電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

コンピュータで日本語が使えるということ

2018年04月27日 06時02分38秒 | コンピュータ
コンピュータで日本語が使えるということは、実にありがたいことです。もし、日本語が使えなかったら、メールやワープロはもちろん、データベースや表計算で確定申告ということもできませんし、ブログなどという楽しみもできなかったことでしょう。



考えてみれば、大型コンピュータの初期の時代には英数字しか使えなかったところへ半角カナを文字コード表に押し込んだのを皮切りに、全角かな漢字とかな漢字変換プログラムによって、2バイト・コード圏でコンピュータを使える環境が作られます。様々な文字コードの混乱を経て、UTF-8 により実用上は解決が図られ、ネットワーク上でかなり自由に日本語を扱えるようになりました。このことを当然のように受け止めているけれど、実はとても大切なこと=コンピュータで日本語を使えるようにした人たちがいた、ということを再認識しておかなければいけないなあ。小林龍生著『EPUB戦記』を読み、昔(MS-DOS時代)の雑誌記事スクラップを眺めていて、そんなことを考えてしまいました。



(*):写真は、「月刊アスキー」誌より、1991年頃のもの。
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