電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

共同通信社原発事故取材班『全電源喪失の記憶』を読む

2018年03月31日 06時04分51秒 | -ノンフィクション
新潮文庫の新刊で、『全電源喪失の記憶〜証言・福島第1原発〜日本の命運を賭けた5日間』を読みました。共同通信社原発事故取材班・高橋秀樹編著となっているとおり、地元紙・山形新聞に配信されていた連載が元となり、単行本として刊行されて、このたび文庫化されたもののようです。本書の構成は次のようになっています。

第1章 3.11
第2章 爪痕
第3章 1号機爆発
第4章 制御不能
第5章 東電の敗北
第6章 選択
第7章 反転攻勢
第8章 1F汚染
最終章 命

東日本大震災の後、津波被害の惨状に息を呑み、停電が復旧し少しずつ報道が増えていた中で起こった、リアルタイムに全国が注視する中での原子力発電所のメルトダウン。責任ある地位にいた人たちの右往左往は今もほぼ記憶に残っていますが、現場ではどんな状況だったのか。全電源を喪失した福島第一原発で、状況を把握し対応するために必死の努力が続けられていたことがよくわかりました。「不幸中の幸い」という言葉が想起されますが、まさしくわずかな偶然と幸運によって、かろうじて東日本壊滅という事態を免れたこと。原発事故をローカルな事故とみなすのは大きな誤りだということが実感されます。

今にして思えば、非常電源設備が地下にあったこととか、そもそもの立地の海抜高度が低すぎたこととか、津波や地震国における想定が弱い米国製の設計など、問題点が悪い方に重なっていた点が目に付きますが、それにしても原発事故というものが、いわゆる「事故」とは質的に異なることがよくわかります。



毎年、3月には東日本大震災の特別番組がTV等で放送され、新聞や雑誌等でも特集が組まれ、ブログ等でも追悼の記事が多くなります。様々な明暗はあれど、津波の被害からは少しずつ立ち直り、復興の動きも進んでいるようです。しかしながら、福島第一原発の周辺は必ずしも同じ歩みとは言えず、むしろ沿岸被災地の希望が増すにつれて、原発立地地域の見通しの困難さが際立ってくるようです。明治150年が喧伝されるときに、過酷な会津処分を受けた隣県・福島県の未来を思うにつけても、あまりにも踏んだり蹴ったりではないかと、この事故の意味を考えこんでしまいます。

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