日本時間の昨日の未明、2016年の夏季五輪開催都市が、ブラジルのリオデジャネイロに決定した。「南米初」という歴史的な瞬間であった。
先月22日から29日までの8日間、初めて南米へ旅行した僕にとって、この決定にはとても感慨深いものがあった。訪れた先はアルゼンチンであったが、世界三大瀑布のひとつと言われるブラジルとの国境にあるイグアスの滝へ行ったとき、滝の向こう側に、ブラジル側から滝を見学している観光客の姿がはっきり見てとれた。まぁ、言ってみれば、ブラジルをチラリと見たわけ。
そ~か、あの国で7年先にオリンピックが開かれるのか…と、今となれば、つい先日見た風景も、その印象が一段と強い色彩を帯びてくる。
南米のブラジルやアルゼンチンは、日本から見れば地球の裏側である。
それはそれは、まことに遠い国である。アメリカやヨーロッパへ行く2倍の時間がかかる。
アルゼンチンの名門サッカーチームであるボカ・ジュニアーズに入団した高原選手が、飛行機の長旅で、いわゆる「エコノミークラス症候群」という症状に見舞われたことがあった。長時間同じ姿勢で座り続けることによって膝の裏などの静脈に血栓ができ、その血栓が肺に流れて肺動脈を塞ぐのだそうだ。おかげで高原は2002年日韓主催ワールドカップ大会の日本代表の座を逃してしまった。それほどアルゼンチンというのは遥か彼方の国なのである。
さて、僕たちは大阪伊丹空港からアルゼンチンのブエノスアイレス空港に着くまで、3つの飛行機に乗り継いだ。
伊丹空港から成田空港までは、これはまぁ1時間程度だ。
次は成田から米テキサス州のダラスへ飛ぶ。
ダラスまでの所要時間は12時間である
そのダラス空港で待ち時間が4時間。(といっても、何やかやとしているとすぐにそれぐらいの時間は経ってしまいますが…)
ダラス空港。
映画「ダイ・ハード2」 は、このダラス空港が舞台だった。
ダラスからブエノスアイレスまでは約10時間だった。
成田~ダラスの飛行機内では日本語のできる乗務員がいた。
たぶん中国系の女性だったようだが、その顔は「奥様は魔女」のサマンサの母エンドラとそっくりであった。
機内でのちょっとしたトラブルや込み入ったことは、サマンサの母ちゃんが来てくれて、日本語で説明してくれるので助かった。飲み物にもニッポンの緑茶があった。
しかしダラス~ブエノスアイレスでは、日本語を話す乗務員はいなかった。
飲み物も「グリーンティ・プリーズ」と言うと、同じアメリカン航空なのに答えは「ノー」である。コーヒーか水かジュース類しかない。
急に心細くなってくる。
そうこうしているうちにブエノスアイレスに着いた。
大阪を出発してから30時間近く経っていた。
しかし、僕も妻も妻の姉も、ある程度覚悟していたので、結果としては心配したほど疲れていなかった。
アルゼンチンと日本の時差はちょうど12時間なので都合が良い。
時計の針もそのままで、午前と午後の違いだけだもんね。
ブエノスアイレスに着いたのが現地時間23日の午前8時だ。
日本では23日の午後8時ということになる。これはわかりやすい。
これがダラスだと時差は14時間となり、わずか2時間違うだけだけれど、日本時間と比較するとき、その2時間を、足せばいいのか、引けばいいのか、もう何がなんだかワケがわからなくなる。
空港に迎えに来てくれた現地係員に案内されて外へ出たら…
「ひゃぁ~。寒い!」
僕たち3人は、思わず首をすくめた。
「今朝は2℃だったんですよ。平年より寒いです」
と、現地係員のトーヤマさんというおばさんも、分厚いコートを着ている。まわりのアルゼンチン人も、みんな真冬の格好で歩いている。
日本の9月下旬はまだまだ暑い。
大阪を出るときは半袖姿だった。
それがこちらに着くと、春先とはいえこれほど寒いとは。
