めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

禍福は糾える縄の如し、とは、願望?

2018-09-02 20:20:28 | 人生

私たちの人生は、短いようでとても長いものであり、
出来る事なら、出来るだけ楽しく生きたいものです
しかしながら、思い通りいかないのが人生で有り
苦しい事が次々に起きて来るのです。

そもそも、生き物の中でも、人間は、極めて環境の
変化に弱く、何かに守られていなければ、すぐさま
くじけてしまう程です。
その為、いかに苦境を乗り越えるかが、生きていく上で
とても大切です。

先人が多く残した名言にも、試練をや苦難を前にした人々を
鼓舞する言葉が多く、私達は、どんな苦難も超えられると
信じて疑わないのです。
また、テレビや映画における主人公も、いかなる苦難に
遭遇しようも、必ず乗り越えると言う設定からも、
私達は、何事が有っても、いつか必ず明るい未来が
やって来ると信じて疑いません。

しかしながら、現実はどうでしょう。
日本の歴史を見ても、個人的な過去を振り返っても
良くない事の後は、良いことが有るとは言えないのです。
現実は、良く無い事は何度も続き、次こそはと
思っていても、自分の思い通りに事が進みません。
そう、人生は、客観的に見て、自分の思い通りにならない
良い事よりも、悪いことのほうが繰り返すことが多いのです。

次こそはと思いつつも、何度繰り返したとしても、
戦いに負け続ける事は珍しくなく、むしろ、勝利を得る事
更には、勝ち続ける事は、非常に難しいのです。
つまり、私たちの人生は、思い通りにならないのが普通であり
思い通りの人生を送っている人は、稀といえるのです。

とは言うものの、思い通りにならなければ、努力し無くなり
人間社会にとって不都合なことが多くなってしまいます。
本来、私達人類は、協力し合って、あらゆる難関を乗り越えて
文明を進歩させてきました。
例え、夢は叶わない可能性が高くとも、誰もが、前向きに
世の中を進めていかなければなりません。

その為には、常に、夢は叶うと言う思いを抱かなければ
あらゆる物事が進まなくなってしまうのです。
例え、上手くいかなくても、努力を続ける習慣を持てば
社会のシステムは動き続け、経済発展も保障されるのです。

しかしながら、大局的に見れば、努力は報われると言う考えを
国民に抱かせ続ける事は良いのですが、個人的なストレスを
考えると、報われない事に対する継続的な努力は、けっして
国民にとって良い訳はありません。
その為、経済的豊かさを考えると、先進国として進んでいると
思われるのですが、国民の多くが、慢性的な苦しみを抱き、
働けど働けど癒されないと言う、空虚感を味わうことと
なってしまうのです。

今や、日本人は、常に、この満たされない心で苦しんで
いると言えるのです。
どんなに所得を増やしても、満足することが出来ず、
人生の生きる目的が、経済社会に貢献する事となり、
自分の心を満たすことが出来ないのです。

常に答えは社会に有り、自分の目的も満足も、社会的に
豊かになる事とされるため、いつまで経っても心も
身体も癒されないのです。
子供たちは、成績を上げる事が目的となり、大人に取って
都合のいい子供となる事を求められ、大人になれば、
社会人として、より経済的に豊かになる事を求められます。

確かに、成績を上げたり仕事を頑張れば、認められますが
それは、社会貢献であって、個人を称えるものでは有りません。
どんなに優秀な成績を得ても、その価値は、他者との比較に
過ぎず、個人的人間的な価値を示すものではないのです。
消費経済社会と言うのは、いわゆる、比較社会でもあり
答えのない競争社会でもあるのです。

優れた功績を示しても、成績を収めても、それは一過性の
価値としか認められず、常にだれかと比較しながら、
頑張り続ける人生は、例え経済的に豊かになったにせよ
心は疲れ果て、癒されることは無いのです。

しかし、かといって、この社会から逃げ出すことは難しく
唯一、退職してからの余生を楽しむぐらいしかないのです。
ならば、仕事をリタイアしたら、素晴らしい人生が待っている
と言えるならいいのですが、現実は、実に厳しく、経済的にも
肉体的にも、精神的にも、もはや、疲れ果てている人が多く
自分の事だけ考えて、のんびりと生活できるとは言えないのです。

となると、私たち日本人は、一生、心を癒せる人生は送れない
と言う事になってしまうのですが、これでは、生きている意味も
価値も見出せません。
一体どうしたらいいのか、それには、やはり、つらい時の後は
必ず良いことが来るようにすれば良
いのです。

と言うよりも、辛い事を消してしまえば良いのです。
そもそも私たち日本人は、自分の事よりも人の事が気になり
常に比較をして生きる習慣が有ります。
つまり、自分の人生を、良い事悪い事、面白い事つまらない事と
言うように、分けて考える習慣が有ります。
しかし、この選別は、極めていい加減であり、殆どの場合
他人の意見や、メディアの情報に簡単に左右されます。
自分でしっかりと判断している様で、実は、常に誰かの考えに
左右されているのです。

何故、殆どの場合、上手くいかなかったり、苦労してしまうのか
自分のせいではなく、他人に決定権を与えているからです。
私達は、どんな状況に遭遇しようと、それを乗り越えていくように
太古の昔から生きてきました。
つまり、何をしても、乗り越えられる様になっているのです。
ならば、自分の考えで物事の最終決定を行い、自分の行動を
信じる事です。

そもそも、良い事悪い事と言うのは、主観で有って、他人によっては
その判断は様々と言えます。
幸不幸と言うのは、極めて曖昧な事であり、物事は、環境によって、
自分の立場によって、良くも悪くも感じられるのです。
つまり、その判断は、考え方次第で有り、どの様に思うかによって
自分の生き方が変わって来るのです。

ならば、自分の身の回りに起こる事、自分が遭遇する様々な体験は
全て自分にとっては良い事と考えても良いのです。
どんなに悲しい事辛い事も、生きていく上では、何の支障もなく
その都度、自分の生き方や考え方を変える事の方が、人生に於いては
マイナスになると考えた方が良いのです。