電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉村昭『真昼の花火』を読む

2015年01月17日 06時02分27秒 | -吉村昭
吉村昭著『真昼の花火』を読みました。著者は2006年に亡くなっていますが、本書は河出書房新社から2010年に刊行されたもので、当然のことながら、単行本にされていなかった四つの作品を集めたもののようです。( )内は初出年です。

  1. 牛乳瓶 (1998)
  2. 弔鐘 (1967)
  3. 真昼の花火 (1962)
  4. 四十年ぶりの卒業証書 (1985)

「牛乳瓶」は、時の流れを感じさせる、ややエッセイ風の作品。
表題作『真昼の花火』は、いささか違和感を感じてしまう作品です。布団屋の息子が、自分を育ててくれた親の生業を「嫌う」だけならまだしも、それを「攻撃する」ことを主な仕事とし、しかも何食わぬ顔で家に戻り、沈黙を続ける。そんな人にはふさわしい結末と言えるかもしれません。課長だけが悪者ではないだろう。課長にいいように利用されたと言いますが、それだけではなさそう。少なくとも、「自分の親の生業を突き崩すようなことはできません」の一言を、最初に言えなかったものか。小心者の欲が招いた結果=小さな欲から大きな損失。かなり苦い味で、ふだん読んでいる吉村昭作品の、淡々とした中に毅然としたものがある味わいとは、だいぶ読後感が異なります。
「四十年ぶりの卒業証書」も、私的な随筆風の作品です。

作家が単行本を出す際には、それなりに選択が働いているのだろうと思います。もしかすると、作家の生前にまだ単行本化されていなかった作品というよりは、作家自身が単行本化を断念していた作品なのかもしれません。もしそうだとすると、それはそれでうなづける面があります。


コメント    この記事についてブログを書く
« 葬儀で帳場を頼まれたときは | トップ | 本日は山響第242回定期演奏会 »

コメントを投稿

-吉村昭」カテゴリの最新記事