一夜明けて4月25日。
ホテルの朝食はなかなか素敵だった。
各種のパンはおいしいし、バターもチーズもハムもジュースもみんなおいしい。
バイキング形式なのでなんでも自分で取るのだが、コーヒーだけは、従業員さんが各テーブルを回って入れに来てくれる。でも僕は、カフェインが不整脈に良くないので、コーヒーはめったに飲まない。だから毎朝そのつど「ノン・メルシー」と断り続けたのだが、せっかく来てくれているのに断るのは心苦しくて仕方なかった。おまけに「朝食にコーヒーも飲まないなんてヘンなヤツだな~」と思われたのではないだろうか…とちょっと気にもした。
さて、お天気はよさそうである。
朝食の後、「では、まいりましょう。忘れ物など、ござりませぬように…」
と3人張り切ってお出かけである。
また地下鉄に乗って、とりあえずバスチーユ広場まで行った。
「火縄くすぶるフランス革命!」(1789=ひなわく…)
な~んて、世界史の年代暗記でよく言ったものであるが、1789年のフランス革命の発端となったこの場所が、地下鉄8号線で乗り換えなしで来られることから、まずここを今日のパリめぐりの出発点に選んだわけだ。
「昔、ここにあった監獄をパリの市民が襲撃して、フランス革命が始まりました」
写真を撮りながら2人に説明をする僕は、まるで旅行社のガイドのようである。
バスチーユ広場
また地下鉄に戻り、1号線に乗って今度はコンコルド広場へ行った。
「ここが、フランス革命の時に、マリー・アントワネットとかが断頭台で処刑された場所でございます」と、にわかガイドはますます調子に乗ってくる。
「はぁ…。ここが、ワシントン広場ねぇ…」
「あのぉ、姉さん…。いま言ったと思いますが、ここはコンコルド広場です。ワシントン広場じゃありません。ニューヨークじゃないんですから」
「あぁ、そう…??」
姉は時々、どこまでが冗談でどこからが本気なのかわからないことを言う人である。旅行が終わったあと、姉から妻にメールが来て「あのバッキンガム宮殿は良かったね」とあったのは、ベルサイユ宮殿のことであった。「あの怪人二十面相の場所ね…」と言ったのは、オペラ座のことであった。(確かにどちらも「怪人」がからんでいるけれど…)。こういう姉の雰囲気が、僕をなごませてくれるのだ。
僕がコンコルド広場へ初めて来たのは、14年前の1994年(平成6年)10月だった。10月の16日だったことまで、はっきり覚えている。
それは、マリー・アントワネットがここで処刑された日が、1793年の10月16日だったからであり、僕がここを訪れたのも10月16日だったからだ。1994年10月16日は、悲運の王妃が断頭台の露と消えた日から201年後ということだった。「う~む。去年のきょう来ていたら、ちょうど200年後ということになっていたんだなぁ」などと当時、思ったものである。
「それがどないしたん?」と言われたら、どないもしませんけど…。
そのコンコルド広場から、くっきりとエッフェル塔が見えた。
「あれに見えますのが、エッフェル塔でございま~す」
と、姉にその方向を示すと、
「あ、ほんまやわ。すごい!」と感動のまなざし。
「東京タワーと違いまっせ。通天閣とも、自由の女神とも違いまっせ」
と、よけいな念を押す僕であった。
コンコルド広場。 左にエッフェル塔が見える。
広い道路を横切って、シャンゼリゼ大通りに入る。
コンコルド広場から凱旋門までの約2キロがシャンゼリゼ大通りだ。
直線道路の遥か彼方の先に、凱旋門が、チラリチラリと見える。
「こちらがシャンゼリゼ大通り。あちらが凱旋門になりま~す」
「うわ~。すごい」と声を弾ます姉。
シャンゼリゼは、まだ午前9時台ということで、華やいだ雰囲気はなく、人の数も少なかった。凱旋門でしばらく時間を過ごし、さて、次のコースに向かって出発である。ブログ仲間で、去年まで3年間パリに住まれていたボワシエールさんがお勧めの散策コースだ。
コンコルド広場からシャンゼリゼ大通りを歩いて行くと、凱旋門が近づいてくる。
まだ午前9時台だったから、歩道の人通りは少なかった。
間近で見る凱旋門。
凱旋門からメトロの階段を下りて、6号線に乗る。
2つ目に BOISSIERE(ボワシエール)という駅があった。
あぁ、ここがボワシエールさんの住んでおられたところだったんだなぁ…。
次のトロカデロで9号線に乗り換え、2つ目のラミュエットという駅で降りた。
