電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

宮城谷昌光『呉越春秋・湖底の城(6)』を読む

2016年10月01日 06時01分59秒 | -宮城谷昌光
講談社刊の単行本で、宮城谷昌光著『呉越春秋・湖底の城(六)』を読みました。雑誌「小説現代」の2014年8月号から2015年8月号まで掲載され、同年9月に刊行されていますので、ほぼ1年後に読了したことになります。同じペースであれば第7巻が刊行されている頃でしょうか。



楚王に父と兄とを殺されたと恨み、復讐を誓った伍子胥は、呉王・闔閭(こうりょ)を助け、呉を強国としています。蔡という小国の君主・昭侯は、楚を牛耳る重臣の子常から、楚王に献上した贈り物と同じものを要求され、断ったために帰国できず、足止めをされてしまいます。こうした無礼に怒った昭候は晋に助けを求めますが、晋の重臣もまた貨を要求し、昭候を失望させます。昭候は呉に助けを求め、呉王は出師を決断します。ここに、伍子胥の積年の願いを果たす機会が到来します。

孫武の策戦によって子常を撃破し、沈尹戍をも破った呉軍は楚都に攻め入りますが、楚王は水路を逃亡、行方をくらまします。仇敵であった楚の平王の墓をあばき、遺体を鞭打つことによって父と兄の恨みをそそいだ伍子胥は、墓を元に戻します。また、随に逃げ込んだ現・楚王について、呉王は随の包囲を解き、赦すという大度を示しますが、これでは完全に呉に屈服したことになると主張する気迫ある者が楚臣の中におりました。その男・申包胥は秦に行き秦王に説いて楚への助力を約束させます。その頃、呉では越の君主・允常の侵攻がありましたが、孫武の策によって撃退されます。

伍子胥にとって、このあたりまでは順調に進んでいましたが、何事もうまくいくとは限りません。落とし穴は王の弟でした。楚に調略された愚かな弟は、自分が呉王となる愚かな夢に沈みます。悪いことは重なるもので、伍子胥の婦の小瑰が逝去し、さらに孫武も没していました。伍子胥に助けられ、敬慕していた華英は、伍子胥が幽明の境にあったときにこれを助けます。しかし、さらに呉王闔閭の太子である終纍(るい)が病没し、その子の夫差を後継と定めたときに、本当は引退すべきだったのでしょう。越の允常が没し、嗣君である句践が登場してくるのですから。



やっと越王・句践の名前が登場してきました。こんどは越の側から描かれる場面が増えてくることでしょう。『呉越春秋』の物語は、いよいよ面白くなってきました。

(*):宮城谷昌光『呉越春秋・湖底の城』を読(1), (2), (3), (4), (5)




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