電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

枕元の雑記帳が約1年で残り20枚ほどに

2016年02月14日 06時02分57秒 | 手帳文具書斎
寝床の中でも書けるパワータンク・ボールペンと共に愛用しているダブルリング方式の小型ノートですが、2015年の早春の頃から使い始め(*1)て約一年で、残りページ数が約20枚となりました。この分だと、使いきるのは意外に早そうです。前のノートは、使いきるのにどのくらいかかっていたのだろう? 調べて見たら、1年8ヶ月とあります。やっぱりだいぶペースが早いようです。写真は、枕元ではなくデスク上で撮影したものです(^o^)/




(*1):枕元の備忘メモ・ノートを更新する~「電網郊外散歩道」2015年4月

さて、本日は亡き祖母の23回忌の法要と、16時から山形交響楽団の「アマデウスへの旅」リクエストコンサートVol.2 の予定。法事のほうは、住職に来ていただき、家族だけで簡素に行います。お天気のほうは、朝方は雨模様ですが、午後からは曇りのお天気だそうな。まずまずでしょう。

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通勤帰りに立ち寄れるかかりつけ医院のありがたさ

2016年02月13日 06時05分31秒 | 健康
昔は、役所にしろ医院にしろ、17時を過ぎると問答無用で窓口が閉まり、受け付けてもらえないのが普通でした。いきおい、各種申請手続き等は、17時前に年休を取って駆けつけるというのが常識でしたし、具合が悪い時には休みを取って受診するのが当たり前でした。

ところが、近年は17時を過ぎて通勤の帰りにも役所で申請手続きができるものが増えてきましたし、医院などでも18時あたりまで受付をしてくれるところが増えています。特に、かかりつけの医院に通院することで、アレルギー性鼻炎や咳喘息の治療など、夜の鼻詰まりや咳が顕著に改善されておりますので、たいへんありがたいところです。

今のところ、健診の結果もとくに問題はなく、検査項目はオール○の状態が続いていますが、かかりつけの医院を持つことは、いざという時に大きい病院に紹介状を書いてもらえる点からも、心強いものです。通院予定日には、コクヨのA6判ノートカバーSystemicに健康保険証と診察券と「お薬手帳」をセットにして持参します。これだけあれば大丈夫な、お医者さん受診三点セットです。もちろん、お金は要りますが(^o^)/



こちらはお薬手帳。毎回ほとんど同じシールを貼るだけですので、本人にはあまりご利益はないのですが、



こちらの写真はお医者さんや薬剤師さんに聞いた話をまとめている小型ノート。こちらは実際に役に立ちます。Systemic に「お薬手帳」と一緒にはさんでいます。記憶より記録です。

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県立図書館で軽食

2016年02月12日 06時03分24秒 | 散歩外出ドライブ
先日、山形市の遊学館内にある山形県立図書館に本を返しに行き、ついでにお昼を食べてきました。オープンキッチンのスタイルの軽食喫茶で、とくに厨房はありません。メニューはパスタやトーストといったものが中心のようです。時間的に早くできるものということでカレーとコーヒーのセットを注文しました。とくに感激するほどではなかったけれど、カレーにスープが付いてコーヒーとセットで1食800円也。図書館に用事がある時や、調べ物でくたびれた時などに便利です。



この軽食喫茶自体は県立図書館のものではなく、図書館が入っている遊学館の施設ということのようです。考えてみれば図書館にカフェが併設されるのが売りで某レンタル業が図書館運営業に乗り出し、肝心のその運営がいろいろ問題点が指摘されているわけですが、すでに四半世紀も前から県立図書館では軽食喫茶が併設されていたことになります。

その県立図書館も、どうやらスペースを有効利用する方向で一部改装の計画があるらしいです。蔵書も、今は閉架のものがかなり多く、借り出すのが面倒な面もあります。貴重書以外はできるだけ開架方式で配置してほしいものですし、どんなふうに改善されるのか楽しみです。

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やっぱり! 冬将軍の気まぐれ

2016年02月11日 06時03分19秒 | 季節と行事
このところ、暖かい日が続き、無雪生活ですっかりたるみきって、「もう冬は終わりじゃないか」などと声高に話していたものですから、どうも聞こえちゃったようです。誰に? 冬将軍に(^o^)/

昨日の朝は、寡黙に雪が降っておりました。積雪は10cm未満でしたので、除雪もしないでそのまま家を出てしまいましたが、早朝の降り方はかなりのもので、某除雪業方面からは、冬将軍殿、良い仕事をしているよ、と評価されたことでしょう(^o^)/



