僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

また会う日まで

2009年10月28日 | 旅行

ブエノスアイレス郊外にある甥のヒロユキのレストランには、2回行った。

一度目はお昼に行き、レストランのオーナーや、スタッフの人たちへのご挨拶。

二度目は、最後の夜、ヒロユキ自身が作ったディナーと、
彼女のソルちゃんが腕を振るったデザートを、お客としてご馳走になった。

あまりの量の多さにモンゼツした…ということは、先に書いたとおりである。

さて、一度目にレストランに行ったとき…のことである。

ヒロユキの母と叔母夫婦がはるばるニッポンからやってきたというので、
オーナーから厨房で働く人たちまで、みんな、大歓迎をしてくれた。

義姉は、行く前、レストランの人たちに、
「息子がいつもお世話になり、ありがとうございます」
ぐらいのことは言いたいのだけれど…
「そんな長いスペイン語、よう言わんし…、相手が何を言ってもわからないし」
と、少し悩んでいた。

ヒロユキの母としてきちんと挨拶ぐらいはしないと…と義姉は思ったのだ。

「そんなん、言葉がわからんのは当たり前やし。気にしなくても大丈夫ですよ」
と、僕は、深く考えすぎる義姉に、一言そう告げておいた。

僕たち一行が、ヒロユキに連れられてレストランに入ると、
入り口にすでにオーナーが待っていてくれて、いよいよその場面が来た。

オーナーは義姉と握手をして、一言「オーラ」と言っただけだった。
義姉も、「オーラ…」と蚊の鳴くような声で返し、「挨拶」は終わった。
それで、十分に通じたようである。これ以上の言葉は、必要なかった。

「あ~よかったわ。わたし、オーラしかスペイン語知らないから」
と義姉。  「オーラ」とは、英語の「ハロー」に当たる気軽な挨拶言葉である。

そういえば、旅行前から僕はずっと
「スペイン語はオーラとグラシアス(ありがとう)の2つだけ覚えておけばいいから」
と、妻や義姉に言い続けていた。

ところが、義姉はあるとき、ホテルの朝食の時、ウエイトレスに、突如、
「メルシー」 と言ったのである。 僕は思わず噴き出しそうになった。
「ネェさん、それはフランス語ですがな。 ここでは、グラシアスです」
「あ、そうか。フランス語…。ここは…? アルゼンチンか…」
などと、不思議なことをつぶやいたりするのだ。

義姉は、なんと言ったらいいのか、…「のどかな人」 とでも表現しておくが、
彼女と旅行をしていると、必ず 「珍道中」 になってしまう、そういう人なのだ。

パリのルーヴル美術館で多くの名作を味わったあと、一歩外に出たとたん
「よかったわねぇ、このベルサイユ宮殿は」 と大きな声で言った。
まわりはフランス人ばっかりなのでよかったけれど…

今回の旅行でも、あちこちで 「メルシー」 を連発したり、
「グラシアス」 と言おうとして、「グラッ…、グラッ…、なんやった?」
とか、「グラッ…、あ、グラチョー、違うか…グラッぺ…とも違うな」
そんなことを言っているうちに、礼を言う相手は、向こうへ行ってしまうのだ。

イグアスの滝へ行った翌日、ホテルの近くへ買い物に行き、日本人の店員に、
「よかったですよ~、昨日、ナイアガラの滝を見てきたんです」
な~んて言ったり…

…というような珍道中は今回も変わらずであったが。

とにかく、ヒロユキのレストランのオーナーたちと挨拶を交わして…。

レストランの中を案内してもらい、厨房まで見学させてもらった。

職人さんたちが、「なんだ、なんだ?」 という顔をして覗く。

「日本からママが来たのだ」とヒロユキが説明すると、みんな一様に
「あぁ、そうかい。ママが来たのかい。よかったなあ」 という顔をして、
僕たち3人に 「オーラ」 と親しみを込めて握手を求めてくるのである。

そんな厨房の人たちが沢山集まって記念撮影をしたのが下の写真です。

                       

  
  いかにもラテン系らしく、明るく陽気で気さくなレストランの人たち。
  前列右にヒロユキ。
  その後ろ、真ん中にソルちゃん。 右へ義姉、妻、僕の順。



「よかったですねぇ。ヒロユキ君もいい人たちに囲まれて」
と僕が義姉に言う。
「本当にねぇ。みんな気のよさそうな人ばかりね」

百聞は一見にしかず、とはよく言ったものだ。
この風景を自分の目で見て初めてヒロユキの外国での暮らしぶりがわかる。

「日本に帰って、お父さん(夫)に言ったら喜ぶわ」
義姉の夫(ヒロユキの父)は、外国には行かない人である。
東京へ行くのも嫌がる人なので、アルゼンチンなどとんでもない、という感じ。

「でも、わたしはすぐモノを忘れるので、うまいこと伝えられるかな~」
と言って、例によってぶつぶつと何事かをつぶやく義姉であった。

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アルゼンチン・ブエノスアイレスでの5日間の滞在も終わろうとしていた。

ブエノスアイレスの市街地は、レストランやブランド店の多いのを見ても、
「南米」という、僕たちが持つ一定のイメージからかけ離れた華やかさがある。

物価は日本から比べるとかなり安い。
しかし、数多い有名ブランド店や高級レストランは、それなりの値段である。
この国の人たちは、総体的に豊かなのだろうか…。
あるいは貧富の差が激しいのだろうか…。

