quasi vertont habe.


★Basho vermittelt mir beim Lesen der Haikus

so eindrucksvoll die Stimmung,

das ich mich tatsächlich an dem Fluss wähne.

Und ich wünsche mir natürlich,

dass man in meinem Stück sehr viel Basho hören kann.


★Von dieser langen Reise Bashos durch „Tohoku“ (den „Nordosten“,

damit ist der ganze nördliche Teil der Insel Honshu gemeint)

wählte ich Stationen seiner Reise aus und stellte ein Konzertprogramm

zusammen für ein Konzert in Tokios berühmtem Tempel Denzuin,

dem ich den Titel gab „Auf der schmalen Straße nach Nordosten“.

Das Stück über den Mogami-Fluss war in diesem Zyklus also nur ein Teil.


★An dem Konzert wirkten folgende Instrumente mit:

・zehnsaitige Gitarre

・normale sechssaitige Gitarre (die Gitarre, die beim Konzert verwendet    
 wurde, war zwar auch mehrsaitig, man kann diese Gitarrenstimme aber

 auch auf einer normalen Gitarre spielen)

・Gakubiwa (die Biwa ist ein Zupfinstrument,
 
 das ursprünglich aus China kam, gaku bedeutet hier:
 
 für die Hofmusik zu verwenden)

und

・Ryuteki (eine hölzerne Querflöte,
 
 die ebenfalls für die Hofmusik verwendet wird)


★Der Tempel Denzuin stand übrigens in enger Beziehung

mit der Familie Tokugawa (also mit der Familie,

aus der Jahrhunderte lang die Shogune kamen,

es befindet sich dort auch das Grab von der Mutter

des ersten Shoguns, Ieyasu Tokugawa).


★Mein Stück „Mogamigawa“ ist für zwei Gitarren und hat sechs

Variationen über ein Schifferslied.

Die Variationen führen den Zuhörer von der Quelle

bis zur Mündung des Flusses.

Dieses Schifferslied ist ein bekanntes Volkslied

aus der Präfektur Yamagata.

Das „Mogamigawa Funa-Uta“, wie das Lied heißt

(funa-uta bedeutet Schifferslied) ist entstanden

aus zwei älteren Liedern, die vor dem Zweiten Weltkrieg

zu einem Lied zusammengefasst wurden.


★Das erste dieser beiden Lieder heißt „Matsumae Kuzushi“.

Kuzushi bedeutet so viel wie „kleine Veränderung des Originalliedes“,

also auch dieses Lied ist schon aus einem älteren hervorgegangen.

Matsumae steht für die Stadt Matsumae in der Präfektur Aomori.

Das zweite Lied, das als Quelle für das „Mogamigawa Funa-Uta“ diente,

heißt „Sakata Oiwake“.

Oiwake sind Pferdetreiber.

Dies ist also das Lied der Pferdetreiber aus der Stadt Sakata,

die an der Mündung des Mogamigawas liegt.

Dort kam nämlich viel Holz an, das auf dem Fluss transportiert wurde.

Dieses Holz wurde mit Hilfe von Pferden weitertransportiert bzw.

auf Schiffe verladen.


★Diese Lieder wurden viel gesungen, natürlich sehr gern zu den

„Hau-Ruck“-Rufen der Schiffer,

und so ist das heutige Volkslied „Mogamigawa Funa-Uta“

wohl wie von selbst entstanden,

in dem es die älteren Lieder integrierte.

Johannes Brahms arrangierte während seines gesamten

Lebens Volkslieder und ließ sich von ihnen inspirieren

für seine eigenen Werke.

Ich tue dies ebenso in diesem Werk.

Wie schon erwähnt,

sind die Haikus von Basho wegen ihrer Tiefe

für mich eine große Inspirationsquelle, ein Universum.

Außerdem benutze ich das erwähnte Volkslied und

lasse mich so inspirieren.

                       (der erste Teil)


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■第9回 インヴェンション講座のご案内、“曲集の頂点をなす第9 番『ヘ短調』”を分析■

2009-04-05 17:52:36 | ■私のアナリーゼ講座■
■第9回インヴェンション講座のご案内、“曲集の頂点をなす第9 番『ヘ短調』”を分析■

                09.4.5    中村洋子


★バッハ・インヴェンション講座も、

3分の 2の道のりに、さしかかりました。

西洋クラシック音楽では、曲の 3分の 2 のところに、

クライマックスを置くことが、よくあります。

ソナタ形式ですと、ちょうど、展開部が終わり、

再現部に、入るところです。

このインヴェンション、シンフォニアとも、

バッハは、曲集としての大きなクライマックスを、

この 9番に置いている、と私は考えます。


★バッハの書いた受難曲では、ちょうど、

キリスト受難の場面に重なります。

この観点から、8番と 9番との関係、

また、10番からどのように新しい世界が開けるか、

についても、お話いたします。


★インヴェンションの 9番は、

嘆き(エスプレッシーヴォ)の歌。

シンフォニアの 9番は、印象的な半音階のバスに、

歩行の音形がかぶさり、沈痛に曲が始まります。


★しかし、深い内容ですので、

“子どもに与えるには早すぎる” というのは、

大きな、間違いです。


★宗教的な意識の有無を問わず、バッハの音楽は、

人類共通の、普遍の感情を表現していますので、

誰が弾いても、美しく深く、

音楽の真の喜びを、味わうことができます。

人類にとって、かけがえのない宝物なのです。


★レッスンを始めてから、間もないお子様にも、

無理なく弾けるよう、どのように指導したらいいか、

バッハのカンタービレ奏法とは、何か、

ソルフェージュに、どのように応用できるか、などを、

分かりやすく、ご説明いたします。


★バッハ(1685~1750)は、

「インヴェンションとシンフォニア」の序文(1723)で、

次のように、この曲集の意図を説明しています。

(以下は、私が意訳して、分かりやすく書きました)


