めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

他人の不幸は蜜の味と言う本音

2018-09-07 09:48:22 | 日本人

今日も朝から、がけ崩れ現場における行方不明者の
捜索が行われています。
近年、何度、この世な場面を見て来たでしょう。
地震の度、集中豪雨の後、台風が去った後、
まるでデジャブの様に繰り返されています。

何処で地震が起ころうと、台風が上陸しようと
集中豪雨に見舞われようと、同じ場面が再現される
と言う事は、日本中どこでも、このような場面が
引き起こされると言えるのです。

毎年繰り返される悲劇に対して、日本政府が行う事は
想定外と言う弁明と、事後処理に過ぎません。
被災者に心と身体の傷を残したまま、ただ、外見的な
街づくりを支援するだけで、その恩恵を受けるのは、
携わる企業なのです。復興事業は、不況の世の中に在って
多くの利益を生み、これまでの大災害の後は、莫大なる
事業利益を生んでいるのが事実です。

確かに、壊れた街や田畑を元の様に復興してくれるのは
有りがたい事とは思いますが、多くの場合、復興事業者や
政府関係者の意向によって進められ、その後の故郷は、
ただ、生活して行く場が提供されるだけで、住む人達の
心を癒す事は有りません。

あくまで消費経済国家の元での復興で有り、何事も
より多くの利益を生む事を前提に行われているのです。
東日本大震災の後の被災地も、一体どこの街なのか、
あの、自然あふれる美しい東北の山や海は消えてしまい
単なる新興住宅地と長大なる、人々と美しい海を隔てる
刑務所の様なコンクリートの壁が連なっているだけです。

事業者や国にしてみれば、より安全な街を作ったと自負
している様ですが、その思いの大半は、莫大なる利益を
生み出した事に依る満足感にしか過ぎず、被災者たちの
心は、一向に晴れる事は無いのです。
日本の政治も事業者も、弱者に対する上から目線が目立ち
人としての思いやりも気配りも有りません。
経済的に豊かな生活ができれば幸せとしか思っていない
人達の考える新しい街づくりは、何処に行っても同じ作りで
地元の人の事を考えた事業は殆ど有りません。

しかしながら、膨大なる資金が必要と成り、復興事業も
簡単には出来ないと言う政府関係者も多く、被災者たちが
満足できるケアを行えば、更なる予算が必要と言います。
所が、少し目先を変えて、投資される予算の内訳を見ると
その中で、断トツの税金を投じている分野が有ります。

そう、防衛関連費です。
その額は、年々膨張し、その一部でも、福祉関係や復興予算
として使われるならば、どれ程多くの人々が安心して生活
出来る事でしょう。
アメリカの言い成りに、新たなる兵器を購入する事には
何の疑問も抱かず、国民を守る為と言う、もっともらしい言い訳で
国家予算の多くを投じでいるのです。

安保条約により、日本は、アメリカ軍日本語に守られているから、
戦争の為の費用は少ないと思っている国民も多いようですが、
実際は、アメリカ軍が駐留している費用だけでなく、常に
防衛機器として、様々な兵器を購入せざるを得ないのです。
その額は、私達が思う常識的な物とはかけ離れていて、
たった一機の戦闘機が、数十億と言う膨大なる価格で有り、
最新鋭のジェット戦闘機とも成って来ると、100億を超えるものも
珍しくありません。

もちろん、それらの兵器を使って、軍事訓練をすれば、一発のミサイルで
数千万円もする物も多く、正に、大切な税金を湯水の様に使ているのです。
戦争がどれ程膨大なるお金がかかるかを、殆どの日本人は考えた事も
無い様ですが、兵隊一人が、機関銃を一分間打ち続けるだけで、銃弾の値段は
一番安くても、30万円を下りません。

サラリーマンの一か月の給料以上を、たった一分間で消費するのです。
当然、一分では、訓練にもならず、一日中軍事訓練をすると言う事は
どれ程多くの国家予算を使うかが解ると思います。
しかも、アメリカ軍が駐留すると言う事で、日本がアメリカに払っている
関連費用は、メディアには殆ど公表されませんが、目が飛び出るほどの額です。
それが、私達国民の税金で賄われているのです。

日米保護協定の元、日本におけるアメリカ軍の優遇は、沖縄で頻発する
米兵の卑劣な犯罪に於いても、私たち日本人を愚弄するものです。
今や、中々思い通りに成らない事で、トランプは業を煮やし、日本に圧力を
加えていますが、これとにて、何の反発をする事も無く、最終的には言い成りに成って
日本の立場を益々悪くしているのが現状です。

沖縄県民を始め、多くの日本国民を不安な状況に置かせながらも、リーダー達は
何故、そんな不当なアメリカの要求を呑んでしまうのか、私達国民からしたら
不思議としか言いようが有りませんが、これとて、彼らにとっては何の問題も無いのです。
何故なら、日本を動かしている方々や政府関係者にとって、国民が如何に苦しもうと
自分達の甘い汁には勝てないのです。

