昨日、元職場であるM市役所の、職員労働組合の「新春旗びらき」に行ってきた。
「旗びらき」というのは、まあ、労働組合の新年互例会みたいなものである。
保育士さんたちで作る和太鼓サークルの、怒涛のように響く太鼓でオープニング。
植○執行委員長のあいさつに始まり、来賓の人たちのあいさつが続く。
今の世情不安定の中、今年はさらに労働者としての団結を深めていこう…
そんな感じで、激が飛ばされ、セレモニーが終わると立食パーティが始まる。
ゲストに招かれたバンドが、スターダスト・レビューの「木蓮の涙」を歌った。
♪ 逢いたくて 逢いたくて
この胸のささやきが あなたを探している ♪
会場は、にぎやかな空気に包まれていた。
ところで、なんで10ヶ月前に役所を定年退職した僕が、こんな場所に来たのか。
しかも、市議会議員らと並んで、来賓の席にちょこんと座っているのである。
もちろん、それには理由がある。
10日ほど前、昔から冗談を言い合ってきた植○君から久しぶりにメールが入った。
前述のように、植○君はいま、市職員労働組合の執行委員長をしている。
「私にとって、執行委員長としておそらく最後の旗びらきになろうかと思い、
のん様には是非、ご列席賜りたく、メールさせていただきました。
どうかよろしくお願いします」
「は~い。わかりました。出席させていただきます」
特に支持政党もなく、これまで別に組合運動もしてきたことはなかったが、
僕は、この職員労働組合とは、なんとなく昔から縁があった。
20代後半から30歳くらいにかけてのころのことだ。
ある時期、毎年のように僕はこの旗びらきの司会をしていた。
その頃、僕は友人の結婚式の司会を、よく頼まれていた。
それが市役所の中で知られることになり、職員労働組合からも司会の依頼が来た。
「ええよ」と、そういうことは、軽く二つ返事で引き受ける僕なのであった。
しかし、議会事務局で仕事をしていた僕は、そのことで、ある保守系の議員から、
「旗びらきの司会をしてるそうやが、お前は共産党員か?」
と嫌味を言われたこともあった。
「旗びらきの司会をしただけで、なんで共産党員やねん」
と言い返したかったが、もちろん、その頃はまだ若かったので、黙っていた。
そんなこともあったけれど、旗びらきの司会は楽しかった。
市役所の地下にあった薄汚い食堂で、毎年、当時の「旗びらき」は行われていた。
漫才の横山たかし・ひろしを呼んだこともあった。
「おぼっちゃまじゃ。すまんのう」の、あの漫才コンビである。
なにせ30年ほど前のことだから、当時彼らはまだ無名に近い存在であった。
たかし・ひろしは懸命に漫才をしているが、ガヤガヤとして誰も聞いていない。
みんな、食べたりしゃべったりするのに大忙しである。
そのうち、顔の大きい方(ひろし)が、
「お前ら、ええかげんにせい。漫才、聞いてへんのか。…箸を置け、箸を!」
そういって、本気半分、ギャグ半分で怒鳴っていたのを覚えている。
あぁ、あのころが懐かしいなぁ…
あれから、年月が経ち、僕もいつの頃からか、旗びらきとは縁遠くなった。
おそらく、もう20年以上、ここへは出席していなかっただろう。
それが、植○委員長のお誘いのおかげで、再びこの世界に舞い戻ったのだ。
しかも、退職してからである。
…感慨にふけりながら、目の前の旗びらきの光景を眺めていたら、
「おやおや、めずらしい。○○君じゃないか。 今日はなんで…?」
そう言って近づいてきたのは、僕が司会をしていた頃の執行委員長さんだった。
あぁ、これまた、お懐かしい~
この、昔の執行委員長さんは、僕が旗びらきの司会が終えたら、
「ご苦労さんでした」と、いつも、帰りに近くの居酒屋へ連れて行ってくれた。
「え…? あんた、退職したん…? わしも、もう、後期高齢者やもんなぁ…」
元委員長は、目尻にいっぱいシワを寄せて嬉しそうにビールを飲み干した。
そのあと、いろいろと懐かしい人たちがテーブルにやってきて話しかけてくれた。
ビールを注いでくれたり、樽酒を入れてきてくれたり…。
(いちおう、今、アルコールは自粛しているのであるが…)
それを、ちびりちびり飲みながら、6時から、8時過ぎまで楽しんだ。
自粛している、という意識があったゆえか、あるいは…
久しぶりに結んだネクタイが気を引き締めたのか、
酒を飲んでも、ピクリとも酔わなかった。