★クラヴィーアのLiebhabern=amateur(愛好家)特に、

 それを真剣に、学びたいと思っている方にとって、

 この曲集は「Auffrichtige Anleitung

 =Honest method (誠実に筋道を教える手引)」です。

 まず、

・二声部を、はっきりと演奏することを学びます。

・そのうえ、さらに上達することを目指して、

・記譜されている三声部を、すべて正確に、かつ、

 上手に、演奏できるようにします。

・同時に、優れた着想(インヴェンション)を、

 得ることが、できるようにします。

・さらに、それを巧みに展開し、特に、
 
 カンタービレ奏法を、身につける

・将来、作曲をする際に味わうであろう、
 
 (その苦楽を)事前に、十分に積極的に体験する。


★このように、出版の目的を書いています。

今回の私のシリーズでは、

二声のインヴェンションを、全部終わってから、

三声のシンフォニアに、入るのではなく、

二声と三声の同じ調の曲を、同時に、

学んでいく、という方法をとります。


★曲の構成を詳しく理解することによって、

バッハを弾くことが、さらに喜びに満ちたものとなり、

自信をもって弾くことが、可能になります。


★日時: 2009 年4 月24 日(金)午前10 時~12 時30 分

★会場:カワイ表参道2F コンサートサロン「パウゼ」

★会費:3000 円 (要予約)

★参加ご予約・お問い合わせは

 カワイミュージックスクール表参道

 Tel.03-3409-1958 omotesando@kawai.co.jp



■第10 回は、5月 21日(木)インヴェンション第10 番、

  シンフォニアの第10 番のト長調です。

■第11 回は、6月 23日(火)インヴェンション第11 番、

  シンフォニアの第11 番のト短調です。

■特別アナリーゼ講座 6月 7日(日)「前奏曲とは何か(仮題)」


(写真は、海棠の蕾です)
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■ 行く春を近江の人とおしみける & グリーグの舞曲 ■

2009-04-01 23:32:18 | ■私のアナリーゼ講座■
■ 行く春を近江の人とおしみける & グリーグの舞曲 ■
              09.4.1  中村洋子


★私の好きな句に、

「行く春を近江の人とおしみける」(芭蕉)が、あります。

「奥の細みち」の長旅を、大垣で、終えた芭蕉が、

すぐには、江戸に戻らず、琵琶湖の南の

「湖南地方」で、芭蕉に心酔していた弟子たちと、

春を、惜しんだ句です。


★きょうは、夜に入ってから、雷が東京で鳴り響きました。

春雷の冷たい雨を前にして、夜桜の見物を、

諦めた方も、たくさん、いらっしゃったことでしょう。


★2日前に聴きました、ノックレベルグ先生の、

「北欧音楽の講座」についての、私の感想の追加です。


★先生は、「グリーグ」の舞曲の演奏法のなかで、

「Sprung Tanz(ジャンプするようなダンス)という3拍子の、

2拍目は、Schlag und lange で奏するように」と、おっしゃいました。

「Schlag」は、英語の「 blow」 と同じで、

「打撃、一撃、(打撃などの)物音」、という意味です。


★その意味は、「強い一撃を与え、その音をそのまま、伸ばす」

というのが、適切であると思います。

残念なことに、通訳の日本人ピアニストの方は、それを、

「2拍目に重みがあります」と、訳されていました。

もし、この日本語訳だけでメモを取っていた場合、

2拍目を、ただ重くするだけの演奏ということになり、

ジャンプするような「Sprung dance」 の音楽を、

うまく、表現することができないのでは、

と危惧いたします。


★また、先生が「ジェズアルド(イタリアの作曲家、1566~1613)の

マドリガルにも、このような増音程があります」とおっしゃった際、

通訳の方は、「ジェズアルド」を、ご存じなかったようで、

「マドリガルという“楽器”にある・・・」と、

妙な訳をされていました。


★通訳をする際、分からないところがあれば、

再度、先生に疑問点を尋ね、正確な訳を心がけることが、

必要である、と思います。

そうすることが、先生にも講座の聴衆に対しても、

礼儀であるでしょう。


★「Schlag und lange」 は、

ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」の

第1番プレリュードにも、応用できます。

この曲も「組曲」ですから、広い意味で、

舞曲のように、扱うことも可能です。


★第1小節の4拍子の、1拍目と2拍目のアクセントを、

「Schlag und langeに」弾きますと、

3拍目のスフォルツァンドが、

活き活きと、効果的に、

無理なく演奏できます。

是非、お試しください。


(写真は、クロモジの花と新芽)
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