私の妻の友人が、今年癌の手術を受け、長い闘病生活を送っていましたが、
最近、全身に新たなる病巣が見つかり、今やかろうじて生きながらえている
非常に辛い状態となっています。
数年前まで、何の病気もした事も無い、本当に健康優良児と言われる程でしたが、
その病魔は、突然に彼女の未来を奪い始めました。
しかしながら、私の知り合いや親せき友人の中に、癌で苦しんでいる人や苦しんだ
経験のある人がいかに多い事か、世界一の長寿国と言われてきた日本の現実は
長生きするにも数々の試練が待ち受けている様です。
私の仕事関係の友人も、私よりもずっと若くして逝ってしまった人が何人もいます。
彼らに共通している事は、昔から病弱であったという訳ではなく、むしろ仕事に家事に
人一倍元気で遭った人たちが多い事に驚かされます。
本人も癌であったことを知らされたときのショックは、想像を絶するほどの辛さと思いますが、
その周囲に人たちも、同じく強烈な悲しみと挫折感を味わうものです。
天寿を全うしてこの世を去るのであれば、本人も周囲もある程度は納得できるのですが、
道半ばにして突然未来の夢や希望を断たれることは、言い知れぬ苦しみと悲しみを
感じる事と思われます。
ともあれ、病気であろうと、事故であろうと、まだ先の人生を歩む可能性が有った人たちが
この世を去ることは、残された人にとっても非常に辛く悲しい事です。
でも、いつこの世を去ることが一番良いのかは、本当は、誰にも解からない事なのです。
人生半ばで、まだ残された多くの年月を奪われた人と、生まれて間もない幼い時期に
何だかの理由でこの世を去らなければならなかった人と、どちらが不幸でしょうか。
いや、どちらとも言えないのが人生の難しさでもあります。
何年生きようと、人はこの世を去れば、その瞬間から、過去の人となってしまうのです。
未来は、残された人の思いであり、それは、想像の域を超える事は無いのです。
ならば、何を持って、自分の生きたあかしかと言えば、生まれて亡くなるまでの、
多くの人々との関わり合いと、その人の心に与えた影響と思い出なのです。
残された人々の生きる糧になる生き様は、人々に勇気や力を与えます。
私達の死は、残された、これからさらに生きて行く人たちの生と変わって行くのです。
地球上のあらゆる生物は、御互いに生き生かされる関係で子孫を繋いでいます。
私達人類は、自然のあらゆる生物から生きる糧を得て、生物達の頂点に生きて来ました。
同じ様に、私達が死ぬという事は、残された人たちに心の糧として生きて行くのです。
何時まで自分が生きられるかは、誰もが解からない永遠の謎です。
しかし、自分の死は、終りではなく、残された人々の次への生きる道への力となるのです。
死は恐ろしく、誰もが避けたいものですが、生まれたからには、生き物として
命を全うする運命であるのです。
その時がいつ来るか、明日なのか明後日なのか、さらには数十年後かは人それぞれですが、
死ぬことによって、自分の人生が初めて完結され、人々の心に残って行くのです。
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