めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人生後半、いまだ成長せず

2015-03-21 16:05:39 | 自分

この世に生まれて、すでに半世紀を過ぎました。
物心が付く様になってから今日まで、一体自分の人生は
何だったんだろうと思う事が有ります。

若い頃は過去を深く省みる事はなく、常にその時置かれている
環境に対し、欲求不満の毎日であったように思えます。
様々な事に興味を持って、努力はするものの、思ったような成果は
殆どの場合は得られず、置かれた環境の不遇と考える様な
いささか短絡的で思慮の浅い若者であったようにも思えます。
しかし、何事にも未熟で反発的なのが若さの象徴の様にも思え
懐かしさすら感じます。

あの熱い時代から数十年が経ち、社会の様々な荒波にもまれ
今では多くの事を冷静に判断し、人として立派に成長できた、と
書きたいものですが、結論は、あの頃と本質的に全く変わっていなくて
超えられない壁を上手く迂回する技術を身に付けた位です。

子供達も、いつの間にか父親母親として家庭を持てる年齢になり
私達も、社会で言うリタイヤ世代に入っているのでしょうか。
仕事を離れ、人生の後半をゆったりとすごく事が一番幸せと
思う人も多くいますが、私の悩みは、あの頃と同じ心境であり
自分自身の未熟さといい加減さに腹が立つ事です。

一番の問題は、若い頃に、満たされないからゆえ出来ないと
常に思っていたことが、今では出来る環境にありながら、
何年も同じ思いだけで、全く動こうとしない自分です。
毎日が惰性で生きている様で、もし、当時の自分が見ていたら
何と不甲斐ない奴と思えるでしょう。

世の中の様々な事に不満を持ち、得られない夢や欲望に
悩んだ青春時代の熱い思いは、思いが達成されて行くにつれ
どんどん冷めて行き、それ以上の事を求めなくなっています。
決して、悩みがなくなったのではなく、日常的に行わねばならない事
家族や人との関わり合いで変えて行かなければならない事は
山積していると言ってもいいです。

世の中の傾向で、優秀な社員が次第に昇給して地位が高くなるにつれ
人間として社会人として無能となって行くと言う法則が有りました。
それと同じく、私達は年を重ねて行くと無能になるのでしょうか。
自分では具体的に何かをしようとしないで、どうにかなるさ、の心境が
いつも心のどこかに在る様にも思えます。

何か他力本願で、突然大金が舞い込んで来たり、物語のハッピーエンドが
いつか訪れる様な期待感で、毎日を惰性で生きている様な
一番自分が嫌いな大人に成ってしまっているように感じます。

ならば、やってみたら!。ともう一人の自分が言うのですが、
その一歩が中々出ません。これもまた腹立たしい所です。
そして、最も不満なことは、こんな文章をだらだらと書いて
納得してしまうこの優柔不断な自分自身がいることです。



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