ベラルーシの部屋ブログ

東欧の国ベラルーシでボランティアを行っているチロ基金の活動や、現地からの情報を日本語で紹介しています

2023年4月6日。ウクライナ侵攻から407日目

2023-04-06 | ベラルーシ旅行・長期滞在・留学注意情報
 2023年4月6日。
 ようやくベラルーシは気温が上がりました。ゴメリやビテプスクなどでは川の水位が上がり、道路が冠水しているところがあります。

 昨日に引き続き、モスクワではロシアとベラルーシの首脳会議が行われました。昨日の会談は夜中まで続いたそうです。ベラルーシ大統領がクレムリンを出たのは午前2時半。
 今日の会合では主要閣僚も参加し、経済や安全保障面など幅広い分野での両国の連携強化が話し合われ、冒頭、プーチン大統領は「この会合で、双方が受け入れられる解決策が見つかるだろう」と述べました。戦術核兵器の配備に向けて具体的な議論が行われました。
 核武器を扱うためのベラルーシ軍の訓練は、4月3日に始まっています。
 またベラルーシ軍は核兵器を搭載できるようSu-25機を改造しました。
 ベラルーシ大統領からはソ連時代にベラルーシにあったミサイルシステム「トーポリ」をロシアの手で復元するよう要請しました。ロシアによってベラルーシ軍がどんどん強くなっていきますね。庇を貸して母屋を取られるというようなことが起きるかもしれません。

 かつてのミサイルシステムというのは・・・ソ連時代、ベラルーシは独自のベラルーシ軍というのものは当然ありませんでした。ソ連軍所有の核兵器がベラルーシ領内に配置されていたのです。
 ソ連が崩壊し、ベラルーシが独立すると、ソ連軍の核兵器がそのまま置いてあったのでベラルーシは核保有国となりました。兵器庫にはミサイルシステム用の弾薬が1000発以上や対罹患弾道ミサイルも残されていました。
 他にも国内9箇所にロケット師団やミサイル連隊がベラルーシ軍の中に存在していました。
 しかし、1992年にベラルーシは核を保有することをやめることを決定し、核兵器はロシアに返還することになりました。完全に返還するのに4年もかかっています。こうして1996年以降はベラルーシは核保有国ではなくなりました。
 1992年はベラルーシの大統領はシュシケヴィチ氏で、もともと物理学者でした。当時のベラルーシ人はチェルノブイリ原発事故の記憶も新しく、放射能や核などという言葉に敏感になっており、核兵器をロシアへ返還することに安堵する人もいましたし、やはり物理学者の大統領は、一般人が持つ核への危機感を共有してくれたんだなと評価する人もいました。
 が、当然のことながら当時このロシアへの核返還を間違っていると思った人もいましたし、今になって大失敗だと考える人もいます。
 ベラルーシ現大統領は、間違いだったと思っているようで、だからこそ今このときに1992年の当時のベラルーシに戻したいのでしょう。
 

 2020年のベラルーシ大統領選挙で立候補した一人、アンドレイ・ドミトリエフ氏が警察の要求に従わなかったことなどから逮捕され、今日1年半の更生施設での禁固刑の判決が出ました。


 イギリス国防省は今日のウクライナ戦況報告で、激戦の続く東部で作戦を担当してきた、ロシア軍の東部軍管区のムラドフ司令官が解任された可能性が「非常に高い」と発表しました。ロシア兵の損害が非常に多かったそうです。解任されるのは当然ですよね。


 6日付のロシア紙コメルサントは、ウクライナ侵攻を続けるロシアで昨年秋に部分動員された男性2人が軍事作戦への参加を拒否して昨年12月に懲役3年の判決を受けていたと報じました。
 2人は軍務に就くよう求める上官の命令を拒み、ウクライナ国境に接する西部ベルゴロド州で身柄を拘束されました。同紙は、前線の士気低下を恐れる当局による「見せしめの拘束」だとの見方が出ていると伝えています。拘束されたときのようすが動画になっていますが、こんな動画が残されているのが見せしめである証拠です。
 2人は罪を認め軍務に戻る意思を示していますが、減刑を求める申し立ては却下されました。