めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

食料以上にプライベートの安心感を!

2016-04-18 13:39:20 | 災害

相変わらず止む事の無い余震に、被災者たちの心労は
想像を超えるものと思えます。
私達は、普段から、世界中から送られてくる情報の中で
生活をしている事から、例え、悲惨な戦争の場面であっても
それはニュースの一場面にしか捉える事しかできず、実際の
状況を把握する事は不可能とも言えます。

そのため、本当に正しい情報が送られてこなければ、的確で
迅速な判断が出来ません。
しかしながら、今回の大地震も、近年の災害の教訓が生かされず、
ただ、闇雲に政府や自衛隊の援助を待つのみの状態となっています。

もちろん、国を挙げて行う救済処置は、機動力も支援力も絶大と言え、
いずれ、今までの被災地と同じく、人的物的な力を持って、復興と言う
道を辿って行くのですが、その方法が、果たして最適かと言えば、
相変わらず沢山の問題が残されています。

今までの復興事業の方法は、先ず、人命の救助、更には、それ以上の
犠牲者が出ない様、万全を期すのですが、そのハードの面は、時間共に
確実に進んで行くのですが、災害発生の当初から直ぐに問題と成る事が
余りスムーズに解決して行かない様に思えます。

人は、どんなに進化しても、生き物であることを忘れては成りません。
しかも、高度の知能を持った、社会生活を営む生物です。
つまり、進化した近代的で機能的な社会に適応して、他の動物とは
違った日常を送っているのです。
しかし、その反面、太古の昔から、生きものとしての行為は変わらず、
人々の間で、プライベートな部分が存在し続けています。
さらに、この部分は、文明が進歩するにつれ、増々、人々の関わり合い
に於いて、御互いに関わらない問題です。

ところが、問題は、地震の様な、広域災害と成ると、この微妙な部分が
さらけ出される傾向が有るのです。
それは、普段人に見せないプライベートな行いです。
水が無い事や食料の無い事は、被災者たちもお互いに助け合って
どうにか我慢できるのですが、我慢できない事が人々の心を苦しめ
体調を壊す大きな原因と成るのです。

では一体それは何かと言えば、誰にでもある生理現象です。
普段私達は、人前で見せたりしませんし、極めて個人的な感覚で
行なっています。
更には、高齢者であったり、身体にハンディが有って、誰かの助けや
介護を受けないと出来ない場合もあるのです。

こればかりは、非常事態だから仕方がないと言うのではなく、
どんなに悲惨な状態であっても、先ず、心が一番傷つきやすい事から
取り組まなければならないのです。
文化的な生活をしていればしている程、この事が大切であり,
人々の最低限のプライバシーを守る事が、人間にとっては一番大切で
重要な事なのです。

東日本大震災の時もそうでしたが、多くのお年寄りや女性たちが
食べる事より、その劣悪な環境に苦しみ、我慢する事で、病状が悪化し
多くのストレスを背負い込んだ事実が有るのです。
今回の地震も、早くもこの問題が浮き彫りになり、様々な衛生問題と共に
人々のアイデンティティをも傷つける事と成っています。

人は、一日食事をしなくても生きて行けます。
水さえあれば2~3日は平気です。
しかし、生理現象と病は止める事は出来ません。
多くの人々が一か所に避難して共同生活をする時、例え非常事態であっても
人間らしいプライベートが守られることが、後々の心のケアにも大切なのです。