とは言うものの、マイカー通勤族にとっては由々しき事態です。遠くの除雪車の音に目ざめて早起きし、除雪車が置いて行った門前の雪塊を取り除き、マイカー族が一斉に早出し始める出勤時刻前倒しを予想して一歩先んじるように家を出ます。職場に着いてから、おにぎりとカップスープで朝食を取り、コーヒーでほっと一息。システム手帳を眺めながら一日の予定を確認する冬の朝となりました。

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私の好きな四重奏曲

2016年02月10日 06時02分26秒 | クラシック音楽
楽器編成に焦点を当て、「私の好きな」という共通項のもとで、1人の作曲家について1曲ずつ、独奏曲、二重奏曲、三重奏曲とリストアップしてきました(*1~*3)。今回は、四重奏曲です。

  • ハイドン 弦楽四重奏曲「ひばり」
  • モーツァルト 弦楽四重奏曲「不協和音」
  • ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第1番
  • シューベルト 弦楽四重奏曲「死と乙女」
  • シューマン ピアノ四重奏曲
  • ブラームス ピアノ四重奏曲第3番
  • ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲「アメリカ」
  • ボロディン 弦楽四重奏曲第1番
  • ドビュッシー 弦楽四重奏曲
  • ラヴェル 弦楽四重奏曲
    【次点】
  • スメタナ 弦楽四重奏曲第1番「わが生涯より」
  • フォーレ ピアノ四重奏曲第1番
  • チャイコフスキー 弦楽四重奏曲第1番

ここで、ハイドン、シューベルト、ドヴォルザーク、ドビュッシー、ラヴェルあたりは、比較的すんなりと決まりましたが、他はだいぶ悩みました。まず、モーツァルトではフルート四重奏曲という強力な対抗馬がありますし、ベートーヴェンでは中期の「ラズモフスキー」はじめ後期の弦楽四重奏曲などもありますが、それぞれ日頃よく手にする「お気に入り」を選びました。ベートーヴェンでは、他のジャンルでも若い頃の作品を選ぶ傾向があるのは、当方の著しい特徴です(^o^)/

ブラームスとボロディンは、相反する理由のようですが、ブラームスの方は明るさのある第1番よりもハ短調の悲劇性からピアノ四重奏曲の第3番を、ボロディンの方は優しく甘い旋律で有名な弦楽四重奏曲第2番よりはロシアの大地を思わせる第1番を選んでいます。シューマンは、弦楽四重奏曲の中から選ぶと、弦四だけがやけに増えるという理由もあり、ブラームスとともにピアノ四重奏曲を選びました。いろいろ悩み深い日常にあるとき、良い慰めとなる音楽です。

次点のスメタナ、フォーレ、チャイコフスキーあたりは、10人という制限のために次点にまわったもので、スメタナ、フォーレあたりは本選に入ってもおかしくないものです。シマノフスキやバルトークなどは、まだ「お気に入り」という段階にはいたっておりません。まあ、お遊びですので……(^o^;)>

(*1):私の好きな独奏曲~「電網郊外散歩道」2015年5月
(*2):私の好きな二重奏曲~「電網郊外散歩道」2015年6月
(*3):私の好きな三重奏曲~「電網郊外散歩道」2015年8月

さて、四重奏曲まで来ましたが、次はどうしようましょうか。ここが思案のしどころです。
写真は、「私の好きな」という共通項で選んだ桜餅四重奏曲…というわけではありませんが、まあ、ちょうど季節のものということで(^o^)/

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鶴我裕子『バイオリニストに花束を』を読む

2016年02月09日 06時05分42秒 | 読書
中央公論新社刊の単行本で、鶴我裕子著『バイオリニストに花束を』を読みました。著者の本は、これまでも新潮文庫で『バイオリニストは目が赤い』(*1)を読んで、抱腹絶倒のおもしろさでしたが、このたびは「演奏家見ならい記」で山形時代を含む若かりし頃をほろ苦さをまじえて回想し、「定年までのカウントダウン」では2007年にN響を定年退職する話を、やっぱりおもしろく、かつ少しのペーソスを漂わせながら語ります。

途中の「N響という"カイシャ"」「外国ツアー・アラモード」「オーケストラのゲストたち」は、歯に衣をきせない表現があちこちにあり、笑いとともに「なるほどな~!」という発見もたくさんありました。どうやら鶴我さん、ブロムシュテットとはソリが合わないようで、ヒラリー・ハーンやアンナ・トモワ・シントウなどは大絶賛です。このあたりのウラ話も、野次馬的に興味深いものがあります。今回は図書館で探しましたが、どうやら本書はすでに中公文庫に入っているらしいです。

