音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Debussy「シランクス」は「小さな羊飼い」と、構造が瓜二つ■

2023-10-09 21:21:24 | ■私のアナリーゼ講座■

■Debussy「シランクス」は「小さな羊飼い」と、構造が瓜二つ■
~「シランクス」は、「牧神の午後・・」「小さな羊飼い」が源、その2~


      2023.10.9 中村洋子
      

 




★前回ブログの副題にしました

高校生の質問、「本ってどこで買えるのですか?」について、

知人からいくつかの反響をいただきました。

ご紹介します。

 

★ある方は、この様におっしゃっています。

本屋の存在を知らないということに、びっくり。

本当に、本屋さんが減っているんですね。

代わりに、ネットで買えてしまったり、電子書籍などデジタルが

当たり前の世の中になってしまいました。

良さもあるとは思いますが、何だか味気ないですね。

そして、仰るようにクラシック音楽を知らない、という

子供が増えていそうで、とても残念です。

聴けば感動する子供が、現代にも絶対いるはず。

希望を持ちたいです。


★もう一人の方のご感想。

高校生の「本ってどこで買えるのですか」という質問のお話、

知らないうちに、そんな事態になっているのですね。

そういえば、高校の国語には古典・漢文の不要論があり、

時間数も大幅に減らされているという話を、最近知りました。

高校生がクラシック音楽を知らないという時代も

本当に来てしまうかもしれません。

そうならないよう、願うばかりです…。


★私(中村洋子)は、前回ブログを更新した後、

たまらない気持ちになり、思わず本屋さんに直行して、

本(紙)の匂いを、嗅いできました。

そして衝動買いしました。

買おうとは思ってもみない、分野の本達でした。

この意外性が、本屋さんに行く楽しみでもあります。

自分の興味に限定された、狭い分野ではなく、

視野を幅広く広げる一助になっています。

この楽しさ、本屋さんでのワクワク感、

私たちの次の世代にも残したいですね。

本は本屋さんで買い、

楽譜は「楽譜屋」さんで買いたいと思います。

 

 

                紫蘇の白い花から蜜を吸うシジミチョウ


★さて、前回ブログの続きです。

今回は、Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)

「子供の領分~第5曲小さな羊飼い Children's Corner ~
                                        Ⅴ.The little Shepherd」

「Syrinx シランクス」の二曲を、比較してみます。


「小さな羊飼い」は、ドビュッシーが長い時間をかけ、

練りに練って作曲した、ゆるぎなき構造をもつ

 「Suite 組曲」(六曲構成)の、第五曲です。

それに対し「シランクス」は劇に合わせ、舞台の脇で

演奏された音楽です。


★ドビュッシーは、1913年11月17日、劇を書いた

ガブリエル・ムーレへの手紙で、こう書いています。

 Mon cher Mourey,
 Jusqu'à ce jour je n'ai pas encore trouvé ce qu'il faut...
pour la raison,  qu'une  flûte chantant sur l'horizon doit 
contenir tout de suite son émotion- ! 
Je veux dire qu'on a pas le temps de s'y reprendre 
à plusieurs fois, et que:tout artifice devient grossier,
la ligne du dessin mélodique ne pouvant compter sur 
aucune intervention de couleur,secourable.

(中略)

親愛なるムーレ様
今日になっても、まだどうすべきを見つけていません。
舞台脇で演奏するフルートは、即座に感情を込めなくては
いけない。何度もやり直す時間はないのです。
どんな凝ったことをしても雑になるのです、
メロディーを描く線は、どんな色彩を介在させても、
それに頼ることはできない。色彩は助けてくれない。

(中略)

Après de nombreux essais, je crois qu'il faut s'en tenir 
à la seule de Pan, sans autre accompagnement. 
C'est plus difficile, mais plus logique dans la nature.
   Affectueusement.
Claud Debussy

いろいろ試した結果、伴奏をつけずにパンのフルートだけに
するべきだと思うようになりました。
それはより難しいが、自然でより理にかなっています。
(注:Debussyは、logiqueの語を横線で消しています)。 
   敬具
ドビュッシー

(参考: 英訳
So far I have not found what I need...because a flute 
singing on the horizon must at once contain its emotion!)


「舞台脇で演奏するフルート」と、ドビュッシーは書いています。

舞台の中央で、コンサートの主役として演奏するフルートではなく、

「シランクス」は、劇と一体となって効果を上げる「付随音楽」です。

手紙によりますと、フルートに伴奏をつけることも試みたが、

独奏の方が、自然で理にかなっている、としています。

当然この二曲を作曲した時、ドビュッシーの心構えは、

大いに異なっていたと思われます。

 

 

