電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

伊坂幸太郎『ガソリン生活』を読む

2017年08月27日 06時01分02秒 | 読書
朝日文庫で、伊坂幸太郎著『ガソリン生活』を読みました。2013年に朝日新聞出版から刊行された単行本が2016年に文庫化されたもののようで、まだまだ鮮度は高いままです。

物語は、望月家の長男・良夫が運転する緑のデミオに、小学生の次男・亨が乗っている場面から始まります。その会話の中から、長男・良夫の良識的グッドマンぶりや次男・亨の小学生らしからぬ落ち着きと聡明さが判明し、同時にシングルマザー郁子が置いていった週刊誌から、キャラクター「サンサン太陽君」の権利継承者の丹波氏が美人の元女優・荒木翠と交際しているらしいというゴシップが話題になります。ところがそこへ、当の荒木翠ご本人が何かから逃げてきて、緑デミオに乗せてほしいと頼むのです。何やら不穏な気配です。

で、なんとか送り届けた彼女が、翌日にはパパラッチに追跡されて事故死した英国のダイアナ妃と同様に、不倫相手の丹波氏とともにトンネル内で事故死してしまいます。このとき、二人を追跡していた雑誌記者の玉田憲吾と接触することで、兄弟は事件の渦中に入り込んでしまいます。荒木翠は、本当に死んだのか?



このあたりの展開は、人間の兄弟や家族を通して語られるほか、車同士が会話をしているという擬人的な手法で場が繋がれていき、印象が重ねられていきます。いつもながらの伊坂ワールドです。擬人化したのが旧型の緑のデミオというのも、アマガエルのような可愛らしさに触発されたものかもしれず、作中の庭に置かれた蛙の置物などのように、小道具としてもうまく使われています。これ以上にあらすじを追いかけるのは割愛しますが、なかなかおもしろい。

ただし、あまりにも具体的な車種が次々に出てくるものだから、年代が経過した時に作品が古びて見える心配もあります。ちょうど森博嗣『すべてがFになる』中のコンピュータ・ネットワークが現代では古びて見える(*1)ように、新しさを装っても時代性にまとわりつかれて、ちょいと問題が残りはしないか。歌謡曲の名曲で、旋律には普遍性があってもバックの編曲が時代の制約を感じさせてしまうのと同様でしょう。このあたりは、なかなか難しいところです。



緑の旧型デミオというのは、たぶんこの型のことでしょう。ときどき見かけますが、ほんとにアマガエルに見える明るい緑色の、キュートな車です(^o^)/

(*1):森博嗣『すべてがFになる』を読む〜「電網郊外散歩道」2009年3月


コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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可愛い♪ (こに)
2017-08-28 09:14:53
読んだ直後は緑のデミオを見ると本作を思い出してはクスリと笑えました。
発想が面白いですね。
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こに さん、 (narkejp)
2017-08-28 21:11:53
コメント、トラックバックをありがとうございます。ほんとに、緑のデミオを見るたびに、『ガソリン生活』を思い出します。書名からは、なんだか東日本大震災当時のガソリン欠乏を思い出してしまいますが、「そうきたか!」という感じでした(^o^)/
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