(*1):鶴我裕子『バイオリニストは目が赤い』を読む~「電網郊外散歩道」2010年4月
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連日、最高気温がプラスの日が続く

2016年02月08日 06時01分44秒 | 季節と行事
立春を過ぎ、最高気温がプラスの日が続いています。例年であれば、立春とは名ばかりの寒気団の襲来で、地吹雪や豪雪に悩まされているところですが、この冬はなぜかやけに暖かく、山形市の一月の真冬日はゼロだそうです。たしか12月にも、最高気温が零下になった日はなかったはず。

おかげで、通勤路も路肩にさえ積雪が見えない状態で、路面は乾いてたいへん走りやすく、通勤の大渋滞も数えるほどしか発生しておりません。スキー場関係者や除雪業者の方々にはまことに申し訳ないことながら、たいへんありがたいところです。

どうもこの調子だと、今後どーんと大量の積雪に見舞われるという可能性は少なくなってきたのかも。……いやいや、油断するとどかんと湿った雪を降らせることもある冬将軍です。まだまだ気をゆるめるわけにはいきません。

ただいま、通勤の音楽は、J.S.バッハの「ブランデンブルグ協奏曲」、トン・コープマン指揮アムステルダム・バロック管弦楽団の演奏です。スダッドレス・タイヤの走行音の中では、ppが続くダイナミック・レンジの大きな曲は不向きです。その点、バロック音楽だとだいぶ聞きやすいと感じます。

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文明開化とは言うものの~技術が支持され普及する理由

2016年02月07日 06時01分24秒 | 歴史技術科学
開国と明治維新によって、国策として導入し始めた西欧の科学技術は、明治の日本社会に無条件に受け入れられたわけではありませんでした。好奇心から新しいものに手を出しても、現実に適合しなければ、やがて捨てられるのが世の常です。例えば明治期の繊維産業における染色技術を例に取ることで、西欧の技術が受け入れられた理由を推測することができます。

絹や羊毛などの動物繊維は、紅花だけでなく塩基性アニリン染料によく染まり、鮮やかな色に発色します。これに対し、木綿や麻などの植物性繊維は、塩基性アニリン染料では染まりにくく、水洗いすれば色落ちしてしまいます。すでに江戸末期に輸入されていた染粉(化学染料)は、草木染の地味な色や、藍染めの複雑で面倒な工程と高経費を改善するものとして期待されたのでしたが、実際は水洗いすると色落ちしてしまうために、粗悪な「まがい物」として認識されており、文明開化とはいうものの、塩基性アニリン染料など化学染料に関する技術は、ひろく社会に受け入れられる状況にはなかったようです。

1885(明治18)年、農商務省主催で、東京上野公園において、繭糸織物陶磁器共進会が開催されます。ここでは、出品物の展示と表彰だけでなく、技術的啓蒙のための講話と経験交流のための集談会が開催されました。織物分野では、粗悪な「まがい物」が跋扈し問題となっていた染色の問題を背景に、三人の技術者が話しています(*1)。
その三人とは:

  • 山岡次郎 維新直後の福井藩推薦米国留学者で、コロンビア大学鉱山学部等で化学及び染色法を修め、明治8年6月に帰国して文部省督学局に採用され、開成学校、次いで明治10年に東京大学助教授として化学及び染色法を教える。明治14年より農商務省御用掛。この集談会のプロデューサー的な役割。
  • 平賀義美 福岡県出身。長崎で英学を修め、明治3年に福岡藩貢進生として大学南校に入学、外国人教師の化学実験に感動して化学を志し、旧福岡藩主の給費生として英国留学、オーエンス大学で染色術を専攻。1881(明治14)年に帰国したばかりの新帰朝者。翌年に平賀家の養子となり改名。兵庫県川西市に実験研究棟・化学実験室付きの英国風西洋館である旧平賀邸が残る。

     (Wikimedia commons より「川西市郷土館」)
  • 高松豊吉(*2) 貢進生として大学南校・開成学校・東京大学理学部化学科に入学、アトキンソンに化学を学ぶ。1879(明治12)年~1882(明治15)年まで英国マンチェスターのオーエンス・カレッジでロスコウから無機化学を、ショルレンマーから有機化学を学び、ドイツのフンボルト大学ベルリンに転学、ホフマンに師事して応用化学を修めた。染料化学の新帰朝者である。

