電網郊外散歩道

本と音楽を片手に、電網郊外を散歩する風情で身辺の出来事を記録。退職後は果樹園農業と野菜作りにも取り組んでいます。

夏目房之介『漱石の孫』を読む

2007年10月16日 06時49分09秒 | 読書
新潮文庫で、夏目房之介著『漱石の孫』を読みました。夏目房之介氏というと、マンガ評論家で、手塚治虫の評論を読んだことがあります。本書を読むまで、まさか夏目漱石の孫だとは、思いもよりませんでした。『漱石の孫』という子どもの頃のトラウマから脱却するまでに30年かかった、という話を読むと、全くお気の毒というか、わが無名の先祖をありがたく思うほどです。

夏目漱石の熱心な読者ではありませんが、学生時代に東北大学の漱石文庫(*)の展覧会を見たとき、なんで漱石文庫が仙台にあるのだろうと不思議でした。大学で恩師にたずねたところ、「なんともはや!」なエピソードを教えてくれました。

なんでも、戦前に漱石の遺族が東大の図書館に文庫一切の受け入れを打診したのだとか。ところが東大では、(1)蔵書は別々にラベルをはって一般書籍の中に入れる(2)日記や書簡の類は引き取れないと答えたのだとか。あまりといえばあまりの回答に、それでは結構です、となって東大の線は消え、朝日新聞社にも相談したけれど、社屋が手狭で置き場所がない。困っていると、弟子の小宮豊隆が東北大学の図書館にいた関係で、東北大学で引き取りましょう、となったのだそうです。結局、東北大が図書館を増築し、漱石文庫のうち書籍や日記・書簡類を移送したところで、東京は空襲にあい、まだ搬送していなかった写真などの資料は失われてしまったのだそうな。

現在は、学生時代の試験の答案(*2)や日記、英国留学時代の書籍への書き込みなどを画像として見ることが出来るわけで、小宮豊隆と東北大の功績は大きいものがありますね。

本書で私が面白かったところは、第一に漱石の妻である鏡子夫人が孫たちと一緒にすわっている写真でした。なんともにこやかで、毅然としています。いわゆる悪妻のイメージは全くありません。そして第二に、「漱石のラブレター」「鏡子夫人のラブレター」の章でした。漱石がロンドンから夫人にあててラブレターを送っていること、それに対し、鏡子夫人も、当時としてはかなり熱烈なラブレターを返していること、などです。どうも、世間に流布している「悪妻」イメージは、弟子たちによるかなり一面的な思い込みによるもののようで、神経質で時に暴力的な文豪の夫にとっては、物事にこだわらない鷹揚な妻が、むしろ救いだったのではないかと思います。この夫人だったからこそ、漱石は7人の子(うち1人は早逝)をもうけたのでしょう。

漱石の息子で著者の父は、東フィルの初代コンサートマスターだったという話も面白かった。父親の最終学歴がブダペスト音楽院というのを見て、孫は文豪の祖父のくびきから解放される思いがしたのかも。

(*):東北大学附属図書館「夏目漱石ライブラリ」
(*2):夏目金之助君の学生時代、幾何学の試験答案97点
コメント (9)