                          初咲きの西王母


二曲を比較してみますと、構造や曲の「要素 motif」は、

酷似しており、「シランクス」は、「小さな羊飼い」から派生した曲

と言ってもいいでしょう。


★「シランクス」は、最円熟期にあった大作曲家が、

持てる技法をすべて駆使し、手早く書かれた印象です。

大作曲家の円熟を極めた技法が昇華し、

それが「Syrinx 」として結実した、あるいは、

「天才のひとふで(一筆)」ともいうべき卓越した一瞬の技が、

この「Syrinx」をもたらした、とも言えるかもしれません。

長い年月をかけ、練りに練り上げた「小さな羊飼い」が、

完全に刻み込まれていたからこそ、可能だったことでしょう。

「Syrinx」が、独奏フルートの名作中の名作として揺るぎない

地位を占めている理由が、そこにあると、私は感じています。


★幾つか、この二曲の「類似点」を挙げてみましょう。

「小さな羊飼い」全31小節「シランクス」全35小節

tempo(曲の速さ)も、二曲ともにTrès modéré 

(トレ・モデレ Molto moderato ごく中庸な速さで)と、曲頭に

指定されていますので、ほとんど同じ規模の作品といえます。


「小さな羊飼い」のドビュッシーの自筆譜は現存しています。

「シランクス」の自筆譜は、行方不明ですが、

ドビュッシーの自筆譜の「写譜」は、現存しており、

写譜と自筆譜は、大きな違いはないと思います。


★Bach の場合も、自筆譜は行方不明、筆写譜のみが

現存している曲は、膨大な数に上ります。

そこで、これはバッハの意図なのか、筆写した人の間違いか、

あるいは、改竄なのかは、大変難しい問題となります。

今回は、「シランクス」の筆写譜を、細かい相違はあるにしても、

ほぼドビュッシーの「自筆譜」に等しいとして、お話します。

 

 

                         青柚子 

 

★「小さな羊飼い」は全31小節、「シランクス」は全35小節。

二曲とも、自筆譜(筆写譜)は見開き2ページに記譜。

「小さな羊飼い」は、1ページに大譜表6段が書き込める五線紙

「シランクス」は1ページ7段が書き込める五線紙で書かれています。

「シランクス」はフルート独奏ですので、大譜表にする必要性は

ないのですが、何故か、あたかも大譜表のように、各段の小節線は、

五線紙2段分を使っています。

 

★上記のドビュッシーの手紙にあるように、

ドビュッシーはフルートに、伴奏を添えることを試みたのでしょう。

ドビュッシーは劇の進行と雰囲気によっては、伴奏を書いても良いと

思ったのでしょう。

その為に、フルートの下に伴奏が書き込めるように余白があるのですが、

最終的には、フルート独奏の作品になりました。

 



 



「小さな羊飼い」の左ページは、大譜表6段分をすべてを使い、

右ページは2段だけで、残り4段分は余白となっています。

「シランクス」は左ページは7段分すべてを使い、

右ページは4段だけで、残り3段分は余白となっています。

 

★二曲の自筆譜(筆写譜)を一瞥しますと、

本当によく似ています

そしてその構造も、双子のように似ているのです。

一例をあげますと、「小さな羊飼い」は大まかに

三分割できます。

1~11小節は、第一部(1~4小節は重要な前奏、

5~11小節は第一部本体)

12~26小節は中間部、27~31小節はコーダを兼ねた、

第一部の回想で、三部形式と見ることもできるでしょう。

 


「シランクス」も、大まかに三分割できます。

1~8小節は第一部、9~25小節は中間部、

26~35小節はコーダを兼ねた、第一部の回想。

構造が似ているばかりではなく、

第二部の始まる「小さな羊飼い」の12小節と、

「シランクス」の9小節は、各々左ページの3段目右端

位置していることも、視覚的に「そっくりさん」を裏付けます。

 

 

★この二曲の第二部の始まり方も、そっくりです。

「小さな羊飼い」は、12小節目から始まる第二部開始の直前、

11小節後半に、ピアノの右手も左手も、二部休符によって

休止してしまう部分があります。

10小節から始まり、11小節前半まで続く長く静かな和音、

森の中で遠くから聞こえるホルンの音のような、

深々とした和音の響きが終わったのち、

その余韻を聴き取るような「総休止」です。

 

 



 


★一方「シランクス」の方も筆写譜では、第二部の始まる

9小節の前は、8小節目が終わったのち、1小節分の空白

があり、そこにフェルマータが書き込まれています。

しかしその部分に休符はありません。

 

 

 

 

★現在出版されています実用譜の当該箇所は、8小節が終わった

ところに、複縦線が書かれ、Durand(デュラン)版はピリオド、

Wiener Urtext Edition(Schott/Universal Edition)

ウイーン原典版はカッコつきのピリオド、

Bärenreiter(べーレンライター)版では、複縦線の上にフェルマータ

つけられています。

 

 

★これはどういうことかと言いますと、「シランクス」は

演劇の付随音楽で、8小節の後に、登場人物ロレアード

L'Oreadeの《Tais-toi ,contiens ta joie, ecoute.
  黙って、喜びをかみしめ、耳を傾けるんだ。》という台詞が

入るからです。


★8小節のフルート演奏が終わった後、台詞が入り、

9小節の第二部が始まるのです。

台詞の長さは、音楽の休符では表せません。

ここでも「シランクス」は実は独立した音楽として作曲された

のではなく、劇と一体化した付随音楽だったということが

よく分かります。

「小さな羊飼い」「シランクス」を「鳥の目」で俯瞰しますと、

この様な発見ができます。

 

★次回ブログでは、この二曲のモティーフの共通点などを、

「虫の目」で見て、更にドビュッシーの驚くべき天才に

迫ります。

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする