僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

エッフェル塔より愛をこめて

2020年06月29日 | 旅行

いきなりクイズです。
この写真はどこからどこを撮ったものでしょう?


 

えっ?「タイトルを見たらわかるがな!」って?
そうですわな。ははっ。

ハイ、これはエッフェル塔のエレベーターからパリの街を撮ったものです。天気が悪かったので景色は少しかすんでいますけどね。

コロナの感染が落ち着いたとして、先週の25日にエッフェル塔が約100日ぶりに営業を再開されたというニュースを見たので、今日はそのエッフェル塔について書いてみたいと思います。最後はお色気ギャグで終わるので、特に男性の方はお楽しみに。えへへ~。

エッフェル塔が営業再開と言っても、今のところ人数制限もされ、エレベーターも利用できず、高さ115mの第2展望台まで階段で登るだけ、ということになっているようです。

   

図のようにエッフェル塔は第1、第2、第3の展望台がありますが、階段は第2展望台までしかないので、今はそこまでだけの開業ということになりますね。

さて、去年8月にモミィたちを連れてパリに行きましたが、あれが僕にとっては5度目のパリ旅行でした。しかし、エッフェル塔に上ったのは、今から26年前、初めてパリに行った時だけです。その年(1994年)大阪府の市町村職員の海外研修というのに参加させてもらったのですが、他の市町村の人たちとのグループ行動だったので、「エッフェル塔に上ろか?」と誰かが言い出し、「行こう、行こう」ということになって僕も付き合った次第です。

僕らはエレベーターで第2展望台へ行き、そこで乗り換えて276mの第3展望台へ行きました。冒頭の写真はそのエレベーターから撮ったものです。


 
 エレベーターを乗り換える場所も長蛇の列。


 
これは第2展望台の様子をエレベーターから撮ったもの。
セーヌ川の景色が美しい。

そして第3展望台に着いたのですが、高過ぎて
しかも曇り空で景色はうっすらとしか見えません。
それでも懸命に写真を撮っている僕です。

 
 この写真は、同行の人が撮ってくれました。

それからまたエレベーターを乗り継いで下まで降りたのですが、途中、ふと見ると階段があったのを発見。実はそれまで階段があることなど知らなかったのでビックリしました。

  
  エレベーターの外を何気なく眺めていたら、
  階段を上がって行く人がいたのでビックリ。
  ちなみに第2展望台まで、階段は704段です。

~ん。階段があったのなら上がってみたかったなぁ、とふと思ったのですが、1人じゃないので、ほかの人に言ってもきっと「そんなしんどいこと、せえへんわ」と言われていたでしょうね。グループの人はほとんどが僕より年配の人ばっかりだったので。

そんなエッフェル塔・初体験でしたが、売店で「素敵な」絵はがきを売っていました。ちょっと恥ずかしかったですけど、何枚か買っちゃった!

その絵はがきを、仕事上大変お世話になっていた助役さんに送ったら、後日、
「お前なぁ。あのハガキ」と言ってから少し絶句。一呼吸置いて、
「孫が見て、ジイちゃん、これ何やのん? って言われて返事に困ったわ」
と、呆れられました。

その絵はがきというのは、これです。

 

 エッフェル塔より愛をこめて、皆さまにお贈りしま~す。

 

 

 

 

 

 

 

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マスクをめぐるカナダの思い出

2020年04月12日 | 旅行

今回の新型コロナウィルスの騒ぎでわかったことの一つは、欧米諸国の人たちはあまりマスクをしない、ということだった。それが今ではマスクの奪い合いで、世界中の人たちがマスクをしている。

僕は以前のブログで、たしかマスクのことを書いた覚えたあったので、検索して調べてみたら、2009年(平成21年)の5月に「マスクに関する大考察」という題名で記事を書いていた。

その頃、新型のインフルエンザが世界的に大流行していた。発生源は豚のインフルエンザウイルスで、これが農場などで豚から人に感染し、それから新型ウイルスとして広まったという。そして日本人高校生らがカナダへ研修に行った際にそれに感染し、日本でも大騒ぎになった。ちょうどその少し前、1月に僕は妻と妻の姉との3人でカナダ旅行をしていたので、その時の経験談を交えて書いたマスクに関する記事だった。

その時の記事を、以下に再掲載します。

  …………………………………………………………………………………

新型の豚インフルエンザ感染者がまた一人増えた。
別の高校生で、先の3人と一緒に語学研修に出かけていたという。

この高校生たちは、カナダ・オンタリオ州のナイアガラの滝や、トロントのCNタワーの隣にあるロジャースタジアムで行われた大リーグの試合観戦にも行っていた。その際、現地のカナダ人は、ほとんどマスクはしていなかったそうである。

今回のニュースを聞いていると、マスクをつけるという習慣そのものが、カナダや米国などの外国にはあまりないように見受けられる。高校生たちの話では、カナダのオンタリオ州でも、新型インフルの感染が広がっていたにもかかわらず、マスクをしている人をほとんど見かけなかったという。

そういえば、思い当たる節がある。

1月にナイアガラの滝へ行ったとき、滝の近くは歓楽街になっているのだが、そのひとつにカジノがあった。僕と妻と妻の姉は、一度覗いてみようとカジノの入り口まで来た。そのまま入ろうとしたら、入り口にいた警備員が僕のところへ寄ってきて、立ちはだかった。そして僕の口元を指差して何やら英語で尋ねた。

僕は、あまりの寒さに鼻が冷たくなりすぎるので、マスクをしていたのだ。

警備員はそんな僕のマスク姿を怪しみ、それを指差したのである。

「あんたは、なんでマスクなんかしてるねん?」と詰問したのだ。
僕が「寒いからやがな」と答えると、相手は、
「もうここは建物の中や。寒いことあれへんからマスクを取りなはれ」
と大阪弁なまりの英語で言った(ウソやん)。

まあ、逆らってどこかへ連行されたりしては困るので、マスクは外した。

そんなことを思うと、あちらの人たちにとっては、マスク姿というのは不自然なものに映るのだろう、ということは推察できる。

外国の新型インフルの蔓延は、そこに住む人たちがマスクに無頓着だったことと関係しているのかもしれない。とにかく、マスク、うがい、手洗いの3つは、普段から風邪などの予防にも、とても大事なことだという認識は、日本人が一番きちん持っているのではないかと思う。その点はいい国民性である。

マスクは、日本人が伝統的に身に着けてきたものかもしれない。

                      (2009年5月)

 …………………………………………………………………………………

とまあ、こんな記事を11年前に書いていました。

しかし、マスクが「日本人が伝統的に身につけてきたもの」であれば、その8割を中国から輸入しているというのも不思議な話ですけどね。

そして、今やそのマスクが世界中で引っ張りだことなり、僕たちも容易に手に入らない状況になっています。まさかマスクがこれほどの「超貴重品」になるとは、このブログを書いた当時は夢にも思わないことでした。本当にねぇ、世の中は何が起きるかわかりませんわ。


 
カナダのトロントの街の中で(2009年1月)。
寒さ対策にマスクをしたら怪しまれるので、
マフラーをマスク代わりにしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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機内のCAは男ばかりだった という話

2019年11月23日 | 旅行

僕は酒井順子さんのエッセイが好きなのですが、先日「泡沫(ほうまつ)日記」という本を読みました。その中に書いてあったことですが、これまで女性の専門分野だった職業に男性が進出してきたという話がありました。

それを読んで「な~るほどなぁ」と思った次第。

まず、昔は看護婦さんとか保母さんとか、女性だけの仕事だったものが、男性も加わり、それに伴い「看護婦」が「看護師」に、「保母」が「保育士」に呼び方が変わったのがその代表的な例です。ついでの話として「なぜ看護師は『師』で保育士は『士』なんだろう?」とその本に書かれていましたが、言われてみればそうですね。どう違うんだろ? ま、いいけど。

また、化粧品売り場にも男性店員がいて、女性客にメイクをする、という光景も見られるようになったという(ほとんどオネエ系の男性らしいですが)。

そして「某ヨーロッパ系航空会社では男性CAが多い」とも書かれていました。 ここを読んで、この夏に行ったパリ・ローマへの旅行を思い出しました。

あの旅行では、まず関西空港からエールフランス機でパリへ飛んだのですが、その飛行機のCAは全員が男性でした。あ、1人女性がいたっけ。でもチラっと見えただけで、ほとんど通路には出て来なかった。とにかく、男のCAさんたちが乗客のお世話をしてくれるのです。これには少しビックリ。

