めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

日本人の、思いやり、とは?

2016-05-16 17:50:19 | 災害

自分が苦しい時と同じく、人が苦しんでいる時は
いかにその苦しみを感じてあげる事が大切であるか、
自らがが救われた時の事を想えば解ります。

人は、長い人生の中で、誰もが様々な壁にぶつかり
思いもしないアクシデントに見舞われます。
前の日まで、決してそんな事は無いと、夢にも思わない
恐ろしい出来事に出合う事も有るのです。
一か月前、突然襲ってきた天地を揺るがす大地震を
誰が想像したでしょう。

一夜明けると、静かな故郷の美しい街並みが瓦礫の山と成り、
多くの人が傷付き苦しめられるとは思って見なかったはずです。
しかし、災害とは思っても見ないところで、突然前触れも無く
人々に襲い掛ってくるのです。

伊勢湾台風の時、高潮で堤防を壊し街に流れ込んだ
真っ黒の水が、駆け上がる階段の下で、雨戸を叩き壊し、
家具やタンスを渦に巻き込みながら見る見る二階の天井に
迫ってきた光景は、半世紀が過ぎても私の頭の中に
鮮明に残っています。

目が覚めれば、周囲は大海原、窓の外に美しく続いていた
城下町の街並みはずたずたに引き裂かれ、流れゆく屋根には
何人もの人たちがしがみ付いていました。

しかし、翌日には、沢山の自衛隊員がヘリコプターやボートで
残された私達のもとへ、おにぎりと水を届けてくれました。
幼心に、これで死なないで生きていけると思いました。

災害を経験すると、人の弱さ、それまでの生活が、いかに
脆弱であっと言う間に消え去ってしまうのかを教えられます。
日常の全てが消え去り、多くの友人や街の人を失った事の
深い悲しみは、その後、次第に事の事態を把握するにつれ
身に染みて感じて来るようになるものです。

災害を情報として知らされる多くの人々にとっては、
1つの悲惨な出来事として記憶されて行くに過ぎないのでしょうが、
災害に遭った人たちにとっては、それこそ、死ぬまでの深い
悲しみとトラウマになってしまうのです。

確かに、街が破壊され、多くの人が亡くなり傷つく事は、
何にも増して悲しい事ですが、被災者の一番の苦しみは、
災害の後にやって来るのです。

復興と言う名の元、いつ終わるとも知れない復旧作業、
更には、自分たちの先が見える生活の確保、どんなに支援を得ても
簡単に出来る事は何一つありません。
しかし、例え形は変わっても、いずれ街は新たに復活し、
人々は、災害を遠い過去の出来事として生きて行く事に成るのです。

この時点で、すでに、国民の多くの記憶からはその災害は消え去り、
単に過去の記録として残るに過ぎません。
でも、被災者の本当の復興は、心の中に有ります。
災害を納得し、先へ進める為の、前向きの気持が必要と成るのです。

多くの被災者の心に残る悲惨な記憶が、一人一人の足かせと
ならない為の、心の支援が必要です。
それは、支えてもらうと言うのではなく、自分たちが、また、誰かの為に
更なる多くの災害の被災者の支えに成れる心が育つ事です。

人は、災害に見舞われると、多くの方々の支援の有り難さ大切さを
身に染みて感じます。
自分たちを助ける為に多くの人々が手を差し伸べてくれることに
心から感謝し喜びを感じます。
その時、被災者は、単なる弱者ではなく、未来への大きな希望を抱き
傷付いた故郷を復興させる勇気をもらうのです。

この力は、被災する以前より遥かに強く逞しいものです。
いつか、故郷が復興し、人々が元の様に幸せに生きる事が出来るように
成った時、この頂いた力が、更なる大きな力と成って、新たなる災害に
見舞われた被災者たちを助ける術と成って育って行くのです。

私達の住む日本列島は、有史以来、様々な災害に見舞われ、
天変地異の中で、私達の先祖は生きて来たと言っても過言では有りません。
地震も今に始まった事ではなく、長い歴史の中で、沢山の人々の命を奪い
人々の生活を破壊して来ました。

そんな災害列島に居ながら、日本人は何故この地を捨てず、数千年の間
生き続けて来たのか、それは、単に、豊かな自然の恵みに有っただけでなく、
この度重なる災害が日本人を育てて来たとも言えるのです。

近年の災害に限らず、過去の多くの災害に於いても、私達の祖先は、
その度に、御互いに助け合い、心を一つにして難局を切り抜けて来たのです。
被害を受けた人々の心を察し、多くの支援を差し伸べたのは、今の時代も
遠い古の時代も同じでした。

日本人の心は、大自然の息吹を感じ、人と人と間の関わり合いを大切にし
全てに感謝する事に因り、御互いに生かされ生きてきたのです。
例え大災害に見舞われようとも、その地を捨てる事無く、より愛する事に因り
更なる喜びと富を得られたのです。

しかしながら、近年の災害対策は、あまりにもハードな面ばかりが強調され
大自然を攻略し、より便利で豊かな生活が出来る事が復興と考えられがちです。
災害が起こるたびに、故郷が消えて行きます。
人々の愛した故郷は、生活に便利な街に変えられるだけで、人々が本当に
欲している復興と成っていない事が問題です。

私達日本人が、自然をねじ伏せ、便利で合理的な生活をする様になってから
日本人としての優しく思いやりのある生活が出来なくなってきているのです。
世界でもまれな美しい自然はことごとく破壊され、日本中の海も山も傷付き
多くの日本固有種の動植物が絶滅して行きました。
万物に命を感じ、大自然に多くの神の存在を信じてきた日本人の生活は
自然と共に生かされた生活が有ったからこそ、近年に至るまで
美しい自然が残り、優しい日本人の心が育ってきたのです。

災害は、今に始まった事ではなく、これからも日本列島を襲う事は
明かと言えます。
私達が日本人の心を失わなかったのは、先祖からの自然に対する思いと
人々がお互いに思いやり助けある生活が有ったからこそと言えます。
近年、我々日本人に与えられる試練は、私達の在り方を問われる教えかも
知れません。
いかに、私達が日本列島の大自然に、人と人との繋がりに、深い絆を感じ
対処できるかの試練かも知れません。

過去100年に渡る工業化に伴う列島改造がもたらした多くの問題を
いかにこれから改善し、人々の暮らしが、先祖から育て上げてきた
優しい思いやり育てる社会に変えられるか、試されているのかも知れません。



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