行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2013年11月18日(月)の日記

2013年11月18日 | 日記

右足の痛みは大部分、消えたが、最初に痛いと感じた親指付け根の関節付近だけ、しつこく痛みが残る。仕事帰りに会社近くの医院へ寄ってくる。もうしばらく、こちらのお世話にならないといけなさそうだ。

 

晩飯は南行徳を降りてからなか卯

前は期間限定メニューでときどき登場していた、鶏塩うどんは、この夏前ぐらいからレギュラーメニューになっていた。

でも、暑い時期には食べる気がしなかった。寒くなってきたので、ようやく食べたいと思い、今日はその鶏塩うどん

 

タブレットで使う予定のMicroSDHCカードが届いていた。小さいものだからメール便で来るが、そのほうが便利。さっそく、これまで映した動画データをコピーする。だけど、この3年で映した動画は全部あわせるとけっこうな時間になる。一度に再生チェックはできないから、徐々にやっていくことになる。 


2013年11月17日(日)の日記

2013年11月17日 | 日記

朝飯は屋山パン工房でパンを2つ買ってくる。ヴィエノフ(左)とアップルパイ(右)。

ヴィエノフは間にストロベリークリームが入っていた。

 

タブレットの使い方をいろいろと試してみるほうは、今日は、動画再生を中心にやる。その前にデスクトップPCにある動画データをタブレットにコピーしないといけない。昨日、Windows PCとのデータ共有を調べたら、PC側のフォルダを共有設定して、タブレットのファイルマネージャアプリからアクセスする方法が見つかった。その方法で、LAN経由で双方向にデータコピーをやってみる。

ところが、そのあと、タブレットをUSBでPCに接続したら、PC側からデバイスの一つとして見えて、ファイル操作も簡単にできることがわかった。LAN経由で苦労したのがばかばかしいぐらい。つまりは、自分にAndroidタブレットについての知識も経験もまったくない状態から始めているから、いろいろと試行錯誤しないといけないということ。 

動画データはMicroSDHCカードに入れて、タブレットのスロットに挿して再生する運用にしようと考えた。タブレットの内部メモリーではこれまで自分が撮影して、編集した動画は、今時点ならなんとか入るかもしれないが、これからも増えていくのを入れる余裕はない。今の時点のデータ量でも、他のアプリが使う部分も圧迫しそうだ。MicroSDHCはタブレットと一緒に届くぐらいを見込んで注文したが、今日はまだ来ない。明日ぐらいになりそうだ。

それで、今日は、動画を2つ、3つ、テンポラリーに内部メモリーへコピーして再生してみる。MP4形式、1080p、12000kbpsで生成したデータも、問題なく再生でき、MicroHDMI端子からの出力をテレビに映し出すことも大丈夫だった。

今年の行徳まつりで撮影した動画。

ただ、タブレット標準搭載の動画再生機能だと、フォルダ内に複数ある動画の連続再生ができないので、それが可能な動画プレーヤーアプリをインストールする。 

 

昼飯は行徳駅近くのメイプル

例年、冬に登場するカキフライが今年も登場していた。

その中の食事メニュー・・・カキフライ+ライス+おみそ汁を食べる。

ここのカキフライは気に入っていて、毎年、1回は食べている。 

足の痛みはだいぶん退いた。ほとんどふつうに歩ける。だけど、まだ痛みが残っていて、完全には退かない。これが消えるまで、アルコール断ちは続きそうだ。

今日は家でゆっくりしようかと思ったが、小春日和で外は暖かいし、昼飯のときにデジタル一眼も持って出る。昼飯を食べたあと、行徳駅前公園へ行って公園の樹木の紅葉を写してくる。

行徳雑学館トップページのレポートは、この週末は休もうかと思っていたが、公園の紅葉を写したので、季節ものショートレポートを作ることにした。画像1枚だから、夕方に作ってそのままUP。

 