過去の海外旅行の飛行機の中で、男性のCAに出くわすということはほぼゼロに近かった。機内に男性がいても、その人は、いわゆる昔で言うスチュワーデスの上位職のパーサーで、彼らが食事や飲み物を運んだりすることはなかった。今ではスチュワーデスとは言わず、CA(キャビン・アテンダント)と呼ばれていますけどね。

それが今回のパリ行きの機内のCAは男ばかりで、そういう雰囲気に慣れていない僕としては、何となく殺風景な印象も受けた(まぁ、気分の問題ですけど)。CAの仕事は体力勝負といったところも多いので、むしろ男性のほうが職務を遂行しやすいかも知れない。だから考えてみたら、ちっとも不思議ではないんですけどね。でも、何か違和感を覚えるんだなぁ。

その後、パリからローマへ、そして帰途のローマからパリ、パリから関西空港へと乗った飛行機には、男性CAは全くいませんでした。繰り返しますが「気分の問題」として、やはりCAさんは女性がいいな、という感想は変わりません。

あの最初の飛行機だけが「男だらけ」で、妙に印象に残っていたので、酒井順子さんの文章を読んで「そうそう」と共鳴したんですよね。

酒井さんはその章の最後に、これまでの女性の職業分野へ、どんどん男性が進出するようになってくると、 「そのうち女性下着売り場でも男性店員が応対するようになるのかも」 と書かれていましたが、さすがにそれはないでしょうねぇ。いや、化粧品売り場と同じようなオネエ系の男性だったらOKかも。か、なぁ?

逆に、これまで「男性の仕事」とされていた分野へ、多くの女性が進出していることもまた事実です。つまり今は「これは男の仕事で、これは女の仕事」と分ける時代ではなくなってきているってことね。

それはそれで理解できるんだけれど。
でも、どこまでそれが広がって行くのか? 
ちょっと気になるところです。

 

 

 

 

 

 

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ソウルの 怪奇 “ いだてん爺 ”

2019年09月25日 | 旅行

前回、昔の韓国旅行でのいくつかの体験談を書きましたが、旅行の中で最も珍妙かつ驚きの体験をした話は、まだ書いていませんでした。

珍妙と言えば、ソウルで、街の中をぶらぶら歩いている時に急に足を引っ張られてビックリしたことがあります。何ごとかと思えば、道に座っている靴磨きのおっさんが、僕の片足をつかまえて「靴を磨かせてくれ」と言ったのです。人生、いろいろ「足を引っ張られる」こともあるかと思いますが、本当の足そのものを引っ張られるなんて、後にも先にもこれ一度だけですわ(笑)。僕は「いりまへん!」と断ってすぐにその場から離れましたが、転んで怪我でもしたらどうするんや。無茶なことするわ、この靴磨きのおっさん。

それともうひとつ。商店街のような賑わった通りを歩いていると、今度は横からいきなり腕をつかまれ、店の中に引きずり込まれそうになりました。相手は店の男で「ここで何か買ってくれ」と僕の腕を引っ張ったのです。これまた日本では考えられない荒っぽい行為でした。

とまぁ、いろいろあったのですが、最も珍妙なことが起きたのは、ソウル駅の前の地下街での出来事でした。

真昼の地下街はビジネスマン風の人たちが多く歩いていた。僕はこの近くにあるはずの南大門へ行きたかったので、地下街の一角にあったソウル駅周辺の案内地図の前で立ち止まり、勉強してきたハングル文字を読みながら、南大門の方角を確認し、そして再び歩き始めた。

そのとき、何か妙な動きをする男が後方にいることに気づいた。

僕が案内図の前で立ち止まっていた時、後方にその男が立ち止まっていたのは知っていたけれど、僕が歩き出すと同時に、その男も後ろからついて来るように歩き出したのだ。僕が振り向くと、その男はすっと横を向き、 「関係おまへん、何にも関係おまへんで」 という顔をしている。それでも一定の距離を保ちながらついてくる。その仕草がいかにも怪しく見えた。そして僕は、今度は急に立ち止まって後ろを振り向いた。すると

あぁ、やっぱり 。その男もピタッと立ち止まったのである。そして男は再び、「怪しいもんやおまへん、おまへん」という仕草で横を向く。その動作がますます怪しい。

見ると、その男はかなり年配者であった。老人と言ってもいいほどだ。体つきは小柄で、風貌はちょっと怪異だった。目の焦点が合っていない。

前を見ると、地下道は前方で突き当っており、T字路になっていた。通路が右と左とに分かれている。「よぉし、まいてやれ」。僕はまた歩き出した。そして突き当りを右に曲がるが早いか猛然とダッシュして、50mぐらい全力疾走し、左側にあった上り階段の方に体をひねり、ダダダダ~っと跳ぶように駆け上がって、地上まで残り数段の所まで行った。僕はマラソンランナーのはしくれだったし、毎日走っていたので脚力には自信があった。

「フン。どうだ爺ちゃん。参ったか!」 と階段の下を確認しようと振り返ると

僕のすぐ後ろ、目と鼻の先とも言える階段の2、3段下に、その男がこちらを向いて立っていたのである。呼吸ひとつ乱さず、じいっと、焦点の定まらない両目を、僕のほうに向けて

「うそっ!」 僕は驚きのあまり腰が抜けそうになった。どうにか胸を張るようにして、その男に「なんだよ!」という顔をしてみせた。男は無表情のままだ。僕はすぐにまた男に背を向け、残りの階段を一気に地上まで駆け上がった。

地上に出て、少し先に信号があったので広い道路を走って渡った。さすがにもう、その男はついて来なかった。

そして、いま渡って来たの道路の向こう側、地下の出入口付近でその男が立っているのが遠目に見てとれた。

やれやれ。ホッと胸をなでおろした。

いったい何のために僕を尾行するような真似をしたんだろう? それも信じられない足の速さで。まるで忍者だ。

今もその時の光景が鮮やかに目に浮かぶ。ホント、不気味だった。

日本人とみて、何か文句を言ってやろうと思ったのか、それとも客引きだったのか? でもそれだったら話しかけてくればいい。黙ってあとをつけるようなことはしないだろう。どういうつもりだったんだろう?

それにしても、僕が地下の通路と階段を全力疾走したにもかかわらず、影のようにピタッとついてきたのにはビックリ仰天しました。ホント、謎だらけです。

そして謎のまま、数十年の歳月が経ちました。

この正体不明の男のことは、

ソウルの怪奇いだてん爺

と名付けて、死ぬまで忘れることはないでしょう。

 

 

 

 

 

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韓国に関する僕のイメージ

2019年09月23日 | 旅行

いま、日韓関係がさまざまな形で取り沙汰され、「史上最悪の関係」とまで言われるほどになっています。でも、それは政府同士の関係を言っているのであり、両国の国民同士の関係は悪くないということもよく言われている。そのへんは実際どうなんだろうなぁ、と、このごろよく思う。

先日の新聞記事によると、日本人の高齢者の多くが「韓国嫌い」で、「若い世代と大違い」 とありました。やっぱり、世代によって大違いなんでしょうかね~

まあ、今の若い人たちは、「日韓問題」と言っても、たぶん関心が薄い人も多いだろうし、過去の歴史問題で、韓国の政府やマスコミが日本を批判し続けているということなんかにも、わりと無関心だったりするんでしょうね。

僕は高齢者ですが、それほど韓国嫌いではありません。大統領の文在寅(ムン・ジェイン)は大嫌いですけど。この大統領が日本を責めることで国民の人気を得ようとしているのだから、両国が仲良くなれるはずありませんよね。

ところで僕の場合、たとえばスポーツ、特にサッカー、野球、女子バレーボールなどで相手が韓国だと、テレビ観戦していても異常に血が騒ぐ。最近では、高校野球の日本代表が韓国代表に敗れたり、女子バレーW杯では先週、韓国に逆転負けを喫したりして、「うぅっ、残念!」と悔しがったりしています。でも、だからといって韓国という国自体が嫌い、というのとはまた少し違いますけどね~(よく似たものか?)。

  …………………………………………………………………………

さて、僕自身のことを言えば、40歳前後の頃に、韓国語を熱心に勉強したことがあり、その成果を試すため「韓国語の武者修行」と称して約1週間、韓国のあちらこちらを歩き回ったことがあります。

