1995年1月の阪神大震災を身近で経験した時、僕は46歳だった。
6,434人もの死者が出るような災害は、今後自分が生きている間には絶対ない…
阪神大震災が起きた後、そのことを、微塵も疑うことはなかった。
去年、阪神大震災から15年経った日、ブログで当時の新聞記事などを掲載した。
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/68d8cb215911aee5953bd1e43016d329
自分が生きた時代の最悪の自然災害として、記録しておきたかったからだ。
それが、16年後に、まさかそれ以上の途方もない大災害が起きるとは…
東北関東大震災が発生して昨日で1週間経った。
すでに確認された死者は6,900人以上と発表された。
さらに2万人前後の安否不明の人々もいるという。
犠牲者の数は、まだまだ増えるものと見られている。
復興へ向けた動きも出始めたようだが、被災者の人たちの生活はまだまだ厳しい。
孤立し援助を待つ人たち、避難所でつらい日々を送る人たち。
そんなとき、首都圏でモノの買占めがエスカレートしてきた、という。
東京のコスタクルタさんや横浜のちひろさんからのコメントやメールでは、
スーパーの棚は空っぽで、必要なものが何もない…という状態だそうだ。
その話を裏付けるように、テレビでも、その様子が映し出されていた。
被災地仙台に住んでおられるじゃいさんの場合は、もっと悲惨である。
あるスーパーが営業する…との情報を得て、朝早くから並んでいたら、
途中で 「本日は営業しません」 との貼り紙が貼られた。
氷点下の気温で横殴りの雪の中、3時間以上もスーパーの外で並んだが、
それでも、米などの食料品は購入できなかった。
生きる権利も人権も何もあったものではない。
凍え死んでしまう。 飢え死にしてしまう。
とてもじゃないが、いまのこの時代のこの国の出来事とは思えない。
それにしても、東北の人たちは我慢強い。 頭が下がる。
これが大阪なら、暴動が起きているかも知れない。
当局は、全力を挙げて豊富な物資を被災地へ届けてほしい、と願う。
そんな状況が人々の不安を煽るのか、はるか彼方の大阪でもある傾向が出ている。
一昨日、大手前病院へTRT療法へ行き、雪が舞う帰り道を2時間ほど歩いた。
雪が強まってきたので、阪急百貨店とイオンが一緒になった大型商業施設へ入った。
その食料品売り場を見て、驚いた。
米の売り場に、一袋の米も見当たらない。
そのスペースだけ、不自然にがら~んと空いている。
水や懐中電灯、電池なども品切れ状態。
昨日、僕が住んでいる藤井寺駅前のイオンの食料品売り場を見た。
だいたいのものはそろっていたが、米は通常の4分の1か5分の1くらい。
即席ラーメン売り場では、チキンラーメンだけが売り切れていた。
それと、トイレットペーパーが、全部売り切れたのか、ひとつもなかった。
さらに、近所の小さなスーパーへ行くと、米は十分に売り場に積まれていた。
大阪は、都会の大きなスーパーになるほど、米などの売り切れが目立つ。
藤井寺のような田舎町のスーパーでは、あまりモノは無くなっていない。
普段からある程度の備えをしていれば、急に買占めに走る必要もないだろう。
阪神大震災のあと、僕たちは防災リュックにいろんなものを押し込んだ。
水や長持ちのする食料、ティッシュ、ラジオ付懐中電灯、各種電池の予備、
タオル、胃腸薬や風邪薬、などなど。 それを枕元に置いて寝る。
僕はそれ以外に、貴重品用バッグを常に手元に置いている。
財布、携帯電話、携帯ラジオ、ウォークマン、毎日服用する薬1ヶ月分、
携帯電話の電池充電器、耳鳴り治療器、パソコンデータの入ったメモリ、
などを入れて、家の中のどの部屋に行くときでも持って歩く。
こういう癖をつけておけば、いざというとき、慌てなくて済む。
阪神大震災が教えてくれた、貴重な教訓だった。
今朝の朝日新聞には、被災者を全国で受け入れるという記事が出ていた。
大阪府でも、府営住宅などに1万人程度の人たちを受け入れる予定だという。
全国の自治体が、一丸となって救助の手を差し伸べるのは素晴らしいことだ。
管政権は原発問題一辺倒で、各地の被災者への切迫した使命感に欠けている。
原発以外では、どこかのんびり構えているように見えるのは気のせいだろうか。
また一方では、膨大な電力消費を伴うプロ野球ナイターが開幕されようとしている。
東京ドームでナイターを1試合すれば、6,000世帯分の電力を消費するという。
節電、節電と言いながら、野球のためならそんなの関係ねぇ…ということか。
「選手は野球が仕事なんだ」 と、ナベツネが強弁を張っているけど、
これこそ、石原東京都知事が言っていた「我欲」にほかならない。
巨人ファンとして、つくづく恥ずかしい思いだ。
それと、話はバラバラですが、チェーン・メールという、あれって、なんですか?
震災のあった日の翌日、ある知人からメールが来た。
それによると、関西電力で働いている友達からのお願いですが、
関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも、
送電を行うらしいので、なるべく節電してください。
そして、このメールを多くの方に送信お願いします。
…とあった。
電気というのは備蓄できないそうである。
そのことからして、関西電力で働いているわりにモノを知らない社員である。
おまけに他の電力会社から東京電力に送電するのは周波数が違うので簡単にはできない。
変換が必要で、それをしても、大量は無理。 つまり、現実性は薄いということ。
節電を勧める善意は理解できるが、それをこの時期に、というのが問題である。
このメールがあちらこちらに飛び交うこと自体が、本当に大事な通信を妨げるのだ。
もし仮に、送電できるとしたら、関西電力からテレビを通じて節電を呼びかけるべきで、
個人がメールで次々に送り広げていくような問題ではないだろう。
ボランティアにも、行きたがる人が多いが、ごく一部を除いて今はまだ迷惑になる。
受け入れ態勢が整ってから応募してほしい…ということだ。
被災地の親戚に会いに行きたいが…という要望も多いそうだ。
しかしこれも、専門家は、緊急車両の妨げになるので控えるべきだ、と言う。
とにかく、今はまだ混乱の最中である。 救援はプロに任すほかないのである。
じっと見守り、募金する、というのが、今の僕らのできる精一杯のことだろうと思う。