それまで大阪キタの新地で寿司を握っていた甥のヒロユキは、あるきっかけでスペイン料理人に転身し、1995年の元旦に、本場スペインへ料理修行に旅立った。ヒロユキ、25歳の春であった。
2年後、彼はそのままアルゼンチンへ居を移した。
そして、それから13年の年月が経った。
14年前。まだスペインにいた頃、兄の結婚式に出席するために一度だけ日本に戻ったヒロユキだが、それ以来、日本には一度も戻らない。
ヒロユキの母である妻の姉とは、3年前から一緒に海外旅行を始めたので、話はどうしてもヒロユキのことになる。
アルゼンチン…。う~ん、遠い。遠すぎる。
「もう少し近いところやったら、行けるのにねぇ」
そんなことを何度言い合っただろうか。
しかし、今年の3月に僕が定年退職をすることでもあったので、
「よ~し、退職記念に行ってみるか、アルゼンチンに…」と、
思い切って地球の裏側への旅に踏み切ることにしたのである。
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朝にブエノスアイレスに着き、空港からヒロユキに電話を入れたら、
「夕方の6時に、ホテルへ行きます」という返事であった。
そして、その夕方の6時になった。
僕らは、ロビーでヒロユキが来るのを待っていた。
14年ぶりにわが息子に会う義姉は、やはりそわそわしている。
ホテルに入ってくる人たちの顔をじ~っと、見つめている。
すると、僕らが向いている方角の背後から、ヒロユキがやってきた。
僕が最初にヒロユキを見つけた。
横に、若いアルゼンチン人女性がいる。これが彼女なんだ。
「お~、ヒロユキが来た」と僕が叫ぶと、
「どうも。お疲れさまで~す」とヒロユキ。
「コンニチハ。ハジメマシテ」と、となりの彼女は日本語を使った。
その彼女は、愛嬌たっぷりに僕たちに挨拶をし、義姉、妻、そして僕にと、順番に抱きついて頬をくっつけた。その動作があまりに派手やかで、しかも唐突だったので、義姉は、14年ぶりに会う息子との「感動の再会」も何もあったものではなく、ただニコニコと笑い、かつ、戸惑いながら、息子の彼女の抱擁に応じるばかりであった。
「元気?」
「うん、元気」
少し間をおいて、母と子は、1月くらいしか会っていない間柄のような簡単な言葉をかわし合った。どんな劇的な対面シーンが見られるのだろう…とさまざまに想像を膨らませていた僕としては、なんだか拍子抜けだった。
まあ、親と子って、そんなものかも知れないけれど。
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ブエノスアイレスには4泊したが、初日は早朝に着き、最終日は夜の便に乗ったので、丸々5日間滞在したことになる。ヒロユキは、「5日間では短すぎるよ~」と言っていたが、僕たちにとっては、長すぎもせず、短すぎもせず、ちょうどよい期間だったと思っている。
やっぱり、海外旅行は、心身ともに疲れる。
知らず知らずのうちに、緊張の糸が張っているのだろうか。
4日目、5日目となると、それがだんだん重くのしかかってくる。
そして一方では、疲れから、感受性も鈍ってくる…という感じである。
いつも海外旅行から帰るときは「もう少し旅をしていたい」と思うより、
「あぁ、もう十分だ。早く日本に帰って普通の生活に戻りたい」と思う。
心配だった心房細動(不整脈)は、薬のコントロールがうまくいったようで一度も発作が出ず、よかったが、毎日その不安もつきまとう。
それと、もうひとつは食事の量である。これには参りました。
「これ以上この国にいたら、お腹が破裂するぞぉ~」
冗談ではなく、そう思った。
アルゼンチンといえば肉料理なのだけれど、とにかく量がものすごいのだ。
この旅行では、自分たちだけでレストランに入ったのは、最初の昼食と、イグアスの滝へ行った時の昼食だけで、あとはすべてヒロユキと、その彼女であるSOL(ソル)ちゃんの2人が、昼食、夕食とも、いろんなレストランへ案内してくれた。