最近また、あの頃の韓国旅行のことをよく思い出します。楽しい思いも、嫌な思いも両方したけれど、あれから約30年経った今でも、深く心に沁み込んでいる旅でした。

今日はその旅の話ですが

釜山、慶州、ソウルの3か所を巡ったのですが、何せ「語学修行」ですから、ホテルの予約はいっさいせず、現地に着いてから、ガイドブックに載っているホテルに電話を入れてそこへ宿泊する、という具合でした。

 

 
 韓国内は、釜山から慶州、
 ソウルと全てバスで移動しました。


 
 仏国寺で。 慶州にある韓国を代表する寺院です。
 

旅行中、歩いている時に何人もの男たちから声をかけられました。何を話しかけてくるのかと言えば、内容はだいたい二通りです。

ひとつは、日本人と見たら文句をつけてくる男たち。みんな老人で「日本人は韓国人に悪いことばかりしてきたから嫌いだ」という意味のことを、わざわざ近づいてきて言い、す~っと向こうへ行くのです。

そして、もうひとつのパターンは、
「いいカノジョいるよ。遊ばない?」
と日本語で言いながら寄って来る客引きの男たち。ソウルで一番の繁華街・明洞(ミョンドン)というところでは、昼間なのに、ホント何人の男たちから声をかけられたことだろうか。確かに当時は韓国人女性を目当てに訪韓する日本の男が多かったのも事実なので、僕もそう見られたのでしょう。もちろん無視しました。ホンマですよ!(ここ、強調)。

また、慶州の鉄道の駅の窓口で、駅員にソウル行きの特急列車のチケットのことを聞くと、その駅員は僕のぎこちない韓国語にイラっとしたのか「オプスムニダ(無い)!」と怒鳴って、ピシャリとガラス戸を締められました。そんな気分を悪くするようなことも何度かありました。

でも、親切な人もいました。ソウルの満員の地下鉄の中で、僕は大きな荷物を抱えて立っていたのですが、座っていた男性がすっと立って「どうそ、ここへ」と言ってくれました。せっかくなので座らせてもらったのですが、あの時はうれしかったですね。

また、慶州からソウルへ行く長距離バスの乗り場が分からず、通行人の男性に尋ねたところ、かなり距離があったにもかかわらず、その男性はそこまで一緒に歩いて連れて行ってくれました。そういう親切な人たちも、多くいるんですよね。

百貨店や土産物屋さんなどのお店では、女性の店員さんがとても愛想がよく、僕がカタコトを話すと笑顔でペラペラペラ~っと返してきます(何を言ってるのかわからなかったけど)。

中国の北京では、ほとんどブスっとした応対で、釣銭をポイと投げられたり、店員同士おしゃべりをして客に見向きもしなかったり、というケースが多かったし、パリでも、大衆的な店の店員さんは物を買っても不愛想な応対が多い。その点、あの時の韓国旅行では、いろんなお店の人たちが笑顔で親切に応じてくれていたことが印象に残っています。

ま、30年ほど前はそういう感じでした。今はどうか知りませんけど。

ところで話は変わりますが、慶州からソウルへの長距離バスに乗った時のこと。バスに乗ると、すぐに「乗客の皆さん、シートベルトを締めてください」という車内放送がありました。

しかしその当時は、日本でもシートベルトは今のように義務化されておらず、そもそも運転手席や助手席でもないのに、バスの客席でシートベルトを締めるなんて思いも寄らないことだった。それで僕もベルトをせず、座っていた。するとバスがグングンと加速を始め、猛スピードになった。日本でこれほどスピードを出すバスなど乗ったことがない。さらに、道路自体がきちんと整備されていないのか、ガタガタガッタンとすごい振動だ。僕は椅子からピョンピョンと宙に跳ねてひっくり返りそうになった。あわててシートベルトを締めたことは言うまでもありません。あの運転はひどかったし怖かった~。どんなことでも、日本と同じように考えていてはダメだという一つの典型ですね。

韓国へ行ったのはそれ一度きりなので、今でもその時のさまざまな体験が、僕の韓国のイメージとして残っています。

ところで、30年前に勉強した韓国語は、日本語と語順が同じということもあり、とても覚えやすいんですよね。覚えやすいし、発音もしやすい。つまり、会話がしやすい。今でもけっこう覚えています。それに引き換え、最近勉強したイタリア語ですが、旅行からまだ2か月も経っていないのに、ほとんど忘れちゃいました。とほほ。

 

 

 

 

 

 

 

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何が何やら ~ 旅の終わり ~

2019年08月31日 | 旅行

こんなタイミングってあるんですね。びっくりしました。昨日だったか、英誌のエコノミストの調査部門というところが、世界の安全な都市のランキングを発表し、東京が世界1位、大阪が3位に入った、とのニュースが流れました。

ふ~む。やっぱりねぇ。 思えば

街のあちらこちらに機関銃を持つ警察官が立っていたローマや、白昼堂々地下鉄スリ集団が横行するパリなどを旅してくると、大阪へ帰るとホッとします。東京や大阪に限らず、ま、このごろ凶悪犯罪が増えたとはいえ、日本はやはり、まだまだ安全な国なんですよね。

海外を旅行すると確かにエキサイトします。でも帰国すると心が和らぎ、改めて「あぁ日本に生まれてよかった」という思いに浸れることも事実です。

今回は特にそういう気持ちが強かったのですが、それだけ年をとったのだろうかなぁと思ったりもしますけど(笑)。

さて、パリの最後の日。

ホテルのチェックアウトをしようと一人で先にロビーに降りたら、フロントにはおっさんが1人だけ。それも電話で話をしている。僕をチラッと見たが、それから10分近く電話で話を続けたまま。他の係員が来る気配もなく、そのおっさんも仕草だけでもいいから「お待ちくださいね」くらいの態度を見せればまだ可愛いのに、そういうのも全然なく、僕はその間、ずっとカウンタの前で立って待っていた。そのあと、やっとチェックアウトをし、後から降りてきた3人とロビーで車を待ったのです。しかし

空港まで送ってくれる車は10時20分に来るはずだったけれど、待っても待っても姿を見せず、結局1時間遅れてやって来た。飛行機は午後1時50分発だからまだ時間はあったけれど、約束の時間から1時間も遅れるとは。また、デモやストで道路が渋滞していたのだろうか? 何の説明もなし(説明されても、言葉わからんけど)。

そして空港に着くと、今度はそこが人でごった返していて、どこがチェックインの場所か分からない。行列も、人が多すぎて何の列か不明。空港の職員の数も少ない。やっと一人の女性職員を捕まえて、エアチケットを見せ「どこでチェックインをして荷物を預けたらいいのか」と聞くと、女性は「機械で」と言って、機械の方向を指差しただけでさっさとどこかへ消えてしまった。確かにそこに自動チェックイン機のようなものがあったが、使い方がわからない。そういえば、カナダへ行った時やロスへ行った時も機械だったけれど、どちらも空港職員が待機しており、全部やってくれた。僕はもともと機械に弱いんだからね。

ところがここでは職員の姿がほとんど見えない。見つけても、何人もの客に取り囲まれて話しているか、知らん顔されるか、である。しばらくは係員を求めて、あちらをウロウロ、こちらをウロウロしたけど時間が経つばかり。空いているカウンターがあって女性職員がいたので尋ねるとやはり機械でやりなさい、と言ってあとは知らん顏。みんな冷淡ですね、この空港の人たち。

ローマからパリへ移動するとき、ローマの空港では機械でなく有人のカウンターに並んで普通にチェックインできました。なのに、このパリの空港は何?

仕方なく、わからないまま自動チェックイン機の前へ行くと言語を選ぶボタンがあって、そこに日本語もあったのでそのモードにした。するとモミィが「私がやるわ」と言って、画面の指示に従い、操作を始めた。4人分のパスポートの顔写真ページを下にしてスキャンし、情報を入力したら、搭乗券が出てきて、最後に荷物につけるタグもガチャガチャと出てきたのでホッと一安心。それを持って有人のチェックインカウンターへ行き、荷物を預けて手続きはやっと終了しました。

モミィも、いざという時に頼りになりますわ。

当初は飛行機の時間まで長いなぁ、思っていたら、ホテルからの車は遅れるわ、チェックインにはモタつくわ、そのあとこれも長蛇の列のセキュリティを通り、広い空港内をエッサエッサと歩くわ、売店へ寄るわで、ようやく搭乗口にたどり着いたら、時間は1時を過ぎており、すでに搭乗口前に乗客が並んでいた。飛行機は1時50分発である。


 
僕らが乗る「L42」の搭乗口にはもう乗客の列。

僕は「機内では食事は夕方しか出ないよね。みんなまだお昼を食べていないので、パンでも買おう」と、列に妻と義姉を残し、モミィと2人で売店へ走り、大きい目のサンドイッチを4人分買い、列に戻った。あぁ、忙しい!

