今回の大震災で、まだ連絡がつかない知人のことが心配だった。
その人は石巻市に住んでいて、奥さんと花屋さんを営んでいた。
ここも街全体が大きな被害を受け、まだ通信が不能だと報道されていた。
石巻に住むその人とは、20歳の頃の自転車旅行中に知り合った。
1969(昭和44年) のことだ。 あぁ、もう42年も昔の話である。
西○さんという男性で、北海道帯広の駅前で出会った。
東京・新宿で働いていたが、数ヶ月間の休職をして、自転車日本一周に出た。
僕より2~3歳年上で、剛毅な性格から、僕は彼を 「新宿の大将」 とアダ名した。
「新宿の大将」 とは帯広から9日間、一緒に自転車で走った。
襟裳岬、苫小牧、函館から本州の下北半島にわたり、大間崎、恐山と走った。
野辺地、というところで、道路は右と左に分かれていた。
大将は右へ行き、青森から日本海側を通ってはるか彼方の西日本へ。
僕は左の八戸方面へ行き、太平洋側を通って東京から故郷の大阪へ。
「…ここで、お別れだな。 無事を祈ってるぜ」
その後、大将は宮城県の石巻市の花屋さんの女性と知り合い、
結婚してそこに住むことになったと、ハガキが来た。
ずっ~と年賀状だけのやりとりが続いた。
自転車旅行から27年後の1996年。
突然、新宿の大将から職場に電話があり、
所用があって夫婦で大阪へ来たが、これから新幹線で宮城へ帰るところだ。
少しだけ時間があるが、会えないか…という電話だった。
僕は上司にわけを話して早退させてもらい、新大阪駅で大将と奥さんに会った。
実に27年ぶりの再会で、僕たちは抱き合った。 奥さんも横でニコニコしておられた。
1時間ほど食事をしながら歓談して、2人を新幹線のホームまで見送った。
「ぜひ一度、石巻へ来てくださいね」 と大将の奥さんはそう言って手を振った。
あれからさらに15年の歳月が流れたのだが、相変わらず年賀状は続いている。
数年前の年賀状で、僕が自転車旅行のブログを書いたことを知らせた。
すると大将から 「読んだよ。 懐かしいなぁ。 娘も熱心に読んでた」
と手紙で返事が来た。 大将は携帯電話は持っているが、ほとんど使わないそうだ。
しかし、いちおうメールもできるんだぞぉ…と、威張ってアドレスを書いて寄こした。
震災が起きた翌日、僕は大将へ、「大丈夫ですか?」 と携帯メールを送った。
しかし、返事は来なかった。 そうして、それから1週間以上経った。
あるいは … と思い始めていたとき。
昨日、僕の外出中に、わが家に電話があった。
午前11時半ごろ。 妻が出た電話の相手は、新宿の大将であった。
大将は、妻に
「ご心配をかけていますが、当方はみんな無事です。
電話がつながらなかったので誰にも連絡できなかったのです。
1階の花屋は全滅ですが、2階でなんとか生活できています。
『新宿の大将はがんばってるぞ~』 と伝えておいてください」
僕が出したメールを見ていたのかどうかわからないけど、
大将…、わざわざ家に電話をしてきてくれて、ありがとう。
みなさんご無事とのこと。 これで、やっと気持ちが落ち着きました。
今から約3年半前、自転車旅行ブログで、大将とのことを詳しく書きました。
↓
http://d.hatena.ne.jp/domani07/20070905