アメリカの言い成りに成る事に依って、どれ程の利益を得られるか、豊かなる人達が
より豊かに成る為の日本社会の構造が、例え、国民の代表と言う肩書が有っても
平気で国民を裏切り、自分達の利益を優先しているのです。
今や、完全に植民地で有りアメリカ軍の基地化している沖縄は日本ではなく、
政府も、国民としての扱いと言うより、植民地に住む被災者の扱いの様に考え
国民として守るよりも、アメリカ軍との関わりを強固なものにする為に、何年経っても
平気で、裏切り続ける事が出来るのです。

今や、日本は、近隣国にも嫌われ、守られるべきアメリカからも三行半を突きつけられ
国民の生活は不安の一途を辿っています。
この原因は、やはり、経済成長を遂げ、日本を支配している人達や国民の代表と言う
偽りの肩書を持ったリーダー達が、いかに、自分達の欲望に溺れ、国民の存在を
無視している事に因ります。

いっそ、アメリカとの関係を断ち切る程のリーダーが出てこない限り、日本国民は
永久に安心安全をアメリカの一存に託す事と成ってしまいます。
かつて、沖縄が本土に復帰した時、多くの日本人は、諸手を上げて喜び、
沖縄県民は、苦しい生活から本土の様に豊かに暮らせると期待しました。

しかし、数年後、沖縄を訪ねた時、殆どの他人が、生活が苦しくなった訴えました。
沖縄のアメリカ軍基地は殆ど無く成らず、アメリカの関連会社に働いていた多くの県民は
日本政府が雇用を確保してくれて、より豊かな生活ができると信じていたのです。
しかし、その後、日本政府は、一度も県民の期待に応えず、アメリカの言いなりと成り
沖縄をアメリカの軍事基地としたのです。

殆どの日本国民にとって、非常に理不尽な日本政府の態度なのですが、この理由は、
国家間の問題と言うより、アメリカと関わっている企業や政府関係者の個人的な利益の
存続が多くの沖縄県民を苦しめる主因で有ったのです。
このアメリカとの腐れ縁が、いまだに、日本国民を苦しめ続けているのです。

日本政府が行う対外事業は、国家間で有ろうと、災害の場面で有ろうと、何だ内容は‐
変わらず、国民や被災者の幸せを考える前に、常に、自分達の利益が有るのです。
日本経済社会が作り上げた金の亡者の様な人達が、日本の主導権を握っている限り
その下に位置すると考える国民は、彼らの生活を守り豊かにする為に有ると考え、
外見的な地位や名誉、経済的な豊かさとは程遠い、人間として成長できなかった
欲望の塊のような人達が全ての富を独占しようとする社会と成ってしまったのです。

国民から吸い上げた莫大なる国家予算は、彼らの胸三寸で、いかようにも使われ、
利益を得る為には、戦争すら辞さない国家体制が生れるのです。
幾度となく行われた戦争は、そんな彼らの欲望の現れであり、大多数の国民は
彼らの犠牲となって、命も財産も失ってしまったのです。

如何に経済性を主体にして人間としての成長を怠った日本人の教育の誤りが
百年以上に渡って繰り返された結果とも言えるのです。
どんなに間違っていようと、赤信号、皆で渡れば怖くない、と言う様に、
誰もが疑う事も無く、言われるがままに従った事が、現在の日本の表向きだけの
先進国家を作ってしまったのです。

今や、日本国民は、他人に対し怯え、自分の考えを正しく伝える術を持ちません。
意見をする時は、誰かの請け負いで有り、本当の気持ちを伝える事をタブーと
考える人が多いです。
お互いに、本心ではなく、情報や他人の考えを伝え合う事で、心から認め合い
成長し合う環境を失っているのです。

人と関わることのメリットよりも、出来るだけ被害者にも加害者にも成らない様
自分の生活と利益だけを守ろうとする日本人が実に多くなりました。
豊かな人の心は、対人的なやり取りによってうまれます。
相手によって様々な思いを知り、感情の豊かさが生れます。
自分の利益だけを考え、たとえ社会的に経済的に豊かと成ったとしても、
心を許せる人が身の回りに居なかったり、常に、自分の獲得した地位や財産を
守る事にあくせくする人生は、如何に寂しく詰まらない物でしょう。

金の亡者の成れの果てが、日本人のリーダー達としたら、本当に、日本国民は
世界的に見ても不幸な国民と言えないでしょうか。
誰もが、本心を出す事を恐れ、人の目を気にして、当たり障りのない生活を
送らなければならないとしたら、自分がこの世に存在する価値は有りません。

どんなに生活が豊かに成っても、心が満たせれず、更なる豊かさを求める事
にしか幸せを見つける手段が見いだせない人は、一生、心は満足する事無く
自分より経済的に優れていると思える人への、嫉妬や妬みで生きるしか
有りません。
この世は、素晴らしい大自然と多くの個性あふれる人に包まれています。
その素晴らしさに感動できれば、どれ程、心が解放され幸せと成るか
目先の欲望が如何に空しく寂しい物であるかが解ると思います。