でも、これでやっと飛行機に乗れる。乗ってしまったら後はもう、大阪までゆっくりできる。バタバタするのも、もうこれでおしまい!

そう思った時、この旅行で、初めて緊張感というものがほぐれていくのを感じました。

飛行機に乗り、やっと落ち着いたとたんにお腹が減ってきた。午後2時過ぎに飛行機が離陸してから、しばらく経った時、先ほど買った大きなサンドイッチを、4人でモグモグ食べたのですが、やはり「特大サイズ」なので、それでお腹が十分に膨れました。

「お腹も膨れたし、少し眠るか」

そう思った時、通路の向こうから乗務員さんたちが飲み物を配り始めるのが見えました。ふつうは食事の前に飲み物が来るので、「えっ?」と思ったら、やっぱり

飲み物のあとに、機内食が運ばれてきたのです。

時計を見ると午後3時。数十分前に特大のパンを食べたばかりなのに! この機内食って昼食? 夕食? と思っていたら、どうやら日本との時差の関係でこれが夕食のようでした。

なんともねぇ、チグハグなことの連続です。

とまぁ、最後まで愚痴や小言を並べてしまいました。

 ………………………………………………………………

さて今日は8月31日。旅行に出発した日からちょうど1ヵ月が経ちました。明日からもう9月ですね。早いですわ。

今回の旅の「こぼれ話」は他にもいろいろあって、折に触れてご紹介したいと思いますが、愚痴や小言はもうやめて、面白く読んでいただけるようにしますので、またよろしくお願いしま~す。

 

 

 

 

 

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パリ歩き3日目 最後は懐かしの食堂へ

2019年08月29日 | 旅行

今月8日から、旅行の話を10回以上も長々と続けています。我慢強くお読みいただいている方々には、心から感謝申し上げます (おおきに~!)。

さて今回はパリの3日目です。明日は帰国の日という最後の1日。前日のスリ集団のこともあったので、気合を入れて臨みました(どんな気合?)。

ホテルで朝食をとった後、さぁ出発。

 
ホテルから地下鉄駅へ向かう(歩いて数分の距離)。

まず最初は、一昨日の夕方にチケットを買えなかったルーブル美術館へ二度目のチャレンジです。

この日も同じ地下鉄駅で降り、地下の通路を通って切符売り場へ行った。かなり手前からズラーっとお客さんが並んでいた。取りあえずその最後尾に並んだものの、ふと見ると、別の列もあった。で、僕一人、列から離れて別の列のほうへ行って様子を見ていると、1人の女性が「団体ですか?」と日本語で僕に声をかけてきた。日本の人だった。

「いえ、個人ですけど」と僕は答えた。 「あ、じゃぁ、ここは団体の列ですから、あちらへ並べばいいです」

つまり、いま僕たちが並んでいた列でいい、ということだった。でも、何となく気になったので、その列に沿って前のほうに歩いて行ってみた。すると途中にこんな看板が立っていたのです。

  

フランス語の次が英語で、それを見たら、今日はオンラインでのチケット以外は販売していない、というようなことが書かれていた。

な~んだ、それは。また入れないわけか。まったくねぇ~。一昨日に続き、今日もまたルーブル美術館に肩透かしを食ってしまったわん。

 
オンラインチケットの人たちも、長蛇の列でした。

やれやれ。今回はルーブル美術館には縁がなかったですね。しかしまぁ、その分、ほかの所へ行く時間ができるからいいやろと気を取り直し、僕たちは地上に出た。とにかく、今回の旅行はどの施設へ行っても驚くほど大勢の観光客でごった返している。やはり観光シーズンなんだなぁ。

ルーブル美術館の広い敷地から、コンコルド広場~シャンゼリゼ通りの方に歩いて行くことにした。

しばらく歩くとチュイルリー公園に出た。

 

公園の中央には噴水があるのですが、この時は噴水は出ていませんでした(残念!)。正面のはるか向こうに、コンコルド広場のオベリスク(尖塔)が見えています

 

そしてコンコルド広場へ。左にエッフェル塔が見え、右にオベリスクが見えるこの景色は、僕がパリで一番好きな光景です。オベリスク側から向こうに伸びる道路がシャンゼリゼ通りです。


 

まっすぐ歩いて行くと、やがてシャンゼリゼ通りに来ました。これはトイレ案内板です。むろん有料ですけど。

シャンゼリゼ通りとトイレマークって妙な組み合わせですが、どうも、パリのトイレというのが気になるんですよね。

パリにはトイレが少ないうえ、あっても目をそむけたくなるほど汚いのも多い。(たぶんパリには「トイレの神様」はいないんでしょ)。だから、有料でも、こういうところなら綺麗だろうなと思われます(行ってませんが)。ただし「男女兼用」が多いです。つまり男女別がなく「個室」が並んでいるだけ、というやつです。ハイ。

 

 
さて、モミィはこんなお店に入るのが大好きなんですね。
このお店にも嬉しそうに入って、何かを買っていました。

パリは日本のような酷暑ではなかったですが、それでもやはり真夏ですから、歩いているとじんわりと汗も出ますし、喉も渇きます。

そこでみんなでシャンゼリゼ通りのマクドナルドに入りました。僕はそこでソフトクリームとコーラで喉を潤し、一息つきました。ふだんはマクドナルドなど入ったことはなく、ソフトクリームも10年以上食べたことがないしコーラも滅多に飲みません。(基本的にビールのある店しか入りませんから。へへっ)。しかしこの時はソフトクリームの美味しかったこと。そしてコーラもビールより何倍も美味いしく感じました。うむ。やはりパリの街は人を変えるのでしょうか(笑)。

 

 
そしてシャンゼリゼ通りの終点・凱旋門へ着きました。

 凱旋門から地下鉄でオペラ座へ行き、そこからまたぶらぶらと、街歩きを楽しみました。

 
 パリで最も有名なスーパー「モノプリ」に入りました。
 お土産のお菓子などを熱心に見て、まとめ買いしていました。
 何しろ、4人のうち、最もつき合い範囲が広い人ですからね(笑)。 
 

 

オペラ座からホテルまで、例によって地図とコンパスを頼りに歩きました。大通りとか裏通りとかをうろうろしながら街を歩くのは楽しいですね~

いったんホテルに戻り、休憩してから4人で近くにある「シャルティエ」という大衆食堂へ行きました。

さてこの「シャルティエ」のことですが

この店は、話せば長いのですが、実は24年前(1995年)に妻と2人でパリ旅行へ来た時、街を歩いていたら目についたので入った店がありました。とても感じのいいファミレス風の店で、エスカルゴを初めて食べたのもこの時でした。強く印象に残った店ですが、でも、たまたま入った店なので、それがどこだったのか、場所もわからないまま。「シャルティエ」という名前も知らなかったし。

ところが、その後、11年前(2008年)に妻と義姉と3人でパリへ来たとき、ホテルのすぐそばに、なんとその店があったのです。しかしそんなことは知らないまま、帰国の前夜、夕食も終わった後で、その前を通った時に初めて妻が見つけ、「あっ、ここ。前に来たあの店だわっ! こんなところにあったのね」と叫んだのでした。もう1日早く見つけていれば入れたのに、と残念な思いを抱きながら、店の名前が「シャルティエ」だったことだけは記憶しておきました。

そしてさらに偶然なことに、今回のホテルが11年前のホテルのすぐ近くだったのです。だから、あの「シャルティエ」の場所もすぐわかりました。「今度こそ行こうね」と妻が楽しみにしていたので、最後の夕べに4人でそこへ行ったという次第です。 

 
上に「CHARTIER」の文字が見えますよね。これが懐かしのシャルティエです。この下を右に入った所にあります。ここで4人ともセットメニューを注文したのですが、量が多くて食べきれませんでした。でも、僕と妻は、「幻の店」だったここへ、24年ぶりに入れたことに大満足でした。

 

CHARTIER(シャルティエ)については、こちらに出ています。

https://www.obonparis.com/ja/magazine/bouillon-chartier-french-brasserie

 

 


 

 

 

 

 

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パリ地下鉄のスリ集団に 危機一髪

2019年08月26日 | 旅行

海外への旅行では、日本のやり方が通じなかったり、いろんな不便や不快なこと、そして怖い思いをしたとしても、それこそが旅の醍醐味というものです。

という文章を何かで読んだとき、そうだなぁ、と全く同感でした。しかし、それも無事に帰国してから感じるものであって、その旅をしている間は、やはり不便や不快感、さらに怖い思いというものに「醍醐味」を感じる余裕は、なかなかありません。

  ………………………………………………………………………………

前回に書いたように、エッフェル塔から一番近いRER(近郊電車)に乗ろうと思ったらストで止まっており、その近くの地下鉄駅もシャッターが閉まっていた。仕方なく、長い距離を歩いて別の地下鉄駅を見つけたら、そこは運行していました。やれやれ。

このとき、今から思えば僕はかなり神経が疲れていました。歩いている間、いつ地下鉄にたどり着けるのか? ここは地図ではどのあたりなのか? 

