電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

高橋義夫『さむらい道(下)』を読む

2021年12月18日 06時00分36秒 | 読書
中央公論新社刊の単行本で、高橋義夫著『さむらい道(下)』を読みました。後半の物語は、第9章「出羽の太守」から始まります。宿敵・白鳥十郎長久を討ち取りますが、正室の御所の方が出家を願い出たり、米沢の伊達家では妹・義姫が産んだ嫡男の政宗が家督を相続し、若さにまかせて暴走したり、庄内の情勢も不穏な動きがあるなど、まだまだ多難な展開です。

でも、名脇役として登場した鮭延城主秀綱は情があります。庄内攻めで勝利した最上義光の凱旋行列から外れて、鮭延秀綱は庄内での人質時代に親しんだ武藤家の鷹姫を探します。興野村で消息を聞きますが、姫君と女房どもはみな越後表に逃げのびたけれど、鷹姫は湯温海という湯治場で倒れ、湯宿で療治していると言います。

「や、無事であったか。ならばすぐにでも迎えに参ろう」
内記は首を横に振り、いかにも心苦しそうに、
「湯宿は遊女屋でござるよ」
といった。鷹姫たちは売られたのである。湯温海の遊女屋には、城から落ち延びた女房たちが遊女となっているという。
「拙者はその噂をきき、湯温海まで参りもうしたが、姫様にはあえませぬ。遊女はだれも前身を語らず。無理に探し出そうといたせば、舌をかんで死んでしまうと、土地の者がもうしております。あきらめなされ。行きだおれてお亡くなりになったと、あきらめなされ」
と内記が語る背後で、妻が袖で涙をぬぐった。 (p.143)

庄内征討に貢献した最上の鮭延城主が、凱旋行列を離れ、人質時代の領主の側室の娘〜おそらくは初恋の相手〜を尋ね探し回る。そしてそれを最上義光らは咎めない。こうした脇役を含めた魅力も、本書の味わいの一つでしょう。

それに反して、豊臣秀吉は「人たらし」などと人材登用の積極面を評価されることが多いけれど、作者は必ずしもそれに賛成しません。逆に、よりによって一番嫌がることをあえてしてくる性悪な面も描きます。合戦の場面よりも、徳川方と豊臣方の間にあって、最上義光が徳川方に味方することを選んだのは、奥州仕置の帰りに秀次に見初められた娘・駒姫を秀吉の命令で関白秀次に連座し斬死させられた恨みだけではなかったというあたりが、説得力があります。

また、戦国の物語で武将の勢力争いはまあ毎度のことですが、本書で注目したのは、最上義光が推進した最上川中流域の舟運の難所を開削する工事や、庄内平野をうるおす北楯大堰等の土木工事です。西回り航路に接続する最上川舟運の発展も、現代に通じる「米どころ庄内」の確立も、この最上義光の功績なくしてはありえません。山形の人が、最上義光を高く評価する所以でしょう。このあたりへの目配りがきちんと書かれているあたりに、ベテラン作者の重層的な視点を感じます。



越後の上杉をバックにした庄内の悪屋形・武藤義氏が倒されるところは、藤沢周平が初期短編の中で「残照十五里ケ原」として描いています(*1)。こちらは歴史小説で、最上義光の勢力が押し寄せてくる動きを、庄内側から描いています。山形側から本書を、庄内側からは藤沢周平「残照十五里ケ原」を、並行して読むとなるほどと興味深いものがあります。たしか、『無用の隠密』と改題されて、文庫化されていたのではなかったか。

(*1): 『藤沢周平未刊行初期短編』を読む〜「電網郊外散歩道」2007年4月


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