晩飯は中華の龍公亭

自分のお気に入りで、野菜もたっぷり摂れるニラ肉炒め定食にする。

右足の痛いのもはやく治ってくれないと、いい加減、気が滅入ってくる。 


2013年11月16日(土)の日記

2013年11月16日 | 日記

自分が使っているモバイルのノートPCは2005年の12月に買ったもの。まだブログになる前のテキストベースの日記のころだが、探すとあった。2005年12月3日

その当時だと、OSはWindowsXP。買った当初は、それまで使っていたのと比べて、軽やかに動いていたが、5年目を過ぎるころから何をするにも遅くなってきて、使うときはいつもいらだつようになってきた。でも、正月休みと夏休み、あとはゴールデンウィークに親の家に行ったときに、このブログを書くのにしか使わない。しかも、メーカーのパナソニックご自慢の壊れにくいタフなノートPCだから、ついいつまでも使ってしまった。そして、買ってからまもなく丸8年。

来年の4月でWindowsXPがサポート切れになるから、さてどうしようかといろいろ考えたが、次はノートPCにせず、タブレットを買うことに決めた。

ネット上のショップで予約しておいたが、それが今日届く。ASUS Pad TF701T。

Androidのタブレットの新機種。起動して、家の無線LANルータに接続し、ブラウザを起動してネット接続するまでは、すぐにできる。上の写真は行徳雑学館を表示したところ。

この機種はキーボードドックが標準で付いている。左が、タブレットをキーボードドックと接続した姿。右が、これまで約8年使ってきたパナソニックのノートPC。

少し斜めから。

ノートPCのような形で持ち運びも可能。これまでのノートPCよりも薄い。でも、パナソニックのノートが軽さを追求して1kgを切る機種だから、そこまでは軽くなく、タブレット+キーボードドックで1.1kgぐらいあり、手に持った感じも少し重い。親の家に行くときはキャリーバッグを使うようになったから、多少の重量増はそんなに問題ではない。
 

キーボードドック側にUSB端子があるから、ブログを書くときに、デジカメで撮った画像データを取り込むには便利そうだ。

一方、タブレット側は、Micro SD(SDHC,SDXC)のスロットがあるので、自分が撮影・編集した動画を入れて、タブレットだけで人に見せたりするのに使える。また、Micro HDMI端子があるので、テレビに接続すればメディアプレーヤーとしても使える。しかも、バッテリーの持ちがいいから、ちゃんと充電しておけば別に電源はいらない。今年の初めに買った手のひらに載るぐらいのメディアプレーヤーは小さくて便利なようで、電源がないと動かない。

タブレットだけでいろいろと使えそうだから、普段はタブレットのほうだけ使い、休みで旅行や親の家に行ったときの、このブログを書くときはキーボードドックと一緒にノートPC的に使うというのが今の考え。

でも、Android OSを使うのが初めてだから、ブログを書くときデジカメの画像をサイズ縮小するのにはどんなアプリがあるかとか、縮小した画像も一応は、PCで保管するから、WindowsのデスクトップPCとデータ共有をどうやるかとか、調べて試していくことは、これからいろいろとある。まあ、正月休みに入る前までに一通りできればいいわけだが。

もちろん、それ以外にタブレットでできることも徐々に調べて、試したりしていくことになるだろう。

ノートPCの次は、Androidタブレットのこの機種で決まりとなったあたりで、タブレット初心者用のムックを1冊買っておいた。基本的な操作やこれを読めば書いてある。

他に分からないことは、ネットで検索して調べていくことになる。

新しい機械類を手に入れたときは、やはり男の本能が強く働くようで、子供のときなら新しいおもちゃを買ってもらったときのようなわくわく感。酒抜きの週末にはちょうどよいおもちゃだ。Android OSの使い方で分からないことが多い分、いらいらすることもあったが、夜寝るときは枕元に置いておきたい気持ちもある。

この週末は休養メインのつもりだから、あまり夜遅くまで新しいおもちゃで遊ばないように気をつけよう。

 