     (晩年の高松豊吉~Wikipediaより)

     (高松豊吉らを指導したカール・ショルレンマー~Wikipediaより)

というもので、いずれも理論と実験と通じて化学を学ぶという共通の経歴を持つことが注目されます。

この集談会の主要なテーマは、当時の中心的産業でありながら、粗悪な製品が染織物全体の評価を下げている染織業の現状に対し、紅花染には高い評価を与えつつ、基礎知識と技術の確立を目指すものでした。具体的には、

  • 色素には「永存スル」ものと「永存セザル」ものとがあること(染料の性質)
  • 繊維ごとの染色特性の違い、媒染剤と染色堅牢度などの基礎知識
  • 染色化学の習得とその上に立つ技術の練磨が急務であること

などを説きます。同時に、高松と平賀がアリザリンを中心に媒染剤に応じて鮮やかに色を変える技術を示したことは、聴く者に強い印象を与えたことでしょう。

確実な知識と技術の有効性が、染織業の振興の基礎となっていること、担い手となる技術者を養成する職工学校の設立と、指導する大学出身の化学者の存在が、当時の社会に印象深く受容されたことでしょう。すなわち、文明開花や当時の大学の権威は、国家の威信のゆえではなく、産業技術として有効だったために一般社会から信頼と尊敬をかち得ていたのだろう、ということです。このことから、新しい技術や科学思想などが社会に広く受容されるのは、一定の有効性が実際に示され、そしてそれが在来産業の技術進歩にも貢献したからではないか、という一般化ができそうに思えます。

(*1):中岡哲郎『日本近代技術の形成』(p.169~171)
(*2):高松豊吉~Wikipediaの記述。なんでも、お笑い芸人の たかまつ・なな さんの曽祖父にあたるそうです。

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新聞で訃報を知って

2016年02月06日 06時03分51秒 | 週末農業・定年農業
新聞の訃報欄に、亡父の代からもう何年も農作業を手伝ってもらっていた人の逝去が載っていたと、妻からメールで知らせを受けました。思えば、私が週末農業という形で果樹園を受け継いだ時も、いろいろ教えてもらいましたし、サクランボの剪定枝の片付けや、サクランボ収穫作業などで、ずいぶん働いてもらいました。すこぶる元気ではあるものの、近年は体力の衰えを感じていたようで、数年前からは脚立であまり高いところに上がるのは控えるように、逆にお願いしているほどでした。

年休を取って駆けつけたセレモニーホールでは、奥さんに会いましたが、私が告別式に参列するとは予想していなかったらしく、感激して泣かれてしまいました。80歳に達して、今年もサクランボ収穫にいつものメンバーと顔をあわせるのを楽しみにしていたとのこと。焼香し手を合わせ、心からご冥福を祈って来たことでした。

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資料を一つ忘れてしまって

2016年02月05日 06時04分14秒 | コンピュータ
後期のみ、非常勤で某大学の四年生に講義というか演習というか、授業を受け持っています。毎回、何らかの形で自作の資料を持参しますが、先日、うっかり資料を一つ忘れていることに気づきました。一瞬、焦りましたが、まだ昼休みの時間帯でしたので、手持ちのUSBメモリに保管していたPDFファイルから該当の資料をスキャンしてあったものを発見、印刷してもらってなんとか間に合いました。

こんなとき、自分のデータを持ち運ぶことができるありがたさを感じます。昔は、フロッピーディスク(FD)を何枚もケースに入れて運んでいましたし、光磁気ディスク(MO)が使えるようになったときは、一枚だけで済むのでだいぶ助かりました。今は、USBメモリ1個で間に合います。紛失しないように、布製の小袋(*1)に入れておくなど、ちょっとした注意と習慣化は必要ですが、内容が微妙なものはファイルごとにパスワードをかけておけば良いでしょう。いざ何か資料を忘れたなどというときは、過去文書や資料をスキャンしたデータを見ればよい。万全とは言えませんが、少しだけ安心できます。

ただし、データをクラウドに置けば話は別ですが、注意すべきは正本と副本の関係でしょう。常に変更を加えるのは正本のほうで、副本はそのバックアップという関係を保つように心がけていますが、その点、PDFならば問題はありません。

今となっては古い考えなのだとは思いますが、当方はデータをネット上に置くことに対しては不信感があります。データは自分の手元においてこそ、長く継続できると考えています。

