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 僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

広島優勝! で思い出す数々の出来事

2016年09月12日 | スポーツの話題

おととい、広島カープが25年ぶりのリーグ優勝を遂げた。
「25年」というと、ナンだかSMAPを連想してしまう。
ある情報サイトでは、この9日がSMAPの25周年だという。
  http://www.oricon.co.jp/special/49331/

25年ぶりの優勝で歓喜に酔う広島カープと、
25年間の活動が終ろうとしているSMAP。

同じ「25年」でも、ファンにとっては、
喜びと悲しみの明暗が別れましたね~

…ということは、広島が最後に優勝した年からSMAPが登場し、
そのSMAPが活躍している間は、広島は一度も優勝していない。
そして、25年の後、SMAPが解散する年に、広島は優勝した。

なんだかなぁ。
広島には「SMAPの呪い」…
みたいなものが、あったのか(???)


さて、僕は特にカープファンということではないが、
広島カープに関しては、いろんな因縁や思い出がある。

まず広島カープは1949(昭和24)年に創設され、
翌年から公式戦の試合に参加した。…つまり、
昭和24年といえば、僕が生まれた年なので、
広島球団と僕は、同い年ということになる。

その広島が初優勝したのは、1975(昭和50)年だった。
僕は、子供の頃から熱烈な巨人ファンだったので、
たぶんこの時は無念の思いをしたのだろうなぁ。
(全然覚えていませんけど)

この前の年、つまり1974(昭和49)年に、
僕は25歳で、すでに2歳の長男と1歳の次男がおり、
それまで住んでいた家も、手狭になって引っ越した。
その引越し先が、今も住んでいるここ藤井寺市だった。

この藤井寺市には、大阪近鉄バファローズの
本拠地である藤井寺球場が、駅の前にあった。
もちろん住民はほとんど近鉄のファンだった。
うちの子供たちも、幼児の頃から近鉄のファンになり、
休みの日はよく藤井寺球場のスタンドで応援したものだ。

その近鉄が…
それまで一度のリーグ優勝もなかった近鉄が…

1979(昭和54)年、ついに初優勝を果たしたのだ。

そして迎えた日本シリーズの相手は、広島カープだった。

3勝3敗で迎えた第7戦、1点をリードされた近鉄は、
9回裏ノーアウト満塁の絶好のチャンスをつかんだ。
逆転サヨナラで初の日本一、と誰もが思ったが…
あの有名な「江夏の21球」で近鉄は沈んだ。
僕も、5歳の長男も4歳の次男も、
テレビの前でガックリしてしまった。
今でも
「あの時、佐々木の打球がファールにならなければ…」
…などと、未練がましいことを思ったりしている。

さらに翌年、また近鉄はリーグ優勝した。

話は自分のことになるが、僕は29歳の時、
職場の休暇をもらって、自転車で四国を走った。
20歳の頃の自転車旅行は大阪~北海道往復だった。
東日本は走ったが、西日本はまだ走っていなかった。

どうしても日本1周を成し遂げたかったので、休暇を取り、
29歳の時に四国、30歳の時に九州、31歳の時に中国地方、
…と、3回に分けて自転車旅行をし、どうにかこうにか、
ツギハギだらけの自転車日本一周を達成することができた。

その日本一周を達成した年の、秋のこと。
僕は、職場の野球の試合で、打球を追い、
ぬかるみに足を滑らせて左足を骨折した。
激痛が走り、かなり酷い症状だったので、
そのまま同僚に、病院へ運んでもらった。

治療を受けたその病院のロビーのテレビで、ちょうど
近鉄が2年連続のリーグ優勝を決めた瞬間が映っていた。
今ネットで調べたら、10月18日(土)のことだった。
(土曜日だから、昼から野球をしていたんだなぁ)

この骨折は、僕にとっては限りなくショックだった。
体力に自信のあった僕は、野球で転んで骨折など、
とてもじゃないが、全く情けない出来事だった。

しばらくの間、仕事を休まざるを得ず、
家でウジウジしながら「今後」を考えた。

そうだ、ランニングをしよう。
ランニングをして、もっと強い身体になろう。
当時、フルマラソンが流行し始めた時だった。
自分も走り込んでフルマラソンに出場しよう…
…そんなことを思いながら、家で過ごしていた。

そんなときに、プロ野球日本シリーズが始まった。
我が近鉄バファローズの相手は、またもや広島だった。

仕事を休ませてもらっていたおかげで、
平日の昼に行なわれる試合も、テレビが見られた。

今度こそ近鉄に日本一になってもらわなければ!
と、足の痛みも忘れるほどに、一生懸命応援した。

…が、その願いも虚しく、この時もまた、
3勝3敗で最終戦まで行ったのに広島に敗れたのだ。

当時の広島は、山本浩二や衣笠や強力外人選手などがおり、
「赤ヘル軍団」と呼ばれ、一世を風靡した黄金時代だった。

広島は、これまで全6回のリーグ優勝を遂げているが、
最後の優勝が山本浩二監督の下の1991(平成3)年で、
それから25年間、優勝から遠ざかっていた…というわけだ。

1991年といえば、僕も元気モリモリ(42歳)だった頃で、
北海道サロマ湖100キロマラソンを完走したのもその年だ。

で、大阪に住んでいるのに阪神じゃなく巨人ファンだが、
これだけは、小学生から刷り込まれた愛着なのでねぇ…

でもまあ大阪から近いということもあり、広島県は好きだ。
何しろ関ヶ原の戦いでは徳川方に対抗した西軍だったし。
(なんの話やねん。「真田丸」か?)

それにしても、昨日のテレビニュースなどで、
久々の優勝に沸くファンの底抜けに明るい喜びようを見ると、
あぁ、これでよかったんだなぁ…と思ったりしますよね~


ちなみに、わが家の次の冬休みの旅行先は、2泊3日で広島です。
モミィに原爆資料館等を見せて、少し勉強させようと思ってます。

この度は巨人の目の前での胴上げでしたが、
ここはそういうことを度外視して、心から、
「広島カープ、優勝おめでとうございます」
と、お祝いの言葉を贈りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

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