僕たちは、なるべく少ない目に注文をするのだが、たとえば、サラダだけを注文しても、そのサラダも全部食べきれないほどのボリュームなのである。しかもヒロユキが、「ここの名物は、ナントカのお肉です。評判がいいのですよ」と言うので、無視もできないし、食べていると「どうです? おいしいですか?」と聞くし、ソルちゃんまでも、日本語で「オイシイデスカ?」と聞くので、料理を残すこともできない。最後は無理にお腹に詰め込む。うぅっ、苦しい。
朝食はホテルのレストランで、バイキングだ。
これがまた、パンやハムやソーセージやチーズやフルーツやなんやらと…
別に沢山食べることもないのに、おいしいので、つい食べ過ぎてしまう。
朝は、やはりある程度食欲がある。
昼前にヒロユキがソルちゃんとともに車で迎えに来てくれる。
車を運転しながら、
「お昼は、どんなものが食べたいですか?」とヒロユキが聞く。
「お腹がいっぱいで、何もいらな~い」とも言いにくいしねぇ。
ヒロユキは、あらかじめ僕らをいろんなところに案内するように考えてくれていたようで、仕事を休んだり早退したりして、彼女とともに、車であちらこちらへ連れて行ってくれた。
ちなみに、彼女のソルちゃんは24歳。ヒロユキよりも16歳も年下であるが、ヒロユキがシェフをしている「ROSA」というレストランで、ケーキや菓子のデザートを作っている、いわゆるパティシエという菓子職人である。
2人は同居中で、結婚はしていないが、まあ日本でいう「職場結婚」だ。
ソルちゃんは、とても可愛くてよくしゃべる娘さんである。
大きな瞳をクルクル動かし、派手なジェスチャーで、機関銃のような勢いでスペイン語をしゃべる。そしてその間に、日本語を入れる。
「ワタシハ ニホンゴ スコシ ベンキョウシテ イマス」
なんて、言って笑う。
そのたびに、僕たちは、ぱちぱちと拍手をし、「上手、上手」とほめる。
すると、ソルちゃんは、「アリガトウゴゼエマスタ」と礼を言う。
「アリガトウゴザイマス やで」と、いちおう訂正はしておく。
こちらが「ありがとう」と言えば
「ドウイタシマシタ」と答える。
「あのなソルちゃん。ドウイタシマシタじゃなく、ドウイタシマシテやで」
何度教えても「ありがとう」と言えば、「ドウイタシマシタ」と答える。
「ニホンゴハ トテモ ムズカシイデス」なんて言っている。
彼女は色白で、髪と瞳が真っ黒で、まつ毛が長く、肌がきれい。
身長は僕と同じぐらいだから、高くはないのだが…
体重が…、僕の倍ぐらいはありそうだった。
「ワタシハ アマイモノガ スキデス」と日本語でソルちゃんは言う。
パティシエだから、自分で作ったケーキやお菓子を自分で食べている…?
う~ん。いかにも、食べそうだなぁ。
こちらの食事のボリュームは、ソルちゃんの身体を見ればわかる…?
いや、レディに対してそんなこと言っては、失礼だ。ごめ~ん。
さて、食事の話の続きだが…
そんなことで、朝はホテルでたっぷり食べてしまう。
昼はヒロユキたちが僕らのために選んでくれたレストランで食べる。
そして、夜も、同じような形になる。あぅ~。食べるのがコワイ~!
これが僕たちだけの旅行なら、夜はちょっしたものを買って、ホテルの部屋で食べる…というふうにしていたに違いない。でも、今回はねぇ。
毎食、毎食が、過食である。
食事の時間になっても、まったくお腹が減らない。
僕も、妻も、義姉も、もちろん同じである。
夜、ベッドで仰向けに寝ると、お腹がポコンと突き出ている。
突き出たお腹をなでながら、あぁ~、と切ないため息が出る。
最後の夜、ヒロユキ自身がシェフをするレストランでご馳走になった。
ヒロユキが作ったコース料理を、3人で神妙に食べる。
見た目も美しく、味もいい料理が次々に運ばれてくる。しかし…
僕はビールも飲んでいたので、いよいよ料理がお腹に入らなくなった。
しかも、最後はデザートに甘いものが出る。
これは、ソルちゃんが作ったものが出てくるはずだ。
しかも、ソルちゃんが、テーブルにやってくるに違いない。
「オイシイデスカ?」と聞きながら、僕らが食べるのを見つめるはずだ。
そう思うと、よけいにお腹が膨れてくる。もう、何も入らない。
最後に出た、サーモンのナントカというヒロユキが腕によりをかけているはずの皿の上の料理に、どうしても手が出ない。もはや限界である。