自分一人ならどうということはないのですが、妻と義姉、モミィの3人を連れているだけに、そちらが心配で、心の中で負担を感じ始めたのも事実でした。

駅構内に入り、やって来た地下鉄に乗り、ドアのすぐそばにポールがあるのでそこに両手でつかまったのですが、これがいけなかった。パリの地下鉄はスリが多いので、出入り口に立つのは避けなければならなかったのに、何も考えずにそのポールにしがみついた。頭の中はもうボケボケという感じでした。


 
パリ地下鉄の車内の画像(ネットから)。
真ん中にあるのがドア近くのポール。

僕はここにつかまった。

すると、しばらくして

誰かが僕の手を引っ張った。少し冷たくて女性の手のように感じられた。目の前には金髪の若い女性がいて、目が合った。まさか彼女が僕の手をと思ったら、同時に左右から男たち数人が僕の体を挟むように強く押し付けてきた。

僕は頭が半ボケ状態で「何や? どうしたんや?」と、意味が分からなかったが、僕の手を引っ張る力がグイグイと強くなったので、その力に引かれるまま、男たちから抜け出した。

見ると、僕の手を引っ張っていたのは、ほかでもない、妻と義姉の2人だった。

手を引かれながらポールから離れ、車両の真ん中まで移動したとき、初めて事情が飲み込めた。「スリよ。バッグを狙っていたわよ」と妻が興奮気味に言ったので、見ると、バッグのチャックが4分の1ほど開いていた。が、パスポートなど中に入れていた大事なものは全部無事だった。地下鉄は次の駅で止まり、スリ集団は降りて行ったようだった。

近くの座席に座っていた女性が、僕の顏を見て少し笑った。「無事でよかったわね」という表情だった(見ていたんだ。でも、他人事なんだよね)。

「パリの地下鉄では、子ども連れや若い女性なども交じったスリ集団がいるので十分気をつけるように」と常に意識していた。そして、これまでの4度のパリ旅行では、地下鉄ではまったく問題はなかった。そういうこともあって「自分はパリの地下鉄に慣れているから」という油断と、その時は疲れから集中力を欠いていたこともあり、とんだ災難に遭うところだった。まさに油断大敵だ。

それにしても、自分が守らなければならないはずの妻や義姉に、逆に守ってもらうことになるとはねぇ。ぐすん。

帰国までまだ2日あるのに、しっかりしなければ!

そう自分に言い聞かせながら、地下鉄を降り、ホテルに向かった僕でした。

 

モミィが、帰ってから友達や塾の先生や習い事の先生たちにお土産を配ったとき、旅の様子を聞かれていろいろと話したけれど、僕がスリ集団に襲われそうになった話をした時が「一番みんなが盛り上がったわ~」と言っていました。

まあ確かに話題としては興味をそそります。で、みんな元気に帰国できたので、これも冒頭で紹介した「旅の醍醐味」だった、ということなのでしょうね。

 

  

教訓。
地下鉄でも何でも「慣れ」が「油断」につながります。

(ホテルの最寄り駅「グラン・ブルヴァール」の構内で)

 

 

 

 

 

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マルシェ~オペラ座~エッフェル塔。最後はスリ集団!

2019年08月24日 | 旅行

パリ2日目。この日はまずマルシェ(市場)に行くことに。

旅行前に妻とモミィがガイドブックを見て「ここへ行きたい」と言った中の一つがマルシェです。中でも日曜日しかやっていない「ラスパイユのマルシェ」が良さそうとのことで、地下鉄に乗って行きました。


 
日曜日の朝市、ということですね。
食べ物の他にもいろんなものがあり、賑わっていました。

モミィがその中のアクセサリーを売っているところに興味を示し、お気に入りのネックレスがあったようで、それを妻に買ってもらっていました。もちろん朝市の売り場ですから、高級品ではありませんよね。


 
お店の人に首にかけてもらっています。

そこから、例によって地図とコンパスを頼りに歩き回り、次の目標のパッサージを目指しましたがどうしても見つからず、あきらめて地下鉄に乗りました。

そして次はオペラ座。これまでのパリ旅行では外から見るだけで中に入ったことがなかったので、今回は入場料を払い入ってみることにしました。むろん施設内を見るだけで、オペラを見たわけではありません(笑)。


 
オペラ座。


 
オペラ座の中。

オペラ座からマドレーヌ寺院に向かって歩き、モミィの最大のお目当てであるお菓子のお店「ラデュレ」というところへ行きました。色鮮やかなマカロンで有名だということです(お菓子に関してはさっぱりわからない僕です)。

パリもローマ同様、いいお天気でしたが、カラっとしていてさほど暑さは感じませんでした。しかしそれでも、やはり夏。テクテク歩き続けると疲れてきます。

ラデュレに入ると、そこは食事や喫茶もできる内装になっていたので、僕たちはそこでやっとゆっくりと一服することができました。3人はお菓子やパンとコーヒーを注文し、僕はビールとお豆さんのようなアテを頼みました。


 
 ラデュレ

 
旅行前にモミィが買った本にも
ラデュレのことが載っていました


 
 マドレーヌ寺院。

 

そこからまた地下鉄に乗ってエッフェル塔へ行きました。


  
地下鉄駅から歩いて行くと、エッフェル塔が姿を見せました。

本当は向こう側からの景観がいいんですけどね~。でも、モミィがこの旅行の中で一番印象に残ったのはエッフェル塔だったそうです。

 

エッフェル塔に上る人たちが列を成しています。ここも一度だけ上ったことがありますが、これほど大勢の人たちが並んでいるのを見たのは初めてです。今回の旅行は、ローマも含めて、どの観光地もすごい人出でした。8月に来るのは初めてですが、やはり並外れて観光客が多かったです。

このあと、最寄りの鉄道駅に行くとストか何かで列車は運休。さらに、近くの地下鉄駅へ行くとシャッターが閉まっている。ここもスト? タクシーは3人までしか乗れないので、歩くしかなく、ここから地下鉄の2駅分歩いて、やっと運行している路線までやって来ました。

それはまぁ、よかったのですが、ここから乗った地下鉄の中で、まさかのスリ集団に取り囲まれ、あわやの事態になるとは夢にも思いませんでした。ホントにびっくりしました。

 

 

 

 

 

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ドッキリ・イライラ パリの旅のはじまり~

2019年08月22日 | 旅行

パリは、僕にとっては海外で最も馴染み深い街なので、ローマに比べたら楽に回れると思っていたのですが、その考えは、甘かったですわ~

地下鉄でスリ集団に取り囲まれたのには驚きました。 あんなの、初めてです。また後日、詳しく説明しますけど。

また、あれこれしんどい目をしたり、ストで一部の地下鉄が走っておらず仕方なく長い距離を歩いたり、道に迷ったり、さらに最終日にはホテルから空港へ行く迎えの車が時間になっても来ず(理由はデモのため道路が一部封鎖で大渋滞だったそう)、帰りの飛行機に間に合うのかドキドキしたりと、いろいろと大変なことがありました。

おまけに、何をどこに直したのかわからなくなり、ホテルの部屋でもスーツケースやバッグの中を何度も探しまわったりとかねぇ。これまでの旅行の中で、最もあたふたした今回のパリ旅行でした。これも年齢のせいでしょうか?

