例の仙台の19歳の予備校生が、偽計業務妨害という罪の容疑で逮捕された。
むろん実名や顔写真は公表されず、19歳、男性、ということしかわからない。
数日前までは、スマートフォンだの、メガネに仕込まれた超小型カメラだの、
ボールペンの先につけたカメラだの、複数犯に違いないだのと取りざたされたが、
結局、もっとも一般的な携帯電話をひとりで使用した、ということらしい。
よもやこれだけ日本中が大騒ぎになるとは、本人も思いも寄らなかっただろう。
彼はこのあと、どういう人生を歩んでいくのであろうか…
日本の国で、ひとりの19歳の受験生の不正な行為に世間が振り回されている間にも、
多くの19歳の日本人が、ニュージーランド地震の被災地で消息を断ったままである。
被災者の一覧を見ると、19歳という年齢の方が、圧倒的に多い。
高校を出て、世界に羽ばたこうと英語を習うために渡航した先で、被災した。
それも、耐震強度に問題があった欠陥に近い建物にいたのだから、不運きわまる。
ニュージーランド当局は、昨日、「生存の可能性ない」 と救出作業を打ち切った。
現地に飛び、奇跡の生還を祈っていた家族の方々の落胆はどれほどのものだったろう。
19歳といえば、これから本格的な人生のスタートを切る年齢である。
ニュージーランドで被災された方々は、いずれも高い志を持たれていた。
まずは英語力を…と、夢と希望に胸を膨らませて旅立ったはずである。
それだけに、余計に無念であったろう。
19歳。
昨日、新聞を読みながら、その頃の自分のことを思い出していた。
僕の、最終章までつながる人生は、19歳の時に始まった。
19歳の秋、大学に通いながら、夜に速記学校に通い始めた。
新聞記者になりたかったので、速記が役に立つと思ったからだ。
同時に、翌年、自転車で北海道往復の旅を計画していたので、
資金稼ぎに近所のダンボール製造工場にアルバイトもしていた。
大学、アルバイト、速記学校…と、忙しい毎日だった。
その速記学校で知り合った女性と、3年後に結婚した。
今年、ちょうど結婚して40年になる。
松原市役所の試験を受ける時に提出した履歴書の資格欄に、
いちおう 「ワセダ式速記 3級」 と書いた。
「どんなことでも、書いておいたら何かのプラスになるかも」
と、妻が勧めてくれたものである。
ちなみに、市役所への就職も、妻が勧めてくれたので受けた。
(新聞社は、僕の学力では合格しそうにもなかったから)。
その市役所で、一昨年に定年退職するまで、計38年間勤めたが、
そのうち、26年間、議会事務局というところで仕事をした。
市議会の委員会などで会議録を作成する仕事があるので、
履歴書の 「速記」 がモノを言って、その部局へ配属されたのだろう。
議会事務局は、今から思えば、僕の性格にぴったりの職場だった。
特に管理職になった後半は、自分のペースで伸び伸びと仕事をやっていけた。
同じ役所生活でも、職場によって運不運が大きいが、僕はまことに運がよかった。
結婚相手と出会い、仕事でも恵まれた人生を送ることができた。
それらはすべて、19歳の時に速記学校の門を叩いた時から始まったのだ。
19歳も、さまざまである。