電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

「天よ、運命よ。彼女を連れて行かないで。」~映画「ラ・ボエーム」を観る

2009年05月19日 19時43分53秒 | -オペラ・声楽
山形交響楽団の第197回定期演奏会マチネが終わった後で、すぐに妻と山形フォーラムに回り、夫婦50割引で(^o^;)、映画「ラ・ボエーム」を観ました。ロシア生まれの名花アンナ・ネトレプコが薄幸のお針子ミミを歌い、メキシコ生まれのテノール、ローランド・ビリャソンが自由な詩人ロドルフォを演じる、当代きっての組み合わせです。

歌劇「ラ・ボエーム」は、当方のお気に入りのオペラ(*1)ですので、これまでもテレサ・ストラータスとホセ・カレーラスによるレーザーディスク(*2)や、先年テレビで放送した、ブレゲンツ音楽祭で、ミミをアレクシア・ヴルガリドゥ、ロドルフォをローランド・ビリャソンが歌ったボーデン湖上ステージでの現代風の公演(*3)、あるいは砂川涼子さんがミミを歌った藤原歌劇団公演(*4)など、何種類か観ておりますが、大きなスクリーンで、映画として観るのは初めてです。

で、感想ですが、大いに楽しみました。観客数はわずか5~6名という寂しさでしたが、ネトレプコの演技力に感心しましたし、ろうそくを自ら吹き消してロドルフォのもとに火をもらいに行ったり、街に出たくないとゴネるロドルフォを自室に誘っちゃったり(^o^)、「薄幸の清純な娘」という解釈ではありません。この映画「ラ・ボエーム」は、パリの下町のボヘミアンの生活という原作の想定に、より近いのではないかと思います。音響的には、強い音で少々割れる感じがありますが、映画の音声としてはまずまずでしょう。指揮のベルトランド・ド・ビリーとバイエルン放送交響楽団、同合唱団により、プッチー二の音楽は、十全に再現されております。

ただし、舞台ではなく、映画になったがゆえの違和感もありました。舞台では、クローズアップの手法は使えませんから、演技と音楽によって、心理的なドラマを再現します。しかし、この映画では、愛し合い葛藤する二人の表情が、何度も何度も、スクリーンいっぱいにクローズアップされますが、ネトレプコの健康そうな二の腕やビリャソンのギョロ目やヒゲ面は、とても肺結核を患い、不治の病を嘆くようには見えません。クローズアップの手法の多用により、プッチー二の繊細な音楽が、映像の圧倒的な迫力に負けてしまい、バランスが説明的に感じられてしまいます。はて、プッチー二の音楽は、こんなに強烈な、肉のぶつかりあうような音楽だったのかな?

「魔笛」の場合は、戦場のモーツァルトに置き換えたことで、どこまでも続く白い墓標という映画的手法が成功をおさめていましたが、さて今回の「ラ・ボエーム」では、舞台の上で成り立つ音楽に、クローズアップの多用という映画的手法をそのまま適用しただけでは、はたしてどうなのかな、などと贅沢な注文をつけたくなりました。

しかし、めったに観られない正統的オペラ映画です。黄金のコンビの歌と演技を観て聴いて、楽しめることは間違いありません。第1幕、ロドルフォに「私の名はミミ」を歌うネトレプコは素晴らしいです。第2幕、ムゼッタの登場は、よくまあ、こんなに役柄に似合い、歌のうまい人がいるものだと感心しますし、第4幕のコルリーネによる「外套の歌」の絶唱から、「海のように深くて限りない、たった一つのこと」「あなたは私の愛、私の命のすべて」と伝え、息を引き取ったミミの名を呼ぶロドルフォの絶叫に至まで、やっぱり思わず引き込まれてしまいます。山形フォーラムでは今週の土曜日までの上映だそうです。パンフレットも、なかなかでした。

(*1):私家版「私の好きな曲」~「電網郊外散歩道」
(*2),(*3):プッチー二の「ボエーム」を見る~「電網郊外散歩道」
(*4):NHKの芸術劇場で藤原歌劇団の「ボエーム」を観る~「電網郊外散歩道」
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