めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

人生は、瞬きの様に短きもの

2018-09-23 13:30:45 | 生きる力

いつの世に生きる人も、思い通りならない人生に苦慮します。
高齢となって、長い人生を送って来た人達は、昔を懐かしみ
現実社会の歯がゆさにため息を漏らし、これから社会に巣立って
行こうとする若き社会人たちは、夢と現実の差に翻弄されます。
生きている限り、其々の世代で思い通りに成らない憤りを感じ、
何故、自分だけ、この様な辛い思いをしなければ成らないのかと
思い悩む事も有るのです。

人は、生きている限り、常に環境に左右され、自分の置かれている立場に
不安を抱き易いものです。
小さい頃から、他人と比較されながら生きて来た事も有って、自分よりも
豊かで自由な生活を送っている人達に、常に嫉妬と諦めの気持ちを持って
自らを苦しめている事も少なくないのです。
決して、その様な苦難な人生を望んではいないのに、現実は、常に敗者
であるかの様な感情が付きまとうのが、この比較社会における人々の
共通の心情と言えるのです。

その為、常に、何かを求め、自分の心が癒される物を手に入れた時のみ
自由と幸せを感じるのですが、それも一時、すぐさま、新たなる高みが現れ
いつまで経っても心安らぐ時が来ないのが現実とも言えるのです。
しかし、この満たされない気持ちが有るからこそ、人類はこれ程にも
進歩したと言えるのです。
正に人類の歴史は、この心の不安や負い目と言った、弱者の心理が
人を成長させてきたと言えます。

何かを知る、知らない物を見つける、新たなる考えを持つと言った
自分の中に無かったものを手に入れると言う事が、人々の喜びと成り
人生における生き甲斐にも成ったのです。
つまり、人にとって生きると言う事は、自分とは違うものに触れ
自分の中に新たなる確信を得る事でも有ったのです。
様々な物を発明し、未知の物を発見し、常に心を躍動させる事で
私達人類は、生きる喜びを得ていたとも言えるのです。

しかし、近年、生きる喜びを得られない人がとても多くなっています。
何でも手に入る社会と成っているのに、一向に、心が休まらず、常に
不安が付きまとい、人生の生き甲斐を見失っている人が少なくないのです。
旅行をしたり、目新しい物を手に入れたり食べたりと、常に、心への
刺激を欠かさない人生を送っているにもかかわらず、その喜びは
次々に消え失せ、どんなに欲しい物を手に入れても、何んの感動も
得られない方が増えているのです。

世の中には、溢れる程の魅力的な物が溢れていて、自分の心を感動させ
満足させてくれるのですが、手に入れた途端色あせて行くのです。
日々の生活にあくせくしている人は、億万長者の様な生活が出来れば
どれ程幸せな人生を送れるかと思うのですが、実際に、シンデレラの様な
生活が手に入ったとしても、ほんの数日、数か月もすれば、感動は薄れ
何も手に入らなくて苦しい生活をしていた時と、何だ変わらない心境と
なってしまう事は少なくないのです。

しかし、中には、満たされた環境に対して満足している人もいるのですが
その多くが、自分の生活の豊かさをもって満足しているのではなく、
自分よりも遥かに貧しい人達と比べて、満足している事が多いのです。
つまり、貧しい人達と自分を比較することで、生活レベルの差をもって
自分の心を納得させている事が多いのです。

人は、納得できない事、理解できない事、解らない事に対して不安を覚えます。
どんなに苦しい生活をしていても、その生活をする意味が解っていると
絶えられるのです。誰かの為に、何かの目的の為にと言った理由が有れば
その苦しみに耐えられるのです。
しかし、理解できない状況に置かれると心が耐えられず、耐えられない自分を
責める事に依って、自滅する事も少なくないのです。
戦う相手が有れば戦えますが、戦う相手が無くなると叩く意味が持てず
戦う意思を持ち続ける事は難しいのです。

物事の良し悪しに関わらず、自分が行っている事、頑張っている事の理由が無いと
心を思い通りに保つ事が難しいのです。
誰かと喧嘩している時は、戦う相手がいる為、その相手に対する思いや行動が
自分の中に生まれて来ます。しかし、相手が無いのに、戦う意味が有りません。

世の中の差別やいじめの中で、最も悪質なのは、シカト、すなわち無視と言われます。
子供達のイジメの中でも、暴力以上に心を傷つけるのがシカトです。
同じ環境にいて、その存在を無視されると言う事は、不満を訴える事も戦う事も
出来なくなります。それは、人間としての存在を認められていないと言う事です。

人は、他人に存在を認められて様々な環境で生きて行けるのです。
幸せな毎日も、争いの毎日も、その存在を認められているから継続する事が出来るのです。
私達は、生まれてから100年程、誰かに存在を認められているから生きて来たとも言えます。
両親から兄弟から、友から、生きている価値を見出されている事で生きていると言えます。
その存在を認められる事に因る喜びが生きがいとなっているのです。