ま、具体的なことは順を追って説明しますが、とりあえず、ローマの早朝、JTBが手配した車でホテルから空港へ行きました。ともあれローマでの丸2日間はとても楽しく過ごせました。

さて、JTBが手配した車と言っても、運転手は英語しか話せない外国人だし、車内での会話は全くありません。空港の搭乗ゲート近くで降ろしてもらい、パリへのチェックインをするため、列に並びました。


 
  ローマの空港のチェックインカウンターに並ぶ

そして、約2時間でパリの空港に着きました。

 

空港には黒人の運転手が迎えに来てくれたのですが、車に乗ってからしばらくすると、運転手が盛んにスマホをいじっているのが見えた。

「ながら運転か? 危ない奴やなぁ」と思っていたら、そうではなく、どうやら交通が渋滞しているようで、それを調べていたようだ。どうも同じ道をグルグル回っているような気もするし、一向にホテルに着かない。すると突然、運転手は僕たちに向かって「デモ!」と声を挙げた。こっちが黙っていると、「デモ、デモ」と繰り返した。思うに、街でデモが行われているので、通れない道路があって困っている、という意味だったのだろう。

本来なら30分ほどで着くはずのホテルへ、1時間以上かかって着いた。

このストやデモというのはパリでは日常茶飯事らしく、ガイドブックにも気をつけるようにとあった。でも僕は、これまでのパリ旅行では経験がなかったので甘く見ていた。ところが

この翌日にも、エッフェル塔へ行ってから最寄りの駅へ行くとストで電車が止まっていたし、そのそばにある地下鉄もシャッターが閉まっていた。しかたなく、別の地下鉄路線まで1時間近く歩いた。

タクシーに乗ればいいようなものだけど、パリでは客を助手席に乗せないので、後部座席に3人までしか乗れない。僕たちは4人連れなのでタクシーに乗ろうと思ったら2台に分乗しなければならない。タクシーも時に不当な運賃を要求したりするので(特にストやデモの時は法外な値段をふっかける)、2人ずつに別れて乗ると、僕が乗る方は何とでも交渉するが、僕が乗っていないほうは何をふっかけられるかわからない。だから、歩くしかない。そんなことも、パリの旅行中にはありました。

さて話を戻し、パリのホテルに着いたのは午後2時頃。休憩したあと、ルーブル美術館に行こうということで、最寄りの地下鉄駅へ行きました。

  

この「グラン・ブルヴァール」という「オペラ座」から2つ目の駅が、ホテルから最寄りの地下鉄駅でした。ところで偶然にも、11年前に妻と義姉と3人でパリに来たときも、ここが最寄りの駅で、ホテルも今回泊まったところのすぐ近くでした。

で、地下鉄路線図を見ながら、2駅目のオペラ座駅で乗り換えて、ルーブル美術館の近くの駅へ降りました。そして地下の通路をルーブルに向かって歩いて行ったのですが、切符売り場まで行くと、「チケット・ストップ」みたいな看板が置かれていました。なに、これ?

満員のため(だろうと思いますが)、チケットは売り切れ(あるいはもう売らない)、というようなことが書かれてありました。

 
チケット売り場周辺には、入れずに立ち尽くしている人が多くいた。


どうもパリへ着いてからチグハグなことが続きます。

まあ、パリには明日も明後日も丸々1日いるんだから、次にまた来よう、と気を取り直し、外へ出ようとしたら、こんなのが目につきました。

 

トイレでした。ローマでもそうでしたが、 パリにもなかなかトイレはありません。あっても汚いことが多いですし(ここはきれいだったですが)。

ここはもちろん有料で、1ユーロ約125円ぐらいだったかな? でも有料でもきれいなトイレを使えるのは大助かりです。僕も使いましたが、女性たちはズラ~ッと並んでいました。

パリのどこでもそうでしたが、いろんな表示はフランス語の他、英語と中国語です。日本語はありません。

 
こういうふうにね。
ま、中国語なら何となく漢字で検討がつきますけど(笑)。

そしてルーブルの外に出て、美術館を背景に写真を撮っていたら、香港から来たという若い2人の女性が「写真を撮ってくれませんか」と言ってきたので撮ってあげたら、今度は僕たちも撮ってくれました。その時の4人の全員写真です(右側が義姉です)。

 

 

以上がパリに着いた日の午後の半日でした。

このあとは、またぶらぶらと歩いて、適当に地下鉄に乗ってホテルへ帰り、その向かいにあったスーパーで食べ物を買って、みんなで一つの部屋に集まってくつろぎ、僕はビールで喉を潤しながら、次第にいい気持になってきていました。

ちなみに、ホテルの部屋はツインで、僕と妻、モミィと義姉という組み合わせで泊まりました。


★旅の話とは関係ありませんが、今日、全国高校野球大会の決勝が行われ、履正社が初優勝し、去年の大阪桐蔭に続き2大会連続で大阪勢が優勝しました。星陵が北陸勢初の優勝を逃したのは残念で、勝負の世界の厳しさを知らされましたが、まずまず大阪の人間としては喜ばしい結果となりました。

 

 

 

 

 

 

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ヴァチカン美術館より缶ビール?

2019年08月18日 | 旅行

「真実の口」からチルコマッシモという地下鉄の駅まで15分ほど歩いた。「M」(メトロ)のマークがあるので地下鉄の駅は見つけやすい。でも、パリでもそうだったけど、マクドナルドも同じ「M」の看板なので、時々間違ったりします(笑)。

さて、地下鉄の切符は自販機で買います。小さな駅だと駅員の姿はなく、地下へ降りてもひっそりとして、改札口の手前に自販機がひとつあるだけ、という具合。このチルコマッシモ駅もそうだった。ちなみに、旅行前にネットで自販機での切符の買い方を調べていたので、切符を買うのに苦労はしなかった。料金も、日本のように行く先によって金額が変わることはなく、どこも同じ料金なのでわかり易い。そして、地下鉄を降りた時は改札はなく、そのまま出るというシステムになっているので、切符は入る時のみ通す、ということになります(これはパリでも一緒です)。


 
メトロの階段を降りて、4人分の切符を買った。
切符を買うのはモミィの役目です。


これは家に持ち帰った地下鉄の切符です。
出口で回収しないので、増える一方でした(笑)。

 
ちなみに、上のカラフルなのがローマの地下鉄の切符。
下がパリの地下鉄の切符です。大きさがかなり違います。
パリの切符が日本の切符とほぼ同じ大きさですから、
ローマの切符はかなり大きいですよね。

しかし、ここで思わぬ失敗をしてしまいました。

何気なく改札を経てホームに入ってから、僕たちが行く方向を確認したら、反対側だったことがわかった。これが日本の地下鉄なら、改札を出なくても一度上がって向こう側のホームに行くことができるけれど、ここはまた改札を出て、地上に上がり、車の走る道路の信号を渡って向こう側の「M」のマークの階段を降りて行かなければならない。当然、さっき買った切符は一度改札を通しているので無効になっている。ここでまた、切符を買い直したという次第です。トホホ

 

道に迷ったり地下鉄の入り口を間違ったりと、小さな失敗を重ねながら1日目は終わり、翌日はまた地下鉄に乗ってヴァチカン市国へ行きました。

少し前のブログにも書きましたが、システィナ礼拝堂などがあるヴァチカン美術館は入場するのに長蛇の列ができるということなので、事前にネットで予約をして行きました(予約するのも、えらい苦労しましたけど)。

ヴァチカンに着いて美術館へ歩いて行くと、やはり多くの人が並んでおり、予約票を持っていた僕たちは専用の入口からす~っと入れたのでよかったです。

ヴァチカン美術館はとても広く、かつ圧巻です。僕と妻は2度目ですが、やはりすごい、の一言に尽きます。大勢のお客さんの流れに交じって館内を歩いて行くのですが、数え切れないほどの古代彫刻、壁画や天井画、さらにさまざまな展示物を目に奪われ、僕らのような何もわからない者でも圧倒的な迫力を感じるのですから、興味のある人にはたまらないでしょうね。しっかり見て歩けば5時間ぐらいかかるそうです。

 
こういう感じでゆっくりぞろぞろと、見学しながら歩きます。

 

 


 


 

最後はシスティナ礼拝堂でしたが、ここは撮影禁止になっています。そのシスティナ礼拝堂の天井画・壁画に見とれながら、僕たちは外に出ました。

その近くにある、もうひとつの見どころサンピエトロ寺院にも行きましたが、前回来たときはすぐに入れたのですが、ヴァチカン美術館以上に多くの人たちが長い列を作っていたので、これはもう、入るのを諦めました。


 
ヴァチカン市国のサンピエトロ寺院。


20年前にここへ来たとき、寺院に入ってすぐに展示されていたミケランジェロ作の「ピエタ像」を見て深く感動しました。死んで十字架から降ろされたキリストを抱く母マリア(聖母マリア)の彫刻ですが、妻がこれにすっかりハマってしまい、寺院の中の売店でピエタ像の置物を買って、今もわが家に置いています。


