一段と春めいて、今日の気温は20度にも届かんとしています。
街ゆく人々も、急に明るい服装いなり、おりからの卒業シーズン、
卒業生の華やかな姿と、父兄の喜びの笑顔が溢れています。
季節の移り変わりは早いもので、正月が過ぎ、二月になった時は、
もう、一年の12分のⅠが過ぎてしまったと思ったのですが、
すでに3月半ばを迎え、今年もあっという間に終わってしまう予感です。
ところで、先日、父から久し振りに手紙が来ました。
定期的に便りは書いているのですが、久し振りの父からの手紙は
最近の日常生活が切々と書かれてありました。
父は、非常にマメな性格て、手紙や電話に対しては、直ぐに返事をし
周囲の人や友達との交流をとても大切にしていたものでしたが、
昨年倒れて以来、介護が必要な生活が以前続いていて、日常的に
1人で何でもすることが出来ません。
更には、急激な体力の衰えで、何をしても直ぐに疲れ、手紙を書く事さえ
疲れてしまって、なかなかペンを取ることが出来なかったようです。
母も同じような年齢であり、幾つもの持病があり、2人共一日中寝る事が
珍しくない様です。
それでも、調子がいい時には、普段使わない部屋の掃除をしたり
庭の手入れをしたりしている様ですが、そんな日は決まって疲れてしまい
数日は何もしたくなくなってしまう様です。
2人の唯一の楽しみは、一週間に一度、デイサービスで、近くの施設に行き
大きなお風呂に入れてもらい、職員の方々と楽しい会話が出来る事の様です。
2人共何とか100歳までは生きたいと熱望しているのですが、その思いと裏腹に
体力と気力の衰えは大きいようです。
先日の手紙は、かつて習字の先生が書いた様に美しい文体であったのに
文章を繋げる文字に力が無く、流れる川藻の様に弱弱しいものでした。
人の運命とはいえ、誰もがたどる道です。
いずれ私達が迎える姿であり、人の一生がいかにドラマチックで有り寂しいものか
心に深く考えさせられました。
封筒の中の便箋を出そうとしたとき、何か黄色いものが落ちました。
見ると、折り紙で作ったチューリップです。
父が、時々孫に追ってくれた花の折り紙です。
ちょうど今の季節、故郷の公園には一面チューリップが咲いています。
もう、一人ではいけなくなっているのですが、その景色が目に浮かぶのでしょう。
何か月もの間辛い思いをしていても、自然の美しさを思い、家族を思う気持ちは
相変わらず変わらない事に、父の心の優しさを感じました。
後半月もすれば目黒川は花吹雪に彩られます。
桜の季節が過ぎれば、また新緑の季節が巡ってきます。
月日は驚くほどのスピードで過ぎ去って行きます。
でも、まだまだ沢山の想い出を両親と作って行きたいものです。
来年以降も、ずっとお互いの思いをやり取りできるよう、心から祈りたいものです。
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