(*1):小袋の便利さ~「電網郊外散歩道」2010年11月

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日新製薬プレゼンツ~山形交響楽団サンクス・コンサートを聴く

2016年02月04日 06時05分05秒 | -オーケストラ
先に山響定期演奏会で入っていたチラシの中に、2月3日(水)夜に天童市民文化会館で開催される演奏会のものがありました。なんでも、申し込むとペアで招待してくれるのだそうな。それではというわけで、ハガキで申し込んだところ、見事に当選いたしました(^o^)/

で、妻と二人で行ってきました。日新製薬プレゼンツ~山形交響楽団サンクス・コンサートです。



前半は、「今、名作映画が甦る」と題した選曲で、

  1. シベリウス 交響詩「フィンランディア」
  2. ヴェルディ 歌劇「椿姫」第1幕への前奏曲
  3. 久石譲 「おくりびと」のテーマ
  4. ヨハン・シュトラウスII世 ワルツ「美しく青きドナウ」
  5. ベートーヴェン 交響曲第7番イ長調Op.92第1楽章

というものです。冒頭の「フィンランディア」は、隣席の小学生くらいの男の子が、ゲーム機をやめて思わずステージに集中するほどの迫力で、次の「椿姫」第一幕の前奏曲は、弦楽セクションを中心とした繊細な表現に思わず引き込まれます。
「おくりびと」のテーマは、指揮の飯森範親さんがピアノを弾き、小川和久さんがチェロを奏する形で、映画の場面を思い出します。ウィンナ・ワルツはやっぱり楽しいですし、ベートーヴェンの7番の1楽章は、今やすっかり映画「のだめカンタービレ」のテーマ曲になってしまいました。
映画の中のクラシック音楽という点では、私が観たことがあるのは「おくりびと」と「のだめカンタービレ」だけで、歌劇「椿姫」はゼフィレッリ演出のオペラ映画「ラ・トラヴィアータ」を観たことがあるくらいです。司会の板垣幸江さんが解説してくれた「ダイハード2」や「プリティ・ウーマン」などはまったく不明。でも、親しみやすい選曲に、妻と二人で大いに楽しみました。

15分の休憩の後は、「オーケストラ~名曲の花束」と題した後半のプログラムです。

  1. ムソルグスキー(リムスキー=コルサコフ編) 交響詩「はげ山の一夜」
  2. ベートーヴェン 交響曲第6番ヘ長調Op.68「田園」第1楽章
  3. ヨハン・シュトラウスII世 ワルツ「春の声」
  4. スメタナ 連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」

「はげ山の一夜」では、足達さんのフルートと小松崎さんのピッコロにフルートがもう1本追加されるなど、編成が拡大しての演奏です。鐘の音でチューブラー・ベルも。スネアにドラに、シンバルは何種類もあるなど、パーカッションを見ているだけでもおもしろい(^o^)/
この曲では、シンバルが隠し味的に細かく入っていることに、今さらのように気づかされました。
「田園」第1楽章では、弦セクションの音の爽やかさとともに、川上さんのクラリネットの音が、格別に印象的です。ブラ~~ヴォ!
「わが祖国」は大好きですが、「モルダウ」はやはりいい曲ですね~。フィナーレにふさわしい曲目でした。

集まった聴衆の人数がすごかった。ぎっしり満員で、通路わきに補助席も出ました。無料招待というのはたしかにありますが、それにしても日新製薬(*1)の冠+名曲コンサートの集客力はすごいものです。アンコールで演奏した「ラデツキー行進曲」の盛り上がり、大人数の拍手の大きさ、威力はすごかった。山響を応援してくれるこういう企業がもっと出てほしいものだと思いました。良い演奏会でした。

(*1):日新製薬の社長さんの紹介と会社概要

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書棚の中で見つけた古い本

2016年02月03日 06時05分05秒 | 手帳文具書斎
母屋の書棚の中に、古ぼけた本を見つけました。理学博士・竹内時男編『誰にもわかる科学辞典』(昭和17年、愛之事業社刊、発行人:加藤三津夫)です。なんと言っても、昭和17年12月という戦時中の出版であることに驚きます。出版社もどうやらキリスト教系の出版社で、後に合併させられて新教出版社となった会社らしいです。



