めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

本当の自分が貴方を守ってくれます

2015-09-09 13:00:21 | 生きる力

私達は、生まれてこの方、時の長さを自覚する事は有りません。
物心が付いたときから、20年経とうが50年経とうが、
中身はそんなに変わっているとは思っていないのです。
でも、目に見える周囲の環境が変わり、家族一人1人の様子や
自分を取り巻く人々を見ると、その変化に自分がも変わっていると
勘違いしてしまうのです。

もちろん、鏡を見れば、自分の風貌が変わって来るのも解ります。

しかし、これら全ては、見えた様に聞こえた様に感じられたから
実際に存在する事実として納得しているのに過ぎません。

更には、文明の進歩により、時の流れが具体的に数値化され

いかに、自分が生きた時間が長いものであるかを自覚させられます。
この様に、あらゆる事が、自分の存在と周囲の存在を確認させ
日常における、自分の存在を教えられているのです。

でも、私達の身体は、誰もが生まれてから死ぬまで、一様に変化し

周囲の環境に関わらず、一生を終えて行くものです。
つまり、周囲がどんなに変わろうと、自分の環境がどんなに変わろうと
自分自身の存在は、生まれてから死ぬまで、生物として刻々と
その命を繋いでいるに過ぎないのです。

私達は、いかなる環境にあっても、生き物としての存在価値は

差ほど変わるものではなく、自分が、置かれている環境に合わせて
自分の存在を決めているにすぎないのです。
苦しみも悲しみも、一様に感じるものであり、その程度によって多少
気持の持ち方は変わるものの、身体の中の変化は殆ど誰しも変わらず
人類の一人として存在しているにすぎないのです。

私達が生まれて、どんな環境で生きる事に成ろうと、

外見的に見れば様々見えるかもしれませんが、それは、洋服の様な物で
中身の人としての価値は差ほど変わらないのです。
それを変わっている様に感じるのは、環境を見て人を見るからなのです。

人間の価値を、その人の置かれている環境で判断すると、人として

一生物として、充実した一生は終えられないのです。
生きる為に、環境を選び、社会的地位を選んでいるのであって、
その人の中身は、生まれて差ほど変わっていないのです。

様々な鎧を身にまとい、外見で威嚇しているにすぎないのです。

殆ど変らない中身を基準にしていれば、いかなる環境にあっても
生きて行けるのが人間の性でもあるのです。

立って半畳、寝て一畳と言う諺がが有ります。
人間は、立って畳半畳で寝た時、畳一畳あれば生きていけると言う
しょせんそれだけの存在と言い、天下を取っても同じと、人を戒める
諺と知られていますが、要は、何をしても、中身は同じ一人の人間であり
あらゆる環境で生きて行けるようになっているとも言えるのです。

世の中の基準は、時に、自分を苦しめ、心の大きな負担と成ります。
しかし、望む基準に達したとしても、それで自分の価値が上がったと
言う訳では有りません。ただ、存在環境が変わっただけなのです。

つまり、いかなる時も、生まれて死ぬまで自分を失わなければ
人間として有意義な一生を終える事が出来るという事です。
私達は、生きている本当の自分をもっと大切にしなければならないのです。



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