路上で赤ちゃんを抱いて座り込み、物乞いをしている若い女性もいた。

また、車に乗っているときに、こんなことに出くわした。
信号が赤になって停車したときのこと。

目の前の横断歩道に、小学生5、6年生ぐらいの女の子3人が飛び出してきた。
そして、横断歩道の真ん中で2人が四つんばいになり、1人がその上に乗る。
僕らがよく運動会などでやった 「ピラミッド」 の芸を、横断歩道でやるのである。

上に乗った女の子が、立ち上がり、両手を広げにっこり微笑む。
ハッとするような可愛い子である。
思わず 「いよぉっ~!」 と拍手したくなる光景だ。

「ピラミッド」 をピタリと決めたあと、3人はそれぞれ車のところへやってくる。
そして、窓に手を差し出し、ドライバーから小銭をもらうのである。
ヒロユキも、コインを何枚か女の子に渡していた。

子どもたちは、こういう 「大道芸」で、小遣いを稼いでいるのだ。

こういう風景は、もちろん日本では見られない。
昔、ニューヨークで、信号待ちの間に黒人の少年がタオルを持って飛び出し、
車の窓ガラスを素早く拭いて運転者からお金をもらっていたのを見たことがある。

まぁ、あれとよく似たものであろうか。

日本に来たら一躍アイドルになりそうな可愛い女の子たちが 「芸」 をする。
これが「切実」な話なのか、単なる「遊び」の話なのか、
あるいは、両方とも、なのか…よくわからない。

でも、この少女たちのたくましさは、少なくとも日本の子どもにはない。
もちろん、それが幸か不幸か…ということとはまた別の話ですが。

今でも目に焼きつく光景のひとつである。

 

 
  通りには高級ブランド店など、さまざまな店が並ぶ。
  ブエノスアイレスは、とてもお洒落な街でもある。


 
  大型ショッピングモールの中も華やかだ。
  こういうところを歩くと、「豊かな国」 というイメージが強まる。

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ヒロユキは、僕たちをショッピングモールへ連れて行ってくれ、
「何かプレゼントします」と言い、義姉や妻には靴やスカーフを、
そして僕には、この街を本拠地とするサッカーチームで高原がプレーしていた
「ボカ・ジュニアーズ」のユニフォームをプレゼントする…と言ってくれた。

「好きな背番号を言ってください。これにつけてもらいますから」
ヒロユキはそう言ったあと、

「あ、それと、その下に名前も貼り付けてもらいます」 
と付け加えた。

さらにヒロユキは、「背番号は何番が好きですか?」 と尋ねた。
「う~ん。好きなサッカー選手の背番号なぁ…」 と腕を組む僕。
「たとえば中村俊介の10番とか…ありますよね」とヒロユキ。
「俊介か。う~ん。カズの11番もいいけど、古すぎるかなぁ~」 と迷う。

「よし、宮本にしよう」 と僕はそう決めた。

かつて日本代表のキャプテンもしたガンバ大阪の宮本が僕は好きだった。
あの「ツネ様」と呼ばれた宮本恒靖選手。
ガンバを離れたあと、ザルツブルグへ行き、現在は神戸でプレーしている。

彼の出身高校は、僕が勤めていた市にある高校で、長男も同じ高校である。
その縁で、昔、市の広報にいた時、まだ若かった宮本を取材したことがある。
礼儀正しくて、頭のいい、稀に見る好青年、という印象があった。

「宮本にするわ。背番号は5でお願いします」

ということで、出来上がったのが、このユニフォームです。

  
  ボカ・ジュニアーズと言っても誰もわからないだろうけど、
  まあ、いい記念になりますわ。
  

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旅行中はずっと晴天が続いたが、最後の日だけは雨だった。

現地旅行社の人が、午後5時にホテルに迎えに来るということだった。
まもなく、ヒロユキやソルちゃんとはお別れである。

5人が、ロビーのソファに腰掛けて、時間が来るのを待った。

ロビーで、最後の記念撮影をした。 母と息子は、ギュッと腕を組み合った。

「体に気をつけてね」 と母。
「うん。お父さんにもよろしく伝えておいてね」 と息子。

僕はソルちゃんに 「グラシアス ポルスス アテンシオネス」
(いろいろとお世話になり、ありがとう)
とお礼を言った。
「ドウイタシマシタ」 とソルちゃん。
「あのね、ドウイタシマシタと違うがな。ドウイタシマシテやでぇ」

やがて旅行社の人がやって来て、僕たち3人は車に乗り込んだ。

ホテルの前で、いよいよお別れだ。

車の外で、雨にぬれながらヒロユキとソルちゃんは手を振ってくれた。

「さよなら~」
「元気でねぇ」

いつまでも車に向かって手を振る2人だった。

「次はいつ会えるんやろ…」

2人の姿が見えなくなった後、義姉が、ポツリとつぶやいた。

 

 

 
   雨の中、ホテルの前で
僕たちの車を見送ってくれた2人。
     ヒロユキ、ソルちゃん。 元気でね~。

  アスタラビスタ ! また会う日まで、さよ~なら~。

 

 

 

 

 

コメント (7)
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