今日の昼飯は、南行徳駅前まで行って、なか卯かきあげうどんライスつけもの。”勝手にかきあげうどん定食”をやる。

晩飯も南行徳駅前へ行って、やよい軒。やよい軒の店頭写真を写すのは相当に久しぶりだ。

食べたのは、サバの味噌煮定食


2013年11月15日(金)の日記

2013年11月15日 | 日記

足の痛みはほとんど退いたのに、最初に関節痛を疑った親指付け根付近の痛みや腫れがしつこく残る。この週末はアルコール抜きにして、家でゆっくりと休養することにする。

 

晩飯はラーメンのえじそん完熟らぁめんの醤油味にする。

えじそんのマスターから、あびぃろぅどが再開していると聞いた。あびぃろぅどのほうへ入る丁字路から見ると、看板の灯りがついている。

それで、一旦、家に帰ってからあらためて行く。マスターの訃報を聞いた後、これまで3年間、店で写真や動画を撮ってきたから、それをまとめて差し上げようと考えた。写真はプリントしたのをミニアルバムにし、画像データはDVDに焼く。動画は3本撮ったが、これは市販のDVDプレーヤーで再生できる形にする。そういうのをこの2週間あまりの間に作ってあった。それを持っていく。

今年の夏まで使っていた2008年購入のWindowsXPパソコンでは、バンドルされていたDVD書き込みソフトを有償アップグレードしないと、DVDのビデオは作ることができなかった。ところが、今年の夏に買い換えたWindows7のパソコンは標準で市販プレーヤーで再生できるフォーマットのDVDを作ることができる。これまでも使ってきた動画編集ソフトと、Windows7についてくるDVD作成ソフトの組み合わせで、市販プレーヤーで再生可のDVDのビデオを作ることができるようになった。

 

再開したIZAKAYAあびぃろぅど

すでに常連のお客さんたちで大賑わいだった。

営業時間がちょっと早いほうにシフトし、17時~23時となった。

毎月第3土曜はアマチュアバンドによるジャズライブの日。今月の第3土曜日は明日。ライブは、これまでどおりやるということだ。

晩飯はもう食べたし、この週末はアルコール無しとするので、お通しを食べ、ウーロン茶を1杯だけ飲む。

身体に調子が悪い部分があると、やはりいつもより疲れる。明日と明後日は家でゆっくりだ。


2013年11月14日(木)の日記

2013年11月14日 | 日記

足の痛みは9割がた退いた感じなので、今日あたり包帯は取れるかと思ったが、医院へ行って診てもらったら、最初に痛みを感じた親指付け根付近がまだ腫れているという。歩く早さはいつもの変わらなくなったが、確かに、親指付け根付近の痛みは残っている。

早く包帯が取れてほしいが、ぶり返しても困るし、薬を塗って再び包帯を巻く処置をしてもらってくる。やっぱり週末までかかりそうだ。

晩飯は南行徳の松屋豚バラ焼肉定食


2013年11月13日(水)の日記

2013年11月13日 | 日記

右足は関節痛というより炎症を起こした状態で、医者で薬を塗って包帯でぐるぐる巻きにしてもらっている。

水につけてはだめなので、片足だけ出してなんとか入浴できないかと思ったが、バスタブの形状からいって難しいと分かった。しょうがないので、寝床の準備をし終えてから、風呂場で湯(熱めの風呂ぐらいの)でしぼったタオルで身体をさっと拭いて、体が冷えないうちに、パジャマを着てすぐ寝ることにした。それをやる前に、顔を洗う。それから、頭はドライシャンプーで洗っておく。3年前に白内障の手術を受けた直後、顔をぬらしてはいけない期間に頭を洗うのに使ったのと同じ、水のいらないシャンプー。

包帯を巻いた足は革靴には入らないので、幅に余裕があって、マジックテープで止めるタイプの運動靴を仕事の行き帰りに履く。それと、幅に余裕のある大きさのサンダルも会社へ持っていって、仕事中に履くことにした。でも、自分の勤務先のドレスコードではサンダルやスリッパは×。それで、ローファーも一足、会社へ持っていっておく。

