電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

宮城谷昌光『公孫龍』巻2「赤龍篇」を読む

2024年05月25日 06時00分35秒 | -宮城谷昌光
新潮文庫の5月新刊で、宮城谷昌光著『公孫龍』巻2「赤龍篇」を読みました。中国の戦国時代、周王朝の末期に、宮廷内の陰謀で命を狙われた王子稜が公孫龍と名前を変えて商人になっています。趙の恵文王やその弟の東武君、また燕の昭王の信頼を得て、燕と趙の二国を股にかけた活動を始めますが、趙国も盤石ではなく、沙丘の乱という反乱が起こります。この沙丘の乱の原因について、作者は主父(前趙王)の姿勢に求めているわけですが、同じ作者とはいえ『楽毅』と『公孫龍』ではだいぶ違いがあるようです。

『楽毅』では、後継者の選定に迷いがあった趙王が当代一の人相見である唐挙に子を見せ、いったんは次男の公子何を後継とし、自らは趙王を退き主父として外征に重点をおくようにしますが、途中で考えが変わり、末っ子の公子勝を王にするにはとあれこれ考えます。このあたりの迷いが、結局は長男である安陽君(公子章)の反乱を招く、というものです。
ところが『公孫龍』では、息子たちは三人とも器量において公孫龍に劣ると見た主父が、今は商人として活動していても公孫龍は本来は周の王子なのだから、周に帰り王として立てば趙の未来は危ういだろう。懸念は今のうちに摘むに限ると、公孫龍を暗殺するために長男を呼び出したのが乱になったとするのです。

それはあまりにも主人公贔屓が過ぎるというか、公孫龍をスーパーマンに描きすぎではないのか。残念ながら、この作品が『楽毅』の格調高さからはやや後退し、講談のような面白さに流れているように感じます。沙丘の乱も公孫龍の助けによって収束しますし、父を殺した自責の念にかられた恵文王も公孫龍の助言によって立ち直ります。このあたりも、『楽毅』では燕王の真率な書翰と楽毅の人格に触れて恵文王が心を動かすことになっていました。またもや公孫龍のスーパーな活躍! こうなるといささか贔屓の引き倒しの感が否めないようです。



なんだかなあ。久々の宮城谷作品なのですが、どうも今ひとつ乗り切れない。『楽毅』第三巻の沙丘の乱のところを読み返しましたが、正直言ってやっぱりこちら(『楽毅』)のほうが格調高いなあ。


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