 
「ピエタ像」 ネットからコピーした写真です。


 
これが20年前に買ったわが家のピエタ像です。
 

この日はヴァチカンで過ごした後、ホテルに帰り、少し休んでから、テルミニ駅を中心にあちこちをブラつきました。建物の中は涼しいし、いろんな店が沢山あるので、他の3人も楽しそうにしていました。僕も、ホテルの近くに戻ってくるとホッと一安心で「夜は何をアテにしてビールを飲むか?」な~んてことを考えながらウキウキした気分になってきます。ビールとアテが何よりお楽しみなら、別にローマでなくてもよかったんですけどね(笑)。

 

    

僕がローマ・テルミニ駅にあったスーパーで買って飲んだビールは全部この「TOP」という缶ビールでした。アルコール分はたしか7パーセントだったと思います。結構高いですね。ちなみにビールはイタリア語で「birra」(ビッラ)と言います。

たまたま最初に目についたものを買ったのですが、なかなかいけるので、深夜に到着した初日を除き、あとは2晩とも、スーパーの食品売り場で買った物をアテに、このビールを飲んでいました。

これがなけばその日の疲れは取れず、明日への活力も湧いてこない
ということになるのでございます。えへへ。

 

 

 

 

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「真実の口」にも大勢の観光客 ~ローマ・今昔物語~

2019年08月16日 | 旅行

トレヴィの泉から再び歩き始め、次はベネツィア広場をめざしました。

しかし途中でまた道がわからなくなった。交差点で立ち止まっていたら、向こうから中年婦人と、その婦人に手をつないでもらっているお婆ちゃんの2人連れが歩いて来られたので、「スクージ(すみません)」と声をかけた。お2人ともニコッと笑顔を見せてくれたので、例によって「ボレイ・アンダーレ・ピアッツァ・ベネツィア」と中年婦人に尋ねたら、横にいたお婆ちゃんの方がグッと身を乗り出して、ある方向を指差し、「ピョッピョッピョッピョッ」と早口で何かを口走った。僕はその指先を見て方角がわかったので、お2人に「グラッツェ・ミッレ」とお礼を言うと、まだ「ピョッピョッピョッピョッ」と言いながら同じ方向を指を差しておられました。

まあ僕の耳には「ピョッピョッピョッピョッ」としか聞えなかったのだけど、きっと指差す方向を「まっすぐ、まっすぐ行きなさい」と言ってくれたのだと想像します。親切なお婆ちゃんでした。

ちなみに、イタリア語で「ありがとう」は「グラッツェ」。その感謝の意を、強く表したいときには「ミッレ」という言葉をつけて「グラッツェ・ミッレ」と 言えばいいとのことでした。「ミッレ」は数字の千の意味で、「大変ありがとうございました!」という感じでしょうか。

  
教えられたとおり、その道を真っすぐ行くと、ベネツィア広場に出ました。

して、その正面に「エマヌエーレ2世記念堂」という立派な建物が見えました。

20年前、妻と長男の3人でローマに来たことがあるわけですが、その時は今日とは反対のコースで「真実の口」から歩いてきてこの前を通りがかったのです。観光客の姿はほとんどなく、1人の黒人男性がカメラを持って、ぽつんと立っていました。そして、長男を見てカメラを差し出し、「写真を撮ってくれないか?」頼んだので、長男が写真を撮ってあげていました。「どこやろね、ここは?」と、僕たちはその時、この記念堂のことは知らず、すぐにその場を後にしたものです。それがここだったんですね。

で、今日は階段のところで写真を撮り  

 
  

 
そのあと階段を登り、上から撮影しました。

正面の緑色の丸いところがベネツィア広場の中心です。
多くの主要道路が交わるロータリーでもあります。
僕たちは一番左の道路を歩いて次に向かいました。

 

 
15分ほど歩くと、やがて教会の鐘楼が見えてきました。これが「真実の口」がある「サンタ・マリア・コスメディン教会」です。これも映画「ローマの休日」で有名ですね。 

 

前述したように、20年前に3人でローマへ来た時もここを訪れたのですが、当時は思わず通り過ごしてしまいそうなほど、どこにも人の姿は見えませんでした。妻と長男と僕と、順番にそこで真実の口に手を入れて写真を撮ったのですが、ほかに人はいませんでした。そうこうしているうちに、2人組の女性がやって来て、僕らに写真を撮ってくれるように頼んだので、長男がその人たちを撮りました。僕ら以外の観光客と言えばそれだけで、有名な場所なのにガラ~ンとして誰も来ないんだなぁ、とその時、思ったものです。


 
これはその時、長男が、後から来た2人の女性に頼まれて写真を撮っているところですが、ほかに観光客は一人もいませんでした。

ところが今回は
 
 
外へはみ出すほどの多くの観光客が集まっていました。 

 

 
中はこんな大勢並んでいます。前回からは考えられない人混みです。
 

 

さらに今は有料になっており、写真を撮るのに何ユーロか支払わなければなりません。この光景は格子の外から撮ったもので、最前列に料金を入れるところがあります。僕たちはここを覗いただけで、列には並ばず、最寄りの地下鉄駅へ向かいました。たぶん、30分から1時間は並ばなければならない、というのがイヤでしたから。

そんな気力、体力は、もうありましぇ~ん。

 

 

 

 

 

 

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ローマの街は機関銃を抱えた警察官だらけ

2019年08月14日 | 旅行

台風が心配される明日ですが、こちらはのんきに旅行記の続きです。

トレヴィの泉からまた歩き、次の目的地を目指しましたが、ローマの街は大阪市内のように東西南北はっきりしておらず、道はあちこち斜めに延びて迷路のようです。方角がわからなくなるので、地図だけでは頼りにならず、どちらが北でどちらが南なのかわかるように、コンパスも必需品です。

いい加減に歩いて行ったのですが、そのうちパンテオンに出ました。建築技術の優れた古代ローマを象徴する建物の一つなのだそうです。


 
パンテオン。
似たような建物がいっぱいあるので、帰ってからもう一度確認しましたが、
どうやらほんまもんのパンテオンでした(笑)。 

次はローマを代表する広場で、古代ローマ時代の競技場跡が広場として改修されたという「ナヴォーナ広場」が近くにあるはずだったので、そちらへ向いて歩きましたが、どうも場所がわからない。

ローマの街はあちこちに機関銃を持った警察官のような人たちが立っていて、話しかけられる雰囲気ではなかったのですが、僕は勇気を出してその警察官の一人に近づいてナヴォーナ広場の場所を聞こうとしました。警察官は「近づくな」という表情をしたのですが、僕は近づいて行き、覚えたてのイタリア語で「ナヴォーナ広場はどこですか?」と尋ねました。警察官は知らんぷりをするのか、あるいは「うるさい!」と怒鳴るのかと思えば、左の方向を指さして「レフト」と、意外と親切に教えてくれました。ありがとさ~ん。

でもね。イタリア語で聞いても帰ってくる答えは英語なんですね~

ちなみに僕が言ったイタリア語というは、「ボレイ・アンダーレ・ナヴォーナ」でした。「ボレイ」というのは「何々したいのですが」で、「アンダーレ」は「行く」で、英語の「go」です。簡単でしょ。

この言葉が、今回のローマ歩きでは一番役に立ちました。行く場所がわからなくなると、近くを歩いている人に「ボレイ・アンダーレ・〇〇」と聞けばいいんですからね~

しかし、空港、ホテル、食堂での注文や買い物などで、事前に勉強したそのイタリア語を使ってみたのですが、ちょっと困ったこともありました。つまりカタコトでもイタリア語を話すと、相手はこっちがイタリア語を十分使えるものだと思い、ペラペラペラと早口でまくし立てるのが多かったのです。むろん、何を言っているのやらさっぱりわかりませんわ。

なので、どちらかといえば、英語を交えながら、たどたどしく話す方が、会話はスムースに運ぶことも多かったですね~(笑)。


 
 ナヴォーナ広場。ここは壮観でした。
 20年前の旅行の時にも、ここには来なかったし。

それにしても、ローマのどこへ行っても機関銃を持つ警察官たちの姿があり、やはりここではテロを警戒しているんだなぁ、と実感しました。日本では考えられないですよね。

ローマやパリではスリや強盗が観光客を狙っているので十分注意すること、とガイドブックに書いていましたが、ローマはこの「機関銃警察官」がどこに行っても立っていたので、これはむしろ安心材料でした。

