■モーツァルトの「不完全小節」は、バッハへのオマージュ■
~葛飾北斎は一生涯努力の人、カザルスやシューマンと同じ~
2024.2.19 中村洋子
★浮世絵師「葛飾北斎」の伝記を、読んでいます。
葛飾北斎は、1760年に生まれ、1849年に逝去。
数え年で90歳、当時としては大変な長寿でした。
「葛飾北斎伝」(岩波文庫)
https://www.iwanami.co.jp/book/b246621.html
の著者、飯島虚心(1840-1910)の生まれた1840年は、
清(中国)で、阿片戦争が勃発した年です。
三年前の1837年には、大塩平八郎の乱、
1839年には渡邉崋山、高野長英らが処罰された蛮社の獄、
1841年は、水野忠邦が「天保の改革」を始めました。
1853年嘉永6年には、アメリカのペリーが浦賀に来航、
幕末の激動期に入ります。
★伝記の冒頭には、以下のように書かれています。
《画工北斎は畸人なり。年九十にして居を移すこと九十三所。
酒を飲まず、煙茶を喫せず。
其の技大いに售るる(売れる)も赤貧洗うが如く、
殆ど活を為す能わず。
…略…
北斎歿するに臨み、十年若しくは五年を加えて、
以て画家の数に入らんと欲す。
其の終身刻苦して自ら足れりとせず、
此れ其の名匠為る所以なり》。
★北斎は臨終に当たり「あと十年、いや五年でも、描き続ける
ことができれば、自分も本物の画家になれるのに。
一生努力したが、まだまだ足りない。」と、述懐しています。
★私は折々、シューマンやカザルスの例を挙げていますが、
天才であればあるだけ、彼らにとって、勉強は限りなく、
その為の一生は、あまりに短い、ということですね。
Boettcher ベッチャー先生の口癖の
「üben und üben/practice and practice/練習 練習」も、
同じです。
★Mozart 「ピアノソナタ・KV333」の1楽章にある二カ所の
「不完全小節」は、Bach へのオマージュです。
前回のブログで、Mozart の「ピアノソナタ・KV333」の1楽章、
自筆譜1ページ6段目の右端40小節は、何故か「不完全小節」
であることを、お伝えしました。
自筆譜は1ページ12段で記譜されていますので、
6段目右端は丁度、この第1楽章1ページの真ん中です。
★この極めて重要な位置にある小節のみが「不完全小節
incomplete bar」であるのは、決して偶然ではありません。
それでは、第1楽章では、ここだけが「不完全小節」なのでしょうか。
驚くことに、2ページ目の11段目右端162小節もまた、「不完全小節」
になっています。
2ページ目も、12段で記譜されていますから、結果的に、
11段目右端と、12段目冒頭左端が「不完全小節」になります。
★1楽章は2ページで記譜されていますので、1ページ目と2ページ目に、
一カ所ずつ「不完全小節」が存在する、ということになります。
2ページ最終段12段目は、1段全部に記譜はされていません。
最終小節の165小節は、12段目の真ん中にあり、
それ以降は、「空白」です。
11段目右端をわざわざ「不完全小節」にせず、162小節を
12段目から始めれば、ゆったり問題なく記譜できます。
モーツァルトは「意図的に」、162小節を「不完全小節」にした、
といえましょう。
★先ず分かることは、1ページ目40小節の「不完全小節」の
「motif」は、「f²- g²- a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」ですが、
2ページ12段目冒頭、162小節後半の上声(右手)十六分音符
3番目から後の音は、「b²-a²-g²-f² シ♭-ラ-ソ-ファ」ですので、
両者は、「逆行形」の関係になるということです。
(逆行形につきましては、拙著《11人の大作曲家「自筆譜」で
解明する音楽史》15ページをお読みください)。
★これにより、自筆譜第1楽章の二カ所の不完全小節は、
互いに「対応、呼応」し合っていることが、明白となります。
しかし、それだけではありません。
不完全小節の「162小節」の前の161小節から、12段目冒頭
「162小節」の後半の下声部分(左手)を、見てみましょう。
★「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」の「motif」を、
「b¹-a¹-as¹-g¹-ges¹-f¹ シ♭-ラ-ラ♭-ソ-ソ♭-ファ」と、
「半音階」で埋めています。
この「半音階」も骨格としては、「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」