自分の席で椅子に座っての仕事や、自席のごく近くを動くときは両足サンダルで。それよりも遠い範囲(トイレや食堂も含め)は、大丈夫なほうの左足だけローファーを履く。足の痛みはだいぶん、取れて楽になったが、まだ残っているし、包帯でぐるぐる巻きだとやはり歩くのは不自由。片足だけサンダルを履いて、反対の足を引きずり気味に歩くことになるが、そうすれば、足にけがをしたらしき人にちゃんと見えるだろう。

医者へはあと2回か3回ぐらいは行って、具合を見てもらわないといけなさそうだ。

 

1ヶ月前ぐらい前は、10月中旬なのに夏日といっていたのが、今はまだ11月中旬なのにコートがいる冬の寒さ。まったく、秋がなくなって、いきなり夏から冬になったみたいだ。その寒さで、しかも今日は朝から晴天。

出勤時間に南行徳公園で写したが、完全に冬晴れの天気。

晩飯は一心亭赤味噌ラーメンを食べる。夜の時間のトッピングはもやしにする。 


2013年11月11日(月)の日記

2013年11月11日 | 日記

右足の痛さは朝になっても変わらず。昨日、普段履きの運動靴ならそこそこ歩けたが、会社へ履いていくような革靴だと、あまり締め付けないローファータイプでもやっぱりだめ。

結局、会社近くの整形外科のお世話になることにして、帰りにその医院が開いているうちに行って、診てもらってくる。何日かは辛い状態が続きそうだ。

今日は東京で木枯らし1号が吹いたとのことで、たしかに帰りの時間は冬の北風。医院を出て今日はタクシーで帰ろうかと思ったが、タクシーを拾えそうな場所まで歩くなら、駅まで行っても同じなので、結局、東西線で帰る。電車に乗る前に会社最寄り駅近くにある中華の日高屋で晩飯。肉野菜炒め定食を食べる。


2013年11月10日(日)の日記

2013年11月10日 | 日記

昨夜、Hot Houseではノンアルコールビールやウーロン茶にしておけばよかった。関節痛のようなものにはアルコールは大敵だとしか思えない。かえって痛みがひどくなり、夜中や、朝いつも起きる時間にトイレへ行きたくなったときも、布団から立ち上がってトイレへ行くだけで一苦労だった。

結局、二度寝して布団から出たのは昼の12時半ごろ。ここまで長い朝寝をしたのは何年ぶりかというぐらい。

近くのコンビニへ行くが右足を引きずって歩かざるを得なくて、近くなのにずいぶん時間がかかった。

 

午後の時間は、行徳雑学館の更新作業。座ってパソコンに向かう作業は問題なくできる。今年の湊新田・胡録神社の祭礼画像を行徳のアルバム2に入れる作業は、数日前からやってきたが、残りをやってしまう。それと、昨日の妙典街回遊展で写した画像でトップページのレポートを作る。どちらも夕方にはUP。

思ったより荒天にならかったから、妙好寺の万灯行列はいい動画が映せたかもしれないが、今日の足の状態では行く気にはならなかった。

 

夕方ぐらいになると足の痛みも少しマシになってきた。それで、晩飯は南行徳駅前へ食べにいく。明日からまた仕事だが、駅まで歩けるか、どれぐらい時間がかかるかのシミュレーション。歩く速度は、昨日、妙典街回遊展に行ったときと同じ程度。つまり、痛みも昨日の昼間の段階にようやく戻ったぐらい。いつもの出勤時間の倍程度は時間がかかりそうだ。明日の朝にはもう少し、痛みが退いていればよいが。

晩飯はなか卯

牛丼ミニはいからうどんを食べる。

足が関節痛のような痛みになっているからといっても、発熱などの他の症状が出ているわけではない。だから、デジカメも持っていって、店や食べたものを写すのも普段どおりできる。そして、残さずに食べ終えることもできた。