そのまま、手をつけず、下げてもらった。もったいないことをしたが…
そのあと、デザートが出た。
そして、案の定、ソルちゃんがニコニコしながらやってきて、
「コレハ ワタシガ ツクリマシタ」と言って、テーブルの一角に座った。
僕たちの「食べっぷり」を、じっくり観察、というところだ。
「死ぬ気で食べる」という言葉があれば、この状況を指すのであろう。
僕は生まれてこのかた、こんなに食べ物と格闘したのは、初めてである。
しかし…
チョコレートが主体の、甘い甘いお菓子だったが、食べてみると甘さがさわやかに口中に広がっていき、思わず「おいしい」と言葉が出た。
お世辞ではなく、本当においしかった。
「別腹」とはよく言ったものである。
違う種類のものなら、またお腹に入るのである。
ソルちゃんはうれしそうに、「オイシイデスカ?」と何度も聞き、
僕は「オイシイです」と何度も返答した。
ソルちゃんは「やったぁ」という感じで親指を突き出し、喜んだ。
あぁよかった。あの状況でデザートに手をつけなかったり残したりしたら、
ソルちゃんはどれだけ悲しむことであろうか…。
ヒロユキには申し訳なかったが、最後のサーモンの何とかを無理に食べなかったのがよかった。
…ということで、今回は食べ物のお話ばっかりでしたが、今、これを書いているときにふと、浮かんだことがあります。
食事を終わって「お勘定、お願いします」というのを、スペイン語では、
「クエンタ(お勘定) ポルファボール(お願いします)」と言う。
この「クエンタ」が、これ以上もう「食えん」た、に聞こえるのである。
また、「いくらですか?」というのは、スペイン語では、
「クワント?」と言う。
これが、もう「食わん」と、聞こえるのである。
すみません。しょうむない話で。
ではまた、次回に…
典型的なアルゼンチン肉料理。
牛、豚その他の動物の肉のいろいろな部位が焼かれて出てくる。
一片、一片が、大きい。
ソーセージも特大で、中に「血のソーセージ」というのもあった。
入っている器が深いので、見た目よりも実際は沢山入っている。
この店では、入口のそばで肉を焼いている。
カメラを向けると、店員さんが、中に入っておいでよ、と言ってくれた。
お言葉に甘えて中に入れてもらって撮影する。
向かって僕の左が義姉、右がヒロユキの彼女のソルちゃんです。
これは、ブエノスアイレスで人気ナンバーワンというアメリカ料理店での1枚。
骨付きの豚肉。写真では大きさがわかりにくいが、びっくりするほど大きい。
肉の向こうは、くりぬいたジャガイモの中に野菜が詰められている。
こちらのジャガイモも、日本のそれとは比較にならないほど大きい。
ほかの野菜類の大きいのにも驚く。
豊かな日差しや肥沃な大地が、大きな野菜を育てるのだそうである。
とにかく、食材のスケールは大きい。
お腹が減らないので、グリルチキンサラダだけを注文した。
しかしこれが、ヤマのような「てんこ盛り」である。
これとメイン料理…なんて、両方食べられるわけ、ありまへ~ん。
「ハ~イ ワタシガ シャシン トリマスデス」
ソルちゃんは陽気な24歳のアルゼンチン娘。
名前のソル(SOL)は、太陽を意味するそうで、そりゃ陽気だよね。
ところで…、僕の孫の名前は、ソラだ。なんとなく、似てるなぁ。
写真をとってくれたので「ありがとう」と言うと、「ドウイタシマシタ」。
違う、っちゅうねん。
ヒロユキとソルちゃん。
ヒロユキはこの国で食生活をしているわりには、太っていない。
しかも、よく食べるのに。
「そんなに食べて、なんで太らへんの」 と義姉が息子に尋ねる。
「仕事が夜遅くまで忙しいし、あまり眠らないからと違う…?」
「ふ~ん。ソルちゃんは、よく肥えてはるのにねぇ…」
と、義姉は、「息子の嫁」となるソルちゃんを眺めていた。
街角でソルちゃんと僕。
週に一度、日本語を習いに通っているという勉強熱心な子である。
しかし、ソルちゃんを相手にスペイン語の勉強をしようと思っていた僕としては、
ソルちゃんが僕を相手に日本語を勉強しようとするのでそれに押されてしまい、
この旅行中は、もっぱら僕が日本語の先生役を務めることになった。
なんでこうなる…? とほほ。