ですから、161~162小節は、「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」と
「b²-a²-g²-f² シ♭-ラ-ソ-ファ」の「カノン」ということになります。
12段目左端(162小節後半)は、161小節から始まる
「b¹-a¹-g¹-f¹ シ♭-ラ-ソ-ファ」の「縮小カノン」になります。
★「縮小形」についても、上記拙著のchapter 1をお読み下さい。
シューマンが、いかにバッハや、モーツァルトを揺り籠にして育ち、
そして自分の子供達や若い音楽家に、「対位法は難しくないよ、
楽しいですよ」と教えようとしたかが、伝わります。
★拙著《クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!》
256~258ぺージ「chapter 8 シューマンの音楽評論、音楽の本質
を珠玉の言葉で表現」
~平均律クラヴィーア曲集を毎日のパンとしなさい~
も併せてお読みください。
★Mozart ピアノソナタ「KV・333」の「自筆譜」ファクシミリは、
ドイツの「Laaber」社から、出版されています。
この曲は3枚の綴じていない五線紙の裏表に書かれ、
計6ページとなっています。
★この「KV・331」の書き方は少々、変則的です。
1枚の紙の左に1ページ目、右に2ページ目を書きますと、
譜めくりが楽になり、通常はこのスタイルですが、
Mozart は、3枚の紙の裏表に記譜し、綴じていません。
つまり、一枚目の紙の表は1ページ、裏に2ページ、
という具合に書いています。
★面白いことに、この「不完全小節」である40小節前半の
真裏は、2ページ6段目冒頭左端119小節になります。
もし、40小節前半に、針を刺すとしますと、
その針は真裏の「119小節」に刺さります。
★それでは、その「119小節」はどうなっているでしょうか?
この部分は、ソナタ形式である第一楽章の、
「再現部第2テーマ」です。
★119小節上声(右手)は、「f¹」を刺繍音「g¹」で装飾した後、
「f¹-es¹-d¹-c¹-b ファ-ミ♭-レ-ド-シ♭」と、なります。
1ぺージ40小節の「f²-g²-a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」を、
1オクターブ下げた「f¹- g²- a²-b² ファ-ソ-ラ-シ♭」に、
つなげてみますと、驚いたことに、《B-Dur 変ロ長調》の
「音階」が、できてしまいます。
★不完全小節「40小節前半」は、1ぺージ6段目の右端ですから、
素直に、2ページ6段目の右端を見てみますと、
この下声(左手)にも、ちゃんと「f-es-d-c-B ファ-ミ♭-レ-ド-シ♭」
が、あります。
Mozart 先生、「何といたずら好きな」とも思いますが、
この手法、Bach先生は、ごく当たり前に使っています。
特に「ゴルトベルク変奏曲」で、如実に見ることができます。
★それではMozart が敬愛したであろうBach の
「平均律クラヴィーア曲集2巻21番」の「自筆譜」は、
どうなっているでしょうか。
「2巻21番」のプレリュード87小節の「自筆譜」は、3ページに
わたって記譜されています。
★1ページは「大譜表」7段です。
1ページ目は、4、5、6、7段の右端が不完全小節です。
2ページ目は、1、4、5の右端が不完全小節。
3ページは、2、3、5の右端が不完全小節です。
殆ど、全曲の半分の段の末尾右端が、「不完全小節」です。
これらは全部、《深い意味》を持っています。
★具体例として「1ぺージの4、5、6段」を挙げますと、
4段目右端17小節は、たった1拍だけの不完全小節です。
5段目右端21小節、これも2拍だけの不完全小節。
6段目右端25小節、これも2拍だけの不完全小節。
4段目17小節の下声「f¹-es¹ ファミ♭」が、
5段目21小節の上声「f²-e²-d²-c²-b¹ ファミレドシ♭」、
6段目右端25小節内声の
「f²-e²-d²-c²-b¹ ファミレドシ♭」と、対応していることは
一目瞭然です。
演奏者や学習者にとって、「これをどう解釈して演奏するか」は、
その次の、ステップになります。
まずはBach 先生の親切な「楽曲分析」を理解する必要があります。
そして、その最大の理解者、継承者の一人が、
Mozart だったということになります。
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