ある程度は予想していたが、ここまでとはなぁ。
なるほど、さすが南半球であるな~…と、感心しながらリュックに入れていたウィンドブレーカーを取り出して着る。
「昨日まで、こちらは雨だったんですよ」とトーヤマさん。
今日は、カラリと晴れて、空が絵に描いたようなブルーで美しい。
大阪ではめったに見られない、透き通った青空である。
空港から、さっそく、この街に住んでいる甥のヒロユキに電話をした。
「夕方6時に、そちらのホテルに行きます」
という返事だった。
まだ午前中だったので、僕たちは旅行社が用意してくれた車に乗り込んで、街の観光に連れて行ってもらった。客はむろん僕たち3人だけである。ふつう、添乗員付き団体ツアー以外でブエノスアイレスに来る日本人客というのは、まずいない、ということであった。まぁ、僕たちも、甥が住んでいなければ、アルゼンチンなんていう国に来ることもなかっんだけど。
アルゼンチンって何もない田舎じゃないのか…と思っていたけれど、窓から眺めていると、車の数も多いしビルも多い。そして、今走っている道路の幅がやたらに広い。
それもそのはずだ。
「この道は、世界で一番広い道幅を持つ道路なのです」
と、助手席のトーヤマさんが僕たちに説明してくれた。
たしかに、歩いて横断しようとすれば何度も途中で信号が赤に変わるほどの広い道幅である。へぇ~~っ…と、驚く。
しかし、どの車も運転マナーは悪い。
少しでもスペースがあると、車が猛スピードで突っこんでくる。
車間距離も極端に短い。いつ追突するかわからない。
後部座席に座っていても、うぅっ、危ない! 何度も叫びたくなる。
信号を守る以外は、交通ルールはあってないようなものだ。
おまけに、飲酒運転はごく普通のことらしい。
ああ、こわ。
車がぎっしり。 道路幅は広いが、総体的に運転マナーは悪い。
横をバスが併走している。スクールバスだった。
小学生たちがあちらこちらの窓から首を伸ばして、僕らのほうを向き、手を振っている。僕も手を振り返す。何人かの子どもたちが、こちらに両手を併せて拝む格好をしている。
なんで手を合わせるの…?
ハポン(日本)では、普通は仏様や神様に手を合わせるのだよ…。
まあ、いただきま~す、という時も手を合わせるけどね。
メトロポリタン大聖堂。
5月広場。
タンゴ発祥の地のボカ地区のカミニート。
レコレータ墓地(エビータの墓)
…というような観光コースを巡った。
正面の時計塔があるところがブエノスアイレス市議会。
「市議会」と聞くと、反射的に写真を撮ってしまう僕である。
ボカ地区といえば、あのサッカーの高原が所属していたのがボカ・ジュニアーズという強豪チームの地元である。サッカータジアムが見えたので、窓から写真を撮る。
ここにカミニートという地名の、カラフルな建物が並ぶシャレた裏町風の観光地がある。この地がタンゴの発祥地でもあるという。僕たちはここで車を止めてもらって、周辺を散策した。
パリの下町のように、将来の芸術家を目指す人たちが道端で絵を並べて売る。やはり、タンゴの絵が多い。僕たちを見ると、「コンニチハ」「サヨウナラ」と日本語で声をかけてくる。中には、妻や妻の姉に「キレイデスネ!」とお上手を言う若い男もいた。カフェテリアか売店の客引きである。
そんな人たちが、このあたり一面にたむろしている。
「お金ちょーだい」と手を出す5、6歳ぐらいの少女もいた。
道の真ん中にマラドーナそっくりの男が立っていた。
顔も体型も、驚くほど似ている。
僕らを見て「オーラ(英語のハロー)」
と大声を上げ、一緒に写真を撮らないか、と誘いかける。
もちろん、お金を取るのに決まっている。ボラれるかも知れないしなぁ。
「ノ・グラシアス」と、断る(グラシアスはありがとうの意)。
