僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

中村勘三郎さんと耳鳴り

2012年12月07日 | 心と体と健康と

歌舞伎俳優の中村勘三郎さんが5日の未明に亡くなってから、その日も、その翌日の6日も、TVワイドショーはトップニュースで勘三郎さんのことを伝えていた。ひとりの芸能人が亡くなって、これほど大きく報じ続けられるのも、最近では珍しいことだ。

森繁久弥さん(96歳)や森光子さん(92歳)が亡くなられた時は、年齢的にも「大往生」という印象が強く、ニュースとしての衝撃性は少なかったと思うが、勘三郎さんは57歳という若さで、これから歌舞伎界の重鎮としての道を歩み始めようという矢先だっただけに、惜しむ声も多いのだろう。明るい人柄や人当たりのよさと真面目さが共存し、今どき少なくなった「正統派芸能人」として幅広く支持されていたと思う。その死がこれほどまでにマスコミで取り上げられたのは、昭和62年の石原裕次郎と、平成元年の美空ひばり以来ではないかと思うほどだ(2人とも52歳で亡くなった)。

勘三郎さんの死因は、報道によると、急性呼吸窮迫症候群ということだった。今年の6月に食道がんが発見され、手術をして、舞台復帰に向けて療養している時に、この「急性呼吸…」を発症し、病状が悪化した末、死に至ったという。

勘三郎さんは去年に「特発性両側性感音難聴」という症状で入院をされていたことも報じられていた。一昨日、テレビでそれを見ていた僕は、それが「突発性…難聴」と聴こえたので、えっ?と思って、画面の字幕を確認すると「突発性」ではなく「特発性」だった。「特発性って、なんだろう?」とすぐに辞書を引いて調べたら、「原因不明のこと」とあった。

「特発性」という言葉があるということも知らなかった。

「突発性難聴」なら、僕が耳鳴りに悩まされた頃から何度も聞いた言葉だった。耳鳴りが発症した時、最初に耳鼻科へ行って診てもらったら、医師は「突発性難聴ではありません」…と、よかったねぇという口調で僕に告げた。で、診察はそれで終わりそうだったので「耳鳴りで困ってるんですけど…」と言っても医師は取り合ってくれず、「突発性難聴ではありませんので治療の必要はありません」と再び言われた。「じゃ、耳鳴りはどうすれば…?」と尋ねると、「神経的なものですから、心療内科の受診をお勧めします」と冷たく扱われたのだった。

その後、TRT療法というのを受けるため大〇前病院というところへ行った時も、「突発性難聴じゃありませんね」と言われた。つまり耳鳴りと聞けばまず突発性難聴かどうかを調べるのが普通のようだ。で、そうでなければ、命に別状がないので、あとは医師も、耳鳴りだけならそれに慣れることが第一ですね…などと曖昧な口調で終わってしまう。むろん、耳鳴りの原因はほとんどの場合不明であるから、治療のしようがないのであろう。

ちなみに勘三郎さんの場合は「特発性両側性感音難聴」ということで、左右両側ともに難聴だったけれど、「突発性難聴」は、大部分が一側性だという。

で、その病状が回復し、退院して復帰の記者会見をした時の勘三郎さんの映像も見た。その席で「今でも耳鳴りがします」と述べておられた。当時の新聞記事もテレビ画面に出ていたが、「勘三郎、尋常でない耳鳴り!」などという見出しがデカデカと載っていた。耳鳴り…と聞けば敏感に反応する僕は、勘三郎さんの言葉や新聞の見出しに強い衝撃を受けた。

それにしても勘三郎さんは、せっかく去年「特発性両側性感音難聴」が治ったのに、今年は食道がんが発見されるというのも、よくよく不運としか言いようがない。そしてさらに急性呼吸窮迫症候群という症状に見舞われて不帰の人となった。57歳といえば、僕より6歳も年下である。本当に惜しい。

子役の頃から「中村勘九郎」として人気があった人だ。あの可愛かった「勘九郎ちゃん」を映画などでよく見ていた僕も、長年のファンの一人だった…と言わせてもらってもいいかも知れない。

「特発性…」から1年以上、勘三郎さんは亡くなるまで、他の病気と併せて、耳鳴りにもずっと悩まされていたのだろうか…と思ったりするのである。

ご冥福をお祈り致します。

 

 

 

 

コメント (4)
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