電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉村昭『私の文学漂流』に見る作家夫婦のあり方

2009年04月28日 06時16分47秒 | -吉村昭
以前、吉村昭氏の未発表原稿が発見されたことを契機に、「小説新潮」誌が特集を組んだことがあり、そのときに、氏の書斎の写真に触れて、夫人の津村節子氏との関係を推測したことがありました(*)。本書『私の文学漂流』(ちくま文庫)で、吉村昭氏による夫婦作家誕生の秘話を読み、これに対する解答を知るとともに、たいへん清々しい感銘を受けました。

結核療養歴のある若い大学生の青年が、短大を出て女流作家を目指す若い女性と同人雑誌で知り合い、やがて正式に結婚を申し込みます。先輩夫婦作家の離婚を例に、小説を一生書きつづけていくために結婚はしないつもりだと断られますが、氏は妻が生涯の仕事と考えているものをはばむつもりはないと答え、やがて二人は結婚します。若い二人の貧乏暮らしはあぶなっかしく、病気をしなかったのが不思議なほどです。

職業作家として暮らしを立てるのは難しく、しばらく奮闘した後に、夫は生活のために再び会社勤めに戻り、作品の発表数は激減します。そんなとき、妻の津村節子さんが芥川賞を受賞。妻は夫に、「会社を辞めたら」と言います。夫が生活のために会社の仕事に追われ、このまま小説が書けなくなってしまうことを恐れての言葉でした。氏もそのことを痛感しており、やがて会社勤めを辞める決意をします。このあたり、単に夫婦の関係というよりも、なんとなく同志を気遣うような気配もあります。

それにしても、夫人の受賞をきっかけに取材に訪れた婦人雑誌の記者のインタビューには恐れ入ります。

「芥川賞候補に四回なられて落選し、奥さんが受賞されて、どんなお気持ちですか」

ここまでは仕方がないかも。しかし、

「離婚するのではないか、という噂がもっぱらです。離婚なさるのではないですか」

というのは、婦人雑誌のインタビューとしては核心なのだろうとは思いつつ、雑誌記者というのは腹立たしく因果な商売だなぁと思ってしまいます。これに対する氏の対応は率直で明快ですが、記者は納得していないようです。たぶん、「芸術(文学)と夫婦生活は両立しない」と考えていたからでしょう。

昔の人は、とくに明治~大正期に生を受けた世代の人たちは、芸術を生活よりも上に置き、芸術のためならば生活を犠牲にすることも厭わず、という覚悟を是とする人が少なくなかったような印象を持っています。しかし、吉村昭氏や藤沢周平氏の作品などに見られるのは、日々の生活こそが大切なのであり、芸術はその中で営まれるものの一つだ、という感じ方です。肺結核との闘病生活や、戦争と敗戦期の苦しい生活、あるいは家庭的な不幸や不遇などの共通点もありますが、「芸術(文学)のために離婚も辞さず」という人たちとは異なる価値観を感じます。

夫婦で一緒に生活している。そして夫婦ともに作家であって、生活上の工夫はするが、どちらかが一方的に犠牲になるのではない。そういう作家夫婦のあり方が、この雑誌記者には、おそらく理解できなかったのでしょう。



(*):小説新潮が吉村昭特集~「電網郊外散歩道」2007年4月の記事

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