若者達が芸能人に憧れるのも、社会人がより地位の高い人間になる事に憧れるのも
より多くの人から自分の存在価値を認められたいからなのです。
社会的地位が高く成ると言う事は、有名になると言う事よりも、自分の心の中に
より多くの人達から認められていると言う満足感が得られると言う事です。

人は、それ程にも、他人から認められたいと思っていて、人生に於いて
どれだけ世の中の人から存在価値を認められるかを求めているとも言えるのです。
今、多くの若者達がハマるインスタは、高齢者にとっては、あれほど夢中になる意味が
解り辛いのですが、彼らは、自分の投稿した写真に、一つでも、いいね!と言う
スタンプが来れば喜びます。どこのだれかも解らない人達から、ただ、一言が
寄せられる事で上がる?のです。

しかし、これこそ、人間の素直な喜びを示しているものであり、誰か解らない人でも
自分の投降した写真を認めてくれたと言う事に大いな意味を感じているのです。
現代社会は、ネットの発達も有って、世界中の人々の生活が身近なものとなっています。
しかし、比較社会は、少しでも他人より勝る生活を望み、他人の事を構っている事は出来ず
他人を蹴落としても、自分の生活を豊かにしようとします。

その為、他人が自分より豊かな生活をしている事に嫉妬を覚えやすく、他人が幸せに成る事に
否定的に成る人が多いのです。他人の不幸は蜜の味、と言われる程であり、自分以外の他人が
幸せに成る事に心の底から喜べない事も少なくないのです。その為、常に、他人からの
行為や信頼の印を得られる事に飢えているとも言えるのです。
その顕著な例が、インスタの、いいね!であるとも言えるのです。

多くの人達が、他人からの賛辞に飢えている時代と言ってもいいのです。
他人を蹴落としても社会的に豊かな生活を手に入れる事がステータスと思われている現代、
自分自身が他人から否定される存在になりやすいと言う不安が、ほんの些細な言葉
いいね!で癒されるのです。
しかし、かつての日本社会には、この、いいね!が日常的に在ったのです。
近所の人と顔を合わせた時も、お相手の良い所を褒めるのが普通でした。
何の魂胆も無く、顔を合わせたら、お互いに気持ち良くなる術として、いいね!が
日常的に在ったのです。

今の若者達の生活の中に、この他人を認め褒めると言う習慣が育っていない事で、
常に、他人からの愛情に飢えているとも言えるのです。
若者達の間に使われる、自分を守る為に使う丁寧な言葉は、時に、慇懃無礼に成ったり
取って付けた様なよそよそしさと成ってしまい、対人関係を疎遠な物にしてしまう
原因の1つにもなっています。
今の若者達の他人に対する言葉や行動は、正に、就職の面接の様に、自分の事を
良く見せようとしている様なわざとらしさを感じる事が有ります。

子供の頃から、他人と競って勝つことを良しとされて来た人生に於いて、
他人を褒めたり認めたりすることが苦手なのかもしれません。
その為、丁寧な所作や言葉は、心からと言うより、対人的なハウツーとしてしか
感じられない事が多いです。
その為、褒める事褒められる事にも成れていないのが現代人と言えます。
社会的な地位や立場に対しては褒められても、本当の自分自身を褒められたり
認められた理する事が少なく、その理由を、より豊かな生活に在ると思ってしまう
心の寂しさが気になります。

他人を認めると言う事は、ほんの些細な事、本人ににしか出来ない事や行動や言動に
その人と成りが現れ、その部分を大切にしてあげる事が、お互いの心を通じさせ
信頼関係を生む事と成るのです。
一期一会と言われる様に、他人との関わり合いは、多くの場合、長く続かないものです。
しかし、一時の巡り合わせで有っても、他人の事を心から思いやる事が出来れば、
その思いが、新たなる、いいね!を生んでくれるのです。

私達人間の人生は、長い様でほんの一時に過ぎません。
夜空を眺めれば、殆どの星は、遠い太古の昔と言うより、地球が生まれる前に光った光が
私達の目に届いているのです。
光のスピードで有っても、何億、何十億という時間を有して地球まで届いている星の光に
たった700万年程しか生きていない人類は、風前の灯火よりも儚いものです。

増して、私達の人生なんて、ほんの瞬き程も無いのです。
憎しみ合って生きるより、他人に喜んでもら人生を送る方が、ずっと幸せと言えるのです。
自分が幸せに生きると言うだけでなく、自分の生き様が、誰かの幸せに成るのなら、
どれだけ充実した人生と成るでしょう。
たった一つの、いいね!が他人の心を和ませるのです。自分の身の回りの人達に
いいね!が出来る人生を送れれば、誰かに、いいね!をもらえる人生が送れるのです。