とはいえ、体の一部にそのような痛みがあると、やはり疲れる。昼過ぎまで寝ていたわりに、いつもと同じ時間にもう眠くなってきた。 


2013年11月9日(土)の日記

2013年11月09日 | 日記

昨日、会社へ行くとき、足が痛いならしっかりと支えることができる靴のほうがいいのではないかと思い、紐靴を履いていった。でも、紐靴の革靴は足を締め付けて、しだいに足がずきずきとするようになってしまった。ローファーにしたほうがよかったようだ。

夜も、足がずきずきしてなかなか寝付けない。2時間に1回ぐらい目覚めて、関節痛の薬を足に塗る。朝になるとようやくずきずき感も治まってきた。

妙典街回遊展は行けるかどうか不安だったが、右足を引きずりながらゆっくり歩くことになるが、行けそうなので出かける。ただし、いつもなら行徳駅まで歩いて妙典まで一駅だけ電車に乗るところ、今日は自宅からより近い南行徳駅から乗る。帰りも南行徳まで乗った。

午前11時少し前に妙典駅に着く。駅前広場では和太鼓の演奏が行なわれていた。

イオンの中でも写真などの展示が行なわれていた。

新しい街の側にある、2つの祠も回遊ポイントになっていた。イオンからごく近くの下妙典龍玉宮。

妙典公園そばの、上妙典龍宮様。

回遊範囲はそれほど広くないので、痛い右足をかばいつつゆっくりと歩く。高齢になって脚も弱ってきて、歩くスピードが遅くなっている親と同じぐらいのペースだ。今回の脚の痛みは一時的なものだろうけど、今の親ぐらいの年になったらこれぐらいの歩き方しかできなくなるのだろうと思った。

旧成田街道沿いの地域へ。上妙典の妙好寺では万灯の準備中。

今年の万灯行列は明日の午後2時半に妙好寺出発とのこと。去年、行なわれたのは夜の時間。動画を撮影したが、雨だったから、今年は天気のいい状態で撮影できたらと思っていた。でも、明日の昼間は 荒天になりそう。足もまだ痛いし、今年はパス。

妙好寺の模擬店では、おにぎりと豚汁を売っていた。

正午ぐらいなので、ここで昼飯。おにぎり2個と豚汁1杯を買って食べる。

上妙典八幡神社では神輿の展示が行なわれていた。一昨年(2011年)の秋に、元新田公園で18年ぶりの渡御がおこなれた神輿。 

下妙典の春日神社。

雌雄の獅子頭が拝殿前に展示されていた。

こちらの模擬店では飲み物が無料サービス。

寒いし、ホットコーヒーをもらう。小さいお菓子も付いた。

新しい街の側の2つの祠でも、上妙典の八幡神社でもお参りをしてきたが、無料で飲み物をサービスしてもらったのだから、春日神社ではお賽銭にちょっと数字の大きいコインを入れてきた。

妙典駅前へ戻り、イオンの連絡デッキへ行くと、ステージイベントが始まっていた。このときはフラダンス。

他のプログラムもあるようだが、足も疲れたし、イオンで日用品の買い物だけしてもう帰る。

いつ雨が降り出すか分からないような空模様なので、帰ったら、クリーニング屋へ行く。夏物スーツ出しが終わって、持って行く量が少なくなったので自転車で行ったが、足の痛いときは楽だ。ついでに、食品スーパーへも行ってくる。

 

夜はジャズライブのHot Houseへ行く。前から予約してあった。一旦、南行徳駅前あたりで晩飯を食べてから線路沿いに歩いて向かうことが多いが、足が痛いので、食品スーパーの惣菜コーナーで買っておいた弁当を食べてから出かける。