ここからが、ボワシエールさんのお勧めスポットであった。
パッシー通りというところからトロカデロ広場まで歩いて、「そこからのエッフェル塔の眺めが最高です」という景色を味わってみようという予定だ。
ラミュエットで地上に上がり、ボワシエールさんの記事をプリントしたものを取り出して、ついでに磁石も出し、方角を確かめる。パリは大阪や京都のように東西南北に道路が走っていない。あの道もこの道も、斜め斜めに延びているので、北や南にまっすぐ歩いているつもりでも、知らぬ間に東か西のどちらかにどんどんそれて行く。迷子にならない方がおかしいくらいである。だから、しっかりと通りの名前を標識で確かめつつ、かつ磁石でおよその方角を把握して進まなければ、必ず方向を見失ってしまう。
「あれは…?」と妻が指差す標識を見ると、「PASSY」という文字が見えた。
「お、あれや、あれや。あれがパッシー通りや!」と思わずうれしくなった。
パッシー通りはブランドのブティックが多く並ぶお洒落な通りだった。
なんとなく雰囲気が上品である。そういえば、このあたりはパリでも屈指の高級住宅街だとガイドブックに書かれていた。
ボワシエールさんが、
「パッシー通りを歩いていると、右手にマクドナルドがあるのですが、そこを右手に折れると常設のマルシェ(屋内)があります。また、マクドナルドの右手の裏通りには、八百屋さん、肉屋さん、イタリアンの食材店、コーヒーショップ、ワインショップ、ティーショップなどが立ち並び、ブラッスリーやクレープリエ(クレープやさん)、レストランなどもあります」
そう書かれていたとおり、右手にマクドナルドが現れた。
マルシェ(市場)もあったので、中に入ってぐるっと中を見学した。
そして今度は、裏通りへ入って行った。
そこには、旅行ではなかなか味わえないパリの生活の匂いが漂っていた。
八百屋さんの前を通ると、店頭にいたお兄さんが僕らを見て、いきなり日本語で、
「いち、にい、さん、しい」
と数を数え始めた。僕たちは立ち止まって、お兄さんの方を見つめる。
お兄さんは得意そうに笑顔を振りまきながら、
「ごぉ、ろく、ひち、はち、く~、…じゅう!」
と声を張り上げ、数え終えると、どうだとばかりこちらを見た。
「すごい、すご~い」と僕らはお兄さんに拍手をした。
通りを再び歩き、パッシープラザというところへ来た。
「パッシープラザの地下にある Inno というスーパーの入口のパンやさんのバゲットが私が一番お気に入りのバゲットでした」
そうボワシエールさんは書かれていた。
地下に降りてそのパン屋さんをのぞいてみた。
なるほど。おいしそうなパンが並んでいた。
0.75ユーロのクロワッサンが、特においしそうだった。
「そうや。ここでトイレに行っておこう」
と、僕たちはこのスーパーでトイレを探すことにした。
エレベーター前にトイレの標示はあったけれども、標示だけで「実物」が見当たらない。僕たちはきょろきょろするばかりで、わけがわからない。
そこへ中年の女性がやって来た。
「トワレ?」と言いながらトイレの標示を指差すので、「はい」と答えた。
すると、エレベーターの扉をさわって、「これに乗って地下2階で降りたらトイレがあるよ」と言い、わざわざ降下のボタンも押してくれた。親切な人である。
お礼を言ってエレベーターに乗り、地下2階で降りると、そこは駐車場の出入り口であり、警備員室もあった。トイレは警備員室の横にあり、掃除が行き届いた綺麗なトイレだった。パリの街を歩く際、難関のひとつはトイレなので、こういうところでいいトイレにめぐり合うと感動すらしてしまう。
再びパッシー通りに出て、僕たちは歩き始めた。
次の目的は、エッフェル塔である。
もう、そのすぐそばまで来ているはずだった。
~ 続きます ~
パッシー通りがすぐに見つかってよかった。
マクドナルドのわき道には、パリの人々の生活の匂いに満ちていた。
パッシープラザ。 パッシー地区は高級住宅街の代名詞だとも言われている。
パッシープラザの地下にあるスーパー Inno 。 親切な人にトイレを教えてもらった。
ボワシエールさんのお気に入りパンやさんも、降りたところのすぐ左側にありました。
左の下がパッシー通り ・ パッシープラザ。 セーヌ川をはさみ、右下がエッフェル塔。
地図の一番上、やや右のあたりに BOISSIERE という文字が見えます。
ここが、ボワシエールさんのゆかりの場所ですね~。