中身はと言うと、大日本帝国を守る神風を理論付けるようなものではなく、平易な自然科学的知識を解説した、比較的まっとうなもののようです。




カラーの口絵を見ているうちに思い出しました。そういえば、私が小学校に上がる前後ではなかったかと思いますが、亡父がこの本を大事にしていたのでした。



飛行機から見下ろした円形の虹のイラストには、たしかに見覚えがあります。これに続く博物学的な図にはあまり記憶がありませんが、カラーの図版に子供らしい関心を持ったのでしょう。おそらく、子どもにいたずらをされるのを恐れて、亡父がしまいこんだものと思われます。






たぶん、軍事的な目的で、少国民の科学教育に役立つからという理由で出版を許可されたものと思われますが、出版社側にしてみれば、飯を食うための事業活動という面とともに、あわせて4000部という規模の出版ではありましたが、せめて科学的な知識を普及することで非合理的な時代風潮に抵抗を試みたものかもしれません。

さらに想像をたくましくすれば、内村鑑三や矢内原忠雄、黒崎幸吉らの無教会主義キリスト教の影響下にあった祖父またはその弟たちの誰かが、こうしたキリスト教系出版社の刊行物を購入したのではなかろうかというのが、この古ぼけた本の出自についての推測です。

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母屋の一部リフォームを計画中

2016年02月02日 06時05分14秒 | 料理住居衣服
本はできるだけ処分しない主義を通してきたワタクシが、いきなり大量に書類綴りや書籍類の大処分を始めたことを、不思議に思われた方もおられたかもしれません。実は、妻の多年の要望であり懸案となっていた母屋の水回りを中心とするリフォームを計画中で、いよいよ本をどうするか、待ったなしの状況になってきたからでした。

わが書斎の壁面に作り付けの書棚のほか、デスクサイドの本箱や蔵の書棚に加えて、母屋にも数ヶ所の本棚があります。少なくとも母屋の書棚の分は、移動するなり処分するなりしなければなりません。そんなわけで、不要本を中心に選び出し、古すぎるものは処分し、新しめのものは売却することで、棚を減らすようにしました。埃っぽいのはマスクで我慢することにして、処分するものはヒモでくくり、売り払うものはコンテナに投げ込みます。あれこれ迷い始めるときりがない。実はこの選ぶ作業がいちばん時間がかかります。

そんなわけで、書棚二つ分を処分。ブックオフに持ち込んで売り払った冊数は、単行本や文庫本、新書を含めておおよそ450冊、9,000円ほどでした。平均20円ですね~! やれやれです。
隙間の空いた書斎の書棚に、岩波世界児童文学集だとかホームズ全集、アルセーヌ・ルパン全集などというのが移動し、鎮座することとなりました(^o^)/

台所の食器棚もありますが、こちらは妻の指揮監督の領分ですので、もう少し後になりそうです。

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中岡哲郎『日本近代技術の形成~〈伝統〉と〈近代〉のダイナミクス』を読む

2016年02月01日 06時02分58秒 | -ノンフィクション
明治期の技術移転について、ある程度詳しく知りたいと思い、購入して読み始めた中岡哲郎著『日本近代技術の形成~〈伝統〉と〈近代〉のダイナミクス』を読んでいます。当初の目的であった、当ブログの「歴史技術科学」カテゴリーの記事の参考に、というねらいを超えて、ひじょうに有益な、おもしろい本であると感じました。

本書の構成は、次のとおり。

第1章 工業化の始点
第2章 武士の工業
第3章 明治維新と工部省事業
第4章 過渡期の在来産業~その原生的産業革命
第5章 機械紡績業の興隆
第6章 工部省釜石製鉄所から釜石田中製鉄所へ
第7章 近代造船業の形成
第8章 日本近代技術の形成

この中で、とくに印象深かったのが、工部省釜石製鉄所の破綻・失敗と、釜石田中製鉄所の成長のプロセスです。木に竹を継ぐような大規模技術移転が失敗し、在来のシステムを生かした小規模経営は一定の成功を見ます。しかし、鉄鋼石を還元する炭素Cを木炭に依存する限り、やがて周辺の森林を破壊しますし、遠方での木炭製造と運搬はコスト増を招くのは必至で、結局はコークス還元に転換せざるを得ません。良質のコークス製造を含めた製鉄所全体のシステムは、在来の木炭使用型の小型高炉と新規のコークス使用型の大型高炉とを併用して経営することになります。

このあたり、助言し実際の改善に携わったのが、工部大学校を前身とする東京大学工学部の野呂景義とその弟子の香村小録であったところが注目されます。「維新の志士」世代の無謀な計画が頓挫し、近代工学を体系的に学んだ世代が実地に応用を工夫努力することによって実現をみることで、社会的評価を高めて行ったプロセスと言えます。

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