かつて高原も活躍したボカ・ジュニアーズスタジアム。
ボカ地区のカミニートと呼ばれる港町の観光名所。 町全体がカラフルである。
ブエノスアイレスは 「南米のパリ」 とも呼ばれる。
なんとなく、そんな雰囲気が漂う。
ボカと言えばマラドーナ。 サッカーと言えばマラドーナ。
ここにはマラドーナのそっくりさんがいた。 顔も体型も、まったくよく似ている。
そのあと、レコレータ墓地というところへ行く。
ものすごくきな墓地で、観光名所にもなっている。
一番のお目当ては、元大統領夫人のエビータの墓だ。
観光客はみんなそこへ集まる。
その美貌とドラマチックな人生から今も人気が高いエビータは、33歳の若さで帰らぬ人となったという。
マドンナが主演したミュージカル映画「エビータ」を、こちらに来る前にDVDを借りて見たけれど、退屈して途中で居眠ってしまった。
エビータの墓の前には常に人が集まっている。
エビータの墓。亡くなった今でも、アルゼンチン随一のヒロインである。
ひととおりの観光を終え、昼過ぎにシェラトンホテルにチェックイン。
トーヤマさんとも別れ、元の僕たち3人に戻った。
ホテルの部屋に荷物を置き、さっそく昼食をとるため、外に出て大衆レストランのようなところに入った。ここは100パーセントスペイン語であった。
僕のスペイン語はたどたどしいし、相手のスペイン語も全く聞き取れない。
英語はまるで通じない。
こちらへ来てからわかったのだが、ホテルや空港は別として、ブエノスアイレスの街の中では、ほとんど英語は通じない。
この食堂のお兄さんも、僕がスペイン語のカタコトを話すと、ペラペラペラとしゃべり返すのだが、それが僕にはわからない。次に僕が英語で話すと、今度は相手がポカ~ンとしている。
「アブラ・イングレス?」(英語、話せへんの?)
と聞くと、肩をすくめるばかりである。難儀やがなぁ~。
せっかく一生懸命英語を勉強してきたというのに。
そうこうしているうちに、外から「助っ人」が駆けつけてきた。
少しだけ英語の話せるお兄さんが、どこからか飛んで来たのである。
こうして、無事、なんとかステーキ&フライドポテト2人前と飲み物を注文することが出来た。3人で2人前…?
…そうです。
こういった国の一皿というのは、ボリュームがすごいのです。
それを見越して、注文は3人で2人前にした。
「ツー」と言うと、相手は首をかしげ
「ドス(2)?」とスペイン語で確認をした。
「シー(イエス)、ドス」
3人で2人前を食べるのである、とジェスチャーで相手にわからせる。
そして運ばれてきた皿を見ると、やっぱり…
予想どおり、肉もポテトも、山盛りである。
普通の日本人にとって、一人で一皿は多すぎるのだ。
給仕のお兄さんは事情を飲み込んでくれて、僕にも取り皿とナイフ・フォークを持ってきてくれた。
そこで僕は「セルベッサ・ポルファボール」
…とお兄さんに追加注文した。
これだけは問題なく相手に通じる。
「セルベッサ」とは、スペイン語でビールである。
「ポルファボール」は、英語で言う「プリーズ」。
給仕のお兄さんがさっと小瓶のビールを運んできてくれた。
あぁ、ようやく円滑なコミュニケーションがとれるようになった。
うまい。
一気に飲み干してしまう。
「オトラベス(お代わり)・ポルファボール」とまた叫ぶ。
お兄さんがすぐにもう1本、ビールをテーブルに置いてくれる。
ぐびぐびぐび。
う~~ん。おいしい!
地球の表であろうが裏であろうが、ビールのうまさは変わらない。
長旅の疲れも吹き飛ぶ瞬間である。
この街には 「犬の散歩屋さん」 という職業がある。
いろいろな飼い主から預かった犬たちを散歩に連れて行くのがお仕事である。
こういう光景が、車の中から何度も見られた。