でもモミィはそれを見て「あれ、本物の機関銃やろ。怖いなぁ」と少々ビビッていました。そりゃそうでしょうね。本物の機関銃を、いつでも撃てるような恰好をした警察官があちらこちらに立っているんですからね。怖いといえば、怖いです。モミィも、日本がいかに平和な国であるかを感じたかもしれません。

 

 

 

 *トレヴィの泉からパンテオンとナヴォーナ広場の位置関係です。
  前回と同じ地図ですけど。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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スペイン広場やトレビの泉

2019年08月12日 | 旅行

ローマの地下鉄の路線は、A線とB線の2つだけで、その2つの線が交差する唯一の駅がテルミニ駅なので、僕たちが泊まったホテルと目と鼻の先にテルミニ駅があったのはとても好都合でした。

さて、テルミニから地下鉄に乗って3つ目のスパーニャというところへまず行きました。これがローマ市街の大ざっぱな地図です。

 
右のほう、黒い矢印を付けたのがテルミニ駅です。
この日は北のスペイン広場からトレヴィの泉、パンテオン、
ナヴォーナ広場、真実の口まで歩き、そこから地下鉄で戻りました

さて、スパーニャの駅で降りて

 
 地下鉄から外へ出たところです。

 
 この路地を歩いて行くと、すぐに


 
「ローマの休日」で有名なスペイン広場に出ました。

 
義姉が撮ってくれました。

この階段の上のほうに見えるのが「トリニタ・デイ・モンティ教会」です。
「ローマの休日」でも、大きく映っていましたね。

 
「ローマの休日」の有名な1シーン。
オードリー・ヘプバーンはジェラートを手にしています


この階段を上がって、今度は教会から下を眺めて見ると、

 
と、こんな具合です。

さて、階段を下ると、広場に大勢の人たちがいます。
さすがに世界でも有数の観光地ですね。

 

いいお天気で、日が照り付けていますが、不思議なことにほとんど帽子を被っている人がいません。パリでもそうでしたが、カンカン照りなのに誰も帽子を被っていない。僕はこれまで真夏にヨーロッパを旅行したことがないので気がつかなかったのですが、帽子を被るという習慣が、これらの国の人たち(特に男性)にはないのでしょうか? 僕はむろん帽子を持って行ったのですが、誰も被っていないので、1人だけ被るのも何なので、被りませんでした(笑)。それでも、別に暑くなかったですね~

 

スペイン広場から地図と磁石を頼りに、次はトレヴィの泉の方面に向かって、適当に歩いて行くと、前方にそれらしき景色が見えてきました。

 
 突き当りがトレヴィの泉です。

トレヴィの泉にコインを1枚投げると再びローマに来ることができる、と言われています。僕らも今からちょうど20年前に一度ローマへ来たことがあり、その時にここでコインを1枚投げました。ローマにまた20年ぶりに来られたのは、あの時にコインを投げたからでしょうね。
でもまぁ、今回は投げませんでした(笑)。

しかしモミィだけは、大混雑している泉のそばへ行ってコインを投げていました。またいつか、きっとローマに来ることがあるんでしょうね。


 
 トレヴィの泉。ほぼ真ん中に、モミィがいます。

ところで、ご存知のようにイタリアではジェラートが人気です。20年前もこのトレヴィの泉の前の店でジェラートを食べたのを覚えています。で、泉の前にある小さなお店に入りました。ジェラートを求めるお客さんたちでギッシリ満員。モミィも立ったまま、美味しそうに食べていました。

 
 モミィは食べている時が一番うれしそうです


ローマでもパリでも、なかなかトイレがなかったのですが、この時は、僕はジェラートより、お店の奥にあったトイレに行けた方が嬉しかった~(笑)。

ローマの街は案外狭くて、さっと見て回るだけなら1日で歩けそうです。
「ローマは一日して成らず」と言われていますが、1日で歩けますね~

ではまた次回ということで

 

 

 

 

 

 

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ローマ、パリ旅行へ さぁ出発

2019年08月10日 | 旅行

今回の旅行は、まずローマで3泊、次にパリで3泊という行程でした。この2つを選んだのは、モミィを初めてヨーロッパに連れて行くにあたり、やはり最もポピュラーな街として、この2大都市がいいかな~という簡単な理由でした。

7月31日に、関西国際空港から、午前10時半発のエールフランス機で12時間かけてパリの空港へ。そしてその空港で4時間半の待ち時間を過ごし、次のローマ行きの飛行機に乗り換え、ローマに到着したのが現地時間で31日の午後11時過ぎでした。とは言っても時差があるので時間の感覚がよく分かりませんが、つまり関空を出てからパリ空港での長い待ち時間を含め、ローマの空港に着くまで、合計で18時間半以上かかったことになります。

ちなみに日本とパリ・ローマの時差は7時間。つまり日本が7時間早いわけですね。ローマのホテルに着いたのは深夜の12時頃だったのですが、日本時間で言えばすでに翌日の午前7時。日本ではこれから1日が始まろうとしている時間に、僕たちは深夜にローマに着き、これはもう「早く寝なければ!」という時間帯ですもんね。完全に時差ボケで、体調が狂いますわ。


 
パリの空港での待ち時間は長かったけれど、
広くて賑やかな空港なので結構楽しく過ごせました。
(写真左から、義姉と妻とモミィが写っています)


ま、ややこしい時間の話はそれくらいにしておきまして

今回の現地での行動は妻が計画を立てたのですが、モミィともいろいろ相談していたようです。モミィもまだ13歳の女の子ですから、有名な史跡や観光地めぐりよりも、どんなおいしいもの(それもパンやお菓子)があるのかという興味の方が強かったようで、自分で本を買ってきて、あれやこれやと調べていました。


 
モミィが事前に買っていた本。
「旅好き女子のためのプチぼうけん応援ガイド」
という文が表紙に書かれています。

この本の中身は

 
 パンとかお菓子とかお土産の紹介がほとんどです。

ま、モミィは食べることが大好きなので、お菓子類に目を奪われるのも無理なからぬところですが、それでも一応、有名な史跡・観光地へも行っておかなければね~。

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一夜明けて、まずローマの街めぐりでしたが、ローマもパリも、地下鉄で移動しながら、あちらこちらをテクテク歩きながらいろいろと巡りました。幸いにして妻も義姉もモミィも、脚力は割に強いので、僕が「地下鉄に乗る?」と聞いてもよほど距離がない限り「歩こうよ」という返事が返ってきました。ローマは今の日本各地のような猛暑ではなく、かなり歩けたのは幸いでした(さらにパリではそれ以上に暑さはマシでした)。

さて、僕たちが泊まったホテルは、テルミニ駅という、ローマの玄関口と呼ばれるイタリアで一番大きな駅から、徒歩で3~4分の場所にありました。テルミニ駅構内にはショッピングセンターやら飲食店街やスーパーやら、何でもあるので、とても便利でした。日中、ローマの街を歩き回ったあと、夕方にいったんホテルに戻ると、僕はもう冷蔵庫で冷えているビールを飲んで部屋でリラックスするのですが、3人は再び部屋を出てテルミニ駅界隈へ行き、モミィは好きなパンやお菓子やお土産物を見て回ったり買ったり、結構楽しんでいたようです。まあ、女性軍はそういうところを見て歩くのが好きなんですよね~

僕のほうは、いったん部屋でビールを飲み始めると、もう動くのが嫌になります。だから、だいたい夜の食事はテルミニ駅地下のスーパーなどで買ってきたものを4人で部屋で食べました。時間の制限もないし、僕はベタっと足を投げ出して座り、みんなでおしゃべりをして過ごす夜の、の~んびりとした時間が、昼間の疲れを取ってくれます。

朝食はホテルで。昼食は街のカフェや気軽な食堂で。夜は部屋で。というのが、僕たちの基本的な食事パターンでした。

一度だけパリで、最後の夜、レストランに入り、セットメニューを頼んだのですが、量があまりにも多く、僕以外の3人は半分以上残し、特にモミィはほとんど食べられませんでした。僕も少し残したのですが、無理して食べたこともあって、お腹が破裂しそうでした(笑)。

ということで、次回はローマでの最初の日。映画「ローマの休日」で有名なスペイン広場と「真実の口」、トレビの泉、その他、観光地の様子を、例によって話がコロコロ変わったりしそうですが、いろんな体験談をご紹介していきたいと思います。

 

 

 

 
ホテルを出て、角を右折するとすぐにテルミニ駅が見えてきます。
写真の一番手前を歩いているのがモミィです。

 

 
観光客等でにぎわうテルミニ駅。

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
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