今日はピアノ、ドラム、ベースのトリオ。

ピアノの松井節子さん。

ドラムの渡辺文男さん。

各ステージの後半では毎回のように歌も披露。 

ベースは小杉敏さん。

小杉さんもベースの弾き語りを披露した。

アルコールが入ったら、帰りのほうが足が痛かった。まあ、明日は日曜。ゆっくりと休養することにしよう。 


2013年11月8日(金)の日記

2013年11月08日 | 日記

朝、起きて立ち上がろうと床に足を着いたら、右足に激しい痛みが走った。昨夜までは何ともなかったから、驚いた。

昨日のことを思い出すと、ダンベルをやっていたときに、左肩の関節がこのところ痛いので、腕の筋肉の種目をやるときに左肩をかばうようにやっていた。それが、逆に右足の親指の付け根あたりの関節に変な負担をかけてしまったのではないかと思う。左肩の痛みは、祭りでカメラバッグを左肩から右脇に斜め掛けして歩き回ったためだと思う。だけど、年をとるほど5年前、10年前には考えられなかったような体の不具合がでるものだ。

決して歩けないようなものではなかったので、関節痛の薬を足に塗り、仕事にでかける。親指の関節で地面を強く踏まないように、足を引きずるようにあるけば、いつもよりもゆっくりだが会社まで行けた。仕事も今日は座ってパソコンに向かうのがほとんどだったから、問題なくできる。ただ、昼飯やトイレで歩くときはやはりつらい。

そして、今日は月初のまとまった仕事があるので、午後8時過ぎまでかかる。

今日は行徳駅まで乗って、行徳駅周辺の店でカキフライを食べて、軽くビールでも飲んでと思っていたが、それは中止。南行徳を降りてメトロセンターの天善かつ壱番屋へ行く。そしてカキフライ定食を食べる。1日、足がずきずきしていたから、ビールを飲む気はしなかった。

 

 

今日は日記以外に、もうひとつ書いておくことがある。

自分が3年間通ったIZAKAYAあびぃろぅどのマスターが、10月の21日か22日ごろ、急逝された。

23日にメールでそのことを知らせてくれた人がいた。だけど、自分で確認できるところは確認しなくてはいけない。それで、24日の仕事の帰り、あびぃろぅどのようすを見に行った。

シャッターは下ろされ、

「しばらくの間お休みをいただきます。」と書かれた貼り紙。

(今日も晩飯のあと、足が痛かったが、あびぃろぅどへ回ってみるが、10月24日と変わっていなかった。)

貼り紙に、それ以上のことが書かれていないのは、その時点でマスターが亡くなったことは公表しないという意思だと判断し、この日記には何も書かなかった。個人の日記という形を取っていても、ブログやWebページに書くことは世の中に公表してしまうことだ。

2008年の11月3日、ジャズライブHot Houseのサックス奏者・郷間和緒さんが亡くなったのを知り、自分なりの追悼を書いている。亡くなったという連絡は受けなかった。それまで7年ぐらい通ってはいたが、少ない年は3回か4回しか行かなかったこともある程度の、通う頻度の小さい客だったからだ。

だが、偶然にお葬式に出くわし、あわてて家に着替えに戻る途中、Hot Houseの前へちょっと回ってみると、店の扉に亡くなったことを知らせる写真入りの貼り紙が貼ってあった。2008年11月3日の日記に載せた画像は、その貼り紙を写したもの。葬式も密葬や家族葬といったものではなかったし、また、店の扉に訃報を知らせる貼り紙を出すことで、世の中に公表したわけだから、自分も日記に書くことができた。

 

今は、家族葬をやる人が増えているという。そして、亡くなったことが限られた人にしか伝えられないことも多い。

著名人の訃報が新聞やネットニュースで報じられるときも、「葬儀は近親者のみで済ませた」、「密葬で行なった」と書かれていて、すべて済んでから公表され、報道されたと読み取れる記事をしばしば目にする。あるいは、亡くなって数ヶ月経ってから、「○月に亡くなっていたことが明らかになった」と報じられるのもたまに目にする。

