電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

吉村昭『生麦事件(下)』を読む

2012年06月01日 06時03分33秒 | -吉村昭
新潮文庫の吉村昭著『生麦事件』下巻の始まりでは、イギリス艦隊が鹿児島湾に来るのを迎え撃つ薩摩藩の対応が描かれます。英国側の最高責任者である公使ニールと薩摩側の交渉は行き詰まり、事態はイギリス艦隊側が、薩摩藩所有の蒸気艦三隻を拿捕・曳航したことから、戦闘状態に入ります。たまたま嵐が来ていたために、艦隊側の砲撃も照準が定めにくく、武力の差にもかかわらず、互いに大きな被害を受け、イギリス側の圧倒的勝利というわけにはいきませんでした。

しかし、城下を焼かれ、大きな損害を出した薩摩藩では、島津久光が英国との和平を図り、圧倒的な武力の差を思い知った薩摩藩たちは、攘夷の無謀を体で実感し、藩論は急速に開国へとまとまっていきます。このあたりの描き方は、島津久光が名君へと成長していったことを示しており、説得力があります。

薩摩藩とイギリス公使館側との和平交渉は、オランダ語を介しての二段階通訳となりましたが、重野厚之丞とニール代理公使とのやりとりはなかなか緊迫したもので、読み応えがあります。とくに、軍艦購入を仲介してほしいとの条件は、たぶんニールもイギリス側の他の人も驚いたことでしょう。なんとなく、将棋で、取った駒を持ち駒として使えたり、「歩」が敵陣に入ると「金将」に変わったりする融通性に通じるところかなと思いますが、実に効果的に作用しました。徹底的に叩きのめすよりは、商売相手として組んだ方が良い、という判断を引き出したのですから。これによって、薩英同盟が成ったと見ることもできるでしょう。

いっぽう長州はどうなっていたか。薩摩藩は、長崎丸が長州側の砲撃を嫌って逃げ出したものの、機関過熱で火災となり、多くの人材を失います。当然のことながら、薩長はいがみあうことになりますが、ここに休暇を終えて再来日した公使オールコックが登場、代理公使ニールと交代します。オールコックは、英仏蘭米の四ヶ国と横浜村で会議を開催し、長州藩に対して実力行使を行うことを決定します。ここに、密出国して英国へ留学中に列強が長州藩に実力行使を決定したことを知って急遽帰国した伊藤俊輔(博文)と井上聞多(馨)の二人が登場、長州藩に攘夷の無意味を説得しようとするのですが、まったく効果がありません。結局、長州藩は四ヶ国連合艦隊にボロ負けするのですが、逆に薩摩藩に次いで攘夷の無意味さが骨身にしみた藩となります。こうなると、薩摩と長州は同じ土俵に立ったわけですね。な~るほど!

南北戦争の終結によってダブついていた銃砲が東アジアに流れてきて、これを薩摩名義で長州にも提供するという形で薩長同盟が成立します。このあたりは、武器商人が暗躍する世界であって、あまり胸をはって威張れるようなものではないような(^o^;)?poripori
西郷隆盛が言ったという、「明治維新は南北戦争のおかげでござる」という言葉の意味の一つは、たしかにこのあたりの事情を指すのでしょう。

吉村昭の歴史ものは、例外なく興味深い物語であるように思いますが、本書は題名の地味さにもかかわらず、歴史の大きな転換点となった時代を見事に描いています。抜群に面白いです。


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