電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

一志治夫『奇跡のレストラン:アル・ケッチァーノ』を読む

2015年04月06日 06時05分04秒 | -ノンフィクション
文春文庫で、一志治夫著『奇跡のレストラン:アル・ケッチァーノ』を読みました。「食と農の都・庄内パラディーゾ」という副題は、単行本として発行されたときの題名だったようです。本書の構成は、次のとおり。

プロローグ
第1章:天国のような大地
第2章:「アル・ケッチァーノ」開店
第3章:素材への限りない愛情
第4章:「地方再生」と「地産地消」
第5章:庄内地方に生きる生産者たち
第6章:農業の新しい風
第7章:食と農の未来図
第8章:庄内から世界へ
エピローグ

第1章:「天国のような大地」は、山形大学農学部の助手として着任した江頭宏昌(えがしら・ひろあき)先生が、2001年に准教授に昇任、その秋に自然派レストラン「アル・ケッチァーノ」のシェフ奥田政行さんと出会うところから始まります。「地元の食材を生かすような、庄内の食材の良さがわかるようなレストラン」をやりたいという奥田シェフに、江頭先生は「在来作物の、この地域ならではの野菜をこれから発掘して研究しようと考えている」ので、「そういう料理をやってみたら面白いんじゃないですか」と提案します。学者と料理人という組み合わせは、研究者気質と職人気質とは相通じるところがあり、良いコンビなのかもしれません。
様々な在来作物・伝統野菜を採種し播いて育て選抜するという庄内の農業の伝統がまさに消えようとする直前に、かろうじて待ったをかけ、復活させ、維持しようとする努力に、食の現場からと学問からのアプローチが加わります。このあたりは、ドキュメンタリー映画「よみがえりのレシピ」(*1)でも描かれており、偶然性というか、人と人とのつながりのおもしろさを感じるところです。
第2章:「『アル・ケッチァーノ』開店」では、奥田シェフの修行時代と庄内への帰郷、そして実家の借金問題など、現実的な面が描かれます。決してふわふわとした甘い話ではありません。
第3章は、地元の食材を生かす努力と工夫を、第4章では奥田シェフのイタリア行きとそこでの評価から、逆に日本で評価が高まる経緯が描かれます。ここまでは、奥田シェフ個人に関わる内容です。
第5章と第6章は、藤沢カブや平田赤ネギなどの生産者の実状が描かれます。温海カブや民田ナスであれば、地元では漬け物をすぐに思い浮かべるところを、奥田シェフの料理は、余計な味付けを控え、素材本来の味を生かしつつ互いのハーモニーを奏でるようなものなのでしょうか。
第7章と第8章は、奥田シェフを取り巻く様々な人々の話。老舗の主人や技術者や事業家など、経歴も在り方も多彩です。
エピローグでは、東日本大震災の直後、被災地での炊き出しボランティアの話も出てきます。そういえば、あの時は当地の飲食店業界も軒並み閑古鳥が鳴く状況でした。お客さんが戻るまでは、だいぶ時間がかかったと記憶しています。八神純子さんのコンサート(*2)でも、奥田シェフとボランティアの話題が出ていました。このあたりは、同時性を感じます。



レストランで使う食材の量などは、生産量からすればごく限られているわけですが、伝統野菜を守ろうと苦闘する人々を勇気づける力はある。ふと、山響を作った村川千秋さんを連想してしまいました。
なかなかおもしろかった。機会があれば庄内の「アル・ケッチァーノ」に行ってみたいものですが、その他にも、地元の食材を生かしつつ良い料理を提供しようとする様々なお店があるでしょうから、それらを訪ねて美味しいものを食べることで、自分自身も楽しみ、少しは地産地消に貢献できるようにしたいものだと思います。

(*1):映画「よみがえりのレシピ」を観る~「電網郊外散歩道」2012年11月
(*2):山響スペシャルコンサート「八神純子・山響と歌う&トーク」を聴く~「電網郊外散歩道」2012年12月

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