一般の人でも同様で、自分の親の兄弟姉妹も家族葬で済ませてから、配偶者や子供が連絡して来たというのがすでにある。自分も親からは死んだときは家族葬で済ませて、そのあとで親類縁者に知らせるようにと言われている。

親が今のマンションに引っ越してからもう10年近いが、最初のころ同じ階に、かなり高齢のおばあさんがいた家があったということだ。でも、数年後にはおばあさんの姿を見かけることはなくなったという。でも、葬式の気配も回覧板でのお知らせもなかったというから、これも、家族葬か密葬をやったのではないかと、親が言っていた。

自分の勤務先で、業界メディアで活躍してけっこう有名だった人がいた。10年ぐらい前だが、その人がまだ現役のうちに亡くなった。社内Webには、訃報が一応掲載されたが、「ご遺族のご希望により」ということで、外部には口外しないようにとのこと、つまりはかん口令も同時に敷かれた。やはり、世の中には公表を望まない人もいるのだ。

だが、その人は業界でそこそこ有名だったので、姿を見せなくなったら、やはりいぶかしく思う人も多いのだろう。2ヶ月か3ヵ月後、訃報を知った同じ業界の人が、追悼の文章を書いたことで世の中に知られることになり、社内のかん口令も解除された。

あびぃろぅどのマスターとは、特撮ものが好きだという点で自分とは共通点があったが、客と店主の関係以上の個人的な付き合いをするまでには至っていなかった。だから、連絡先も分からない。

分からないから、葬儀が家族葬なのか、即座の公表をご遺族が認めるのかを確かめられないわけで、なおさら軽々しくこの日記に書いて、世の中に公表するようなことは差し控えるべきと考え、何も書かなかった。でも、1週間に1回ぐらい、今日も含めてあびぃろぅどのようすは見に行っていた。店が最終的にどうなるか見届けるまで、しばらくはそうするだろう。また、1ヶ月か、あるいは7週間(つまり49日)という区切りが来たあたりで、なんとかしてコンタクトを取って、ブログに書いていいか聞こうとも思っていた。

 

だが、2週間あまりそうして、沈黙してきたのが今日、急に書くことにしたのは、世の中に知られ、周知のことになる変化があったから。あびぃろぅどのアマチュアバンドのライブとHot Houseの木曜日のジャム・セッションの両方に出ている人が、昨日の木曜日、Hot Houseでママさんに話し、ママさんが今日のブログに追悼の文章を載せたからだ。

やはり、店をやってきた人は狭い地域とはいっても、そこでの有名人。店が休んだままになっていれば、みんな不思議に思い、やがて、亡くなったことも人の口から口へと伝わり、周知の事実になっていくだろう。どちらも音楽に関わる飲み屋という、ある意味、同じ業界の人間であるHot Houseのママがブログに追悼を書いて、世間に知られる方向へ動きが生じたわけだが、自分の勤務先の業界で有名だった人の訃報が世間に知られていったときのことを思い出した。

 

あびぃろぅどのマスターは、去年の5月ぐらいに1週間程度入院したことがあったようだが、その後、店での様子を見る限り、どこかに悪いところがあるとは思えなかった。でも、急逝されたということは、表に見えないところで悪い部分を抱えていたのだろう。

9月に行ったときは、中野のマニアが集まる店で買ってきたという、「ウルトラQ」の怪獣・ガラモンのフィギュアをうれしそうに見せてくれた。ママさんによると、オーディオ機器でもやたらと凝って、値段の高いものを買ったりするので、そういうところは不満だったらしいが、考えてみれば好きなことを徹底的にやれたというのは、うらやましいことでもある。

だが、店名の「あびぃろぅど」の元になった、ビートルズのアルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真の場所・・ロンドンの「アビー・ロード」へ、稼ぎがたまったら行ってみたいと、前にマスターが言っていたのを覚えているが、それが適わなかったのが心残りだったのではないかと思う。

心より、ご冥福をお祈り申し上げます。